1-14 「レシピ」
こちらは本日投稿の2/2話目です。
とりあえずは一区切りついたようなので、この辺りで一度ヨシュアの説明を要約してみよう。
泊まり掛けでの買い物を終え、家路を急いでいた一行は、思いがけずゴブリンの襲撃を受け、その場に停止しての対応を余儀なくされる。
今どの辺りまで進めたかを知りたかったヨシュアは、ブラウザのホーム画面に用意された文字リンクから、地図を調べてみる事にした。
その際目的の情報を得るのと同時に、他にも機能がある事を発見し、さっそく検証を行ってみた彼は、そのうちの一つ、レーダーマップ機能を使えば、自分にとっての敵味方、更には中立の存在さえも判別が可能である事に気づく。
この時は外の様子も気になっていたため、女神様撮影の実況つき動画で事態の推移を確認し、無事にゴブリン達が始末されるのを見届けたヨシュアは、ルプスルグ族の護衛達が馬車の周囲を索敵している間に、自らもレーダーマップで周辺を調査してみる事にした。
近くに赤いマーカーがない事に安堵しつつも、念のため調査範囲を広げてみた彼は、間を置かず森の中に、赤いマーカーが密集している場所がある事に気づく。
すぐに掲示板に顔を出し、あれは一体どういった場所なのかと尋ねるヨシュアに、女神様は『それはさっきあなた達を襲った、ゴブリンの巣よ?』と答えた。
ゴブリンが、種族としての弱さと引き換えにでもしたかのように、高い繁殖力と成長力を持つというのは、少しでもファンタジー作品に触れた経験のある者にとっては、ある意味常識とさえ言っても良いのではないだろうか?
そんな魔物が、自分の家の近くに巣を作る。
これは家の中で、鼠や蜚蠊を発見した時とは比較にもならない程、生理的な嫌悪感や不快感を感じずにはいられない事態であった。
基本どの世界でも、数は力である事は言うまでもない。
いくら雑魚魔物を代表するゴブリンとはいえ、爆発的に数を増やされ、こちらを上回る程の集団を形成されてしまえば、対応に苦慮する羽目になるであろう事は明白である。
先を急ぎたいヨシュアにとっては、面倒臭い事この上ない事態であった。
しかし無視して放置したところで何の解決にもならないどころか、余計面倒な事態になるであろう事がわかりきっている以上は、彼も重い腰を上げざるを得なかったのである。
何の事はない。
何故こんな事をしなくてはならないのか、とあの時一番強く思っていたのは、主導していたヨシュア自身であったのだ。
つまるところ、ナビゲーションシステム機能を用いてあの木のところまで行き、わざわざ目印をつけさせたのは、準備が済み次第そこから森に入り、真っ直ぐに進むだけでゴブリンの巣に辿り着けるように、とヨシュアなりに今の自分にできる精一杯の協力をした結果だったのである。
そして既に問題の解決が容易になった事を知っていたからこそ、慌てふためく大人達を前に、ああも場違いな程に落ち着き払っていられたのであった。
言及していない実況動画の件については知る由もないだろうが、大まかにでも彼の行動の意味を理解した保護者達は、揃ってヨシュアに謝罪する。
「すまない、ヨシュア君。ヨシュア君が問題解決のために動いている事も知らずに、じいじ達は呑気にも問題は全て解決したものと思い込んで、ヨシュア君の行動を邪魔するような真似までしてしまった」
「ごめんなさい、ヨシュアちゃん。ばあばもてっきり、小さな頃には良くある、特に意味のない気紛れな行動なのかと思って、ヨシュアちゃんが馬車を降りる事に反対してしまったわ」
「私もあの時、坊っちゃまにそのような深いお考えがあるとも知らずに、浅慮にも反対などしてしまいました。申し訳ございません、坊っちゃま。お叱りは如何様にもお受けいたしますので、どうかお許しください」
しかし謝罪された幼児の方は、呆れたような表情を見せた。
「皆が馬車を降りたがる僕を止めようとしたのは、僕の身を心配しての事でしょう? 僕の行動の意味を知らなかった? そんなの当たり前の事なんだから、皆が謝る必要なんてないよね? その程度の事でも謝らないといけないのなら、僕まで謝らないといけなくなっちゃうんだけど? 僕は謝りたくなんかないし、謝らないよ?」
「ヨシュア君が謝らないといけない? そんな必要があっただろうか?」
全く見当もつかない、といった様子で首を傾げる三人に、ヨシュアはため息をつく。
「そもそも、じいじ達が僕の行動の意味を知らなかったのは何でなの?」
「それは……」
「自分達の察しが悪い所為だなんて言わないでよ? 普通はそんな事、察せられる訳がないんだから。僕が皆に、馬車から降りて何をしたいのか、何の説明もしなかったからだよね?」
「それは……まあ」
「じいじ達は僕の説明を聞いて、そんな事情があったのなら、先に言ってくれれば良かったのに、って一切不満に思わなかった、って女神様に誓える?」
「うっぐ……」
それは神の実在が確認されているこの世界において、かなり厳しい追及であっただろう。
もし一瞬でも不満が頭を過っていれば、誓った瞬間に女神様に嘘をついた事になってしまうのだから。
しかし誓えなければ、ヨシュアに対して不満に思った、と認めているのと同義であった。
まあ、返答に窮した時点で白状したも同然であり、そのような葛藤は全くの無意味なのであるが。
本人達もその事に気づき、ようやく観念したのか、ヨシュアに対して不満に思った事を認めた。
「つまり、僕は皆が知らない情報を知っていて、事態の深刻さに気づいていたからこそ、それを解決するために動こうとした訳だけど、結局は僕一人の力で全てを解決する事なんて不可能なんだから、最後にはじいじ達の力が必要になる事は間違いないよね?」
「ああ。確かにそれはそうだろうね? ヨシュア君が本気を出せば、あっという間に解決できてしまうのかもしれないが、だからといって可愛い孫に全てを押しつけよう、などという気には到底なれないかな?」
「ならやっぱり、僕にはじいじ達に女神様から教えて貰った情報を伝えて、理解と協力を求める必要があったって事だよね? 実を言うと、その機会は今までに三回くらいあったんだよ」
「三回も? そんなにあったの?」
驚くモルガンにその金の眼を向け、ヨシュアが続ける。
「最初は、僕が馬車を降りる事に皆が反対したあの時。あのタイミングで説明して理解を求めていれば、反対されるどころか、皆も納得した上で率先して動いてくれていたかもしれないよね?」
「……確かにそうかもしれないわね?」
「次の機会は、森の入り口になる木に目印をつけ終えて、馬車に戻ろうとした時。じいじとばあばが、僕の行動の意味を知りたそうにしていたのに、僕は馬車に戻るまで待つように言って、相手にしなかった。もしあの時説明していれば、じいじはあの場ですぐに対応を指示する事ができたと思わない?」
「……ふむ。まあ、そうかな?」
「そして最後が、馬車に戻って出発してから。つまりは今この状況の事だね? 僕は三回目……最も遅いこのタイミングで説明する事を選んだんだ」
「それは何故だい?」
「そんなの、馬車に戻ってから説明するのが、僕にとっては一番都合が良かったからに決まってるでしょう? そのためなら皆の理解や納得なんて、二の次でも構わない、ってそう思ったからだよ」
その突然の告白に、祖父母はショックの色を隠せない。
孫が自分の都合のためなら、他者の感情など蔑ろにしても構わないとさえ思っている、と言っているようにしか聞こえないからだろう。
しかし唯一エレミアだけは、逆に主がそう判断してまで優先したという、自分の都合とやらの方に興味を引かれたらしい。
いつも通りの穏やかな声音で尋ねる。
「坊ちゃまの仰るご都合とは、一体どういったものなのでしょう? よろしければお教えいただけないでしょうか?」
「もういい加減言い飽きたけど、プレゼントを雨で濡らさないように、早く家に帰りたいからだよ。【強欲の蔵】はルプスルグ族の皆にも内緒だから使えないし、ある程度なら魔法鞄に入れて運べるけど、ベッドだけは大き過ぎて鞄に入らないでしょう? 僕は今晩、濡れたベッドで寝るなんて嫌だよ?」
「あ……」
憮然とした表情で答えるヨシュアに、スキルで調べた天気の話に触れていながら、ゴブリンの襲撃や固有スキルの話。
更には巣の発生や、ヨシュアの深謀遠慮など、目紛しく変わる話に翻弄されて、午後から降るという雨の話など、すっかり忘れてしまっていたらしい三人は、異口同音に気まずげな声を上げる。
「一応ああいう想定外に備えての早めの出発だったけど、そんな時間の余裕、あの襲撃への対応や、目印をつけに行くっていう予定外の行動の所為で、疾うの昔に使い果たしてるんだよ? 僕はそんな状況で、皆に説明して理解を求めるタイミングはいつにするか、選ぶ必要があったんだ」
「な、成程……? それはそうよね?」
「馬車を降りる前に説明を行った場合、それは全員納得した上で行動する訳だから、一見いいこと尽くめで何の問題もないように思えるかもしれないけど、僕が説明を終えるまでに掛かった時間が、全て損失としてマイナスされる事になるんだよ? つまりこのタイミングが一番、プレゼントが雨に濡れる可能性が高いんだ」
「「「……ああ」」」
「次が目印をつけ終えてから、馬車に戻るまでの間。移動しながらだから、それ程無駄だとは思わないかもしれないけど、歩く事に専念するのと、会話に意識を割きながら足を動かすのとでは、到着するまでに掛かる時間に、結構な差が出るんだよ?」
これは通勤通学時に、真っ直ぐ目的地に向かった場合と、歩きスマホをしながら向かった場合、同じ時間に到着する事ができるか? と考えてみるとわかり易いだろう。
「そう言われると、ヨシュア君の興味深い話を聞いて、驚いて足を止めたり、意味を理解しようと考え込んで、歩くペースが落ちたりする事はない、と断言する事は難しいかな?」
「つまりそうして遅れた分、家に着く時間は遅くなるよね?」
「あ……もしかしてあの時、私に坊ちゃまをお抱きするように言われたのも……」
「そう。買ったばかりの靴を、血で汚すのが嫌だった事は確かだけど、そうエレミアに頼んだ一番の理由は、僕の歩幅じゃ時間が掛かりすぎるからだよ。しかもスキルを使うために、目を閉じながらだと余計にね?」
「てっきりエレミアさんに甘えているだけなんだと思っていたのに、それすら時間の無駄をなくすための計算のうちだったなんて……」
畏敬さえ含んでいるかのようなモルガンの呟きは、他の二人の胸中をも代弁したものであったかもしれない。
ヨシュアはそれについては聞き流し、話を元に戻す。
「じゃあ最後に僕が選んだ、全員が乗り込んで、馬車が出発してから説明する場合はどうかな? 説明に時間が掛かったら、家に到着する時間が遅くなると思う?」
「……ならないでしょうね? 馬車を引いているのは馬で、その馬を操っているのは御者。私達はただ椅子に座っているだけなのだから、どれだけ説明に時間が掛かろうと、到着時間には一切影響がない。だからヨシュアちゃんは、このタイミングを選んだのね?」
一つ頷いてヨシュアが続ける。
「そうだよ? じいじとばあばやエレミアに、自分の行動を理解して貰うための説明を後回しにして、ね。どう? もしかしたら誰も確証を持てないまま、僕の最悪の予想が現実になったかもしれない、ゴブリンの巣の発生を知らせて、更にじいじやルプスルグ族の皆の負担を少しでも減らすために、巣への近道まで教えた上で、絶対に濡れると決まった訳じゃないんだから、家に着くのが多少遅れる事になったとしても、じいじ達に不満を感じさせないように、予め事情を説明するのは当然の義務なのに、それをしなかった僕は皆に謝らないといけないと思う?」
「「「うっ……」」」
先程よりもなお一層手厳しい質問に、保護者達が答えに詰まる。
ファーゴとて襲撃を受けたからには、何処からか流れ着いたゴブリンが、森の中に棲みついて巣を作っているかもしれない、くらいの予想はできていても不思議ではないだろう。
しかし確証など何もない上に、巣を探す手掛かりすらなく、ヨシュアが言う最悪の予想が現実のものになる可能性は、決して低くはなかったのだ。
だがヨシュアの知らせでそれが確信に変わった上に、本来であれば最悪何日も森の中を彷徨い歩き、当て所なく巣を探し回らなければならなかったところが、彼が巣への近道まで調べてくれたお陰で、場合によっては半日程度で解決する可能性すら見えてきたのである。
これにより軽減される時間や労力といったコストは、千金に値すると言っても過言ではなかった。
もしこの一件で功労賞が与えられるとすれば、ヨシュアの受賞は間違いのないところであろう。
彼はこの問題の解決に、それ程までに大きな貢献を果たしたのである。
巣の発生も襲撃も、当然だがヨシュアの責任ではないのだ。
にもかかわらず、早く帰りたいのを我慢して、解決のために動いた三歳の幼い功労者に対して、まだ何の貢献もしていない大人達が、そんな事情があったのなら、自分達の感情的な納得のためにも、たとえプレゼントが雨に濡れる事になろうと、前以って説明をしてくれれば良かったのに、と言っているのか? と彼は問うているのである。
当初は悪さをした子供に、何故そのような事をしたのか、と訳を聞くようなつもりでいた大人達はしかし、話が進むに連れて実はその悪さは、彼らにも納得のいく故あっての些細なものである事が判明し、むしろそれを咎めるような気持ちを抱いた自分達の方が、何やら狭量であるかのような気さえしてくるのが不思議でならなかった。
確かに保護者達の心情を承知の上で、それを自らの都合で蔑ろにしたヨシュアは、責められて然る可きかもしれない。
だがその都合が、三人にとって納得のいくものであれば話は別であった。
ヨシュアは起床してすぐの挨拶の時から、できれば午前中には帰宅したい旨を保護者達に伝えており、彼らもその考えに賛同し、皆で効率的に動く事で出立の時間を早めたり、と協力の姿勢を示してきた筈である。
魔物の襲撃など、幾分不測の事態はあったものの、それについてはルプスルグ族の戦士達や、ヨシュアの活躍によって解決の目処が立っているため、この一度は全員が認めた筈の基本方針を、変更する理由としては少々弱いように思われた。
結局のところ、三人の心情のためにヨシュアはこの基本方針を曲げるべきだったか? というのがこの話の焦点なのである。
その結果、ヨシュアの出した結論はご承知の通りであった。
どうせ説明はするのだから、そのタイミングが少々遅れる程度の事など、大した問題ではないだろう、という自分本位な考えから、他者への配慮を怠った訳である。
三人が釈然としない気持ちになるのも、当然といえば当然であった。
「お互いもやもやするのは、多分誰も悪くないからなんだと思うよ? ゴブリンに襲われた事も、巣ができていた事も、僕の所為じゃないでしょう? でも自分の所為じゃないからって、放って置く訳にもいかないから我慢して対処したけど、そうすると時間の余裕がなくなって、僕も皆に気を遣えるだけの、心のゆとりがなくなっちゃったんだよ。その皺寄せを、僕は自分で引き受けるのがどうしても嫌で、皆に押しつけちゃったんだ。けど、だったら悪いのは皆なのかって言うと、それも違うでしょう? じいじやばあば、エレミアにも責任はないよね? なのに訳もわからないまま、皺寄せだけを押しつけられるんだから、不満に思って当然なんだよ。そうでしょう?」
「そうね」
その割り切れない気持ちを、ヨシュアが代弁し理解を示した事で、彼らもようやく自分達に非はないのだと思えたのか、大きく頷く。
「そもそも最初から、僕は皆を責めたりなんてしてないよ? さっきの質問だって、僕は皆の気持ちを考えて、自分が我慢するべきだったと思うか? って聞いただけだし」
「あ、ああ。確かにそうだったね?」
「ただ、僕だって自分が悪い訳じゃないのにプレゼントを濡らすなんて、どうしても納得がいかなかったんだよ。それで、皆はこのくらいの事で僕を怒ったり、嫌いになったりはしないんじゃないかと思って、自分の都合を優先する事を選んだんだ」
ようはこの程度の事であれば、咎められる事はあるまい、と計算し確信した上での犯行である、という自白であった。
人、それを確信犯という。
実にクズい。
クズいが、クズがクズいのは当たり前の事ではないだろうか?
つまりはいつも通りであり、何ら特筆すべき事ではなかった。
……なんだ、いつものヨシュアか。
まだその本性を理解していない保護者達が、それを聞いて苦笑したのは、同じように思ったから、という訳では勿論ない。
彼の言葉で、自分達が甘えられていた事に気がついたからであった。
保護者達はこの程度の事で自分を怒ったり、嫌いになったりはしないんじゃないかと思った、という発言は、良く言えば信頼であるが、悪く言えば他者への甘えであろう。
相手が赤の他人なら、「甘えるな!」とか、「私達はあなたのパパでもママでもない」とでも言われるに違いない。
しかし三人は確かにパパでもママでもなかったが、祖父母であり世話係ではあるのだ。
更に言えば、父親は何処にもおらず、母親であるミシェルが床に臥せっている以上は、ヨシュアが甘える事のできる相手など、この世界に彼ら以外には居ないのである。
再三述べてきた通り、ヨシュアにだだ甘なファーゴやエレミアは勿論の事、モルガンとて人並み以上に孫を可愛いく思っている事は確かであり、その彼らがヨシュアに対して、「甘えるな!」などと言う筈がないのだ。
つまりは自分達に対する甘えであったのならば仕方がない、という納得と諦めの苦笑なのであった。
「成程。良くわかったよ、ヨシュア君。それで、謝りたくないというのは? ……ああ、勿論じいじはヨシュア君に謝れと言っている訳じゃないんだよ? ただ、ヨシュア君は自分が悪いと思えば素直に謝る事のできる子なのに、どうしてこの件に限っては、そこまで頑なに嫌がるのかが不思議でね?」
「理由はいくつかあるけど、まずはどうしても自分が我慢すれば良い、とは思えなかったから。次に、悪気があってした事なら、謝るべきじゃないと思ったからだよ」
「ねえヨシュアちゃん。悪気、って?」
「皆は今まで生きてきた中で、何回かは他人に謝られた経験がある筈だけど、その時こう思った事はない? 謝るくらいなら最初からするな、って」
「「「ああ……」」」
再度苦笑混じりに、三人は幼子の言葉を首肯する。
「または、悪いと思うのなら最初からするな、かな? 結局のところ、大して悪いと思ってないからするんだよね? 若しくは他の何かと天秤に掛けて、そっちの方が重かったからこそ、そっちを選んだのかもしれないけど……。どちらにしても、自分が雑に扱われた、とか切り捨てられた、ってされた方が思う事に変わりはないでしょう?」
「まあ……そうだろうね?」
「それが悪気。他人事のように言っている僕だって、結局は自分の都合の方を選んだ事に変わりはないんだよ? その僕が謝ったとして、皆は本当にその反省の気持ちを信じる事ができるの? もう一度同じ状況になれば、今度こそ自分達の方を優先してくれるに違いない、って」
「うっ。そ、それは……」
「無理でしょう? 僕にだって、自分がそうするなんて信じられないんだもん。当然だよね? 大体、謝罪なんて被害者に許しを得る事で、加害者が自分の罪悪感を軽くしたり、反省の態度を見せる事で、あわよくば罰を受けずに済ませたい、とか最悪受けるしかないにしても、できる限りは軽くしたい、って自分のためにする場合が殆どなのに、被害者は謝罪だけで本心から納得できるの? せめてそれくらいの事はして欲しい、っていう単なる妥協じゃなくて?」
「「「……」」」
三歳児が繰り出す、怒涛の如き質問を前に、保護者達も遂には相槌すら打てなくなってしまう。
こうして鞭で相手を黙らせてから、飴で宥める。
この男の常套手段であった。
「まあ、謝られる事で相手を許そう、っていう気持ちになる事もあるだろうし、そんなつもりはなくても、事故で誰かを傷つけてしまう事だってあり得るんだから、謝罪も全くの無意味って訳じゃないんだろうけどね? とにかく、皆が僕に対して不満を感じるのは当たり前なんだし、僕にも悪気があった上に、未だに自分が悪いだなんて思ってないんだから、お互いに蟠りがあるのに無理に謝罪し合うよりも、不満なのはお互い様なんだし、それで納得して手打ちにすれば良いんじゃないかって思ったんだ。だから謝るなって言ったんだよ」
「……ありがとう。話は理解できたよ、ヨシュア君。ヨシュア君の説明が納得のいくものばかりだったから、今のじいじ達には感謝の気持ちこそあれ、不満や文句なんて一切ないんだが、それでヨシュア君が納得できるのなら、お互い様という事で水に流そう。それで良いかい?」
しばし顔を見合わせた後、代表したファーゴの鶴の一声に、全員が頷いて了承する。
転生前は社会人として、自分は悪くなくても仕事のためには頭を下げざるを得ない日常を送ってきた反動からか、今生ではこの大陸を支配する家に生まれ、女神様に好きに生きて良いとのお墨付きまで得た以上は、ヨシュアは一度謝りたくないと思ったら、決して謝らない事を心に決めているようであった。
これでようやく謎と難題の袋小路から抜け出せた気分なのだろう。
愁眉を開く大人達を前に、しかしヨシュアは最後に釘を刺す事を忘れなかった。
「それじゃあ、後の事はじいじ達に任せて良いんだよね?」
「ああ、勿論だとも。向こうに着いたらさっそく彼らと協議して、せっかくのヨシュア君のお膳立てを無駄にする事のないよう、解決のために最善を尽くそう。安心して任せてくれて良いよ」
その自信に満ちた祖父の言葉に、ようやく安心したのだろう。
それでヨシュアもやっと体から力を抜いた。そのようなつもりはなかったが、どうやら無意識に気を張っていたらしい。
その事に気づいてか、労わるような手つきでエレミアが主の髪を撫で梳く。
逆らわず身を委ねつつ、ヨシュアは身を捩るようにして、背後に居る彼女に尋ねた。
「ねえ、エレミア? そういえば昨日、出掛ける前に今日の分まで洗濯をしたんだから、その分後回しにした他の仕事は、まだ残ってる筈だよね? 昨夜はその事を忘れて料理のレシピなんか渡しちゃったけど、大丈夫なの?」
自分の所為で、彼女に余計な負担をかける事になったのではないか、と心配そうな様子を見せるヨシュアに、エレミアはああ、と思い出したような声を上げると、見る者を安心させるような笑顔を主に向けて、その心配を否定する。
「お気遣いありがとうございます、坊ちゃま。ですがご心配には及びません。夕食を作るのはいつもの事ですし、坊ちゃまにいただいたレシピは、煮込み時間がそれなりに長い料理のようです。サラマンダーに火加減を任せて、焦げつかないように注意して貰えば、その間に他の家事をする事も可能でしょう。万が一それで間に合わなくても、他にも方法はございますので」
「そうなの? なら大丈夫なんだね?」
その答えに安心するヨシュアを笑顔で眺めていたファーゴが、ふと思いついたように孫に問う。
「ヨシュア君、その女神様に教えていただいたという料理、じいじも気になるんだが、じいじ達にも少しわけて貰えたりはしないだろうか?」
自分でも厚かましい事は理解しているのだろう。
遠慮がちな祖父の願いを、ヨシュアは逡巡すらせず受け入れた。
「大丈夫だよ? もし残っても、次の日温め直して食べられるように、多めに八人分くらいはある筈だから。材料を買うお金はじいじ達が出してくれたんだし、僕達が断る理由はないかな? ね? エレミア?」
「はい、坊ちゃま」
「おお! それはありがたい」
その返事に喜色をあらわにする夫を、苦笑交じりに見ていたモルガンであったが、次いで孫の口から飛び出した言葉に表情を変える。
「ただ、僕としてはじいじ達もだけど、お母さんにこそ食べて欲しいかな? 言ったと思うけど、これは美味しいだけじゃなくて、体にも良いっていう、すごい効果がある料理のレシピなんだ。体に良いって事は、それだけ栄養が沢山あって、体に力がつくって事でもあるんだから、それを食べれば、きっとお母さんの具合だってすぐに良くなると思わない?」
「成程……それもそうね? 試してみる価値はあるかもしれないわ」
大事な我が子の健康のため、藁にも縋る思いなのだろう。
食べた事で今より体調が悪化する可能性は低い以上、試してみない手はない、という判断が下される。
まずはできた料理を、モルガンがミシェルに届ける、といったような打ち合わせが行われている間にも、馬車は一歩一歩着実に、別荘へと近づいて行くのであった。
◇
その後は何事もなく、一行は無事に別荘へと帰り着く。
時刻は十一時五十四分。限り限りではあったものの、午前中の到着という目標は何とか達成できた。
しかし午後の何時から雨が降り出す、という明確な指針がないため、息つく暇もなく荷物の搬入が行われる。
まずはヨシュアが心配していたベッドから始まり、今日もこちらで過ごす事から、ファーゴが持ち出してきた、仕事のための書類が入った鞄など、濡らしては困る物から優先的に運び込まれた。
予知通りに雨が降り出したのは十三時を過ぎた辺りからで、その頃には既に全ての荷物の搬入が済んでおり、食堂で一息入れていた四人――エレミアは遠慮したが、ヨシュアが押し切った――は、何とか間に合ったかと安堵の吐息を漏らす。
早く起きた影響からか、ヨシュアが雨音を聞いているうちにうとうと船を漕ぎ始め、それを合図に自然と休憩は終わった。
彼をエレミアが部屋に運ぶのを見送って、祖父母はまずルプスルグ族を集め、ゴブリンの巣への対応を検討し始め、主を寝かしつけたエレミアもまた、予定通りに家事を始める。
昼寝から目を覚ましたヨシュアが掲示板に顔を出し、女神様と『ルプスルグ族がマジ吼〇馬場な件について』、などという益体もない議論を交わしていると、エレミアが夕食ができたと呼びに来た。
◇
「これは実に美味いな!」
料理を咀嚼し、開口一番絶賛の声を上げるファーゴ。
その前に置かれた皿に装ってあるのは、湯気を立てているシーフードが主役のホワイトソースのシチューであった。
エビやイカ、ホタテなどの魚介類を、名脇役である玉ねぎや人参、ブロッコリーが支える。
既に雨は上がっていたが気温は下がったままであり、ヨシュアにはほんの少し空気がひんやりとしているように感じられた。
そこに満を持してのシチューの登場、という心憎い演出である。
温かいスープが供されるだけでも御馳走に感じられるというのに、それが食欲をそそる見目と香りまで振りまいているともなれば、否が応でも期待が高まろうというものであった。
そしてその期待を、この料理は決して裏切らない。
ミルクの甘みとまろやかさに、チーズやバターが適度な塩気と濃厚なコクを与え、小麦でとろみをつけたスープの味を塩胡椒が引き締め、ぷりぷりと甘いエビや、一口噛むだけでじわっと肉汁が溢れ出すホタテ、弾力ある食感のイカの旨味が溶けたスープで、一緒に煮込まれている野菜も、いつも以上に美味く感じられた。
それだけではない。
出汁というものがまだ発達していないこの世界で、ベースにブイヨンを使ったこの料理が、如何に滋味に富み、味に深みを与えているのか、という話である。
お陰で朝市で買ったごく普通のパンまでもが、シチューにつけるだけで御馳走に早変わりであった。
(シーフードシチュー、ウマー!)
エレミアがふーふーしたシチューを口に運んで貰いながら、ヨシュアは満面の笑みを浮かべる。
馴染みのない世界で初めて口にする懐かしい味に、彼は終始ご機嫌であった。
「そんなにお口に合われましたか? 坊ちゃま」
「うん!」
皿に残った最後の一滴までパンで拭い取り、僅かに膨らんだ腹部をさするヨシュアに、自分の作った料理を喜ばれて嬉しそうなエレミアが尋ねると、力強い頷きが返される。
シチューが立てる湯気越しの孫の笑顔に、祖父母の目尻も下がり通しであった。
お代わりまでするくらい気に入ったと言うヨシュアに、一足先にミシェルのところへシチューを運び、食べさせてきたモルガンが理解を示す。
「けれど、ヨシュアちゃんが気に入るのも良くわかるわ。先に食べさせたミシェルだって、美味しいって何度も繰り返して、綺麗に器を空にしてしまうくらいの味なんだもの。あの娘が食事を残さなかった事なんて、ここ何年もなかったのよ?」
「ほう? そんなに喜んだか。まあ確かにこの料理は舌だけでなく、体全体が喜んでいるような気さえする程に美味いからな。体調が良くなくても……いや、良くないからこそ、余計に体が欲したのかもしれん」
「ああ……それはあるかもしれませんね? 喉が渇いている時には、単なる水でも美味しく感じられるように、体調が悪い時には、体に良い物が美味しく感じられても不思議はないでしょうし」
そのように話す祖父母を、ほんの少しだけ苦しい腹を撫でながら眺めるヨシュア。
こうして四月五日の夜は更けて行ったのであった。
今回の被害担当:保護者達三人。 雑に扱われた上に良いように丸めこまれる。
作者「これも子供のする事。仕方ないね」(諸行無常)
女神様「ヨシュアのする事だし、クズかったりするのも、ま、多少はね?」
三人「……」
今話で第一章は終了となります。次回からは第二章が始まる予定です。このままエタらず書き続けて行く所存ですので、見捨てる事なくおつきあいいただけますと幸いです。




