3-6 「難破船」
食事を終えた後、疲れているだろう奴隷達を本日泊まる部屋に行かせたヨシュアから、時間をとって欲しいと言われたファーゴは、悩む素振りすら見せずに二つ返事で了承した。
孫からこのように声をかけられた際、話を聞いて後悔したことなど一度もなく、むしろあの時聞いていなかったらと、肝を冷やした記憶しかなかったからである。
無視して被害が出ることの方が恐ろし過ぎて、話を聞かないという選択肢など最初からないとも言う。
そうして特区にある本宅に戻り、リビングのソファに座ったファーゴは、対面のヨシュアの口から出た長らく聞いたことのなかった単語に困惑した。
「難破船?」
「そう。嵐に巻き込まれた魔大陸の船なんだけど、濡れた体を乾かすこともできずに風邪が悪化して、急速に肺炎が拡がった結果、乗員乗客のほとんどが死んで、生き残りはたったの二人だけだって。操船技術もない一般人だけだからなす術もなくて、明後日くらいには北の汽水湖の入り口近くに漂着するらしいよ」
「なんと。それでヨシュア君としては、どういう対応をすべきだと思うんだい?」
面倒ごとが舞い込むとの予言を聞かされ、思わず困り顔を見せる祖父に対し、都市に対してなんら責任のない孫の方は下心丸出しで言い放つ。
「俺としては二人の生き残りを利用したいかな。船は破損し、自力での帰還は困難。だったらそこにつけこんで、こちらの用意した船で送り届ける代わりに、あちらの大陸の案内や誰か有力者を紹介させたいところだね」
ある意味正直で裏表がないと言えなくもない発言に、周囲としては苦笑いを隠せない。
「まああちらが受け入れるかどうかはともかく、じいじには船に有象無象が近寄らないよう、警備の人員を派遣して欲しいかな」
「警備とはまた穏やかではない話だね。もう少し詳しく説明して貰えるかい?」
不穏な気配を感じ取ったらしいファーゴの要求に対し、ヨシュアは勿体つけることなく頷く。
「それはもちろん。俺の目的を達成するほかに、責任ある立場のじいじは知っておくべきだろうと判断したからこうして話しているんだから。さっきも言ったけど生き残りが二人だけってことは、遺体だけじゃなくて死亡原因になった病原菌やなんかも、船の中には残されているってことだよね? でも世の中にはそんなことすらわからないくせに、欲の皮だけは突っ張った人間が多いから、こっそり船に侵入して金目のものを漁ろうとする奴が現れないとも限らない訳」
「確かに」
彼の言葉を否定できる者はこの場に誰一人としておらず、むしろ全員が異口同音に首肯してしまったものである。
「なにか盗み出されて相手との関係が悪化するのも困るんだけど、なによりも船から別の大陸の危険物や病原菌を持ち出されて、それを検疫なしで都市内に持ち込まれるのが一番困るよね? 一体何百何千人が死ぬかわかったもんじゃないし」
まるで世間話かのようなヨシュアの口調とは裏腹に、彼の口から告げられた絶望的な未来の予見は、ファーゴの顔を青ざめさせるのに充分過ぎる説得力があった。
そのなにやら尋常でない様子を察し、周囲で寛いでいた者達もなにごとかと顔を向け始める。
「……ああそうか、正式な貿易取引と違って検疫を求めることも……」
「そうだね。難しいと思うよ? そもそもこの大陸に、魔大陸の言葉を話せる人間っているの?」
そちらの問題もあったかと、ファーゴは頭を抱えたくなった。
「……ん? いや、まてよ? じゃあヨシュア君はどうやって彼らを利用するつもりなんだい?」
「え? 俺は普通に交渉するよ? そちらが俺の要求を飲むなら、生きて生まれ故郷に帰してやっても良いって」
それは要求ではなく脅迫では? とその場にいる誰もが思ったが、ほかに気になることがあったせいで突っ込まれることなくスルーされる。
「どうやってそれを相手に伝えるんだい? 向こうはこの大陸の言葉がわからないのでは?」
「……ああ、なにか話が通じてないような気がしたけど、そういう勘違いか。あのね、昔の話過ぎて忘れてるみたいだけど、俺は意思のある存在であれば、誰とでも意思疎通ができるよ。自分が魔法使いだって教えた時に言わなかったっけ? 種族が違っても、俺が話したいと思う相手に話しかければ、俺の口からはその相手に通じる言葉が出てくるし、文字でのやり取りがしたいと思えば、その言語の読み書きができるようになる。たとえそれが世界相手であろうと、ってね。じゃあもしドワーフに話しかけた時、俺の口から出てくる言葉は何語だと思う?」
まるでクイズゲームでもしているかのような孫に、祖父は戸惑いつつも答えた。
「ドワーフ語かい?」
「はい正解。というわけで、俺が意思疎通をしたいと思いながら話しかければ、それは相手の使う言葉になるから、理論上俺が意思疎通できない相手はいないってことだね」
理論上という言葉をつけたのは、言葉が通じても話が通じない相手もいないとは限らないからであろう。
とはいえ、違う大陸の人間と意思疎通ができる者が、身内にいたこと自体は不幸中の幸いであった。
ただその相手は世のため人のために働く気など毛頭ないヨシュアなので、通訳を頼む際には、なんらかの利益をちらつかせて協力を仰ぐ必要はあるだろうが。
こうしてファーゴはルプスルグ族から人員を派遣し、船に不埒者を近づかせないようにしなければ、自らの勢力圏で大量の死者が出かねないことを知ったのである。
「え? なにヨシュア? じゃあお父様は明日私のコレクションに来られないかも知れないってこと?」
そう声を上げたのは近くでモルガンやリリアと話していたミシェルだった。
というのも、明日は本人も言っている通り、彼女が今までデザインして来た服や帽子の代表作を集めて、ミシェルコレクションと銘打ったファッションショーが行われる予定なのである。
まあこのファッションショーの概念も、当然ながらヨシュアの持ち込んだものであって、面倒な準備に奔走しながらも、彼女が心待ちにしてきた晴れの舞台であった。
ところが今まで心配をかけてきた両親に、その舞台を見せて安心させたいと思っているのに、息子が持ち込んできた話によって、その予定が狂いかねないとなれば、それは不満の一つも言いたくなるかもしれない。
しかし問われたヨシュアの返事はにべもなかった。
「さあ? ルプスルグ族の手配が早く済めば行けるだろうけど、間に合わなければ行けないんじゃないの? 手配した経験のない俺にわかる訳ないだろうに」
「むう」
お世辞にも優しいとは言えない息子の対応に、ますます機嫌を損ねた顔になるミシェルだったが、成人した時働けと言われてから、遠慮しなくなったヨシュアが気を遣うことはない。
「別に俺が病気になる訳じゃないし、アルクスで何人死のうが知ったことじゃないけど、家としては困るかもしれないからわざわざ教えてやったのに、自分の思い通りにならないからって文句を言われる筋合いはないね」
なにしろ彼の言い分は紛れもなく正論であり、ヨシュアに機嫌を損ねられ、もうなにも教えないなどと言われて困るのは自分達である。
孫に言い負かされて膨れっ面になる娘を、開催時刻までにはなんとか間に合わせるようにするからと宥める祖父母に尻目に、ヨシュアは欠伸を噛み殺しながら、
「じゃあ俺そろそろ風呂入って寝るから。おやすみ」
とだけ言って部屋を出て行ったのだった。
今回の被害担当:ミシェル。 楽しみにしていた晴れの舞台に父親が来れなくなるかもしれない事態になり、その情報を齎した息子に八つ当たりして正論パンチで殴られる。
ミシェル「……ぐすん」
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