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2-7 「春雨」





「これは一体どういう事だ!?」


 そうファーゴがめずらしく声をあらげたのも、無理もない事であった。


 店舗てんぽの裏庭に張られた、曲馬団サーカスを思わせるような広い天幕テントの中には、無数むすうしゅぞく奴隷どれいたち大勢おおぜい、手足の何処どこかを欠損けっそんしていたり、腹部ふくぶ顔面がんめんなどを鋭利えいり刃物はものけもの歯牙しがで切りかれていたり、背中に大火傷おおやけどを負っていたりといった見るも無惨むざんな姿で、地面に直接ちょくせつかれたわらの上に、打ちてられたマネキンのようにころがっていたのだから。


 中には半死はんし半生はんしょうどころか、いまだにいきがある事が不思議ふしぎなくらいの、むしいきとしか表現ひょうげんのしようのない者も多く、傷口や顔にたか蛆虫うじむしはえを追う気力きりょくすらないような有様ありさまで、密閉みっぺいされたテントの中には、患部かんぶに巻いた布ににじむ血や、様々(さまざま)要素ようそじった、生々(なまなま)しいにおいが立ち込めていた。


 それはさながら、これから多種たしゅ多様たよう死亡しぼう原因げんいんで命を落とす者達を集めた、悪趣味あくしゅみ見本市みほんいちのようでもあり、興味きょうみ本位ほんいで同行してきた女性達の顔色を、みるみるうちに蒼褪あおざめさせるには、充分じゅうぶん光景こうけいだったのである。


 ファーゴですら血相けっそうを変えるこの状況じょうきょうにあってなお、表情一つ変える事のないヨシュアの姿は、他の者達には一種いっしゅ異様いようにすらうつったかもしれない。


 だがどのような状況下であろうと、つね冷静れいせいな者が一人居るだけで、周囲しゅういもある程度ていどの落ち着きを取りもどせる事は確かであった。


「ねえ、じいじ。少しだまっていてくれない? ここに案内あんないするように言ったのは僕なのに、じいじが口をはさんできたら、何時いつまでっても話が先に進まないでしょう?」


「ぐっ!? そ、そうだね? わかったよ、ヨシュア君。……ただしエイベル、お前には後でしっかりと事情じじょうを聞かせて貰うからな?」


「……ええ、兄者。わかっておりますよ」


 アングラサイトへのリンクをうっかり踏んでしまった経験けいけんから、こういった光景には耐性たいせいのある孫に、話が進まないから、自分の邪魔をするくらいなら黙っていろ、と冷静れいせい声音こわねしかられた祖父は、意気いき消沈しょうちんして退さがりながらも、弟分にくぎす事だけは忘れなかった。


 言われたエイベルも完全に覚悟かくごが決まっているらしく、落ち着いた態度たいど返答へんとうする。


「あ……」


 女子供でなくても刺激しげきが強いであろう光景を前に、知らず知らずのうちに力を込めていたらしい、繋いだ手をやんわりとほどかれて、エレミアが申し訳なさそうな、それでいて心細こころぼそそうな声を上げた。


 そんな彼女に、安心させるような、なだめるような笑みを向けてから、ヨシュアは奴隷達の方へとあるき出す。


 無造作むぞうさに、それでいて誰もみつける事なくあゆみを進める少年が、ふと足を止めた。


 しばし目を閉じてマップを確認し、今度は迷う事なく三歩進む。


 そこに居たのは、十代前半から後半くらいの年齢に見える、少女達の姿。


 近づいてくるローブをまとった少年に気づき、緩慢かんまん動作どうさ精気せいきを失った顔を上げた者も居れば、ととのった顔の左半分を獣の爪のようなものでえぐられ、横たわったまま動けない者も居たり、と返ってくる反応はんのうは様々であった。


 それらの死にかけた少女達をしばらく見つめてから、少年は再度さいどまぶたせる。


 今度は世界ムンドゥス人別帳・プロファイルで顔や名前、性格などを確認したらしいヨシュアは、ゆっくりと口を開いた。


「一度しか言わないから良く聞け。もしお前達が、僕に身も心も、魂すらささげてつかえる事をちかうのなら、その苦しみからすぐにでも解放かいほうしてやる。お前達をそんな目にわせた、この世界の不条理ふじょうり抵抗ていこうする意思いしがあるのならうなずけ。だがもし生きるのがつらい。このまま死にたい、と思うなら首を横に振れ。望み通り、このまま死なせてやる」


 一体何をするつもりなのか、と固唾かたずんで見守みまもる同行者達の耳にも、その声は届いていた。


 とても十歳の少年の口から出たとは思えない、選択肢せんたくしなど最初さいしょからないような相手の弱みにつけ込む、冷酷れいこくさと非情ひじょうさを感じさせながらも、それでいて耳をかたむけずにはいられないほど甘美かんび魅力みりょくてきな声が。


 そしてそれは声を掛けられた当事者とうじしゃ達にとっても同様どうようであったらしい。


「あ……ぁう、うぁ……あ」


 その証拠しょうこに、顔に重症じゅうしょうを負って横たわったままの、四名中(よんめいちゅう)一番いちばんおさな猫人キャット・ピープルの少女が、れた口を懸命けんめいに動かし、何事か答えようとする。


 それを押しとどめるように手をかざすと、少年は家族や近しい者に対する時とは違う、命令めいれい口調くちょうげた。


「話せないのなら、無理に口を開く必要はない。返事は首をたてか横か、どちらかに振るだけで良いと言ったはずだ。こちらが知りたいのは今からする質問の答えだ。今までとは違う人間を主人とあおぎ、奴隷を続けてまで生きびたいか? それともこのまま死にたいか?」


「あっ……」


 ヨシュアの邪魔をしないよう、息を殺して見守っていた同行者のうちの誰かが思わず安堵あんどの声をらしたのは、四人共に最初の質問には首を縦に振り、次の質問には首を横に振ったからだろう。


 そう、彼女達は全員がみずからをおそった運命にあらがい、生き続ける事を望んだのである。


 うなず動作どうさ自体じたい契約けいやく承諾しょうだく見做みなされたのか、彼女達の細い首に黄金こがね色の首輪があらわれ、自己じこ主張しゅちょうするかのようにほんの一瞬いっしゅんだけかがやきをはなつと、皮膚ひふの下へと吸い込まれるように消えて行く。


 その光景をもくしたまま見届みとどけたヨシュアは、一呼吸ひとこきゅう置いてから口を開いた。


「良いだろう。ここに契約はむすばれた。ならば次はこちらが約束を果たす番だな」


 言ってやおら天をあおぎ、少年は誰にともなくげる。


「【女神の涙(デア・ラクリマ)】」


 ――かんはつれず、にわかに雨が降り始めた。


 ――そう、テントの中に。


「えっ!?」


 異口いく同音どうおんに上がる、当然の反応(驚愕の声)など御構おかまいなしに、ぽつぽつと当たる程度であった雨脚あまあし次第しだいに強まり、やがては弱雨じゃくうへと落ち着く。


 避難ひなんするいとますらなく、全員が例外れいがいなく雨に濡れ、非日常ひにちじょうの光景に呆然ぼうぜんとしているところに、それは起こった。


 ある奴隷の、痛々(いたいた)しく焼けただれた背中の皮膚ひふが、べろりとけ落ちたのである。


「ひっ……えっ?」


 その下からのぞく、血塗ちまみれのきん組織そしき


 そんな見る者の想像を裏切うらぎり、まるでからを剥いたゆで卵のような、白くつるりとした肌があらわれた。


 刃物や獣の歯牙によって(えぐ)られた傷口きずぐちさえ、ぼこぼこと泡立ち増殖ぞうしょくした細胞さいぼうまたた癒着ゆちゃくし、再生して傷跡一つ残さない。


 それだけでも十二分じゅうにぶん驚倒きょうとうあたいするというのに、真にきわめつけの出来事できごとは、次の瞬間に起きた。


「「「――なっ!?」」」


 馬や山羊やぎ出産しゅっさんを思わせる光景。


 そうのちに祖父がかたったとおり、羊水ようすいのようなぬるぬるとした粘液ねんえきおおわれた四肢が、まるで産道さんどうから産み落とされる胎児たいじのように、欠損部からずぼりと音を立ててえてきたのである。


 これらの現象げんしょうが、三分にもたぬ短時間のうちに目紛めまぐるしく起きて、人々を濡らしたぬるま湯のようなやさしい春の雨は、何事もなかったかのように地面に吸い込まれて消えて行く。


「――っ!」


 と、そこで突然とつぜん強風きょうふういて、しっかりと張られていた筈の天幕を吹き飛ばし、まるで悪戯いたずらでもするかのように、ヨシュアのフードさえもき上げて行った。


 そしてし込む陽光ようこうが、濡れた着衣ちゃくいふく水分すいぶんをあっという間に蒸発じょうはつさせて、その場に雨が降った痕跡こんせきさえ、完全に消し去ってしまったのである。


 いや、確かに雨は降ったのだ。


 全てをやす奇跡きせきの雨が。


 その証拠に、ほんの数分前までは死を待つばかりであった傷病者しょうびょうしゃの姿など、ここには最早もはや一人たりとも存在しないではないか。


 火傷に裂傷れっしょうやまいも部位の欠損さえも、まるで一時いっときの悪い夢であったかのように消え去って、五体満足ごたいまんぞくな姿を取り戻した奴隷達は、自分の身に何が起こったのかわからずに、はとまめでっぽうを食ったような表情でその身を起こし、呆けたように周囲を見回すばかり。


 だが、それもほんのわずかな間だけの事。


 たとえ我が身に何が起こったのかはわからずとも、近くで自分と同じく半死半生だった同胞どうほう達が、まるでつい先程までの弱々(よわよわ)しい姿が嘘であったかのように、元気に起き上がり、きょろきょろ周りを見回しているのである。


 じわじわと込み上げてきた感情は、あっという間に爆発ばくはつして、仲間達の喜びは自分の喜びであるとばかりに、連鎖的れんさてきに広がって行った。


なおった? 治った! でかい魔物のつめさばかれた筈の俺の腹の傷が、あっという間に塞がっちまったぞ!」


「私の肺の病もよ! 少し前までは、呼吸をするたびに苦しかったのに、もう苦しくない!」


「背中の火傷が……痛くない?」


「何言ってんだ坊主ぼうず? ……ああ、背中だから見えねえのか? 痛くねえのなんて当たり前じゃねえか。だって火傷なんて、もう何処にもねえんだから。ほら、さわってみろよ。大丈夫だって、痛くねえから。……な?」


「……ねえ? おばさん。なくなった筈の私の足があるわ。これは夢なの?」


「夢じゃないよ! たった今、目の前でえてきたんだよ! 言ってて自分でも何を言ってるのか、意味がわからないけど、本当の事なんだ。ああ……でも良かった。集落しゅうらくで一番の駿足しゅんそくと言われてたあんたが、自慢じまんの足を失った時の落ち込みようといったら、見ていられたもんじゃなかったよ。……本当に良かったねえ?」


 涙を流しながら抱き合い、歓喜かんきに打ちふるえる姿は、他人事ひとごととはいえ見る者に感銘かんめいあたえるにる光景であった。


 一頻ひとしきり喜びをわかちあった彼らの視線は、いで一斉いっせい一ヶ所(いっかしょ)へとしゅうちゅうする。


 そう、たった一言ひとことでこの人智じんちえた奇跡きせきび起こし、今は透徹とうてつした眼差まなざしで自分達を見つめる、ヨシュアの元に。


 誰からもこうすべきではないのか? などとというたぐいの声は上がらなかった。


 だというのに、彼らは全員が老若ろうにゃく男女なんにょ区別くべつなく、一様いちように同じ行動をとったのである。


 すなわちち彼をかこむとひざまずき、こうべれたのだ。


 まばゆ日差ひざしを銀の髪が反射はんしゃして、天使てんしごとかがやきをかべる。


 そのとても子供とは思えぬような深い見識けんしきたたえた金の双眸そうぼうで、跪く奴隷達を見下ろすヨシュアの姿は、神々(こうごう)しささえともなった。


「おお……おお! なんととうといい……」


 かんえない、とでもいうかのように、大商会の会頭かいとうとその娘、ヨシュアのすすめで買われたばかりの奴隷までもが、異種族の奴隷達に倣う。


 ――フードを上げた白いローブ姿の少年に、数多あまたの種族が跪く。


 ――それはさながら、神の御子みこによる奇跡をえがいた、一幅いっぷく宗教画しゅうきょうがのよう。


 保護者達が跪かなかった理由は、自分達はヨシュアのしんぽうしゃではなく、しゃであるというによるものであったに違いない。


 もしそれがなければ、ファーゴやエレミアなどは、真っ先に膝を折っていた可能性も否定できないだろう。


 そして跪きこそしなかったものの、彼らも全身の産毛うぶげ逆立さかだつような、鳥肌とりはだが立つような心地ここちを味わった事に変わりはなかったのである。


 それは奴隷をペットとして購入するなどと言い出したヨシュアに対する、ネガティブなイメージを払拭ふっしょくしてなおあまりある程の感動であり、むしろそのネガティブなイメージこそが、逆にギャップとして彼に対する評価をね上げるやくわりを果たしたと言って良かった。


 要するに、少年が奴隷をペットとして購入すると言い出した事も、他種族の奴隷の存在を隠そうとしたエイベルに、王室御用達という特権を取り上げるとおどした事さえもが、全ては死にひんしていた奴隷達を救うための行動であり、素直にそうとは言い出せないれ屋のヨシュアが、照れ隠しに悪ぶって見せていただけなのだと、好意的に受け止められたのである。


 事実彼らの命は救われて、あのままでは大量の遺体を片づける羽目になっていたであろう、商会関係者達の悩みの種まで一挙(いっきょ)に解決してしまっている以上、一概いちがいに違うとも言い切れないところがまた始末しまつに負えなかった。


 自分に向かって跪く奴隷達を見下ろしていた、少年が口を開いたのはその時である。


「何をかんちがいしているのかは知らないが、お前達が助かったのは単に運が良かっただけに過ぎない。どうも俺が魔術か何かで奇跡を起こして、お前達を救ったとでも思っているようだが、それは大きな間違いだ。俺は自分が最初に声を掛けた奴らを癒して貰うために女神様に祈っただけなのに、その結果女神様がその祈りにこたえてお前達まで救ったからといって、俺に感謝するのは筋違すじちがいだとは思わないか? お前達が感謝すべきなのは俺じゃなくて女神様だろう? わかったら道を開けろ。通れない」


 その突き放すような物言いに、奴隷達は素直に従って道を開けたが、それは別にヨシュアの言い分を認めたからという訳ではなかった。


 単に彼の通り道をふさいでしまっている事に気づいたからそうしたのであって、彼らのヨシュアに対する感謝の念は、いささかも揺らいでなどいなかったのである。


 その証拠に、奴隷達の中で最も年嵩としかさ犬人族けんじんぞくの男が、代表して静かに口を開いた。


「それは違います。確かに我らが助かったのは、女神様の起こされた奇跡によるものかもしれませんし、勿論女神様にも感謝しております。しかしその切っ掛けを作ったのは、まぎれもなくあなた様の祈りだ。たとえそれが、我ら全員を癒すための祈りでなかったとしても、何処かに我らに対するあわれみの気持ちがなければ、このような奇跡が起こる筈もありません。あなた様のお陰で、我ら全員が助かったのです。ありがとうございます。このご恩は死ぬまで……いえ、死んでも忘れません」


 再度深々(ふかぶか)こうべれる男にならい、全員が頭を下げるのを見て、これ以上は言っても無駄だと思ったのか、男の声に足を止めていた少年は、一つため息をついてから保護者達のもとへと向かう。


 そして立ち上がって自分を出迎えた、エイベルとジェシカに向かって言った。


「約束通り、二人の悩みは解決してあげたよ? どう? これなら売り物でなくても、数人くらいはゆずって貰っても良いんじゃない? ……まあ、もう奴隷契約は済んじゃってるし、事後じご報告ほうこくでしかないんだけど」


「本当にありがとうございます、末弟様。お陰様で悩みが晴れて、心が軽くなりました。事後報告だなどと、とんでもない事です。勿論お好きなだけお連れいただいて構いません」


「ありがとうございます」


 二人共何の文句もありはしないとでもいうかのように、ヨシュアに向けられた視線には感謝の念しか浮かんでいない。


 商会の敷地しきち内で人死にを出さずに済んで、心の底からほっとしている様子である。


「とりあえず、喫緊きっきんの問題は解決したという事で良いのかな? ならばヨシュア君、そろそろじいじの疑問を解消させて貰っても良いかい?」


 そう声を掛けてくる祖父の声に、孫も今度は頷いて了承りょうしょうした。


「うん、良いよ。待たせてごめんね? じいじ。それじゃあじいじが知りたいであろう、どうして他の種族との融和ゆうわを大事にして、その相手を奴隷にするなんてもってのほかだと思っているじいじの弟分が、こうして死にかけた異種族の奴隷達を、自分の敷地内に隠しておかなければならなかったのか。それを本人の口から聞いてみようか?」


 こうしてついに、エイベルがファーゴにまで隠そうとしていた秘密が、つまびらかにされる瞬間がおとずれたのである。





 自ら動ける程の健康状態に戻ったのであれば、わざわざ裏庭などに置いておく必要もないという事で、奴隷達は食事や着替えを与えてから、商会内にある空いたスペースで休ませていた。


 怪我や病気が治ったとはいえ、今まで半死半生の状態であった事は確かだったので、大事を取らせた形である。


 その間にエルダーヴィード家の一行は再び応接室へと戻り、エイベルからくわしい事情を聞いてから、奴隷達の処遇しょぐうを決めようという事になったのだ。


 こうして始まったエイベルの事情説明だったが、それは要約すれば、エルダーヴィード家の敵の話であったと言えよう。


 この大陸を陰で支配していると言っても過言かごんではないファーゴであるが、支配の確立かくりついたるまでには、お世辞せじにもスマートとは言えないような強硬きょうこうさくさなかったため、表立おもてだっては口に出せずとも、内心では憎悪を燃やしている者達は数え切れない。


 そういったファーゴにふくところがある者達が、意趣いしゅがえしとして、彼が取引相手として大事にしている亜人種の奴隷達を、死ぬ寸前までいたり痛めつけたり、劣悪れつあくな環境に置いて病気にさせたりしたのであった。


 あまつさえそんな奴隷達を、ファーゴといううしだてがあるとはいえ、立場の弱い商人であるエイベルに押し付けたと言うのである。


 最初は、とある貴族の家紋付きの馬車に乗った者達が商会を訪れて、王室御用達の商品を多数購入させろと要求してきたらしい。


 当然エイベルは、ただでさえ数に限りのある商品故、いくら貴族様とはいえ、このようなよこがみやぶりな真似まねをされては困る、と断ったと言う。


 結局はさんざん悪態あくたいをついて去って行ったのだが、今になって考えてみると、この行動自体がすでに相手にとっては予定よてい調和ちょうわのうちだったようにも思える、と彼は語った。


 つまりは最初から断られる事を前提ぜんていとした無理むり難題なんだいを押しつけ、予定通りに断らせた上で、一度相手の要求を無碍むげにしたというを感じさせて、次の要求を断りにくくさせる狙いだったのではないかと言うのである。


 そしてエイベル親子の予定を調べ上げ、二人が不在の時を狙って再び商会を訪れると、貴族家の人間相手に強く出られない部下をおどしつけ、一度相手の要求を断ったという負い目さえも利用して、本命の狙いである、大勢おおぜいの助かる見込みのない亜人奴隷達を引き取らせる事に成功したのであった。


 エイベル親子が事態を把握した時には既に手遅れで、いつ死んでもおかしくないような異種族の奴隷達を、無益むえきとは知りながらもさりとて放置ほうちする訳にもいかず、食事や薬を与えて、少しでも長く生きられるように手を尽くすよりほかなかったらしい。


 つまるところエイベルがファーゴにさえ彼らの事を秘密にしていたのは、この一件がどう考えてもファーゴに対する憎悪にたんはっするものであり、エイベル達はそれに巻き込まれただけであると知れば、身内には甘いところのある兄貴分は、きっと自分を責めるだろうと思ったからだったのである。


 奴隷達には悪いとは思ったが、どう考えても手のほどこしようがない状態だった事もあって、可能な限りの延命えんめい措置そちはするが、最終的にはそのまま自分達が看取みとるつもりでいたのだと、親子は語った。


 そのような経緯けいいで引き取らざるを得なかった奴隷達であり、正規せいきの仕入れ手続きをんだものではなかったために、正式な取り扱い商品だとは認識しておらず、ヨシュアに見せるつもりもなかったのだと。


 話を聞いて何も言えなくなってしまった父親を見ていたミシェルが、不思議そうな表情を浮かべて尋ねる。


「お話はわかりましたけど、さっきからとある貴族とおっしゃるばかりで、具体ぐたいてきなお名前が一切いっさい出てこないのですが、一体どの家の方の事なのでしょう?」


「……申し訳ございません。それは申し上げる事ができないのです」


「……え?」


 まさか返答を拒否されるとは思わなかったのか、呆気にとられる母に、ヨシュアは消沈しょうちんしている祖父に代わって説明するべく口を開く。


「あのね? お母さん。僕も前に女神様に教えて貰ったんだけど、商売をする上で最も大切なものは信用なんだって。もしお母さんが、他の人に知られたくない物を買ったとして、それを買ったお店の人が、お母さんの名前や何をいくつ買ったのかを、他の人に面白おもしろ可笑おかしく言いふらしたとしたら、お母さんは次からそのお店の事を信用できるかな?」


「それは……できないでしょうね」


「そうだよね? たとえどんな相手でも、自分達が望む物じゃなかったとしても、商会の人間が奴隷達を引き取ってしまった時点じてんで、残念ながら取引は成立しちゃってるんだよ。だからもし、その取引相手の名前を誰かにらした事が知られてしまえば、エイベルは商人としての信用を失う事になって、この商会も大きな損害そんがいを受けちゃうんだ。それでエイベルは、たとえ相手がじいじであっても、取引相手の名前を口にする事ができないんだよ」


「そうだったの。……ごめんなさいエイベルさん、知らなかったとはいえ、答え難い質問をしてしまいましたね」


「いえ、とんでもない事でございます。どうかお気になさらないでください。……末弟様もおづかいをいただきましてありがとうございます」


 少年は一つ頷き、まだ落ち込んでいるらしい祖父に向かって言った。


「じいじもいつまで落ち込んでるの? 知りたがっていた事情は聞けたし、二人の悩みの種だった奴隷達だって、結果的には誰も死んでないんだよ? 相手の名前がわからない事は残念だけど、その目論見もくろみ自体は完全にはずれさせる事に成功したっていうのに、一体何が不満なの?」


「ああ……そうか、そうだったね? ヨシュア君が女神様にお祈りしてくれたお陰で、こちらに嫌がらせしようとした相手のたくらみはついえたんだった。誰の仕業しわざかは知らないが、今後二度とこのような事が起きないように、こちらもしっかりと対策たいさくれば良いだけの話だね?」


 溺愛できあいする孫の言葉にはっとなり、このまま落ち込み続けたのでは、奇跡を起こして奴隷達の命を救った、ヨシュアの行いにまでケチをつける事にもなりかねないと気づいたのか、ファーゴはうつむいていた顔を上げて、気を取り直すように 破顔はがんする。


「それよりも、あの奴隷達の事だよ。正式な手順を踏んでの仕入れじゃなかったから、この商会の奴隷として扱ってないって言ってたけど、こうして生き残った以上は、そうもいかないんじゃないの?」


 こうして、自分も関与かんよしてしまった以上は、知らないふりもできないというヨシュアの言葉に従う形で、本人達もまじえてその処遇を決める事になったのだった。





 ところが、この議論が予想外に紛糾ふんきゅうする事になってしまったのは、ヨシュアにとって予想外だったと言えよう。


 エイベルは自分が所有者という事にはなっているが、金銭を払って手に入れた商品ではない以上、本人達の意思を優先して、場合によっては奴隷の身分から開放しても良いとさえ思っていたらしいのだが、彼らは全員が奴隷の身分のまま、ヨシュアに仕えたいと主張してゆずらなかったのだ。


 理由は言わずもがな、命を救われた恩返しのためである。


 亜人達はどうも恨みは死ぬまで忘れないが、恩も死ぬまで忘れないという者達ばかりらしく、しかもその事を誇りにすら思っているふしさえあって、ヨシュアに助けられた恩を返すまでは、死んでも死にきれないと言い張ってはばからなかったのだ。


 これにはさすがのヨシュアも困り果ててしまった。


 彼の暮らす別荘の離れの部屋にも限りがあり、直接奴隷契約を結んだ少女達だけならともかく、全員が暮らすスペースなど到底とうていある筈もなかったし、さらに言えばまだ十歳の少年に、彼ら全員をやしなう経済力などある筈もなかったからである。


 とはいえ自分をしたい、仕えさせて欲しいと真摯しんしうったえてくる彼らに冷たくできる程、少年は非情にはてっしきれなかったのだ。


 珍しく本当に困っている事がわかる、ヨシュアの年相応としそうおうな表情に、悪いとは思いつつも大人達は笑みを隠す事ができない。


 と、そこでこの孫には甘いファーゴが、好々爺(こうこうや)の笑みを浮かべながら提案する。


 ルプスルグ族のために用意した土地がまだ余っているので、彼らにはそこで生活して貰い、同時に人間の世界の常識や様々な技能を習得させて、いずれはヨシュアのために働いて貰えば良いのではないかと。


 当然その間必要になる費用は、全て自分が持つので安心しろとそう言い切ったのである。


 そのような事をすれば一体いくらかかるかわかったものではない、とモルガンが反対したが、ファーゴはがんとして聞き入れない。


「彼らはヨシュア君に命を救われた恩を返すためなら、それこそ自分達の命を懸ける事すらいとわないだろう。そのような人材は、欲しいと思って手に入るようなものではない。忠誠心というものは、金で買おうと思っても買えるものではないのだ。私は彼らをやしなうのにかかる金よりも、彼らというヨシュア君の味方を失う事の方をこそしむ」


 そう言って譲らない夫に、これが自分達からヨシュアへおくる、今年の誕生日プレゼントだとまで言われてしまえば、しもの彼女も折れるしかなかったのである。


 こうしてヨシュアは、自ら選んだ四名の奴隷の他に、三十さんじゅう余名よめいの忠誠心溢れる奴隷達を、将来の配下はいかとして得る事になったのだった。

 今回の被害担当:女神様。 主人公にこき使われる。


女神様「ううっ、ヨシュアに泣かされた」


ミシェル「申し訳ありません、女神様。もう、駄目でしょ? ヨシュア。これからは女神様を泣かせないようにしなさい」


ヨシュア「わかったよ。あーあ、【女神の涙】って、怪我や病気だけじゃなくて、肉体疲労や精神疲労も治る上に、髪に栄養を与えたり、アンチエイジングやデトックスの効果もあるから、美容にも良くて便利なのにな。他の方法探さなきゃいけないのか……」


ミシェル「え? ……ヨシュア? これからはなるべく女神様を泣かせないようにしなさい?」


女神様「おい」


 今回もお読み頂きありがとうございました。次回もお読み頂けますと、作者が喜びます。

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