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夜に咲く向日葵  作者: 日南田ウヲ
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 もう一時間ばかり絵を見ている青年がいる。

 彼は黒い木製の額に入った絵を手にしていた。

 店の外で鳴く蝉の声が、時折風に揺れる店の軒先の風鈴の音と一緒に店の中にも響いて来る。

 彼は瀬戸群と言った。

 九州の小さな集落の出身だが、絵を学ぶため大阪の中之島界隈にあるこの小さな洋画研究所に通っていた。

 瀬戸は秋に開かれる関西の新聞社主催の公募展に作品を出品するために絵の具を買いに訪れた天満の画材屋で、床に投げ出されるように置かれた青色の絵を見つけた。彼はそれを手に取ると、狭い店の往来を行く客と店員が自分に当たるのも気にせず、ずっとその絵を見ていた。

 彼はこの絵に対する自分の答えが、絵を始めてみたときから今まで見つけ出せないでいることに少し焦りを感じていた。

 彼は画家が他者の絵を見るということは宇宙の難しい定理に挑む数学者のようでなければならないと考えていた。

 数学者が宇宙の定理の中から答えを導き出すように、画家が他者の作品を見るのであれば、その作品の完成までの無数の道筋を様々な観点から照らし出し、そして照らし出した先に自分の答えを見つけ、その答えを尊敬し学ばなければならない。

 だから作品を見るときは常に答えを見つけ無ければならないと思っていた。

 普通なら美術館で見る巨匠達の作品を見れば、その作品に対する答えを見つけることが出来るのだが、何故かこの絵に対する答えが既に一時間が経過した今も見つけだせないでいた。

(ただの素人の絵であるのに、答えが出せないなんて)

 瀬戸は一度店の奥を見た。奥に店主が見えた。別に長居している自分に厭味な顔をしていない。どちらかといえば自分には興味が無い様だ。

 いつもなら画材選びをして長居する自分をいつも嫌がるのだが、今日は瀬戸を気にすることなく開いた新聞を夢中に読んでいる様だった。

 新聞の紙面が見えた。そこに野球選手達の手を上げて喜ぶ写真が見えた。

 おそらく自分が贔屓にしている関西の球団の記事を見ているのだろう。昨夜、東京の球団に贔屓の球団が逆転勝利したことは、瀬戸もラジオで知っていた。

(そんなに野球が良いものなのかね)

 瀬戸はそう思うと、瀬戸は店主の熱心そうな顔から視線を外し、再び絵に目を遣った。

 画布に描かれた絵は全体が青い点描で描かれていた。そして青色の点描の隙間を埋めるように黒色がところどころ散りばめられ、その散りばめられた黒の塊の群れが、この作品を見る者に何か重苦しさを伝えていた。

 その何かに対する重苦しさに対する答えが出てこないでいた。良く目を凝らすと僅かだがその作品の輪郭が見えて来る。


 ――うっすらと浮かび上がるその輪郭は・・


(これは・・向日葵だろうか・・)


 彼は黙ったまま黒縁の眼鏡の奥からその絵を見ていたが、あきらめるように首を小さく振ると絵を脇に抱えて店の奥に入り、絵の具類とその絵を一緒に店主の前に出した。

 それに気づいた店主が新聞を閉じて瀬戸のほうを見上げた。

 細い銀色線をした円縁の眼鏡の奥から覗く店主の目が瀬戸の細長い瞼をなぞる様に追い「この絵も買うのかい?」と、言った。瀬戸は「全部いただきます」言うと、静かに微笑した。

 この絵を潰して新しい作品用の画布にでもするのかと店主は少し考えるようにしていたが売値を瀬戸に言うと、瀬戸は安くないその絵の代金を払ってそのまま絵の具類を麻色のジャケットのポケットに入れ、向日葵の絵を脇に抱えたまま街の通りに出て行った。

 通りは昼下がりを行く人混みで溢れており、瀬戸は小さな体の背を曲げて人混みにまぎれると、やがてその流れに溶け込むように夏の昼の日差しの中に消えていった。

 店主は瀬戸が出て行った通りを暫く見て舌打ちをして(あ、しまったな)と心の中で呟いたが「まぁいいか」と大きく一言外に漏らして体を伸ばすと座り直し、それっきり先程の考えを忘れたかのように新聞を開き、贔屓の球団の勝利記事を読み耽った。

 今夜も野球の試合をテレビで見ながら旨い勝利の美酒を飲みたいものだ、そう思うと自然に笑顔になり、顎を撫でてにやりと笑った。

 蝉が鳴く声が聞こえ、通りを行く人々の上を夏の昼が過ぎようとしていた。



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