1-5 「試練」
それから十五分程経った頃、遠く馬蹄の音が聞こえ始めた。
人間よりも聴力に優れたエルフであるエレミアは、当然ヨシュアよりも早く気づいており、既に席を立っている。
「お見えになったようです」
頷いたヨシュアだが、出迎えをしなければならないであろうエレミアと違い、特別する事もない。
履き物もない以上は、ここで椅子にかけたまま、祖父母が訪れるのを待つだけである。
人の話し声が聞こえてから暫くして、軋むような音を立てて鉄製の門扉が開き、三台の二頭立ての馬車が敷地内に入ってくるのが、植えられた木立の隙間から窺えた。
しかし馬車はそのまま直進すると、離れではなく別荘の方へと進んで行く。
若干拍子抜けしたヨシュアであったが、先程の女神様とのやりとりの中で、別荘にはミシェルが療養しているという情報を得ていたので、特段疑問には思わなかった。
娘の体調を心配して、先に様子を見に行きたいと思うのは当然の親心だろう、と納得しただけである。
しかし二人がこちらにくるまでには、まだまだ時間が掛かりそうだとわかった途端に、退屈が頭をもたげた。
人によって症状は様々であろうが、ヨシュアの依存症は、退屈を感じたらネットでゲーム、SNS、ニュースサイトのチェックなど、種類を問わず暇を潰さないとストレスが溜まる、というのが主な症状であり、ようは一分一秒たりとも退屈な時間に耐えられない、落ち着きのない子供と同じ、と言えない事もない。
まあ、実際にはそこまで単純なものではないのだが。
故にこうして手空きの時間ができると、この未知の世界に対しての漠然とした不安や好奇心から、ついスキルを乱用してしまうのである。
先程の女神様の警告はありがたく肝に銘じながらも、逆を言えば覚悟さえ決めてしまえば、後はもうフィルタの有無による、閲覧可能ページかどうかの違いでしかない。
次のヨシュアの興味。それは魔力の扱いについてであった。
遂にきたかという感じである。
むしろ遅過ぎるくらいだろう。
他の一体何処に、ここまでどうでも良さげな内容で、話を引っ張るラノベがあるだろうか?
入浴時に少しだけ触れてそれきりであった。
もっと早く戦闘シーンとか入れて盛り上げないと、読者が退屈してしまう事請け合いである。
◇
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
安西……じゃなかった女神様、すごい魔法が使いたいです。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
えっ? 藪から棒に何? 今までそんな事、一度も言わなかったじゃないの。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
それは死ぬまで生活が安泰で、怠惰に裕福な生活ができるのなら、特に必要ないと思っていたからです。
ラノベの主人公みたいに血生臭い殺し合いとかマヂ勘弁だし、無双して「強いのね? 素敵! 抱いて!」とかの安直な主人公マンセーや、チートハーレムな展開にも然程興味を引かれなかったので。
ただ、今の生活が保証されているのが、ファーゴが存命の間だけだという事に気がついたので、身を守る術の必要性を感じました。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
……ああ、そうね。あの家庭環境だとファーゴがいなくなれば、後を継ぐのはあなたを無視しているバークレイや、あなたの味方をするとは限らない二人の兄達だから……。それは心配になるのも無理はないかしら。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
はい。更に傑物――いや、地位や財産を奪われた者達にとっては、怪物と言うべきでしょうか?――であるファーゴ亡き後、海千山千と言って差し支えない旧支配者の王族や貴族が、遥かに与し易いであろうバークレイや兄達を、次の支配者として従順に迎え入れるとは到底思えません。
好機とばかりに、先を争ってエルダーヴィード家に群がり、食いものにしようとする光景が、目に浮かぶようです。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
成程。確かに彼らでは、エルダーヴィード家を守れない可能性は否定できないわね。それで自分や周囲の大切なものを守るために、魔力という力を求めて先程の要望に繋がったと?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
はい。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
……うーん。そうね……どうしたものかしら。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
え? 駄目なんですか? そんな……このままじゃファーゴが死んだら、俺まで食いものにされてしまう!?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
誰も駄目とは言っていないでしょう? あのね? あなたはすごい魔法が使いたいんでしょう? けれどすごい魔法を使う方法にも色々あって、大抵が魔力の扱いに関して、他者よりも有利な固有スキルを持っている場合が殆どなのよ?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
あっ……そうか。そういえば、そんな内容のチート系小説を読んだ憶えがあるような?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
思い出したかしら? つまりそれは、私に便利な固有スキルがもっと欲しい、と要求しているのと同じ事よ? 因みにヨシュアは、私があなたにいくつ加護や固有スキルを与えているのか、正確に把握できていて?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
うっ……いえ、一部ならともかく、全部は把握しきれていないと思います。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
私がどうしようか迷う理由が、理解して貰えたかしら? 本来加護や固有スキルというものは、神がこの世界に良い変化を齎すと期待できる相手にのみ与えるものなの。
あなたの場合は、無理を聞いて貰った対価とか様々な理由から、基本的にはなくて当然の加護や固有スキルを、既に大盤振る舞いのレベルで与えてしまっているのよ?
さすがにこれ以上の厚遇は、公私混同の謗りを受けても反論の余地がないわね。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
……はい。自分が如何に厚かましい要求をしていたのかは理解できました。すみません。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
わかってくれれば良いのよ? でもせっかくの異世界だもの、物語の主人公のように魔法を自由自在に操ってみたい。そう思う気持ちは充分理解できるのよね……。
そうね、こうしましょうか? 何の苦労もなく手に入れたのでは不公平だと言われるのなら、試練に対しての正当な報酬であれば、誰からも非難される謂れはないわよね?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
……今何だか不穏な単語が出てきたような? 試練とか、痛かったり苦しかったりするのは遠慮したいんですが?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
え? ああ、大丈夫よ? 試練と言っても、戦ったり耐えたりするような難行じゃないから。というか、幼児のあなたに対して、そんな試練を与える訳がないでしょう? 私はどんな鬼畜女神なのよ?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
ですよねー? ……すみません。でも、だとすればどんな試練なんですか?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
この世界における魔法とは何か? この問いに答える事こそが試練よ。その答えが間違っていなければ、有用な固有スキルを与えましょう。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
そんな無茶な! すごい魔法が使える固有スキルを貰うためには、魔法とは何かを答えなければいけない、だなんて本末転倒も良いところじゃないですか。
俺が魔力を使っているのを見たのなんて、エレミアが精霊の力を借りて、風呂を沸かした時の一回だけなんですよ?
しかもあれ、世間的には魔術とすら認められていない方法らしいじゃないですか? そんな僅かな手掛かりだけでどうしろと?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
本来強力な力を得るのは、それ程迄に難しい事なのよ? そう簡単に手に入るのなら、今頃は世界中が固有スキル持ちであふれ返っているわ。
無理難題なのは承知の上よ。間違えても魔法の使い方は教えるから安心なさい。ただ、俗に言うチートスキルが手に入らないだけの事。
どうしても手に入れたいのなら、一度きりのこのチャンスを逃さないで、苦し紛れでもこじつけでも何でも良いから、私を納得させられるように頑張りなさい。そうすれば、誰に憚る事なく固有スキルを与えましょう。
◇
条件の緩和を期待して渋ってみたが、過保護な女神様にしては珍しく、とりつく島もない。
これ以上は無意味だろうと判断し、その条件を飲む事を伝えてヨシュアは瞼を持ち上げた。
「坊ちゃま? 如何なさいましたか?」
眉根を寄せて考え込む主を心配してか、ヨシュアの右側に控えていたエレミアが、膝を折って顔を覗き込んでくる。
どう考えても、メイドである彼女に答えを期待できる類の問題ではない。
しかし無用な心配をかけるのも本意ではないヨシュアは、とりあえず当たり障りのない返答を返した。
「少し女神様から難しい宿題を出されたんだ。ちゃんと答えられたらご褒美が貰えるから、何とか正解したいんだけど……」
そこまで答えて、自然と漏れるため息。
「難しい問題なのですね?」
「うん。答えられなくても罰はないんだけど、そのかわりヒントもないんだよ」
むーなどと唸りながら、その紅葉のような両の手で頭を抱えるヨシュア。
苦悩深い主の様子に世話係としての矜持を刺激されてか、慰めるように乱れた髪を手櫛で整えながら、遠慮がちにエレミアが提案する。
「私ではお力になれないかもしれませんが、広く意見を聞いてみるのも一つの手ではないでしょうか? 全く見当違いの意見であっても、坊ちゃまに何らかの刺激を与えて、思いもよらない発想の手助けになるかもしれません」
「……うん。それも良いかもしれない。駄目で元々、上手くいったら儲けもの。そう思っていれば、たとえ上手くいかなくてもショックも少ないだろうし」
「はい。……それで、女神様がお出しになった宿題とは、どういったものなのでしょう?」
「魔法とは何か? だって」
「まあ……それは大変な難問ですね? そもそも今の世の中に、魔法を使える存在は数える程しか居ないと聞きます。逆に言えば、それ以外は魔術しか使えないか、魔術すらまともに使えないかのどちらかだという事ですね」
「僕は魔法の存在自体初耳だったし、魔術と魔法の違いすら知らないのに、魔法とは何かって聞かれても……」
「そうですか……。坊ちゃまがご存じない事で知りたい事がおありでしたら、私に聞いていただければ、お役に立てる場合もあるかもしれません。さし当たって、魔術と魔法の違いを説明させていただけばよろしいですか?」
「し、知っているのか雷――エレミア!?」
「え? はい。私は魔法を使う事はできませんが、魔術と魔法にどういった違いがあるかは存じております。入浴の際にも軽くご説明いたしましたが、精霊の言葉を学び、それを利用して精霊と交渉し、対価を支払って望みを叶えて貰うのが《精霊魔術》。略して魔術です」
(魔術って、この世界だと《精霊魔術》の略だったのか……)
「たとえるなら……そうですね。坊ちゃまは大工という職業はご存じですか?」
「うん。知ってるよ?」
「でしたら家を建てる際に精霊という大工を雇い、こちらの希望を精霊語の詠唱で伝え、対価に体内魔力を支払って依頼するのが魔術。対して設計から建築まで、全てを自らの手で行うのが魔法、という説明でおわかりいただけますでしょうか?」
「ああ……間に精霊を挟むかどうかの違いなんだ? 利点と欠点は?」
「はい。まず魔術の場合、詠唱さえ間違えなければ、後は精霊に発動や制御など、全てを任せる事ができます。坊ちゃまは水精が、水の制御に失敗すると思われますか?」
「えっと……思わない、かな? 生き物が手足の動かし方を忘れないように、ウンディーネが水の扱い方を間違える事は滅多にないと思う」
「そうですね。私もそう思います。つまり不慣れな種族が行うよりも、専門家である彼らに任せた方が成功確率が高いのです。魔法よりも難易度の低い精霊語で良く、交渉が上手く行けば、後は精霊任せで失敗も滅多にありません。その敷居の低さが利点の一つである事は、間違いないと思います」
(へえ、思ったより魔術って簡単なのかも?)
作品によって違いはあるものの、総じて魔術は色々とややこしい、という印象を持っていたヨシュアであったが、この世界の魔術は随分と自動的であるように感じた。
「個体差のほぼない精霊が代わりに発動しておりますので、誰が行使しても効果が代わり映えしないのは、利点であり欠点でしょうか?」
「同じ魔術を撃ち合ったらどうなるの?」
「基本的には相殺されるかと思われます。精霊に頼っている以上、その精霊の能力で不可能な事を望んでも叶いません。相性の良い精霊が火精の魔術師は、全員が同じ数の魔術しか使えないのです」
「それは……サラマンダーにできる事がその数だけだから?」
「ああ……やはり坊ちゃまは大変聡明でいらっしゃいますね? ご明察です」
そう感嘆して、エレミアは嬉しそうにヨシュアの頭を撫でる。
好きにさせながら、ヨシュアは考察を続けた。
つまり利点は魔法よりも習得の容易な言語で良い事。
詠唱さえ済んでしまえば、精霊が代わりにマナに干渉して実行してくれる事。
それはすなわち、魔力の操作を誤って、暴発させる危険性がほぼない事と同義である。
欠点は、本人の魔力量や才能にかかわらず、誰が使っても威力が同じ事。
個人差は魔力が枯渇するまでに撃てる回数程度である事。
精霊に可能な事しか実現できないため、創意工夫による発展性などないに等しい事、といったところだろうか?
「それから、魔術師は精霊の力を借りるという性質上、自分と相性の良い精霊が存在しない場所ではほぼ無力です。たとえば海に浮かぶ船の上など、火の気の少ない場所にサラマンダーはほぼおりませんので……」
「ああ、うん。それは厳しいね? もし使う事ができたとしても、水がたくさんあって強くなった、ウンディーネに負けちゃいそう」
「はい。逆に山岳地帯の火口付近などでは、溶岩地帯が多く、水が枯れている場合が多いため、パワーバランスは逆転いたします。そのため魔術師は、如何に自分に有利なフィールドで、戦闘に持ち込むかに腐心するそうです」
「まあそうだよね? 誰だって、自分に不利な状況で戦いたいなんて思わないだろうし」
打てば響くようなヨシュアの相槌に、自分の言葉を主が過たず理解している事を確信してか、エレミアは満足そうに微笑んで続けた。
「魔法とは女神様が創世の際に用いられたという、失われた”力ある言葉”《創世言語》で、世界中どこにでも存在するマナに呼びかけ、精霊には実現不可能な現象であっても、使用者の魔力量や想像力次第では実現可能な、無限の可能性を秘めた力と言われております」
「失われた?」
「はい。元々ごく僅かしか残されていなかった上に、事故で失伝したり、扱えない者達にその力を危険視されて焚書などされたために、今では片手で数えられる程しか残っていないのだとか」
「そうなんだ。随分少ないんだね?」
「そうですね。その代わり効果の程は魔術とは比べ物にならない上に、幅広い応用が可能なのだそうです。何よりマナを自力で操るので、場に存在する精霊の支配力に左右されず、世界中どこでも属性を問わず行使が可能、という優位性があります」
「でも、難しいんでしょう?」
「仰る通りです。先程の説明は利点についてですが、欠点としてはまず《創世言語》を話せる存在はこの世界にはおりません」
「うん。……ん? え? 居ないの?」
神妙な面持ちで真面目に聞いていたヨシュアが、予想外の展開に驚いて、つぶらな瞳をぱちくりさせた。
愛くるしいその仕草に、思わずといった様子で、ヨシュアを抱き締めそうになったエレミアであったが、辛うじてではあったが、自らの欲求を主にぶつける不敬を、堪える事に成功したらしい。
若干頬を紅潮させたまま答える。
「はい。失われた”力ある言葉”、ですので」
「……えっと?」
「魔法は魔術のような長い詠唱を必要とせず、《創世言語》を用いた単語一つだけでも発動するようなのです」
「単語?」
「はい。真偽の程は定かではありませんが、とある魔法使いが旅の途中立ち寄った海辺の街で、折り悪く地震による津波が発生し、街を襲ったのだそうです。住民達が逃げ惑い絶望する中、その魔法使いは逆に津波に近づいて行くと、誰も見た事のない程短い文字で書かれた巻物を使用し、津波は一瞬で凍りついた、と」
「凍ったの? 津波が?」
「そう言われております。実際に何が起きたのかは当人にしかわかりませんが、結果として一時間程その状態は維持され、その間に住人達は貴重品を手に、助け合いながら近くの山に避難できたため、建造物は軒並み流されましたが、人的な被害はなかったそうです」
「そうなんだ? すごいね?」
「そうですね。単なる巻物でさえそれ程の威力を発揮し、多くの人命を救う。まさに奇跡にも等しい力ですが、逆に言えばそれ程の事ができる使い手であっても、間違えないように細心の注意を払って書き写した、短い文字しか扱えないという事でもあります。詠唱の場合、事前に紙などに記述して用意しておく必要がない代わりに、一ヶ所発音を間違えるだけでも、暴発に繋がるので大変危険なのです。一言一句間違えずに発音し、更に行使に必要な魔力量を有する存在が、女神様を措いてほかにあるでしょうか?」
「ああ、それでさっき《創世言語》を話せる存在は、この世界には居ないって言ったんだ? 確かに《創世言語》の単語を一つ知っていたとしても、それだけで自分は《創世言語》が話せる、だなんてとても言えないから……」
「はい。神の言葉を話せるのは神のみ。魔術以上とされる魔法でさえ、神の言葉の一部。一つの単語に過ぎないという事です」
(言葉……。そうか! 全部言葉だ! 地球の聖書でも、最初に『光あれ』と神様が云って、光が生まれたとされていたじゃないか。魔法陣や巻物に使われる文字も、言葉を別の方法で伝えるために作られた物……世界に自分の意思を伝える言葉があって、それに対する世界からの解答も含めて魔法なんだ!)
何やら悟りを開いたかのように晴れ晴れとした気分で、ヨシュアは満面の笑みを浮かべた。
彼がアルキメデスなら、浮力を発見した時のようにエウレカ! エウレカ! と叫びながら、全裸で風呂場を飛び出して街中を走り回り、公然猥褻罪で捕まったかもしれない。
というか、アルキメデスは良く逮捕されなかったものである。
今まで眉間に皺を寄せていた主が、急に面を輝かせてご機嫌になったのを見たエレミアは、一瞬面食らったものの、すぐに喜ばしい事だと思い直した。
「坊ちゃま? もしかして答えがおわかりになったのですか?」
いくら朝から利発極まりない姿を見せ続けてきたヨシュアでも、さすがにそれはどうなのだろう? と半信半疑な様子で尋ねたエレミアであったが、しかし返ってきたのは肯定の頷きで。
「あ、ごめん。ちょっと言い過ぎたかも。そうなんじゃないかな、って自分では思う答えが出ただけで、女神様に正解を貰った訳じゃないんだ。だから、もしかしたらわかったような気になっているだけで、実は間違いなのかもしれない」
「あ、ああ。そういう事でしたか。ですがこのような難問に対して、坊ちゃまなりのとはいえ、お答えをご用意できただけでも、素晴らしい事だと私は思います。もし女神様が不正解だと仰られても、坊ちゃまさえよろしければ、今度私にもお答えをお聞かせ願えませんか?」
「えっと……うん。もし覚えていて気が向いたらね?」
「はい。勿論それで構いません」
ヨシュアとしては、自分の間違いなどというものを、好感を得たい相手であるエレミアに知られる事には抵抗があった。
しかし彼女にしてみれば、小さな主が一生懸命考えて出した答えである。
たとえ不正解でも、良いところを探して自分だけでも褒めてあげたい、という厚意であり、それを無下にするのも憚られた。
故に玉虫色の答弁で、お茶を濁すよりほかなかったのである。
「それじゃあ、今から女神様に答え合わせをして貰うから、もし用ができたら声をかけてね?」
そう逃げるように話を打ち切って、ヨシュアは掲示板に顔を出した。
◇
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
すみません、採点をお願いします。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
あら、もう良いの? 随分早かったわね?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
俺のおつむでは、いくら考えたところで出せる答えなんて高が知れていますから。だったら閃きや直感に従った方が、まだいくらかは勝算がありそうなので。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
そう。では聞きましょうか? あ、そうそう。できるだけ格好良く、頭が良さそうな感じで発表してみてくれる?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
……は? はあっ? 何ですかその無茶振り!? 普通に答えるだけじゃ駄目なんですか?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
だってせっかくの試練だというのに、あまりにも簡単に正解されてしまいそうなんだもの。それじゃあつまら――えふん。不正なんじゃないかって疑念を抱かれかねないし……。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
今、それじゃあつまらない、って本音が漏れそうになってませんでしたか? ねえ?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
……なってないわよ? あまりにも簡単に正解を出されると、周囲の誰かを使って正解に誘導したり、すぐ答えに気づくような固有スキルを、こっそり与えているんじゃないか? っていう疑いを持たれかねないからよ。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
……ん? そういえば、何だかエレミアの話を聞いていた時、突然天啓を得たかのように解答を閃いた気が……。あれってスキルは関係ないんですよね?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
…………。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
ちょっ、図星なんですか!? まさか直感が鋭くなって、論理的ではなく感覚的に正解を導き出せるスキル、とかだったりしませんよね?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
…………。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
おんやー? 何でお返事がないんですかねー? もしもーし?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
ああ、もしもし? ごめんなさい。少し電波の調子が悪かったらしくて、繋がり難くなっていたみたいね。それで、何の話だったかしら? ……ああ、そうそう。あなたが頭の良さそうな発表の仕方で内容の薄さを誤魔化して、私を法螺で丸め込む事ができたら、固有スキルをあげるんだったかしら?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
電波とか誤魔化し方雑過ぎねえ!? そして既に俺が正解して固有スキルを貰うためには、薄っぺらな答えを法螺で糊塗する以外にない流れに!? もしそれで無理に法螺を吹いたせいで、説明が破綻しちゃったらどうするんですか? それが原因で不正解になって、固有スキルが手に入らない、なんて事になったら泣くに泣けないんですが?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
それもそうね。だったら一度だけ誤答が許される事にしましょうか。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
どうあっても普通に答えるという選択肢はないんですか!? そうですか、もう良いです。うーん……うーん。――よし! それでは行きますよ? 良いですか?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
勿論よ。何時でもどうぞ? わくわく。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
わくわくて……いや、もう良いや。こほん。女神様は地球に関して随分調べられたようですが、古代ギリシアの哲学者である、アリストテレスはご存知ですか?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
いいえ? 初耳ね。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
そうですか。まあ別の世界の事ですし、知っていて当然という訳でもないですからね。知らなくても無理はありません。古代ギリシアに、アリストテレスという有名な哲学者が居た、という事だけ今はご理解いただければ問題ないです。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
ええ。わかったわ。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
そのアリストテレスが霊魂論で提唱した言葉に、エンテレケイアというものがあります。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
エンテレケイア?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
はい。終りの極みたる、完成した存在としての設計図が魂にはあり、現実世界にあるものは、そのあるべき完全な姿を求めて変化していくのだ、という考え方ですね。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
へえ。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
もっと言えば物事の生成とは可能的なもの――例えば鶏の有精卵――が現実的なもの――この場合はひよこですね――に発展する事ですが、卵の状態の時を可能態と言い、その可能態から展開して、ひよことして現実に活動している状態を現実態、その可能性を完全に実現し、鶏に成長して卵を産めるようになった状態の時を、完全現実態と言います。この時卵は親と同じ鶏になり、決してガチョウになる事はないという考え方です。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
確か遺伝学の起源ともいえるメンデルの法則が十九世紀だから……それより遥か昔の紀元前八世紀頃に、そんな考え方が存在したなんて面白いわね。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
そうですね。まあ、魔術や魔法はオカルトに分類されますので、遺伝子云々よりも、こういった霊魂などを解き明かそうとした哲学の方が、相性が良いのではないかと思いまして。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
ふうん? それで?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
ノーヒントで魔法とは何かを説明しろ、という話でしたので、正直なところどうして良いかわからずに、こいつを引っ張り出してきた訳です。数学とかでもそうでしょう? 解を求めるためには、それを解くための公式が必要になりますよね?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
つまり私が出した<謎かけ>を解くために、あなたが用意した公式がこれだと?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
はい。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
ふうん。面白くなってきたわね? ……それで? この公式を当てはめると解はどうなるの?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
たとえば魔法と聞いて誰でもすぐに思いつきそうな、火の玉を生み出して何かを燃やそうとする場合ですが、マナもオドも魔力は全て可能態であり、その魔力に”力ある言葉”で干渉して、現実に火の玉を発生させた状態の事を現実態、その火の玉で現実の物体に干渉できた状態の事を、完全現実態であると考える事ができます。
つまり魔法として発動させたければ、魔力に対して魂の設計図のように、どのように形成すべきかを定義してやる必要がある訳ですが、この時に用いられるのが《創世言語》であり、魔力は”力ある言葉”によって事象へと変換され、命じられた通りの機能を発揮する。これが魔法であると考えました。
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
…………。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
……あのー? すみません、以上なんですが……?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
……うん。合格。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
へ?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
大体あってるわ。だから合格よ。という訳で固有スキルを二つあげましょう。
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
……え? あ、本当に? 良いんですか?
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
良いわよ? 見事試練を乗り越えたんだから、問題なんて存在しない。いいね?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
アッハイ。
◇
あまりにもあっさりと、試練と呼んで良いのかすらわからないものをクリアしてしまい、望んだ固有スキルを二つも貰えるのに、困惑しきりのヨシュア。
それも無理からぬ事であろう。
何しろ、良いですか? より下の書き込みは完全に法螺だったのである。
そう、転生前に何かの講義で聞いたような気がするうろ覚えの知識を、あたかも完全に理解した上で、引用しているかのように見せかけただけであった。
大体公式を当てはめるといっても、全く見当違いの公式を当てはめたところで、解など得られる訳もない。
普通に考えて、アリストテレスの哲学と、この世界の魔法の理との間に、関連性など一切ないのである。
完全にノリと勢いだけで押し切ろうとした、苦し紛れのこじつけであった。
にもかかわらず合格扱いとなると、女神様は最初からどのような答えであっても、不正解にするつもりなどなかったのではないか、とすら思えてくる。
つまりヨシュア一人だけを依怙贔屓している、という非難をかわすために、わざと強硬な態度で試練を与えたとも考えられるのだ。
しかしそれがどれだけの無理筋であろうと、女神様からの声明があった以上、ヨシュアのように素直に承るのが、シツレイのない奥ゆかしい作法なのだ。
いいね?
◇
名前: 女神様@神の座 投稿日時:!”#$%&’=~
それでは新しく与えるスキルについて話したいところだけれど……生憎あなたに来客みたいだし、また今度にしましょうか?
名前: ヨシュアさん@通りすがり 投稿日時:!”#$%&’=~
来客?
◇
ヨシュアの双眸が開かれるのとほぼ同時に、近づいてくる足音が聞こえた。
エレミアの囁きが耳朶を打つ。
「大旦那様と大奥様がお見えです」
足音の方向へ視線を向けると、仕立ての良い、高価そうな服を着た五十代に見える男女が、ゆっくりとした足取りで並んでこちらに歩いてくるのが見えた。
二人共が笑顔であり、それは間違いなくヨシュアに向けられている。
「やあ、ヨシュア君。お誕生日おめでとう。ご機嫌は如何かな?」
張りのある良い声でそう挨拶し、好々爺の笑みで榛色の目を細める銀髪の男。
これが事前に情報だけは知っていた、ファーゴ・エルダーヴィードとヨシュアとの初顔合わせとなった。
今回の被害担当:アルキメデスと作者。アルキメデスは露出狂扱いされる。
アルキメデス「別に俺関係なくね!?」
作者。NINJAも出ないのにサンシタのように俺は詳しいんだ、などと調子に乗って忍〇語を使ったためにジツでも受けたのか、せっかく買ったポメラDM5が一話も書き上げないうちに壊れる。
作者「ここまでされる謂れはない!」
という訳で、前回ああ書いたものの、あまりお待たせするのも、と思って中古で買った秘密兵器のデジタルメモで、通勤中や休憩中にぽちぽち執筆していたのですが、ある日突然起動しなくなりました。
七千字以上のテキストデータがしめやかに爆発四散。パソコンにUSBケーブルで繋いで吸い出す事も可能な筈でしたが、他者に読まれる可能性を考慮してパスロックを掛けていたため、その場合は本体からの操作が必須、と後で読んだ説明書に書いてありました。つまり不可能と。
予定より早くお届けして驚かせようと思っていたのに、そんなトラブルの所為でむしろ書き直しになって遅くなる始末。暫くは呆然としておりました。そんな理由で遅れてしまいました。
リアルで色々ある事もあり、初投稿時に書いたとおり不定期連載という事ですので、今後も一ヶ月か二ヶ月か毎の投稿はできない場合もあるかと思います。しかしエタらないよう書き続けていく所存ですので、気長にお待ちいただき、見捨てずにいていただけると幸いです。
※5/23 加筆修正。