3、義父セフィルラ侯爵
「ああ、アメリア。おはよう」
執務室に入るなり、品の良いテノールの声がアメリアを迎えた。
「おはようございます、お義父様。お忙しいところを申し訳ございません」
深々と頭を下げるアメリア。言葉には謝罪の念がこもっているものの、その顔には何1つ感情が浮かんでいなかった。だが義父であるアルバートはそれに不満や疑問を抱くことなく、座るように促した。--それもそのはず、養子となってからアメリアが表情らしい表情をはっきりと見せたことなど数えるほどしかないのだから。
「まずは入学おめでとう、アメリア」
「ありがとうございます」
恭しく礼をするアメリア。アルバートはその様子に目を細めて、満足気に頷いた。
「アメリアがこの屋敷に来たのは10年前か。よく立派に育ってくれたものだ」
感慨深げに唸ると、1つの鏡と鳥籠を手にし、アメリアに手渡した。鏡は縦長の楕円形で持ち手がない代わりに、細やかな銀細工が施されていた。1番目立つ頂点部分には双頭の獅子、ブレデル家の紋章が飾られていた。もう一方の手に握られた籠の中には、アメリアの見たことのない鳥がいた。小顔なアメリアの顔より一回りほど小さなそれは、テールグリーンで深い森では周りの木々の葉と見分けがつかないだろう。
「まずこの鏡は魔法具だ。水を一滴垂らせば、連絡手段としての水鏡になる。お前は水の魔法は使えるから、この鏡さえあればいつでも連絡が取れるだろう」
一見娘を気づかう優しい父のような言葉。だが現実はそんなに甘くない。
「週に一度、これで定期報告をすること。学生たちの行いや勢力図も決して侮れないからな。あといつもの仕事もそれを通して任ずる」
所詮道具は道具。変わることは出来ない、このときアメリアは強く思った。
「あとこの鳥は伝書鳥だ。何か急務や急用があったときに文をつけて飛ばすように」
籠の中の鳥はそんなことも知らず、「クルルル」と愛らしく鳴いた。
「……承知致しました」
相変わらずの無表情に、アルバートは肩をすくめて訊ねた。
「お前はやけに物分かりが良すぎる。……いや、助かっているから良いんだがね?そうだ、何か質問はあるかね?」
アメリアは一瞬だけ考え、己の疑問を口にした。
「では1つだけ。この子に名前はありますか?」
「……は?」
アルバートはらしくない珍妙な声を上げた。侯爵としての優美な振る舞いを常に心がけている彼にとってあるまじき事態であったが、今はそれどころではなかった。
普通誰も考えないのだ。一体何処に3年家を離れる際の唯一の質問が自分の置かれる環境や学園のことではなく、鳥の名前だという娘がいようか。
「な、名前か?特に決まっておらぬ。好きにつければよい」
「わかりました。ありがとうございます」
アルバートの答えに淡々と礼を返すアメリア。
何の執着も見せないアメリアに、アルバートは特に違和感も感じずに鷹揚に頷いた。
「よい。それで私は急務でお前の入学式にはいってやれない。サーシャも任務で無理だそうだ。」
少しだけすまなそうに表情を和らげたアルバートは謝罪を口にした。
「いえ、仕方がありません」
アメリアは一切気にしていなかった。通常朝食を取るためにリビングにいるはずの時間にこうして、執務室で書類の山に埋もれているだから、彼が忙しいのには間違いなかった。そして嫡男で義兄のサーシャも騎士としてその名を馳せていた。アメリアは元より入学式に父兄が来ることなど期待していなかった。実際のところ彼らは前日まで行く気満々だったのだが、そのことをアメリアが知る由もない。
「それでは、お義父様。行ってまいります」
見事なカーテーシーで挨拶すると、アメリアはそのまま軽やかな足取りで馬車に乗った。お供は御者と侍女のシェリーのみ。侯爵家令嬢としては異例とも言えるほどの身軽さで、一行は王都にあるウェグナドーレ学園に向かった。
アルバートの治めるセフィルラ侯爵領は、国土の南西部に位置し、王都からは約1日馬車を走らせたところにある。
アメリアが学園についたのはその日の夕方、空が紅に染まる時刻だった。




