2-3 「ソルト」
お疲れ様です。書き上がったので投稿させて頂きます。
◇
「そういえばヨシュアちゃん? 少し聞きたい事があるのだけれど、今お話しても大丈夫かしら?」
そうモルガンがヨシュアに声を掛けたのは、ミシェルとファーゴの対局中であり、それ以外の三名は手持ち無沙汰な状態で、ヨシュアが珍しく【ネット】もせずに、窓から外の景色を眺めていた時の事であった。
一日中スキルを行使し、瞼を閉ざし続ける事もまた、目を酷使するのと同じように、視力に悪影響を与えそうな気がして、ヨシュアはある程度のスパンで休憩時間を設け、遠くの景色を眺めたり、眼球の体操を行うように心掛けていたのである。
そのようなタイミングであったためか、ネットを邪魔した時とは違い、特に不機嫌そうな様子を見せる事もなく、彼は祖母の声に反応して、その視線を車内へと戻した。
「……僕に聞きたい事?」
「ええ。ヨシュアちゃんはここ最近、じいじにお願いして食べ物や木材なんかを、結構な量買い集めているみたいだけれど、そのお金の出処と、何のために買っているのかを、良ければばあばにも教えては貰えないかと思って。ヨシュアちゃんの事だから、きっと何か考えがあっての事だろうとは思うのだけれど、十歳の子供がそれなりの金額を注ぎ込んでいる目的を、まわりの大人が誰一人として把握していないというのは、さすがに保護者として問題があるのではないかしら?」
どうやらヨシュアが近頃祖父に依頼して、様々な物資を買い漁っている事が、遂に祖母の耳にまで届いたようだ。
まあ、この件に関してなんら後ろめたいところのないヨシュアは、関係者に対する口止めなども行っておらず、いずれモルガンの耳に入るであろう事は想定の範囲内であったためか、祖母からの質問にも特に慌てた様子も見せず、泰然とした態度を崩す事もなかった。
ファーゴとエレミアはヨシュアのイエスマンに近く、ミシェルに至っては基本的には放任主義のくせに、興味をそそられれば自らも混ざり、一緒になって遊び出す始末。
せめて自分だけでもしっかりしなくては、という想いが強いのだろう。
こういった皆が内心疑問に思いつつも口には出せずにいる事柄を、面と向かってヨシュアに問い質す役割は、大抵の場合モルガンが担ってきたと言って良かった。
とはいえ、ヨシュアがそんな責任感の強い祖母を疎んじているかと言えば、別段そのような事もない。
たまに鬱陶しく思わないと言えば嘘になるが、彼の不興を買う事を恐れるあまり、内心の疑問や不満を圧し殺し、唯々諾々と従う者しか居ない状況よりは、こうして真っ向から疑問を呈してくれる存在が居た方が、自分の言動が周囲にどう思われているのかを理解し易く、遥かに健全な状態である事は確かだろう。
成人するまでの時間を、地歩固めや事前準備のための期間、と割り切っている彼にとって、保護者達の自分に対する心証といったものも、未だに無視する事のできない、切実な問題なのであった。
そういった理由から、どうしても譲る事のできない部分を除いては、年相応の可愛い子供という猫を被り、無用な疑念や軋轢を生む事は避けたい、というのがヨシュアの本音なのである。
それがモルガンからの質問のお陰で、自らが見落としていた説明不足な点に気づける上に、その疑問に答える事で周囲の疑念を晴らし、彼らの理解を得易くなるのだとすれば、鬱陶しいどころか、むしろ渡りに船である、と彼女に感謝すべきだろう。
つまりヨシュアにとっての祖母とは、客観的な立場から忌憚のない意見をくれる、中々に得難い存在なのであった。
「……ああ、そうだね。ちょうど皆揃っている事だし、今この場で説明を済ませておけば、二度手間にならずに済むかな? わかった、教えてあげる。あれはね? 僕が今までに貯めたアイデア料で、不測の事態に備えて、今の内から物資を集め始めているんだよ」
「不測の事態に備えての物資を……今の内から? どうしてそんな事を?」
「どうして? そんなの、そうしておいた方が安心だからに決まってるでしょう?」
「そうしておいた方が安心? その不測の事態が、この先何時起きるかもわからないのに?」
説明を受けてもなお、孫の考えを理解する事ができず、モルガンはますます訝し気な様子を見せる。
異世界であろうとこれくらいの文明発展度では、基本的にはその日暮らしが精一杯で、余程裕福でもない限り、将来を見据えての貯蓄など、している余裕はないのだろう。
一般的に見て銀行とは、金を預ける場所ではなく、金に困った際に借り受けに行くための場所なのだから。
ヨシュアはあまりにも違う自身の感覚との乖離に、ため息を禁じ得なかった。
「……あのねえ、ばあば。何時起きるかもわからないからこそ、何時何が起きても大丈夫なように、今から準備しておくべきなんでしょう? あの時お金を貰って貯めておこうと思ったのは、そうするしかないと思ったからだけど、それからすぐに状況が変わったんだよ」
「……どう変わったのかしら?」
「ばあばも知っての通り、プレゼントに延べ棒を貰う約束をしたその日の内に、【強欲の蔵】を手に入れたでしょう?」
「ああ! あの便利な魔法の倉庫の事ね?」
「そう、それ。人が貯蓄をする動機にも色々あると思うけど、中でもやっぱり、不測の事態に備えて、っていうのが一番多いんじゃないかな?」
「そうねえ? そうかもしれないわ」
「じゃあなんでお金を貯めるのかって言うと、貨幣が大抵の場所で通用する概念だからだよね?」
「が、概念?」
まるでそれが一般常識だとでも言うような表情で、十歳の孫の口から発せられた難解な単語に、祖母は目を白黒させながら戸惑う。
「あー、わかり難かったか。えーっと他の言い方をするなら……共通認識? お金があれば、その時に価値が同じ物と交換する事ができるっていうのは、基本的には人間の治める、どの土地に行っても通用する価値観でしょう?」
「ああ! そういう事……それは確かにそうね?」
「つまり食料を一度に、大量に買い溜めしておいたところで、時間が経つにつれて劣化して行って、いずれは腐ったりして食べられなくなっちゃうから、劣化の少ない硬貨を貯めておく事で、必要な時に必要な分だけ交換する、っていうのがある意味では常識な訳だよね?」
「ええ」
その通りだと頷く保護者達。
そう、いつの間にかリバーシをしていた二人も対局を中断し、全員がヨシュアの話に耳を傾けていたのである。
「だけど僕は中の時間が停止した、魔法のストレージを持っている。となれば、状況は変わって当然でしょう? だってそれ以外の選択肢がないならともかく、僕の場合は必ずしも貨幣の形で貯めておく必要なんてないんだから」
「それは……確かにそうかもしれないけど、貯金以外の選択肢があるからといって、どうしてまだ子供の内から、そんなに慌てて物資を買い集める必要があるの? ばあばには、そこが今一つ腑に落ちないのだけれど……何か貯金では駄目な理由でもあるのかしら?」
かつてヨシュアは、日本円換算にして一億円相当の延べ棒を欲しがる理由を、自分の保護者である祖父母亡き後の生活に、不安を抱いているからだと説明したし、それは嘘偽りのない本心であった。
結果としてその望みは叶えられた上、この七年間自分達は一度も身の危険など感じる事なく、無事に過ごせていると思っているモルガンには、孫の言う不測の事態など、遥か遠い未来に起きるかもしれないし、起きないかもしれないといった程度の、不確実な可能性に過ぎないようにしか思えなかったのである。
そんな彼女にとって、まるで大災害が起きた直後に、慌てて物資の買い占めに走る日本人のようなヨシュアの姿は、理由に全く心当たりのないモルガンにしてみれば、突如浪費癖にでも目覚めたのではないか? と疑わしく思えるレベルの奇行であり、この孫に限ってそのような事はないだろう、とは思うものの、一抹の不安を拭いきれずに、詳しい説明を求めたかったという事のようだ。
寧ろ吝嗇漢過ぎてそのような悪癖とは無縁のヨシュアは、落ち着き払った態度のまま答えた。
「それはね? ばあば。その貯金を使う必要がある時の物価が、今と同じか今よりも低い保証なんて、どこにもないからだよ?」
「ああ!」
このヨシュアの回答には、モルガンだけでなく聞いていた全員が、異口同音に納得の声を上げる。
「飽く迄仮定の話だけど、今の物価で十年は暮らせるだけの額を貯金しておいたところで、その時の物価が今の十倍になってしまえば、その貯金で暮らせる期間なんて、精々十分の一の一年が関の山でしょう?」
「それは……ちょっとたとえが大袈裟過ぎはしないかしら?」
「そうかな? 疫病や天候不順。天災に戦争。物価が上がる原因なんて、いくらでもあると思うけど?」
「それも滅多に起きるような事じゃないと思うけど……他には何かないの?」
母からの質問に、少し考える素振りを見せた後、息子が答えた。
「他には? 誰でも思いつきそうなところだと、日照りとか? 長く雨が降らなければ、水が涸れて川が干上がっちゃうから、作物用どころか、人間の飲料水の確保さえ覚束なくなるんじゃない?」
「ああ、そっか。日照りがあったわね?」
「後は海水温や潮の流れが変われば、今までは捕れた筈の魚も死んでしまったり、違う海域に移動してしまって、捕れなくなる可能性はあるよね?」
「まあ! そのような事が?」
未だかつて聞いた事のない話に、エレミアが目を丸くする。
「滅多にある事じゃないとはいえ、絶対にないとは言い切れないと思うよ? 後は海が近い地域とは、切っても切れない塩害かな?」
「塩害? ヨシュアちゃん、それは一体どういった害なの?」
「……うーん。海とかの塩が引き起こす、人間にとって都合の悪い事全般……かなあ?」
「それはまた……随分幅広いというか、ざっくりした説明ねえ?」
呆れたような表情を浮かべる母親の突っ込みに、若干ムッとした様子で息子が答えた。
「だって本当の事だし。お母さんだって、潮風の所為で髪が傷んだり、建物や金属が劣化し易いって話を、聞いた事くらいはあるんじゃない?」
「……ああ。そう言われてみれば、聞いた事があるわ。あれが塩害なの?」
「広い意味ではね? 原因は高潮で海水が浸入したり、海水の塩分が風で運ばれたりした結果、様々な方面に悪影響を及ぼす事。特に農産物被害が甚大な所為で、農産物被害のみを指して、塩害って言うんだって誤解される事もあるらしいよ?」
他にも砂漠などの乾燥地や連作を繰り返している農地は、先程出てきた日照り――干魃――などで土壌中の塩分濃度が高まり、塩害が起きる事もあるのだが、さすがにそこまで詳しい説明は不要だろう。
「あの……坊っちゃま? その塩害が起きた場合、農産物にどのような悪影響があるのでしょうか?」
「そうだね……女神様の話では、農産物の植えられた土が、真っ白な塩に覆われるみたいだよ? 一見冬に寒いところで降る、雪のように見えなくもないらしいんだけど、実際には全部塩なんだって。目に見える部分だけでもそうなんだから、当然土に含まれる塩分の濃度も高くて、野菜とかが皆枯れちゃうらしいよ?」
「ああ、そういった話はよく聞くね。ヨシュア君は何故そうなるのかも、女神様に教えていただいたのかい?」
「えっとね……僕も難しい事は良くわからないんだけど、女神様は漬け物を作る時と同じ現象が起きる、って言ってたかな? 浸透圧っていう力の所為で、土の中よりも塩分の少ない作物の中から、大量の水分が出て行ってしまう上に、根から水や栄養を吸収する事ができなくなっちゃうんだって。作物が土から水や栄養を得られなければ、それは枯れて当然でしょう? つまり僕達の食べる野菜は、成長した状態で塩漬けになるか、成長すらできずに全滅するしかないって訳」
「つまりはそういった不測の事態に備えて、ヨシュア君は今の内から物資の貯蓄を始めた、という事なのかな?」
「そうだよ? もし食料が高騰してしまえば、いくらお金を貯めてあっても、あっという間に使い果たす羽目になって、最後は何も買えずに、栄養失調か餓死であの世行き。水が手に入らなければ、人は脱水症状を起こして死んでしまう。木材が足りなくなれば、当然薪や炭も手に入らないから、冬の寒さで凍死しかねない。生憎とお金では、そういった物資そのものの代わりにはならないからね」
次から次へと飛び出す死亡原因の数々に、お金さえあれば大丈夫、などという幻想を木っ端微塵に打ち砕かれ、大人達にも彼の抱く危機感が、徐々に伝播して行く様子が見てとれる。
「で、ではヨシュア君は、お金などいくら貯めておいたところで、極限状態では大して役に立たない、とそう言うのかね?」
「まあその状態でも、一定数金銭に固執する人間がいれば、ある程度は物資との交換も可能かもしれないけど、お金は食べても栄養にならないし、飲んでも喉の渇きは癒せない。火に焚べたところで、暖をとる事もできないんだから、現物と比較すれば、すぐに貨幣の価値は暴落するんじゃないかな?」
「それで坊っちゃまは、何時何が起きても大丈夫なように、ストレージの中を一杯にしておきたい、とお思いになられたのですね?」
「そう。木材や食料だけじゃなくて、水・布・糸・紙・顔料・金属・薬・魔石・武器。そういった、何時必要になるかわからない物を、たとえ一生掛かっても使いきれないんじゃないか、って思うくらいに貯蓄できれば、ようやくこれで何時何が起きても大丈夫だ、って安心できるような気がするんだ」
因みに一々口には出さなかったが、ヨシュアの言う食料とは、小麦粉・じゃがいも・豆・卵・肉・魚・野菜・砂糖・塩・香辛料・果物・菓子・茶・酒など多岐にわたっており、更にそれでもなお見落としがあるのではないか? と心配しているくらいの小心者なのであった。
モルガンなどは、十代の子供の内から何をそんなに焦っているのか? と不思議がっていたが、ヨシュアに言わせると、これでも動き出すのが遅過ぎたくらいなのである。
他の消費者や生産者に迷惑をかけないよう、豊作で価格が下がった時を狙って大量に買いつけをするなら、それなりの時間を必要とするであろう事は明白であった。
だが三歳の誕生日に貰った延べ棒には、なるべく手をつけたくない事情もあり、今の彼にとっては唯一の収入源であるアイデア料が、ある程度貯まった最近になって、ようやく買いつけを始められた、というだけの話なのだ。
東◯ドームと同じくらいの大きさの倉庫を、使い切れない程の物資で埋め尽くしたいなどと、誰もがそう簡単に思いつくような事ではあるまい。
さすがは【強欲の倉】と女神様が名づけた、ストレージの持ち主なだけはあった。
もしヨシュアが、この世のあらゆる物を収集したい、などと言い出したところで、きっと誰一人として驚かないだろう。
「どうかな? ばあば。今の説明で納得して貰えた?」
「え、ええ。ヨシュアちゃんは、昔から全くぶれていないのだという事は、良くわかったわ」
孫のあまりの臆病さと欲深さに、気圧されたように祖母が頷き、それでこの話題は打ち切られた。
ヨシュアは再び窓の外へと視線を飛ばし、中断されていたリバーシの対局も再開されたのである。
◇
「……は? 何? あれ」
ミシェルの上げた驚きの声に、ヨシュアが閉ざしていた瞼を開けると、母はリバーシの盤から視線を上げて、馬車の前面に備えつけられた、窓硝子から見える外の景色に魅入っていた。
つられて彼も視線を移せば、そこにあったのは途方もない大きさでそびえ立つ、白亜の城壁。
城郭都市たるアロドクトゥスに、城壁はあって当然の物だが、この場所は市街地の遥か手前に位置しており、以前ヨシュアが訪れた際には、緑が鬱蒼と生い茂る森だった筈である。
つまり祖父母以外の三人が、別荘にひきこもっていたこの七年程の間に、かつては森だった場所までもが切り拓かれ、都市の一部として取り込まれた、という事のようだ。
門に繋がる三つある跳ね橋のうち、最も大きな中央の橋には、以前訪れた時以上に順番を待つ人々が列を成しており、彼らを目当てに付近には屋台まで出ている程の混雑振りであった。
軽く助言だけはしたものの、その後都市がどうなったかなどさして興味もなかったヨシュアは、予想外の発展度合いに、その宝石のような目を丸くする。
成長するにつれ、感情をあまり表には出さなくなった彼が、驚きに目を真ん丸に見開いて固まっている姿は、年相応の子供らしい無防備さを感じさせるもので、大人達の相好を崩させるに足る、充分な魅力があった。
以前と同じように、緊急時以外は関係者しか利用できない右側の門を素通りし、セキュリティチェックをパスした彼らは、新設された城壁の内側へと至る。
かつての外城壁の内側のような、長閑な農地や牧畜の姿を想像していたヨシュアを出迎えたのは、何軒もの宿屋や酒場が軒を連ねる街並みと、熱気さえ感じる程の雑多な喧騒であった。
窓からの景色を食い入るように見つめる母子に、祖父母が代わる代わる説明する。
女神様の人智を超えた知識、という説明でヨシュアが作らせた、転生前にあった生活用品や料理などを販売したお陰で、一地方都市が誰も想像しえないレベルで発展してしまったため、大掛かりな整備をする事が決まった後、ついでだからと老朽化した建造物も多かった、旧都市部の区画整理も行う運びとなり、住民達の意向を確認したらしい。
即ち、内城壁の内側と外城壁の内側、そして新設される城壁の内側の三ヶ所のうち、自分が住みたいと思う場所はどこか、と。
最も内側を特別行政区画、略して特区とし、その外に第一区画。
最も外側を第二区画とした。
単純に考えれば、堅牢な特区が一番の優良物件に思えるだろう。
だが当然、物事には長所と短所がつきものであり、利点ばかりで欠点がないなどという、そんなご都合主義が、そうそう罷り通る筈もない。
特区の長所としては、金融機関や役所などが一ヶ所に集中しているので、億劫な事務手続きを、短時間で集中的に済ませられる事と、整備された清潔感のある街並みが主な魅力であった。
立法機関たる都市評議会が開かれる議事堂や、都市の財源管理、政策の実行など、都市を運営する行政府。
都市法に基づいて罪人を裁く裁判所や、魔導具を開発する研究所に、魔術学院などの教育機関。
高額所得者の住む高級住宅街なども建ち並び、この都市の心臓部とも言える最も重要な区画であるので、警備体制が非常に厳重であり、当然ながら安全性は高い。
そして特区の住民は、本人確認さえ拒否しなければ、自由に全ての区画を往来する事ができた。
短所は重要な機関が集中しているが故に、この区画に住むためには、厳しい審査基準をクリアする必要があり、当然支払う税金の額も、一番高い事が挙げられる。
更に言えば、三ヶ所中最も手狭な区画でもあった。
第一区画はというと、主な役割が商業にあるため、三ヶ所中最も店舗の種類と数が豊富である。
暮らしているのも商人や職人など、この区画で働く者達やその家族が主で、古くからこの都市に住む人間である場合が多かった。
故に、長所は都市の商品が全て集まる利便性と、商業ギルドや職人ギルドなどを含む、住民同士の結束の強さにあると言えよう。
短所としては、特区以外であれば自由に移動できるが、金融機関や行政機関に用がある場合は、特区へ入るための審査や手続きなどに手間が掛かるため、基本的には同じ区画にある出張所などを利用する事になるのだが、建物のサイズや防犯の都合上、どうしても対応する人員が不足しがちになり、待ち時間が長い事が挙げられる。
そのため住民達からは酷く不評であった。
第二区画は、端的に言えば宿屋区画である。
外部の人間が滞在するために増設された背景から、宿屋や酒場など、外部からの客相手に商売する者以外は市民権を持たず、正確には都市の住民とは認められていない。
飽く迄も滞在者という扱いなので、納税などの義務を果たす必要がない代わりに、住民の持つ権利を行使する事も許されなかった。
そのため、基本的には都市の外と第二区画以外への移動は認められない上に、宿屋に泊まる金がなければ、都市を去るか路上泊するかの二択しかなく、買い物も第一区画の店が出している支店や屋台、もしくは露天商に頼るほかなかった。
当然、持ち出せる商品の数には限りがあるため、必要な者達全員に行き渡る可能性など皆無に等しい。
どうしても欲しければ、この街に入る時以上の関税を支払い、日没までという制限時間つきで第一区画に入り、本店で購入する以外に方法はなかったのである。
つまり第二区画とは、得体の知れない他所者達を、自分達の暮らす街には入れたくなかった住民達が用意した、一種の隔離スペースである、というのが真相なのであった。
排他的に過ぎるなどと思うなかれ。
彼らにも守るべき家族と生活があるのだから。
事実以前よりも大きな貧民窟ができたり、そこに根を張る地下組織まで存在したとあっては、住民達の危惧は正しかった、と判断せざるを得まい。
一歩間違えれば、第一区画に彼らの侵入を許し、庇を貸して母屋を取られる、を地で行っていた可能性さえ否定できないのだ。
言うまでもなく、光と影は表裏一体。
眩い光に照らされた、都市の影を引き受けるかの如く、娼館や酒場などの歓楽街。
更には賭場や闘技場なども、土地の広さと安さだけが売りのこの区画へと移転してきて、ようやく自らが所属すべき群れを見つけたかのように、堂々とした姿で佇んでいた。
そう、まさに第二区画こそは、都市全ての悪所を掻き集めた掃き溜め。
同じ都市に住みながらも、決して仲間とは認められない、他所者達の吹き溜まりであった。
だが所詮は住所不定で納税すらしない者達の事。
宿屋に宿泊して買い物や食事、観光を楽しみ、都市に金を落として去って行くような客であれば歓迎もするが、外よりは壁の内側の方が安全だから、と所持金が尽きても都市を去らず、路上泊をしたり宿屋や酒場が捨てた残飯を漁りながら、いつまでもずるずると居座るような、浮浪者も同然の招かれざる客を、歓迎する住民など唯の一人も居はしなかったのである。
隔離スペースとはいえ、基本的には住民達が納めた税によって作られた、都市の一部である事に変わりはないのだ。
そこに浮浪者が住みつき、ゴミを漁ったり路上でごろごろしている姿を見て、眉をひそめない者が居るだろうか?
そのような内心の鬱憤が溜まったタイミングで、都市の評判をも落としかねない、地下組織による悪業が明るみに出たため、遂に彼らの怒りが爆発する。
民意を汲み上げた都市評議会において、貧民窟の解体が決定。
彼らの依頼を受けたファーゴが、圧倒的な武力を誇るルプスルグ族を送り込んだ事で、地下組織は瞬く間に壊滅した。
宿泊客でも住民でもない者達の処遇だが、自力で生きる事が難しい老人に病人、怪我人や孤児達については立場に応じた施設に引き取られ、シングルマザーなどにも、宿や酒場での住み込みの仕事を斡旋する、という温情がかけられる事となる。
だがそれ以外の者に関しては、住民達の間でも意見が割れて、評議会の議員達も頭を痛める羽目になった。
住民の大半は、容赦なく壁の外に放逐すれば良い、と声高に主張する。
彼らに真っ当に働く気などない、と判断したためであった。
それに異を唱える者達も、決してその判断が間違っているとは思っていない。
しかし放逐した後の事を考えると、安易に頷く事はできなかったのである。
放逐した者達が次の住処を見つけ、受け入れられれば何の問題もない。
だがもし叶わなければ、彼らは野垂れ死ぬ可能性が高いのだ。
つまりは間接的にとはいえ、人を死に追いやる事にもなりかねないのである。
それだけではない。
ある意味では、大人しく野垂れ死んでくれた方が助かる場合すらあり得た。
万が一にも彼らが徒党を組み、生きるために人を襲う賊にでも身を窶せば、その被害に遭った誰かの恨みが、原因を作ったと言えなくもない、自分達に向けられる可能性さえあるのだから。
勝手に押し掛けてきて棲みついた者達が悪いのに、住民が面倒をみる必要などあるのか?
尤もな意見である。
だがそう言って追放された者達が賊と化し、自分が被害に遭った時に、住民達も被害者なのだから、と責めずにいられる人間が、一体何人居るだろう?
全員?
それともほんの数人?
理性では理解していても、感情が追いつかない。
感情的になるあまり、殺人にまで及ぶ。
そんな事例は、軽く調べるだけでも枚挙に暇がないのが現実である。
一度その可能性に気づいてしまえば、自らへの飛び火を恐れ、尻込みして慎重論を唱える者が出てくる事は、火を見るよりも明らかであった。
そんな時である。
更なる追い討ちをかけるかのように、新たな問題が発生したのは。
貧民窟の解体に従事していた作業員達が、破壊した壁の向こうに、迷宮の入り口を発見したのである。
今回の被害担当:塩。 まるで害ある存在であるかのような扱いを受ける。
塩「塩って必要だよね? 人間が生きて行くのに必要だし。要らない子じゃないよね? ね?」
ヨシュア「適量なら必要だけど、過剰には要らないんじゃない? 何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しって言うし?」
塩「(´・ω・`)そんなー」
今回もお読み頂きありがとうございました。




