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1-2 「天気」





 ヨシュアは現在、そのエルフメイドに抱かれて家の中を移動していた。


 あの後、目に涙まで浮かべたメイドに、『何故そのような事を……坊ちゃまはわたくしの事がお嫌いになられたのですか?』などと問われたヨシュアの狼狽うろたえようといったらなかった。


 みずからの不用意な発言の所為せいで、異世界で初めて出会った、好みのエルフ美女に嫌われてはたまらない、と必死の弁明べんめいを繰り広げる羽目になったのである。


 その必死さといったら、したらずな口を限界まで駆使くしして説明した結果、更に滑舌(かつぜつ)が良くなり、明瞭めいりょうな発音が可能になったくらいなので相当そうとうなものであろう。


 結果その真摯しんしな訴えに耳をかたむけていたメイドは、自らも物心ついたのは四歳くらいだったそうで、ヨシュアに昨日までの記憶がない事を理解し、先の発言も悪意あっての事ではない、と納得してくれた。


 そして自分はエルフ族のエレミアという者で、ヨシュア専属の世話係メイドであると自己紹介を済ませると、今までの事を覚えていないなら、とこの離れの案内を受ける運びとなったのである。


 そのような訳で冒頭の場面シーンに戻るのだが、ヨシュアがエレミアの腕に抱かれたまま移動しているのは、決して本人の希望によるものではなかった。


 実に自然に、もそれが当然の事のごとく、気がついたら彼女の胸に抱かれていたのである。


(このメイド、相当抱き慣れていやがる!)


 あまりの早業はやわざに、抵抗する間もなく横抱きで腕の中におさまったヨシュアは、戦慄せんりつを禁じ得ない。


 専属メイドの面目躍如めんもくやくじょたる自然極まりない動作であった。


 一度抱き上げられてしまうと、胸部装甲に付与された『魅了チャーム』の効果により、抵抗しようという意思はもろくも崩れ去った。(胸部への接触せっしょくこばむ事ができない言い訳)


 おとなしく抱かれているヨシュアに、慈愛に満ちた微笑みを投げかけ、エレミアは案内を始めた。


「まず最初はこちらですね」


 その言葉と同時に開かれたドアの先にあったのは、座面の真ん中に穴の開いた、陶器製の椅子のような物。


 そして積み上げられた紙らしき物と、おけに汲まれた水である。


(これはまさか……トイレ?)


「こちらはかわやです。この別荘は都市部から離れていますので下水道はありませんが、この土地の下には地下水脈があるため、それを利用して汚物や生活排水などを、都市部の下水施設へ送っているそうです」


 随分と古めかしい言葉が飛び出してきた。


 しかし確かにこのトイレの呼び方としては、この上なく相応(ふさわ)しいと言えるだろう。


 厠の別の書き方は川屋。


 流れる川の上や海に面した場所に小屋を作り、汚物を処理する垂れ流し式の便所である。


 前世ですら子供の頃は汲み取り式だったのに、転生してからの方が便利だとは。しかも都市には上下水道があるらしい。


 さすがは剣と魔法の世界であった。


 科学が発達していなくても魔力がある所為か、所々で地球の中世ヨーロッパ時代の常識をくつがえすようだ。


 固定観念は捨てるべきなのかもしれなかった。


 何しろ中世ヨーロッパのトイレ事情はかなり酷かったらしいので、ここでも同じなのかと戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていたヨシュアである。


 そうではないと知って、どれ程安堵(あんど)した事か。


 気になる人は自分で調べてみると良い。


 あのような生活をしていれば、どれ程の美女が相手であろうと、百年の恋も冷めるだろうから。


「それでは次は浴室に参りますね?」


 病的なまでの綺麗好きであると他国から思われているらしい、風呂大好きな日本人の魂を持つヨシュアである。


 その風呂があると聞いてウキウキWatching(ウォッチング)したのだが、視界に飛び込んできた光景には、肝を潰す羽目になった。


 脱衣所の先、良くある木材で作られた浴槽よくそうではなく、床まで石張りであった事にも充分驚いたのだが、それ以上にヨシュアを驚かせたのは、


(ま、マルセル石鹸せっけんだとう!?)


 まともな石鹸らしき物があれば御の字。


 カリ石鹸でもなんとか工夫くふうすれば……いや最悪自分で作るしかないか? などと悲愴ひそうな覚悟を固めていたというのに、洗い場には王家の石鹸こと、マルセル石鹸様らしきものが鎮座ちんざましましていたのであった。


 言わずと知れた高級品である。


(あばばばば……こんなの絶対おかしいよ)


 自室、トイレ、浴室。


 三ヵ所まわっただけでわかる、この家の異常さ。


 本宅ではなく別荘の離れでこれである。


 どれだけ金持ちだというのか?


 先程エレミアはヨシュアが三男だと言っていたが、後で一度エルダーヴィードという家について、スキルで詳しく調べておくべきかもしれない、とヨシュアは思った。


「坊ちゃま? 如何なさいましたか?」


 固まったまま一言も発しないヨシュアの顔を覗き込み、エレミアは心配そうに尋ねる。


「えっ? あ、ああ……えっと、ここは何をする場所なんだろうと思って」


 当たり前だが、ヨシュアとて浴室が何をする場所であるかくらい、充分に理解している。


 しかし昨日までの記憶がないはずのヨシュアが、一目見て「ああ、なんだ。ここは風呂か」などと言うのはおかしい。


 故にここは知らないふり一択なのである。


 全くかまととぶるのも楽ではない。


「ああ、こちらは体を綺麗にする場所です。大奥様がたいそう綺麗好きでいらっしゃるそうで、エルダーヴィード家所有の住居は、全てにお風呂がついているのだとか」


 マリー・アントワネットのような人なのだろうか?


 ヨシュアはまだ見ぬ大奥様という人に対する好感度が、上昇するのを感じた。


 おかげで自分も風呂に入る事ができる。


「入りたい」


 短いが強い意志を感じさせる言葉に、エレミアは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに納得したように首肯しゅこうする。


「そうですね。本日は坊ちゃまのお誕生日という事で、お仕事が済み次第しだい、大旦那様と大奥様がお祝いに駆けつけてくださるそうですので、お風呂に入って綺麗な服にお着替えになられてから、お祝いして頂く事にいたしましょうか?」


「うん!」


 元気良く頷いたヨシュアに笑顔を向けるエレミアだったが、ふと何かに気づいたようにその表情を曇らせた。


「申し訳ございません坊ちゃま。その前に朝食を召し上がっていただけますでしょうか? お風呂に入った後ですと、せっかくの朝食が冷めてしまいますので」


 そういえば、彼女がヨシュアの部屋にきた要件を聞いていなかったが、どうやら朝食の完成を告げにきたらしい。


 食堂に向かいがてら案内を、という事だったようである。


「うん。わかった」


 どんな料理か知らないが、冷めても旨い料理などそうはない以上、わざと不味くする必要は認めない。


 ヨシュアはこだわりなく、予定の変更を受け入れた。



 ◇



 他に誰も居ないがらんとした食堂で、十人は座れそうなテーブルについて朝食を摂ったヨシュアが、隣に座ったエレミアに、甲斐甲斐かいがいしく世話されながら食べているのは、山羊のミルクに蜂蜜で甘みを加えた、小麦のパン粥である。


「美味しいですか?」


 あーんをした後聞いてくるエレミアに、口の中に粥が入っている所為で喋れないヨシュアは、頷くだけに留めた。


 山羊のミルクは匂いや味に独特の癖があるため、牛乳に比べて好みが別れるらしい。


 ただ、温めた上に蜂蜜も入っているためか、ヨシュアにはコクがあって美味しいと感じられた事は確かだった。


 山羊のミルクは母乳の代用にできる程栄養価が高い上に、吸収が良くお腹がごろごろしないという凄いミルクなので、実はこのパン粥は、幼児の朝食としてはかなりの御馳走ごちそうなのである。


 その後エレミアが食器を洗っている間、ヨシュアは食堂で一人になる時間ができた。


 洗い物の量自体は少ないので、然程さほど時間的な猶予ゆうよはない。


 この短時間で調べられる事は何か、ヨシュアは考える。


(……うーん。天気予報くらいか?)


 何を調べるか迷っているうちに、時間切れになるのが一番勿体(もったい)ない。


 早速ヨシュアはスキルを使って、天気を調べる事にした。





(天気、っと)


 念じるとすぐに文字リンクの色が変わり、天気のページへと飛ぶ。


 表示された本日の天気は晴れ。


 太陽のマークである。


(まあ、さっきから太陽が鬱陶うっとうしいくらいに自己主張しているし、大体予想はしていたけどな?)


 その下には天気のマークが七つ表示されている。


 どうやら週間天気らしい。


 幸いこの世界でも、一週間は七日のようだ。


 一日は二十四時間で、一年は三百六十五日なのだろうか?


 これも時間に余裕がある時に忘れずに調べなくては、とヨシュアは思った。


 ともあれ今は天気の事である。


(明日は……? あー、午前中曇りで午後から雨か。まあ、農業には必要なものだし仕方ないか。で? 降水確率は……と。……はっ? 百パーセントぉ!?)





 表示された降水確率の数値に、ヨシュアは驚きのあまりうっかり瞼を開けてしまった。


 当然映像は掻き消えて、自分以外には誰も居ない食堂が視界に飛び込んでくる。


 テーブルを挟んだ反対側にある暖炉にかかった、タペストリーに描かれた女神様の笑みが、心なしか悪戯いたずらっぽく見えるのはヨシュアの気の所為だろうか?





(良く見ると一週間の降水確率が、全部百かゼロしかない!? こっ、これ天気予報(・・)じゃなくて天気予知(・・)なんじゃ……)


 あまりの事に恐怖心さえ覚えながら混乱するヨシュア。


 そう、これが【女神の叡智】の真価の一端であった。


 この世界においてのみだが、主神たる女神様の知識に間違いなどはあり得ない。


 この先一週間の天気は、これでもう確定なのである。


 そもそもヨシュアが勝手に天気予報と勘違いしただけで、何処にも予報などという文字は存在していないのだ。





「お待たせいたしました。……坊ちゃま? 如何なさいましたか?」


 催眠術だとかよりも、もっと恐ろしいものの片鱗へんりんを味わってしまったヨシュアが震えていると、食器洗いから戻ったエレミアが声をかけてくる。


 SAN値のチェックをかろうじてクリアしたヨシュアは、正気を取り戻した。


「ううん……何でもないよ? もう良いの?」


「はい。それではこれから、お風呂の準備をして参りますね?」


「……そういえばさっきお風呂に水がなかったけど、もしかして外から運んでくるの?」


 転生前ならば、給湯器きゅうとうきの簡単な操作のみで自動的に風呂が沸いたが、水道すらないここでは不可能だろう。


 となればすぐに思いつくのは、屋外おくがいの井戸などから桶に汲んで運ぶという方法だが、エレミアのような華奢きゃしゃな女性の細腕で、水の入った重い桶を持っての往復は、さぞかし重労働であろうと思われた。


 自分の我儘わがままで、予定になかった仕事を増やしてしまったのだとすれば、さすがのヨシュアも罪悪感を覚える。


 しかしその問いにきょとんとした表情を浮かべたエレミアが、主の懸念けねんをあっさりと否定した。


「いいえ? わざわざそのような手間のかかる真似はいたしませんが……」


「え? じゃあ、どうやってお風呂に入るの?」


「えっと……これからするお風呂の準備に、坊ちゃまもご一緒されますか? 言葉で説明するよりも、実際にご覧いただく方が早いかと思うのですが……」


 百聞ひゃくぶん一見いっけんかず、という事だろうか?


 ヨシュアはその提案を受け入れた。



 ◇



 再び訪れた浴室でヨシュアを降ろした――つまりまた抱き上げて運ばれた。意外な事に、この家に幼児用の履き物はないらしい。足が汚れないように、幼児の移動は抱き上げて行う、という事のようである――エレミアは、綺麗に掃除された浴槽に近づくとげた。


「この浴槽一杯に水をお願い」


「えっ?」


 突然の親しげな物言いに戸惑うヨシュア。


 もしやエレミアは、幼児に力仕事をさせるつもりなのだろうか?


 いや、違った。


 どうやら今の言葉は、ヨシュアに言った訳ではないようだ。


 その言葉を何者かが聞き届けたかのように、ちょうど浴槽の上(あた)りから、音を立てて水が噴き出してきた。


「えっ? ええっ?」


 不可思議な現象に驚きを隠せないヨシュア。


 おそるおそる近づいて、その場所に何か居るのか、と目を擦りながら確認しようとする。


 そんな仕草に、何やら愛くるしいものを見るような視線を向けるエレミアだったが、次の瞬間には瞠目どうもくする事になった。


「んー……? あっ! 何か居る!」


「えっ?」


 そこに虹色に輝く、裸の女の子の姿を見出みいだしたヨシュアは、こちらに背を向けたその後ろ姿に手を伸ばすと、背中の辺りに軽く触れた。


『きゃあっ!』


 突然誰かに触れられる事など、予想だにしていなかったのだろう。


 その女の子は悲鳴を上げると、体ごと振り返った。


 当然のきとして、浴槽に向けて伸ばした手から、勢い良く噴き出していた水は、背後のヨシュアに向く事になる。


「ふえっ? わっぷ! ごぼぼぼぼっ!?」


「ああっ! 坊ちゃま!」


「ぷはっ!」


 放水の直撃を受けて陸上で溺れかけるあるじを、慌てて引き寄せて救出するエレミア。


 しかし呼吸はできるようになったものの、ヨシュア本人はまたたねずみと化してしまう。


「とりあえず、一旦いったん止めてくれる?」


 エレミアが、ヨシュアに放水をお見舞いしてしまった所為で、おろおろと狼狽うろたえる女の子にそう言うと、ぴたっと放水が収まる。


 浴槽の中を覗き込んで、


「……このくらいあれば、坊ちゃまが温まる分には充分かしら?」


 と一つ頷いたエレミアは、またしてもヨシュアではない者に声をかけた。


「おいで、サラマンダー。この水を温めて欲しいの」


 先程と同じようにその声から間を置かずに、浴槽に溜まった水から湯気が立ちのぼり始める。


 サラマンダー。


 ヨシュアの記憶が確かなら、それは錬金術師であるパラケルススが、著書において提唱した精霊せいれいのうちの一体。


 火の精の名前の筈であった。


 ヨシュアがそっと覗き込むと、浴槽の内壁にその四肢ししで張りつき、溜まった水の中に尻尾しっぽを温度計のように垂らす、火の塊でできた山椒魚さんしょううおのような姿が確認できる。


 ヨシュアはそれでようやく得心した。


 先程からの不思議現象は、エルフであるエレミアが、精霊に声をかけて起こしていたものだったのだ。


 つまりは魔術や魔法のたぐいである。


 確かにこの方法なら、腕力のない女性でも重労働をせずに済む事だろう。


「……はい、もう良いわ。ありがとうサラマンダー」


 浴槽の水に手を入れていたエレミアが、適温と判断したのか火精に声をかけると、その姿はすぐに薄れて消えて行く。


 興味深そうに見ていたヨシュアに向き直ると、彼女は腰を折って謝罪した。


「申し訳ございません、坊ちゃま。大変お待たせいたしました。さあ、濡れた服を脱いで、早くお湯につかりましょう。そのままではお風邪を召されてしまいます」


「う、うん。わかった」


 そのまま脱衣所に連れて行かれると、エレミアに手伝って貰いながら濡れた服を脱ぎ、置いてあった木桶で掛け湯をして貰ったヨシュアは、浴槽に身を沈める。


 春とはいえ水をかぶって冷えた体が、湯の熱でぽかぽかとすぐに温まるのは、ヨシュアにえも言われぬ心地好ここちよさを感じさせた。


「……ふう」


「ふふ……気持ち良いですか? 坊ちゃま」


「うん!」


「それは良かったです」


 思わず、といった様子で、深い息をつきながら湯につかるヨシュアの姿に、微笑ましそうな笑みをこぼすエレミア。


 頷きを返したヨシュアは、先程から気になっていた事を聞いてみる事にした。


「それであの……その子は誰?」


 その子とは無論むろん、先程から所在しょざいなげに浴槽のわきに立っている、虹色に輝く体を持った、裸の女の子の事である。


 ヨシュアの視線を追ったエレミアは、笑みを消して真剣な表情を浮かべた。


「その事ですが……坊ちゃまにはこの子の姿が見えておられるのですね? 先程は触れてもおられましたし」


「うん。何だか色んな色をした、裸の女の子が見える。さっきは火のかたまりが見えた」


「どうやら見えているのは間違いなさそうですね。普通は精霊の血を引く種族にしか見えない筈なのに、人である筈の坊ちゃまが何故……? もしかして……?」


「ん?」


「いえ、この子はウンディーネ。先程お風呂を沸かしたのがサラマンダー。それぞれ水と火の精霊です」


「精霊……?」


「はい。自然物に宿る霊的な存在であり、魔術などを使う際には、彼らの力を借りる事が多いです」


「そっか。……そういえば、さっきはいきなり触って、驚かせちゃってごめんね」


 驚きばかりが先に立ち、自分がまだ謝罪をしていない事を思い出して、ヨシュアはこちらを見ているウンディーネに頭を下げた。


 虹色の女の子は慌てたように首を振り、


『ううん。こっちこそごめんなさい。私も驚いて水をかけちゃったから……お相子あいこ


「ああ、そうだったね。それじゃあお互い様だし、恨みっこなしって事で良い?」


 ヨシュアの言葉にウンディーネが頷き、それでその件は手打ちという事になった。


 またも驚きに目をみはるエレミアをうながして、中断していた精霊の説明を続けて貰う。


 そうして聞いたところによると、この世界で魔術とは、基本的に精霊に呼びかけて力を借りる事を言うらしい。


 ヨシュアはエレミアの真似まねをすれば自分にも使えるのか、と聞いてみたが否定された。


 先程彼女が使ったのは、《妖精魔術》と呼ばれる妖精族特有の魔術だそうだ。


 精霊と人間の混血といわれるエルフやドワーフなどの妖精族は、精霊を視認し会話する事ができるため、幼い頃から家族や友人のように一緒に暮らし、遊ぶのである。


 つまり友人に、「ねえ? 前に欲しがっていたあれをあげるから、この仕事手伝ってよ?」と声をかけ、「えー? ……うーん。しょうがないか。そのかわり後で絶対に頂戴ちょうだいよね?」というようなノリで手伝って貰っているのだとの事。


 長い付き合いの友人もしくは家族のよしみで、簡単な物品や奉仕ほうしと引き換えに口頭こうとうでの頼み事をきくのであって、精霊を知覚できるからといって、赤の他人であるヨシュアが『仕事を手伝ってくれ』と頼んだところで、『はあ? どうして私が貴方のいう事をきかないといけないのよ? しかもタダで。ありえない』と反発され、無視されるか、最悪攻撃されるらしい。


 幼い頃から精霊と親しみ、仲良くしている妖精族にのみ許された、裏ワザ的魔術という訳である。


 他の種族が精霊に力を借りるためには、体内魔力オドを代償に支払い、精霊語で呪文を詠唱えいしょうするか、精霊文字で書かれた巻物スクロールまたは魔法陣に魔力を通して、依頼するのが一般的なようだ。


 そのため、面倒な手順を踏まなければならない多種族からは、嫉妬ややっかみ交じりに、妖精魔術は魔術のうちには入らない、と言われる事も多いのだという。


「そうなんだ……。僕にも魔術が使えないかと思ったんだけど……」


「はい。ただ、坊ちゃまが魔力を扱えるのは確かなようですので、魔術もいずれは使えるようになるかもしれませんね」


「――えっ!?」


 残念そうにうつむくのへ、はげますように掛けられたエレミアの言葉に、ヨシュアは勢い良く顔を上げる。


「僕、魔力が使えるの?」


 初耳であった。


 エレミアは何処でその事を知ったのであろうか?


 その疑問はエレミアの次の言葉で氷解ひょうかいした。


「坊ちゃまは最初、この子の事が見えてはおられませんでした。つまり精霊を視認できる適性をお持ちでなかった、という事です。しかし事実空中から水が出ているという現象を知覚し、見えないものを見ようとして目を凝らし、その存在が立てる音を聞こうと耳を澄まされました。その結果、坊ちゃまは無意識下で自らの感覚を魔力で強化して、本来は目に見えず、声も聞こえない筈の精霊を、認識する事に成功されたのです。そうでなければ、先程起きた一連の出来事に対する説明がつきません。その後のウンディーネとの精霊語での会話までは、私には説明する事はできませんが……」


 固有ユニークスキルか何かでしょうか? と首をかしげるエレミアに、ヨシュアは暖かい風呂の中に居るにもかかわらず、冷や汗をかく羽目になった。


 異世界の言語を自動で翻訳する、固有スキルの存在が発覚じゃかけている。


 普通に会話していたつもりが、精霊に話しかけた時点で精霊語に翻訳されていたらしい。


 これから異なる種族に話しかける際には、充分に気をつけた方が良さそうだ。


「そ、そういえばサラマンダーはこの場で呼び出したけど、その子はお風呂に来た時にはもう居たように見えたのはどうして?」


「――ああ。それは食器洗いをする時に呼んで、ずっと呼び出したままだったからですね。朝食の後に、お風呂に入る事がわかっておりましたので……」


「あっ、そっか。一度送還いちどかえして、また呼び出すのは二度手間にどでまだから……」


 ヨシュアの言葉を笑顔を浮かべる事で肯定し、説明が一段落ついたと見たのかエレミアが言う。


「それでは、坊ちゃまはしばらくそのままでお待ちいただけますか? 私は坊ちゃまのお着替えを用意して参りますので」


「うん。わかった」


「大した水量はないので大丈夫だとは思いますが、溺れないようにお気をつけ下さい。戻ったら坊ちゃまが亡くなられていたなどという事になれば、私は自刃じじんして後を追うよりほかありませんので」


 言葉の後半が完全に本気の表情だったので、ヨシュアは慌ててこくこく頷く。


 それでようやく穏やかな笑顔に戻り、念のためウンディーネにもヨシュアを見守ってくれるように頼んでから、エレミアは風呂場を出て行った。


 ヨシュアを幼児だと思っているエレミアにしてみれば、念には念を入れてという事なのであろうが、心配せずとも動き回って溺れ死ぬ、などという可能性は極僅ごくわずかしかない。


 何しろ食事や排泄、睡眠に風呂など、生活のために最低限必要な事をする以外は、全ての時間をネットにつぎ込む事ができる男である。


 溺れる危険性のある行動などする暇があるのなら、おとなしく目を閉じてスキルを使う方を選ぶに決まっていた。





(今度は……時間の単位かな?)


 これには時刻などのように、ショートカット的な文字リンクがなかったので、ヨシュアが頭の中で『時間の単位』と念じると、検索バーに自動で入力された。


 同じく『検索』と念じれば、一瞬で検索結果が表示される。


 簡単過ぎであった。


 しかし脳内にキーボードやマウスなどが無い以上は、これも仕方のない仕様である。


(えっと、『転生者でもわかる! この世界の一年』……これかな?)


 そのページのタイトルに意識を集中すると、瞬時に開く。


 さすがは脳内ネットワークであった。


 実際の回線を使用していない所為か、ヨシュアは未だにこのレスポンスの早さに慣れない。


 ふむふむ、と書かれた内容を読み終えて、ヨシュアはほっと一安心した。


 こちらでも一年は三百六十五日で、一日は二十四時間、と転生前と全く同じだったからである。


 これで、生活していてどうしようもない違和感を覚える、などという羽目にならずに済みそうだ。





「あの……坊ちゃま?」


「っ!?」


 突如間近とつじょまぢかで声が聞こえ、ヨシュアはびくっ! と驚いてすくみ上がる。


 慌てて目を開けると、心配そうにこちらの顔を覗き込む、エレミアのととのったかんばせが視界に入った。


「先程食堂でも目を閉じておられましたが、もしかしておねむですか? 起こしにうかがうのが早過ぎたでしょうか?」


「ううん? 違うよ? えっと……そうじゃなくてね? 固有スキルを使って、女神様に色々な事を教えて貰ってるんだ」


 どう答えたものかと逡巡しゅんじゅんするヨシュアであったが、結局はある程度本当の事を教える事にする。


 おそらく、今後もエレミアにスキルの使用を目撃される事は避けられまい。


 ヨシュアの世話係を任されるくらいなので、現時点では彼女が最も信用できる存在である事は間違いないだろう。


 さもなくば、ヨシュアのために骨を折ってここまでの環境を整えてくれた女神様が、エレミアをそばに置く事など許す筈もなかった。


「まあ! 坊ちゃまは女神様とお話する事ができるのですか?」


「うーん。滅多めったに声は聞こえないけど、頭の中で色々教わっているのは確かかな?」


 感心するエレミアに、うまい説明が思いつかずに、困ったヨシュアは曖昧あいまいな返事をする。


「そうなのですか。坊ちゃまは余程よほど女神様に愛されておられるのですね? ……たとえばどういった事を教えていただいているのですか?」


「……うーん。たとえば……? 天気とかかな?」


「えっ? 天気、ですか?」


「うん。今日は一日中晴れるから洗濯物が良く乾くとか、明日は午前中は曇りだけど、午後からは雨が降るから洗濯物は外に干せない、とか?」


「まあ! そのような事までおわかりになるのですか!? すごいですね? ですが、そうですか……。明日は雨……。困りました。明日も洗濯をする予定だったのですが……」


「そうなの? それなら今日やる予定の仕事を明日に回してでも、明日の分も今日洗濯するしかないんじゃないかな?」


「そう……ですね。ではそのようにいたします。ありがとうございます、坊ちゃま。お陰様で大変助かりました」


「あの……今更聞くのもどうかと思うけど、信じるの? こんな話」


 普通は信じないよ? と言外に言うヨシュアに、エレミアは即答した。


勿論もちろんです。坊ちゃまと女神様がそうおっしゃるのであれば、信じない理由などありません」


「そ、そうなの? それはどうもありがとう?」


 身に覚えのない信用に、戸惑いながらも礼を言うヨシュア。


 しかしエレミアの頭の中は、既に次の仕事である洗濯の事に切り替わっているらしい。


「坊ちゃま? そろそろお体を洗いましょうか? あまり長い時間お湯につかり過ぎて、逆上のぼせてしまわれてはいけませんから」


「あ、うん」


 頷いたヨシュアを抱き上げて洗い場に下ろしたエレミアは、タオルのような布に石鹸を泡立ててヨシュアの全身をくまなく洗い、あらかじめ桶に汲んであった湯でさっと体についた泡を洗い流すと、脱衣所に連れて行って、しっかり体を拭いてから服を着せる。


 身を任せていたヨシュアはあっという間に感じたが、手早い仕事の割に所作しょさ自体は丁寧ていねいよどみなく、ざつに扱われたような不快感など一切いっさい感じさせないあたりに慣れを感じた。


 ともあれ、これでこの世界でもちゃんと風呂に入れる事が確認できた訳である。


 後は歯磨きだろうか?


 この世界では一体どうなっているのだろう?

 今回の被害担当:ウンディーネ 裸の女の子(精霊)の肌に、中身三十過ぎの男が許可なく触れるという事案が発生。


 ウンディーネ「あの人が、いきなり触ってきて」(泣)


 ヨシュア「おいこら、洒落にならない真似はやめろ」


 ※5/25 加筆修正。

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