5、入学式
「これより第896回、国立ウェグナドーレ学園高等学院入学式を始める!」
教頭による開会宣言。そのバリトンの声はマイクなどの機器を使わずに、講堂にいる全員の耳にしっかりと届き、宣言を終えると同時に新入生の頭上に多彩な花々が降り注いだ。
「……凄い」
「うわああ!」
「き、綺麗!!」
会場にいる新入生及び家族から感動に酔いしれる声や興奮する叫び声が次々と上がった。
実はこれら全ては魔法である。例えば教頭の声は風の魔法に乗せられて遠くまで運ばれ、花は講堂の2階で待機していた教員が天井に向かって蒔いた多種多様な花の種を、別の教員が一気に咲かせたのである。
この世界で魔法は別に珍しいものではない。誰もが幼い頃から少しずつ学び、使える。だが初等・中等教育において学べる魔法は全体における約1パーセントとされる。その為多くの人が使えるのは少量の水や火を造り出す簡易的なものばかり。だから魔法のある世界であっても、一般市民が大規模な魔法を目にすることはあまり多くはないのだ。
次の国歌斉唱も大きな歓声に包まれた。舞台上に上がった教員が一礼すると、何処からともなく突然現れたハープを構えて何食わぬ顔で伴奏を始めた。新入生は一瞬唖然としたが、すぐに騒然と化した。そのハープから黄金の音色が作り出されたのだ。これは決して比喩ではない。音色が人に見える形となって舞っているのだ。今まで学園に所縁のなかった生徒や親たちは驚愕し、歌うどころではなくなってしまった。
また校歌斉唱は在校生代表が歌うのを聞く形式となったのだが、こちらはさらに凄いこととなった。ウェグナドーレでは2年次以上は様々な専門科に分かれて学ぶ。そのため在校生代表は必然的にあらゆる声や音程、音のエキスパートである声学科の学生と生徒会7人であった。だがそのうち後者の生徒会の役員が癖が強すぎて、入学式は一種のパフォーマンス、部隊と化していた。彼ら彼女らは自由自在に花や雪を降らせ、挙句に宙を飛びはじめる者までいた。勿論観客、――否、式参加者の大半は興奮冷めあらぬ様子で熱狂していたが、教職員は一斉に頭を抱えた。生徒会は実力主義で構成されるため、言わば彼ら彼女らはエリート中のエリートである。分野によっては教師を凌駕する実力者故、ある程度教師たちも目を瞑ることにしていた。だとしてもこの騒ぎは、伝統と誉れ高い学園の式典としては有り得ない状況だった。
そんな波乱に満ちた入学式も進行していき、校長や在校生の言葉を終え、残すは新入生の挨拶のみとなった。
「続きまして、新入生の挨拶」
アナウンスが流れた瞬間、瞬時に講堂内の空気が引き締まる。それもそのはず。代々これは主席がやると決まっているものである。一部のプライドが高く苛烈な生徒の中には、まだ見ぬ相手を呪い殺さんばかりに妬む者もいた。
「アメリア・フィン・ブレデル」
「はい」
凛とした少女の声が講堂内に響きわたった。
アメリアはその瞬間、会場内の視線全てを身に纏った。嫉妬、羨望、驚き、戸惑い……。そこにはこの世のありとあらゆる感情が存在していた。
「けっ、あいつか。今年のトップは」
「『フィン・ブレデル』って、セフィルラ侯爵令嬢?」
「本当に存在していたのね、『霧の姫』は」
「……ん?男?女?」
「ありえないわ、あの髪の長さは」
アメリアが一歩歩くごとに、波の様にざわめきが広がっていった。その言葉にも様々な思惑が見え隠れしていたが、アメリアはそれらに一切動じることは無かった。
だがそんな余裕も壇上に上った瞬間、さっと消え去った。
――そんなわけが……。でも、この感覚は、間違いない。
アメリアは制服の下に隠したネックレスの先の小瓶が熱くなるのを感じ、激しく戸惑った。「アメリア」になって未だかつてないほど心が揺れ動いた。当に消え去ったはずの「ディアナ」の部分が沸々と湧いてくる。髪と共にあの村に捨ててきたはずの過去の自分が。
「一同、起立、礼。……着席」
進行係の教師の厳かな声が無感情にアメリアの耳に届いた。
――いけない、忘れなきゃ。……私はアメリア・フィン・ブレデル、侯爵家の娘。ディアナ・フォーレは死んだんだ。エルユードなんて、知らない。
アメリアはぎゅっと目を強く瞑って心を落ち着かせると、粛々と答辞を述べ始めた。そこにはもう狼狽えは無かった。