風呂焚(た)き350番
すぐ目の前でがなり立てる背の低いドワーフを、僕は、ぼうっと見ていた。
僕は、このとき自分が置かれた状況をいまいちわかっていなかった。というか、まだ目が覚めていず、リアル感がなかったんだ。
それに、なんだか見たことのあるような景色。あ、たしかバイトで…。
それは、三浪目に入ったこの1年間、僕はとある銭湯で風呂焚きのアルバイト、をしていたということ。そこの風呂は、今どき珍しい薪で焚く風呂で、僕は薪に油を薄く塗ってはかまどにくべるという単純作業を、延々と繰り返してた。
実は、熱いところでバイトをすればこのぶとったカラダもどうにかなると思ったのが主要動機で。
しかし現実には、僕はまったく痩せなかった。
その銭湯の風呂焚きをする場所は、風通しがすこぶるよく換気設備が完ぺきで、快適な職場環境だったのだ。
おかげで僕の110キロは、いつまでたってもそのままだった。
そのバイトは、けっきょく1年続いた。これは、僕のキャラが影響してるそれは、まじめというより、1つのことをやり出すと夢中になって、いろいろと研究したり工夫したりして研鑽を重ね…という感じだ。おかげで僕は、今では風呂 焚きのプロといっても過言ではない(自画自賛)。
「新入り、並べッ!」
いかつい顔をしたドワーフのおっさんが、怒鳴った。いや、よく見ると、人間のおっさんだった。
気がつくと、僕の周りには僕と同じような境遇になった連中が集まっていた。
僕は、ぞろぞろと一列に並ぼうとしている中に、入った。
えーッと、たしか351番とか言ってたな?どこに並べばいいんだろ?
自分と同じ背たけくらいのひょろっと痩せている、自分よりは少し若い感じの男子がいたんで
「きみ、何番?」
と尋ねた。いや、正直、人に尋ねる時の呼び方については少し迷ったんだ。<あなた>がいいか、それとも<きみ>がいいか。初対面に<おまえ>はきついし。ここ1年、ほとんど自宅と銭湯の2か所に引きこもり状態だったんで、対人関係があやふやになってる。
「350番…」
とぼそっと小さな声でそいつは、答えた。
ということは、その横に並べばいいんだなと思った。
「端から、番号!」
ドワーフみたいなおっさんが、また怒鳴った。ほんとこのおっさん、ドワーフそっくりだ。
僕の右横のそいつが
「350…」
と言った。
よし次だな、と僕は続けた。
「351!」
すると、ドワーフおっさんが
「こらーーっ!!!」
ととんでもなく大きな声で怒りを発した。
「てめえは、耳が悪いのか?てめえは、350だろが?」
「ん?」
「おい、てめえだよ!」
とドワーフおっさんが、僕の胸ぐらをつかんできた。
「え…?」
僕は、あれ?おかしいな?と思い
「僕は、351番ですが」
と言った。
ドワーフおっさんが、顔を真っ赤にした。もう、ほとんどドワーフだ。しかしよく見るとこのおっさん、ドワーフというよりヴァイキングっぽいな。頭に角の付いた兜をかぶせたら、ヴァイキングの出来上がりだ。
「おいっ!てめえーーーっ!!!よっく聞けーっ!てめえは、350番!350番だーっ!」
ドワーフ改めヴァイキングおっさんは、僕に言い聞かせるように僕の肩をつかんでぐいぐい、ぐいぐいと揺さぶってきた。僕より背が低くて小太り体型だが、僕の110キロを軽々と持ち上げそうなくらいの腕力だった。
僕は、傍らの真の350番の男子をちらりと、見た。そいつは、やれやれというような顔をして、あきらめ顔だ。
うーん、しかたない。これ以上逆らってもずーっと立たされっぱなしで、埒が明かないし。
それに僕は、まだ朝飯を食ってない。腹が減った。ここ、食事は出るのかな?まさか出ないわけはないと思うが。
「はい、はい、わかりました。僕は、350番、です」
答えると、ヴァイキングおっさんはよしよし、という顔をした。
真の350番の男子は、<351番>にさせられていた。
「よし!点呼、終わり!それでは…」
そのとき、壁のドアが開いた。こんなところにドアが隠れていたのか?そこから、腰にサーベルみたいなのをぶら下げた兵士の姿をしたやつが入ってきて、ヴァイキングおっさんの耳元にひそひそとなにやらささやいた。
兵士が去ると、ヴァイキングおっさんが
「351番!ちょっと、来い!」
と怒鳴って、その真の350番の男子があっという間に右肩の上に、右手一本でひょいと抱え上げられた。なんて怪力だ。
「残ったやつは、朝飯を食えっ!」
真の350番の男子は、そのままどこかへ連れていかれた。
出てきた飯は、コメのような麦のようなよく分からない穀類で作ったおにぎり2つと、超薄いわけわからん味のスープだった。しかし、ないよりまし。
ビール、欲しいな。朝、起きたてに飲むビールは超うまいんだ。
朝飯を食い終えて寝ころがってたら、ヴァイキングおっさんが戻ってきた。
「よし、てめえら、仕事だ!風呂 焚き、始めーっ!」
仕事の内容は、この1年バイトをしていたその仕事内容とうり二つだった。薪に油を塗り、かまどにくべる。
ただ違うのは、その油を塗る量がハンパなく多くて、僕の顔も手も体も、全身が油まみれになった。ちなみに、服なんか支給されず、真っ裸のままだ。股間まで油まみれになり、油臭くて鼻がもげそうだ。
そして、バイトとの最大の違い。それは、とにかく、暑い暑い暑い暑い!暑すぎーっ!!!
熱中症になるかと思ったが、まったくならない。これ、不思議。どうやら、例の超薄いスープに謎があるようだ。
仕事場は、風呂を焚いていないときがほとんどないんで、始終真っ赤に照らされていた。
風呂焚きの仕事をし始めてから数日たって、僕は自分がどうやら異世界に連れてこられて、おかしな境遇に落とされていることにようやく気付き始めた。
しかし、絶望しなかった。
僕は、風呂焚きの仕事に夢中になってしまったのだ。
「焚長さまー!油をこう塗れば、炎が倍になります!」
「焚長さまー!木をこう削れば、炎が長持ちします!」
などと盛んに意見具申したり、した。意見具申しても、ちっとも採用されなかったが。
あ、焚長というのは、例のヴァイキングおっさんのことだ。
そうやって、僕は風呂焚きに夢中になり、月日が流れた。
ある日、ヴァイキングおっさんが
「てめえらは、運がいい!釈放だーっ!」
と怒鳴った。
「きょうは、ゆうしゃ召喚1周年記念日で、恩赦だ!」
ゆうしゃ召喚?どこかで聞いたことがあるようなフレーズだ。
さて、釈放されるのはいいが、この先、どうやって食っていけばいいか?
「てめえら、これを持っていけ!」
渡されたのは路銀じゃなくて、1枚の紙きれ。
「これは、風呂焚き証明書だ!これがあれば、風呂焚きに雇ってくれるぞ!」
紙切れに書いてある字は…。
えっ?
それは、まぎれもない日本語だった。
<16歳男子。名はミコト。この者、王国特級風呂焚きであることを証明す>
と書いてあった。
「焚長さま。このミコトというのは?」
「なに?おまえ、自分の名前を忘れたのか?350番とおまえを名付けたのは、名前から由来するんだ!」
「?」
あ、そうか。僕は、350番の若い男子と間違えられてたっけ。
それじゃ、351番も名前から付けたのかなあ?それとなく尋ねてみた。
すると、ヴァイキングおっさんは急に声を低めて
「魔法陣を描いて、さ!来い!と叫んだら現れたことから、名付けた」
と小さな声で言った。
その紙切れに
<16歳>
とあるのも、そいつと間違えてるよなあー。
やがて、僕は他の風呂焚きたちと共に、服を着せられた。服といっても、弥生時代の貫頭衣みたいなやつで、大きな布の真ん中に穴をあけたやつをすっぽりとかぶり、紐で腰を縛ったもの。
そして、履物も履かされた。こちらは、布製の靴だった。これは、歩きやすい。
外へ出された。壁のドアを開けると、長い廊下。それを抜けると、左へ進めと言われ行ったら、外に出た。
「う。眩しい」
外は、めちゃくちゃ明るかった。
さて、どこへ行こう。あ、僕は、この世界の知識がゼロだった。
出ていくとき、すぐ後ろでヴァイキングおっさんが兵士と何か話していた。
しかし僕は、その話を聞こうともしなかった。
ちらと
「きょう」「にせ」「ゆうしゃ」「首」「はね」
という言葉が聞こえていたのだが。
さて、どうなるか。先行き、ゼロ。