1-6 「パラドックス」
自らの欲のためならば、どのような悪行に手を染める事も厭わぬ悪党。
以前エルダーヴィード家について調べた時の情報から、そんな印象が強かったファーゴであったが、ヨシュアが初めて対面した祖父は、意外にも人の好い、穏やかそうな人物であるように見受けられた。
しかし考えてみれば当たり前の事だったかもしれない。
これが見るからに悪人然とした、強面の人間であったのなら、被害者達とてさすがにそうは容易く信用などせずに、最大限の警戒をした事だろう。
長期間従順に便宜を図ってきた実績と、温厚そうなこの外見こそが、事を起こすその瞬間まで油断を誘った、祖父の武器であったに違いあるまい。
それはともかくとして、先程の挨拶に対して返事をしなければ、とヨシュアは思った。
「うん、ありがとう。悪くないよ?」
そんな軽い気持ちで発せられた返答に、ファーゴのみならずモルガンまでもが、揃って驚きに息を呑む。
現国王の王妹だという祖母のモルガンは、金髪に焦茶色の瞳の、若い頃はさぞ持て囃されたであろうと思われる、整った顔立ちの女性であった。
(え? 何でそんな、『こいつ……喋るぞ!』みたいな反応なん?)
当惑するヨシュアだったが、普通に考えれば当然の反応であろう。
前回会った時には言葉にならぬ声をあげていたであろう幼児が、特に返事など期待していなかったであろう挨拶に対し、明瞭な返答を流暢に返してきたのである。
これで驚くなという方に無理があった。
夫婦で見つめ合った後、説明を求めるかのような視線を向けられたエレミアは、今朝からのヨシュアの様子を、順を追って説明する。
ヨシュアを起こすために部屋を訪れ、先程のファーゴのように、返事がある事を期待せずに挨拶をしたところ、思いがけずしっかりした返事が返ってきた事。
話を聞けばどうやらたった今自意識に目覚め、自分や周囲を認識した様子であった事。
しかも時が経つ毎に賢さを増し、既にエレミアには、優に十歳児を超す知能を有しているように見える事などを。
「十歳児以上? それは本当なのかね?」
「はい。場合によっては、それ以上である可能性もあるかと存じます」
「そんな……どうしてそんなに急に? 昨日までは普通だったんでしょう?」
ヨシュアについて交互に尋ねる夫婦の顔に、孫の聡明さを喜ぶ様子などは微塵も窺えず、不安と困惑が入り混じった、実に複雑な表情が浮かんでいた。
エレミアは訝しげな様子であったが、すぐに原因に思い当たったらしい。
一瞬だけちらりと躊躇いがちにヨシュアの方を窺うと、意を決したように口を開く。
「ご安心ください。お二人は以前あった事件を思い出されて、坊ちゃまが邪悪なものに憑りつかれた事態を危惧なさっておられるようですが、これはただ単に坊ちゃまがご聡明なだけであって、決して何者かに憑りつかれた所為などではございませんので」
エレミアの口から飛び出した言葉を聞いて、ヨシュアは祖父母の奇妙とも言える反応の理由を理解した。
二人の反応は女神様に教えて貰った、起こり得た未来の話にあった、バークレイの反応に近いものなのだろう。
つまりは恐れであった。
人は理解できないものに恐怖や忌避の念を抱く場合が多い。
孫が少しばかり他者より優秀なくらいであれば、二人も素直に喜んだのだろうが、さすがに三倍以上も上の年齢の子供よりも遥かに賢い、などと言われれば何らかの異常を疑われても仕方あるまい。
時代錯誤であるなどと笑うなかれ。
過去の地球ですら、十八世紀まで魔女狩りや魔女裁判などというものが横行し、四万人以上もの罪もない人々が、狂的な慣習の犠牲になっているのである。
まして迷信や伝承の類が廃れておらず、実際に魔法や魔物が存在しているこの世界なら推して知るべしだ。
エレミアの発言から察するに、悪魔憑きや犬神憑きといわれる、幼児への霊体などによる憑依のような騒動も、近年実際に起きているようである。
お気楽にうちの子は天才なのでは? などと喜べる現代の親とは違い、可愛い孫に何かあったのでは? と心配するのが普通の反応なのだろう。
異常なまでに成長が早かったり、生まれつき高い能力を有している所謂天才も、度が過ぎれば嫉妬すら感じず、気味悪がり、恐怖の視線さえ向けかねないのが凡人というものである。
そんな凡人達の目に孫がどう映るのか、といった世間体が気になるのも当然の事。
大事な孫に理解できない異常性を認めて、それを喜ぶ祖父母など何処にも居はしないのである。
「何故そう言い切れるのかね?」
「そのご質問にお答えする前に、少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
問い質されたエレミアは、そう言ってファーゴの了承を得てから膝を折る。
そして自分の頭上で交わされる会話を、黙って聞いていたヨシュアに視線を合わせながら尋ねた。
「申し訳ございません、坊ちゃま。今朝浴室で私にお話しいただいた坊ちゃまの秘密を、お二人にお教えしてもよろしいですか?」
「……うん」
おそらくは【ネット】の固有スキルの事だろう、と見当をつけたヨシュアが頷くと、エレミアは再度腰を上げてファーゴに向き直りながら念を押す。
「これは坊ちゃまの安全にも関わる秘事ですので、信用のおける方以外には決してお伝えになりませんよう、何卒お願いいたします」
「……君がそこまで慎重を期す上に、ヨシュア君の身の安全に関わる、か。わかった。女神様とエルダーヴィードの始祖マニに誓って、その秘密は他言しないし、取り扱いには細心の注意を払おう。お前もそれで良いな?」
「はい。あなた」
ファーゴとモルガンの宣誓を待ったエレミアは、静かな声で告げる。
「私も詳しくは存じ上げませんが、坊ちゃまが仰るには、女神様と頭の中で情報のやり取りができる、固有スキルをお持ちなのだそうです」
「なっ!?」
異口同音の驚愕の声が、二人の口から漏れた。
自分の孫が固有スキルを所持している事が、それ程驚くような事だろうか、とヨシュアなどは思ったが、祖父母の反応を見るに、どうやらそれ程驚くような事らしい。
まあ創作などの世界ではありふれているとはいえ、現実に実在するかと言われると、このファンタジーな世界であっても極めて珍しいのだろう。
しかし二人の驚きはこの程度では終わらない。
おそらくですが、と前置きした上で、エレミアが言葉を続けたからだ。
「私の勘ではございますが、そのお一つだけでなく、他にも複数の固有スキルをお持ちでいらっしゃるようにお見受けいたしました」
「あ……」
思い出すのはあの風呂場での事。
たとえ本来は言葉の通じない種族であろうと、ヨシュアが会話を望んだ瞬間に、相手の言語に自動的に翻訳される、という例の固有スキルの事に違いあるまい。
または、今まで一つ屋根の下で過ごしてきたエレミアだからこそ気づいた、そんな固有スキルの心当たりが、他にもあるのかもしれなかった。
何やら身に覚えのありそうなヨシュアの反応まで目の当たりにして、二人はもはや言葉もない。
「こんなにも女神様のご寵愛厚い坊ちゃまに、邪悪なものが憑依するなどという事態を、ほかならぬ女神様がお許しになるとは、私には到底思えません。それよりも女神様がお手ずから様々な教育を施されたからこそ、坊ちゃまがこれ程までに賢くていらっしゃるのだ、とそう考えた方が自然ではないでしょうか?」
「そうね? 言われてみれば確かにその通りだわ。ヨシュアちゃんが女神様の寵児だと理解しては居たつもりだったのに、ここ三年くらいは普通の子供と全く変わりない様子だったものだから、ついうっかり失念してしまっていたみたいね」
自信満々なエレミアの発言に、モルガンはすぐさま追従したが、ファーゴはといえば黙って俯き、何やら肩を震わせている。
ヨシュアは一瞬泣いているのかと勘違いしかけたが、その予想が間違いだった事はすぐに判明した。
「くっくくっ……ふっく、ふああっはっはっ! 素晴らしい! まさか母に引き続き、ヨシュア君までもが女神様に固有スキルをいただいているとは! これを奇跡と言わずして何と言おうか? まさにエルダーヴィード。神に愛される者の名に相応しい。これで我が一族も安泰間違いなしだな!」
「うゃっ!」
笑い過ぎて、目尻に涙さえ浮かべながら上機嫌に言い放ったファーゴは、そのまま椅子の上のヨシュアの両脇に手を入れて天高く持ち上げると、自らの胸に抱いて頬擦りした。
身綺麗にしており、身嗜みには気を遣う方らしいファーゴであったが、それでも髭の剃り跡がざりざりと擦れ、ヨシュアは迷惑そうな悲鳴を上げる。
「しかし、そうか……。それでヨシュア君は賢いのか。将来が楽しみだ……な?」
「あら? ……もしかしてヨシュアちゃん怒ってる?」
仏頂面で外方を向くヨシュアの姿にファーゴの言葉が途切れ、モルガンがその状態を端的に言い表した。
「誕生日のお祝いにきてくれるって聞いたから、朝から楽しみにしていたのに、寄り道して散々待たせた上に、おめでとうって言っただけで僕を放置した! 挙句の果てには、僕の事を何かに憑りつかれているんじゃないかって疑った!」
「うっ……」
「ご、ごめんなさいヨシュアちゃん。私はまだおめでとうも言ってなかったわね?」
不機嫌そうな孫の、責めるような口調に、思わず言葉に詰まる祖父母。
「良いよ、今聞いたから。もう孫に対する義理は果たしたでしょう? じいじもばあばも忙しいみたいだし帰ったら? エレミア、僕を部屋まで連れて行ったら、二人に帰って貰っておいて」
金の双眸を据わらせながら手を伸ばし、エレミアに自分を受け取るように促すヨシュア。
末の孫が初めて自分達の事をじいじ、ばあばと呼んだのがこの台詞であった。
目の中へ入れても痛くない程可愛いであろう孫の、あまりにも冷淡な対応に、海千山千の商人や貴族とも対等に渡り合える筈の二人が、もはや半泣きの表情で狼狽える。
「すまない、ヨシュア君。私達が悪かった! だからそんな事を言わないで許しておくれ」
「ごめんなさい、ヨシュアちゃん。もう二度と疑ったりしないから。ね? 許して頂戴」
これ以上機嫌を損ねないためか、逆らわずエレミアにヨシュアを抱かせ、その足に縋りつくようにして、三歳の幼児に許しを請うファーゴとモルガン。
その他人には見せられない情けない姿に、ヨシュアより先に居たたまれなくなったらしいエレミアがとりなす。
「坊ちゃまを放っておいたのは私も同じです。ですので私からもお詫びいたします。申し訳ございません、坊ちゃま。どうかお怒りを鎮めてはいただけないでしょうか?」
ヨシュアが祖父母の泣き所であるのと同様に、ヨシュアにとってのアキレス腱はエレミアにほかならない。
申し訳なさそうな表情で頭を下げるエレミアの懇願を受けてなお、それを無視するのは憚られた。
しかしヨシュアにも目的があり、ここで甘い顔をする訳にはいかない。
それ故エレミアの顔を立てて、不機嫌が緩和されたように見せかけるために、子供らしく拗ねたように唇を尖らせながらファーゴに尋ねる。
「……贈り物は?」
「えっ? ……あ、ああ! 誕生日の贈り物かい? 勿論あげるとも! じいじがヨシュア君の欲しい物を何でもあげよう」
「ん? 今何でもあげるって言ったよね? ……うん。それなら許してあげる」
顔を綻ばせながらの言葉に、安堵の吐息を漏らす三人には、ヨシュアが内心ではお月様のようにほくそ笑んでいるであろう事に、気づく余裕などありはしない。
この男の内心を表すならこうであろう。
(計画通り)
おい、やめろ馬鹿。
この話は早くも終了ですね。
しかしさすがは女神様に見初められた生粋のダメ男。
人の情につけ込むのが実に巧みである。
今回は孫可愛さにつけ込んで、欲しい物を何でも貰える約束を取りつけてしまった。
幼児の外見を最大限利用しての、実に鮮やかな手際であると認めざるを得まい。
精神的に疲弊したらしい祖父母は、元居た椅子の上に降ろされた、ヨシュアの対面に並んで座り、ほっと一息ついている。
「……やれやれ、こんなにも肝が冷えたのはどれくらい振りだろうな? 私はヨシュア君には逆らえないという事を、心底痛感したよ」
「私も、ヨシュアちゃんに嫌われたかと思って血の気が引きましたよ」
「勿論それもあるが、私の場合は母に瓜二つのヨシュア君に、あの据わった金の眼で睨まれると、昔悪さをしてこっぴどく叱られた時の事を思い出して、つい震えあがって許しを請うてしまうのだな」
「ああ……そういえばお義母様もヨシュアちゃんと同じ、銀の髪と金の瞳をお持ちでしたね?」
「ミシェルが生まれた時も、面立ちが母に似ていて驚いたものだが、ヨシュア君が生まれた時の驚きといったら、その時の比ではなかったからな。なにせ面立ちどころか、全てがそっくりそのままで、本気で母の生まれ変わりなのではないと疑ったくらいだ」
ここで新たな事実が判明した。
なぜヨシュアが前世の凡庸な顔と違って、女顔の美形に生まれついたのか?
今生では異性に持て囃される気分を味わえ、という女神様なりの優遇なのか、はたまた単に女神様の好みの顔なのかと思っていたのだが、どうやらマニの遺伝らしい。
というか、女神様の作為の跡が見られるような気がするのは邪推だろうか?
孫という立場であれば、二人の兄達も同じ土俵に立っている筈だが、どうもヨシュアと兄達の扱いには、温度差があるような気がしてならない。
幼子である事を理由に、母の居る別荘の離れに居を移させた事といい、何故こうもヨシュアばかりが可愛がられるのか?
その理由こそが、感じられる作為の焦点に違いあるまい。
――普通は末弟が一番可愛いものだから?
――女神様から世話を頼まれた子供である。大切にすれば、今後一族に女神様からの恩寵があるかもしれない、という下心から?
――三人の孫の中で、一番愛娘に似ているから?
――それ以上に、自分を女手一つで育ててくれた、母親に瓜二つだから?
正解を述べよ。
……愚問である。
全部に決まっていた。
これら全てが、ファーゴ・エルダーヴィードを、ヨシュアの強大な後ろ盾として仕立て上げるために、女神様が用意した要素である。
たとえるなら、既に『魅了』の状態異常にかかっているところへ、更なる駄目押しに『魅了』を重ね掛けするようなものだ。
その度に効果が倍増し、ファーゴの孫馬鹿に拍車がかかるという寸法である。
祖父の孫に対しての庇護欲につけ込んだ、実に卑劣な罠であった。
汚いなさすが女神様きたない。
「ああ、そうだった。ヨシュア君、プレゼントは何が欲しいのかな?」
忘れないうちに聞いておこうというファーゴの質問に、昼下がりのぽかぽかした陽気の中、花壇の上をのんびりと舞う蝶を目で追っていたヨシュアは、エレミアと二人でくつろいでいた時に調べた情報を思い出しながら、振り向いて告げる。
「白金延べ棒」
「「「……え?」」」
凍りつく空気。
呆気にとられたような声は、ヨシュア以外の三人から同時に漏れた。
良いタイミングなので、この辺りでアルスファーブラ大陸の貨幣価値について説明しておこう。
以下、=より左がこの大陸で流通している貨幣。右が日本円換算である。
銅貨一枚=十円
大銅貨一枚=百円
銀貨一枚=千円
大銀貨一枚=一万円
金貨一枚=十万円
金延べ棒一本=百万円
白金貨一枚=一千万円
白金延べ棒一本=一億円
さて、それでは価値も理解したところで話を元に戻そう。
つまり今何が起こったのかというと、ファーゴが不機嫌になったヨシュアの機嫌を取ろうと、誕生日プレゼントに欲しい物を何でもあげる約束をした。
本当は怒ってなど居なかったが、プレゼントの価値を吊り上げるために、わざと機嫌を損ねたふりをしたヨシュアは、その目論見通り、欲しい物を何でも貰えるという言質を取る。
それで何が欲しいのか、と問われたヨシュアはこう答えた訳だ。
「一億円」
故にこの空気。
まじまじとヨシュアの顔を見つめるファーゴと、呆気にとられたままのモルガン。
朝からその非常識ぶりを目にしてきたためか、逸早く我に返ったエレミアであっても、さすがにヨシュアの発言の意図が読めずに表情を強張らせている。
自分に孫が居たとして、三歳の誕生日プレゼントは何が良いかと質問した時に、同じ答えが返ってきたらどう思うだろう?
想像してみれば、少しは彼らの気持ちがわかるかもしれない。
エレミアの表情が硬いのは、ヨシュアの発言に驚いた事に加えて、ファーゴの反応を気にしているからだろう。
曲がりなりにも、ファーゴはこの大陸で最も権勢を誇る一族の頂点である。
誰もがこの男の勘気を被る事を恐れて顔色を窺うのだ。
このような自由奔放な態度が許されているのは、ファーゴがヨシュアを猫可愛がりしているからにほかならない。
しかしそれにも限度というものはあろう。
怖いもの知らずな主が、万が一にもファーゴの逆鱗に触れはしないか、とはらはらしながら事態の推移を見守るエレミアの前で、ファーゴは突然爆笑した。
「あ、あなた?」
モルガンが戸惑った様子で声をかけるが、ファーゴは息をする事さえ困難らしく、体をくの字に折り曲げながら、腹を抱えて暫くの間笑い続ける。
「はあ、はあ……ああ可笑しい。ここまで笑ったのは実に久しぶりだ。……しかし白金延べ棒が欲しい、か。すごいなヨシュア君は」
ひいひいと苦しそうに呼吸を乱し、目に涙さえ浮かべながら、ようやく笑いの発作が治まったらしいファーゴが口を開く。
その称賛の意味がわからず、ヨシュアが鸚鵡返しに問うた。
「すごい?」
「ああ。実は今までにもヨシュア君以外の子供達に、全く同じ質問をした事があるんだよ。聞いた時の年齢は皆君よりも上だったが、全員が少し考えてから遠慮がちに欲しい物を答えるんだ。こちらの顔色を窺いながら、ね。どれも子供が欲しがりそうな、それでいてそこそこ値の張る良い品物ではあったよ? たとえばミシェルの時は可愛いドレス。ヨシュア君の兄さん達は、立派な馬や装備品だった。勿論全てプレゼントしたとも。だけどヨシュア君のように本当に何の遠慮もなく、お金そのものを要求されるのは初めてだよ。しかも三歳の子供が……」
先程の驚きをまた思い出してか、くくっと笑いを噛み殺しながら答えるファーゴ。
その言葉にヨシュアの発言の異常さを再認識したのか、モルガンとエレミアが揃ってヨシュアを見つめる。
「駄目なの?」
「まさか。約束したからにはあげるとも」
「本気ですか? あなた。ヨシュアちゃんはまだ三歳なんですよ? こんな小さな子に、そんな大金を与えるだなんて……」
(余計な事を……)
ファーゴが了承しているにも関わらず異を唱えるモルガンに、ヨシュアは苦々しい気持ちで一杯だったが、客観的に見てどちらが正しいのかと言えば、それはモルガンの方であろう。
物の価値、金の価値を碌に理解できていない子供に、試験的に大金を与えたとして、そのうちの一体何人が、本当に自分のためになると言える使い方をするだろうか?
図鑑や自転車などを買うのならまだ良い方。
目先の欲に負けてあの玩具が欲しい、このお菓子が食べたい、と湯水のように浪費するのが目に見えている。
働いて金を稼ぐのが如何に困難な事なのか。
それを理解できていない子供に、大金を与えるべきではないのだ。
ただ、ヨシュアは金の価値を知らぬ子供ではないし、働いて金を稼ぐ苦労も知っているので、この例には当てはまらない。
故に金銭感覚が狂う、浪費癖がついて将来苦労する、などという懸念は的外れである。
しかしその事実を知る者は、この場にはヨシュア一人だけであり、この反応も至極当然のものであった。
どう説き伏せようか、と内心で歯噛みしながら対応に苦慮するヨシュアであったが、ファーゴが鷹揚に頷いたのを見て拍子抜けする。
「当然だ。何度も言っているだろう? 私はヨシュア君が望むのなら、玉座だろうが領土だろうが、どのような手を使ってでも手に入れて見せると。それらに比べれば、たかが白金延べ棒程度、どうという事もない」
「それは憶えていますが……本気で仰ってらしたんですか?」
「無論本気だとも。このような事、何の覚悟もなく口にできるものか」
「……そうですか」
孫馬鹿極まる発言に、翻意させるのは不可能と悟ってか、ため息を吐くモルガン。
その様子を尻目に、ファーゴはヨシュアに向き直る。
「だが使い途は私も気になるな……。ヨシュア君? あげるのは一向に構わないが、何に使うのかじいじとばあばに教えてくれないかな?」
「良いよ? あのね、食べ物とか生活に必要な物を買うんだよ」
快く頷いて答えたヨシュアであったが、三人は示し合わせたかのように、共通して怪訝そうな表情を浮かべて視線を交わし合う。
代表してか、モルガンが噛んで含めるように説明する。
「ヨシュアちゃん? ヨシュアちゃんは知らないかもしれないけど、食べ物とかの必要な物は定期的に配達があるのよ? ちゃんと生活に必要な物は用意しているし、他にも必要な物があるなら、言って貰えれば余程の無理でない限りは通るようにしてあるわ。別荘の方は『魔導具』もあるから魔石を支給しているけど、彼女……エレミアさんはエルフ族の方で、精霊に頼む方が慣れていると言うから、精霊達に渡す報酬も、きちんとこちらで用意しているし……」
都市部から距離のある、郊外での生活を支えているシステムが判明した。
どうやら定期的に別荘とこの離れに対して物資の配達が行われており、わざわざ買い出しに行かなくても済むようになっているようだ。
家事などでエレミアが力を借りているという精霊達へ支払う報酬も、ちゃんとエルダーヴィード家の方で負担しているらしい。
彼女が自腹を切っているとかでなくて安心したが、それよりも気になる単語があったヨシュアは、そちらに気を取られた。
「魔導具? 魔石?」
三年前にこの世界の説明を女神様から受けた際、戦争ばかりしていて、生活を豊かにするような道具の開発は遅れ気味である、と聞いていたのだが、この三年の間に進歩があったという事だろうか?
そのヨシュアの疑問に答えたのはファーゴであった。
「そう。国や貴族に仕えるのをやめた魔術師達が、魔導具の開発に乗り出してね。ここ数年で生活がとても便利になったんだよ。死んだ魔物などから採れる、魔石を動力にして動くんだが、わざわざ井戸から水を汲んで運ばなくても、突起を押すだけで魔導具から水が湧いたり、真っ赤な火が出たりするんだ。見ればきっとヨシュア君も驚くと思うよ?」
「そうなんだ?」
つまりヨシュアの転生直後に行なわれた、女神様が大鉈を振るっての自然魔力枯渇問題解決のおり、マナ改変に伴う評価の変動により、リストラクチャリングの憂き目にあった魔術師達が、自らの生活のために必死で魔導具の開発に邁進した結果、生活水準の向上が、富裕層を皮切りに順調に進んでいるという事のようだ。
「つまりね? その貴重な魔導具を動かすための魔石や、魔導具の代わりを務めてくれる精霊達へのお礼だって、きちんとこちらで用意しているんだから、ヨシュアちゃんがお誕生日プレゼントにお金を貰ってまで、わざわざそういった物を買う必要なんてないのよ? 何か別の物にしておいた方が良いんじゃないかしら?」
横道に逸れた話を軌道修正して、モルガンが説得を続ける。
しかしヨシュアは頑として首を縦に振らない。
「確かに配達の事は知らなかったけど、今その話は関係ないよ? ばあばはきっと何か勘違いしているんじゃないかな?」
「勘違い? そうなの?」
「うん。僕の答え方にも問題はあったけど、じいじの質問にも問題があったと思うな。何に使うのか教えて欲しいって言うから答えたけど、目的は全然理解されてない」
「目的? 何か欲しい物があって、それを買うのが目的なんじゃないの?」
「違うよ? 食べ物とかは必要だけど、目的そのものじゃない」
「それじゃあ、ヨシュア君の目的って?」
「僕が今感じている不安を解消する事」
「その不安を解消するために必要なものが、白金延べ棒なのかい?」
可愛いヨシュアが不安を感じているなどと聞いては黙っていられない、と真剣な表情でファーゴが口を挟む。
その目を真っ向から見つめ返して、ヨシュアは答えた。
「僕はそう思ってるよ」
「……その不安とは一体何かね?」
自分を見つめる三人の真剣な表情を見回し、ヨシュアは一呼吸おいてから口を開く。
「……じいじ達が死んだ後の生活だよ」
その言葉が周囲に与えた衝撃は、如何許りであっただろう?
言葉を失うとはまさにこの事か。
少なくとも三人共に瞠目し、暫くの間二の句が継げなかった事は確かであった。
それを良い事に、ここが切所とばかりにヨシュアが畳みかける。
「おかしいかな? 考えたくない事と、考える必要のない事は違うんじゃない? じいじ達は自分が何時死ぬのか知っているの?」
「い、いやそれは……知らないが」
「つまりそれは明日死なない保証もないって事だよね? 昨日話をした相手が、今日には冷たくなっている事もざらにあるらしいけど、じいじが今まで生きてきた中で、そういった経験は一度もなかったの?」
「いや……あったよ」
「あるんだ? だったらわかるよね? その人は自分が死んだ後の事も準備万端整えてあって、残された家族は生活に困らなかった?」
「いや……」
「じゃあそれを知っているじいじは、ちゃんと対策をとってあるんだよね? 残された口ばかり達者で、自分一人では何一つできない孫は、この先も生活に困る事はなさそう?」
「…………」
どうやらファーゴは自らの死後の事について、さして入念な準備をしてある訳ではないらしい。
その証拠に、ヨシュアの追及に答える事ができず、遂には額に汗を浮かべて沈黙してしまった。
ファーゴとて自分に敵が多い事など重々承知している筈であり、遺言書の用意くらいはしてあるだろうと思われる。
しかしたとえ遺言で指示してあったとしても、ヨシュアが成人していない場合は、相続した財産がそのまま彼の懐に収まる事などあり得ず、判断力不充分としてバークレイや兄達が後見人となり、管理する形になるであろう事は明白であった。
彼らに自分が送らせているのと同じレベルの生活を約束させ、それを守らせる事ができる自信などない事に、ファーゴは今頃になって気づいたのかもしれない。
しかもそれは先刻ヨシュアが危惧した、ファーゴの死後エルダーヴィードが食い物にされずに済んだと仮定した場合の話であり、その可能性まで含めるなら、それが如何に儚い希望なのかは言うまでもなかった。
つまりヨシュアの懸念通り、明日二人が帰らぬ人にでもなってしまえば、ヨシュアは自分の味方かどうかすらわからぬ相手に、生殺与奪の権を握られる事になる可能性が高いのである。
勘違いしてはならないのは、女神様はヨシュアの一生の身の安全など、保障してはいないという事だ。
そうでなければ数多くの加護や固有スキル、エレミアという世話係や、ファーゴという後ろ盾すら必要ない筈であった。
それらが用意されている時点で、危険や困難がある事を否定できない、と言っているようなものである。
逆に言えば、充分過ぎる程の手助けはあるものの、結局最後に頼れるのは自分自身しか居ないという事であった。
……当たり前である。何処の世界に、揺り籠から墓場までの安全が保障された人生があるというのか?
現状ですら、過保護に過ぎる程であった。
三歳の孫に危機意識の欠如を指摘され、意気消沈するファーゴから視線を切ったヨシュアは、次いでモルガンの方へとその金の双眸を移した。
ファーゴが徹底的にやり込められるのを、横で戦々恐々と眺めていた彼女は、遂にその矛先が自分に向けられた事に気づいて、びくりと身を竦ませる。
「ばあばはさっき僕に説明してくれたよね? 生活に必要な物は定期的に配達されているから、僕がプレゼントにお金を貰ってまで、わざわざそういった物を買う必要はないんだっけ? ……ねえばあば? それって何時まで保証されてるの? 一生? それともじいじとばあばが生きている間だけ?」
「それは……」
いっそ優し気ですらあるヨシュアの問いに、震える声で答えようとして、答えられない事に気づくモルガン。
一体何処の誰に、自分が死んだ後の事まで保証する事ができるだろう?
誰にもできる訳がないのだ。
もしできるなどと言う人間が居たら、それは余程の大嘘吐きに違いあるまい。
「ばあばならわかるかな? たとえば明日二人が死んで、僕とエレミアだけで暮らして行かくちゃならなくなった、と仮定しようか? 僕が成人して働けるようになるまでに、必要な生活費はいくら? そしてたとえ成人したとしても、お金を稼ぐ事のできない状況だった時は、一体どれくらいの貯えがあれば安心して暮らせると思う? それは白金延べ棒以下で充分なの? ねえ?」
「…………」
二人が反論の余地もなく完全に沈黙したのを見て取り、ようやくヨシュアは捲し立てるのをやめた。
この二人は自分の数少ない味方であり、モルガンの発言もヨシュアの将来を心配しての事、と頭では理解しているのだ。
苛立ちに熱くなった頭を冷やすためか、数秒瞑目して息を吐き、先程よりも大分穏やかな、諭すような声音で言う。
「……ねえ二人共。僕の考えは理解して貰えた? 僕が本当に欲しいのは、大金そのものでも、それを湯水のように浪費しての贅沢な暮らしでもないんだ。たとえ明日二人に万が一の事があっても、自分以外の誰かに命運を握られる事なく、エレミアと普通の生活を続けられるという最低限の保証。それがある事で得られる、安心や心の余裕が欲しいんだよ。いくらじいじや家にお金があっても、僕が自由に使えるお金なんて、銅貨の一枚だってありはしないんだ。だから……」
「白金延べ棒が必要……という訳か。良くわかったよ、ヨシュア君。本来ならこちらで気づかなくてはいけない事だというのに、ヨシュア君の方から口にさせた上に、それでもまだ察せずに、理由まで説明させてしまうとは……。察しの悪いじいじとばあばですまないね」
「ごめんなさい、ヨシュアちゃん。ばあばが間違っていたわ。ヨシュアちゃんは、生活に必要な物を買うのに使うんだ、って最初から言っていたのにね? たとえ一日の生活に必要な物を買うのには必要なくても、それを何十年も続けるのなら、大金が必要になるのは当たり前の事。万が一の時の話なんだから、今の生活物資の話が関係ないのもその通り。ヨシュアちゃんにそこまで深い考えがあったなんて気づきもしないで、じいじとお話してる最中に口を挟んだりして、邪魔をするような真似をして本当にごめんなさい」
幼い孫に切々と明日をも知れぬ身の不安を訴えられた二人は、己が不明を恥じるかのように、ヨシュアに深く頭を下げた。
無茶を言うなという話だが、たとえ理不尽であっても、ヨシュアの感情としては、まさに言われるまでもなく気づいて欲しかったところである。
先程の行いの何一つとして、ヨシュアの望んだ事ではないのだ。やらずに済むのなら、それに越した事などないに決まっていた。
考えてもみて欲しい。
先のヨシュアの言動は、客観的に見て可愛げのある幼子のそれではない。
有り体に言えば、欲深い俗物の所業そのものであった。
相手から見て好感の持てる行為でない以上は、評価や好感度を下げる危険性が、非常に高い事は明白である。
誰が好き好んで、好意を得たいであろう異性や、可愛がられた方が良いに決まっている保護者相手に、そのような危険を冒したいと思うだろうか?
にも関わらずヨシュアがそれを行ったのは、自分の置かれた状況を鑑みて、そうせざるを得ないと判断したからに違いなく、結果としてヨシュアの心情を理解した者達は納得し、万が一の時のための資金を用立てて貰える事にはなった。
しかしその交渉の手際を見て、ヨシュアを見る目が先程までと全く同じ、とは言い切れないのもまた事実。
他人の心など読めないヨシュアとしては、エレミアにドン引きされてはいないだろうか、と不安で仕方ないのである。
それ故の、これくらいは言われるまでもなく察して欲しかった、という理不尽な感情であり、一億円程度、誕生日のプレゼントとしてぽんと寄越せないようなら、この家に三男として生まれた意味などない、とすら思っていた。
つまりはまだ、余計な手間をかけさせられた事や、エレミアの前で、自分を見る目が変わりかねない真似をさせられた事に対して、完全には腹立ちが収まっていないのである。
「……本当に悪いと思ってる?」
「勿論だよ」
「二度と疑わない、と言ったそばから疑ったようなものだもの。信じて貰えなくても仕方ないけれど、ヨシュアちゃんの気持ちに気付いてあげられなくて、本当に申し訳ないと思っているわ」
「それなら、他にも僕の欲しい物をプレゼントしてくれる?」
祖父母の顔を代わる代わる見ながらの要求に、まだあるのか!? と絶望の表情を浮かべた二人であったが、許して貰えずヨシュアに嫌われるよりは遥かにまし、と覚悟を決めた様子で頷き合う。
「それでヨシュア君に許して貰えるのなら」
「やった! ……うん。なら許すよ」
「ありがとう、ヨシュアちゃん。それで……他に欲しい物って何かしら?」
満面の笑みで浮かれるヨシュアに、今度は何を要求されるのか? とおそるおそる尋ねるモルガン。
「えっとね、たくさんあるんだけど……」
「た、たくさんかい? 何だろうか?」
一体どれ程の無理難題だというのか?
ごくりと唾を飲み込むファーゴに、ヨシュアは機嫌良く答える。
「まずはね、靴!」
「えっ? 靴? 靴って、足に履くあの靴の事かい?」
「? 他に靴ってあるの?」
ファーゴの拍子抜けしたような声に、不思議そうにこてんと小首を傾げるヨシュア。
「そ、そうよね? そういえばヨシュアちゃんは、一足もお靴持ってなかったものね? 他には?」
「他にはね……ベッド! これからすぐに大きくなる予定だから、もっと大きいのが良いかな? それから服でしょ? あとは……」
他愛のない品々を指折り数えだすヨシュアに、何だそんなものか、と安堵の吐息を漏らす二人。
最初の要求の衝撃があまりに強かった所為で、少しばかり身構え過ぎていたらしい。
余裕を取り戻したファーゴが、好々爺の笑みで頷く。
「よし、わかった! それならこうしてはどうだろう? これから皆で一番近い街まで出掛けて、そこでヨシュア君の欲しい物を買うんだ。そうすれば店にある欲しい物を、たくさん買えるんじゃないかと思うんだがどうだい?」
「お出掛け? 本当? 良いの?」
「勿論だよ。じいじはヨシュア君に嘘なんて吐かないさ」
ぱあっとヨシュアの面が輝き、その無邪気な様子にようやく三人も口元を綻ばせた。
「ただ……もう午後だから、これから出掛けたのでは帰りは夜になってしまうな。夜道は危険だから、今晩は向こうで泊まって明日戻ってくる事にしようか?」
「そうですね。そうしましょう」
ファーゴの提案に頷くモルガンを見ていたヨシュアは、思い出したようにエレミアを振り返る。
「エレミア、洗濯物はどうするの? 干したままじゃ出掛けられないよね?」
「はい。ですが本日は快晴でしたので、そろそろ取り込んでも大丈夫な頃合いの筈です。念のため、先にお泊りの準備を済ませてから取り込めば、問題なく乾いているでしょう」
「そうなの? それじゃあ、そんなに時間をかけずに出掛けられそう?」
街に出掛けるのが楽しみで仕方がない、といった様子の主に、微笑ましそうに目を細めて、エレミアは小さく頷きを返す。
「お任せください。可能な限り手早く、お出掛けの準備を整えて参ります」
やる気を感じさせる返事と共に一礼し、エレミアは離れの中へ入って行った。
それを見送って、モルガンがファーゴに言う。
「それでは私も、宿泊の手配などをしてきます」
「ああ、そうだな。頼む」
「はい。……それじゃあ、ヨシュアちゃん? ばあばもお出掛けの準備をしてくるから、じいじとお話でもして待っててね?」
「うん。わかった」
頷くヨシュアの頭を一撫でし、モルガンは別荘の方向へ去った。
ヨシュアを眺めて、何事か考えているらしいファーゴが口を開くのを待っていると、考えをまとめたらしくこう切り出した。
「先程の、誕生日プレゼントの話なんだがね? ヨシュア君」
「うん」
「ヨシュア君の話を聞いていると、なるべく早く手許に欲しい、という口振りに聞こえたんだが、じいじの気の所為かな?」
「ううん? 僕も本当に今日明日にでも二人が亡くなる、なんて思ってないけど、何が起こるかなんて誰にもわからない、と思っているのは本当だから、早ければ早い程ありがたいのは確かかな?」
ヨシュアの返事に、自分の予想が外れていなかった事を確認したファーゴは、満足気な笑みを浮かべる。
「そうか。それならね? ヨシュア君。これも確認なんだが、白金延べ棒を一本準備するよりも、金延べ棒を百本用意する方が早ければ、ヨシュア君は金の方を選ぶんじゃないか、とじいじは思ったんだがどうだろうか?」
「うん。当たってるよ? それくらいの額の資金が欲しいから、一本で済む白金って言っただけで、別に価値が同じなら金属の種類には拘らないよ? というか金の方が嬉しいかな? 本当に白金の方を貰っても、いざそれを両替する時に大変そう……」
またしても自らの予想が当たって気を良くした上に、最後に眉根を寄せるヨシュアの姿を見て、ファーゴは楽し気な笑い声を上げた。
「ヨシュア君は良くわかってるね? どちらが欲しいかと聞かれれば、物珍しさや運びやすさから白金を選ぶ者は多いんだが、ぽんとそんな物を出されても、平然と対応できるような両替商はそう多くはないんだよ。だったら最初から金の方にしておいた方が、後になって困らずに済むんだ。持ち運びや管理は、『魔法鞄』に入れれば良いだけの事なんだからね」
「魔法鞄?」
聞こえてきたファンタジーな単語に食いつくヨシュア。
作品によって様々な違いのあるそれは、この世界では一体どんな物なのか?
「え? ああ……ヨシュア君は知らないのか。まだ女神様に教わってないんだね? 魔法鞄というのは、鞄に魔法をかけて様々な効果を付与したもので、最も単純な物で、持ち主の魔力認証と容量の増加……ああっと、持ち主以外には使えないようにするのと、物がたくさん入れられるようになる魔法がかかってるんだ。後はどのくらい入れられるようになるかで値段が変わる。という説明でわかるかな?」
「うん。わかる」
理解した、と頷いてヨシュアは話を元に戻した。
「金の方が用意に時間がかからないなら、そっちの方でお願いできる?」
「良いとも。国中から掻き集めて、なるべく早くヨシュア君の元に持ってこよう。……保管のためにも必要だろうし、魔法鞄も今日ついでに買ってしまうかい?」
ファーゴの提案に、ヨシュアは少し悩んだ後答える。
「うーん、僕に良い考えがある……んだけど、上手く行くかどうかわからないから、返事は後でも良いかな? 結局は買って貰う事になりそうだけど、持ち主が変わる可能性もあるから」
妙なフラグでも立ちそうな微妙な返答に、ファーゴは訝し気な様子ながらも頷いた。
ヨシュアに考えがあるというのなら、それを尊重するだけなのだろう。
それから、朝食は何だったかなどの取り留めのない話をしていると、先にエレミアが、次いでモルガンが戻ってきた。
しかしファーゴの隣に腰を下ろすモルガンと違い、エレミアは間を置かず洗濯物を取り込み始める。
「それにしても、随分まとめてお洗濯したのね?」
風に翻る多くの洗濯物を見回し、また随分溜め込んだものだという皮肉ではなく、不思議がっているような表情でモルガンが言った。
エレミアは洗濯物を溜め込むようなタイプには見えないからだろう。
作業しながら答える訳にも行かず、手を止めて振り返ったエレミアより先に、ヨシュアが答える。
「僕がそうするように言ったんだよ」
「そうなの?」
エレミアの行動に気づかず、孫の方に目を向けるモルガンの姿に、ヨシュアに感謝の視線を向けて一礼したエレミアが作業に戻る。
それを見ながら、ヨシュアは祖母の質問に答えた。
固有スキルの事を話した時に、どのような事を教えて貰っているのかと尋ねられ、一例として今日と明日の天気を教えたのだと。
「明日は午後から雨だって言ったら、明日も洗濯をする予定だった、ってエレミアが困ってたから、家の中でできる仕事で明日に回せるものがあるなら、明日の分も今日洗濯を済ませちゃえば良いんじゃないかって」
不思議そうに聞いていた二人の表情が、見る見るうちに変わって行った。
怖いくらいに真剣な表情になったファーゴが問う。
「ヨシュア君、わかるのは明日の天気だけかい?」
「ううん? 一週間先までだけど?」
頭を振って、とんでもない事を言い出すヨシュアに、ファーゴは目を剥いて天を仰いだ。
「……何という事だ。まさかこれ程とは……」
「あなた? 未来の天気がわかるのが、それ程大事なんですか? 確かに便利だとは思いますけど……」
訝し気な様子で、大袈裟にも思える夫の反応に当惑するモルガン。
そこでヨシュアが、納得したような声を上げた。
「ああ、そっか。じいじは知ってるんだ? 未来の天気がわかれば、洗濯や農業みたいな生活の事だけじゃなくて、戦争にも利用できるって」
「……え? 戦争?」
無邪気な口調のヨシュアから飛び出した、あまりにも物騒な単語に、モルガンが呆気にとられる。
しかしファーゴは、重々しく頷いて答えた。
「そうだ。一方的に未来の正確な天気がわかれば、当然それを計算に入れて軍事行動に役立てられる、という事でもある。それは誰もが負けられない戦争において、大きな優位性だ」
「あ……」
ようやく事の重大さが理解できたのか、口許に手を当てて目を見開くモルガン。
元の世界でも、天気予報の技術を確立したのは軍組織であり、その目的は言わずもがなである。
かつて、風船爆弾という兵器があった。
気球に爆弾を乗せ、敵国の本土を爆撃するという眉唾な兵器であったが、昭和二十年五月、民間人が不発弾に触れて爆発が起き、ピクニック中の米国人六名が犠牲になってしまう。
そのうち五名は、まだ幼い子供であったと言われている。
実際のところは、これによって起きる山林火災などで戦意を挫く、といった心理的な効果を期待してのものであったが、約七千七百キロメートルという超長距離を飛ばすのに利用したのが、上空を流れる強い西風――ジェット気流――であった。
この計算にも、陸軍気象部や中央気象台の協力の許、気象情報は利用されている。
追い打ちをかけるように、ファーゴは続けた。
「しかもだ。ヨシュア君に与えられた本当のスキルは、未来の天気がわかるという事などではない。その程度、この子が得られる情報の、ほんの一部にしか過ぎない事こそが問題なんだ。エレミア君が、ヨシュア君の身の安全に関わる秘事だ、とあれ程念押しする訳だ。このような事が噂にでもなってみろ。欲の深い貴族や商人連中が、ヨシュア君を放っておく訳がない。拐かしてでも、ヨシュア君を手に入れようとするに決まっている」
「そんな……」
人は強大な力を目にすれば、欲さずにはいられない。
とりわけ野心家、権力者ならなおの事。
自らが扱えないのなら、扱える者を手に入れて、意のままに操ろうと試みるのは当然の帰結である。
二人は薄暗い部屋の中、欲する情報の提供を強要する黒い輪郭の誘拐犯に、荒縄で縛られたヨシュアが、ぽろぽろと涙をこぼして嫌がる姿でも想像したのかもしれない。
ヨシュアがそんな可愛気のある玉か、と思うのは本性を知っている者だけであり、知らない者にとっては、見た目愛らしい幼児なのであった。
酷い詐欺行為を見た。
「そのような事を許す訳にはいかん。断じて認められるものか。機密保持の徹底と、ヨシュア君の警護を増員しなくては」
「はい。あなた」
大真面目にそんな話をしている祖父母を横目に、ヨシュアは洗濯物を取り込み終えて、離れへと入って行くエレミアの背中を見送り、
(そろそろかな?)
初めての外出を心待ちにするのであった。
◇
二頭の馬蹄の音。
そして魔導具を使用しているらしい箱馬車の、四つの車輪が回る音が連続して響いていた。
本来ゴムタイヤやサスペンションなどない時代、悪路を行く馬車の乗り心地は最悪であったらしいが、そこは剣と魔法の世界である。
ゴム質な体皮の魔物素材を使ったタイヤのような物があり、魔導具使用の箱馬車にも仕掛けがあるようで、ほとんど揺れを感じない。
あの後、出発する準備ができた、と呼びにきた集団を見てヨシュアは怯えた。
ガチムチな体躯に入れ墨を入れた、大柄な男ばかりだったからである。
中にはそれ程筋肉質でない、露出多めな女性の姿もあったが、インパクト的には前者が圧倒的に過ぎた。
硬直するヨシュアに、祖父は笑いながら説明する。
彼らはエルダーヴィードの家族や所有物の警護を生業とする、ルプスルグという部族である、と。
それで思い出した。
デキペディアで家の事を調べた時に知った、ファーゴの私兵団の事だと。
蛮族は他の人間が呼ぶ蔑称であり、当然彼らにも正式な呼称はあるのだ。
そんな彼らが護衛につく中、三台の馬車は進む。
ファーゴとモルガンは夫婦で世間話をし、エレミアが胸に抱いたヨシュアを微笑みながら眺める中、当の本人はといえば、目を閉じてスキルを使用しながら困っていた。
貰える二つのスキルのうち、最初の一つは二択から選択するもので、その答えを女神様に迫られていたからである。
◇
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
最強の矛と最強の盾。あなたが選ぶのは……どっち?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
ほ、矛盾!?
今回の被害担当:文句なくファーゴとモルガン。 三歳の孫に振り回されて、精神的に疲弊する。
ファーゴ「心臓に悪い」
モルガン「驚き過ぎて、寿命が縮んた気が……」
???「私にいい考えがある」
女神様「帰って、どうぞ」
遂に主人公が、その天然で悪気はないのにクズい本性を現して、祖父母に牙を剥きましたね。(他人事)……どうしてこうなった。勝手に動き回りだした主人公に振り回されたのは、作者も一緒だったという話でした。他の作品では頑張って自分で稼ぐ主人公ばかりなのに、どうしてうちはこうもゲスいんでしょうね? 作者(親)に似た? ……反論できない。
※5/24 加筆修正