7
「座ってくれ」
促され、ユールは椅子が4脚セットされているテーブルにつく。正面には店主とユリアナが並んで座っている。
「にーさん、さっきの話しだが……」
店主が話しを切り出す。
「オレがここへ来たのは探し人だって言っただろう」
「え? あぁ、そういえば言ってたな」
「その時は分からなかったが、結果として彼女だったということだ」
そんなふうに言われても全容が分からない店主は、その言葉をどうとらえればよいのかと訝しそうな目をユールに向ける。
「店主」
「カーロだ」
ユールに呼びかけられ、店主が名乗る。
「カーロ、あんたはユリアナさんが抱えてる事情を知ってるんだろ?」
「…………」
黙りこむカーロの様子にユールは確信する。彼はユリアナが異界渡りしたことを知っているのだと。
「オレは、異界渡り巡察士のユール。別の世界から移動してしまったものを、一言で済ませるなら救済するために働いている。二人が言いたいこともあるだろうけれども、先にオレの話しを聞いてもらえるとありがたい」
そう告げると、カーロとユリアナは不安そうな表情で互いに顔を見合わせ、それからユールへと向き直して小さく頷いた。
「ありがとう。オレたちの仕事は、当人の同意なく界を移動させられたものを、元の界に戻すことだ。ただし、意思の疎通が可能な生命体である場合は当人に選択権はある。元の界に戻るのか、もしくは移動した先の界で暮らすのか。前者の場合は元の界に送りかえすし、後者の場合は元の界と移動した先の界での、存在の統合を行う」
この説明でカーロとユリアナがホッとしたように小さく息をつき、横目で互いに視線を合わせて微笑みあう。
これはどうやら、彼女が界に残る選択をするパターンになる感じだな。
心の中で呟き、ユールは
「ここまでで質問は?」
と、たずねる。
「どうして……分かったの?」
質問を返してきたのはユリアナ。
「ユリアナさんが異界渡りした人だってこと?」
いつものパターンに照らし合わせて聞き返せば、ユリアナだけでなくカーロも首肯する。
「違う界のものが入ってくると、それが管理者が正式な手続きを行ったものではない限り、界は異質なものとしてとらえて排除しようとするんだ。その時に独特な波動が発生するから、それを捉える。界に広がっている波動を拾い上げて、出所を探っていけばいずれ異界渡りしたものにたどり着く」
「界っていうのは世界っていう意味でいいのよね。管理者っていうのは」
「そうだなぁ、認識し易い言い方すると“神様”ってところかな。オレからも質問いい? ユリアナさんはこの界に来た時、一人だった? それとも“召喚”してみたいなこと言われた?」
管理者に関係なく界の住人が独自に異界渡りさせた際に、それを実行した者たちは“召喚する”だとか“召喚した”だとかいう言い方をする。
「気が着いたら、地面の上で倒れていたわ。自分がいったいどこに居るのか分からない、人を探して話しかけても言葉が通じない。どうしようもなかったわ。小さな村の教会に保護されることになって、言葉を教えてもらって、日常会話に困らない様になって……。事情を話しても、何か余程に恐ろしい目にあって記憶がおかしくなっているんだって言われて。王都に行けばそういうのを治してもらえるかもしれないって言われたわ」
「それで、王都に?」
「えぇ。村では良くしてもらったけれど、頭がおかしくなった不憫な子として扱われるのは、居た堪れなかったから」
「その後、誰かが探してるだと、知らない人たちに追いかけられたりは?」
「なかったわ」
どうやら界の住人に何かしらかの目的で召喚されたという訳ではなさそうだ。今回の件には、この界の管理者が何かしたということも、他の界の管理者が勝手に手を加えた様なこともない。そうなると、彼女がこの界に渡ってしまった原因の究明はおそらく無理だろう。理由になりそうなことがあまりにも多く在り過ぎて、絞り込む事が出来ないからだ。
“少なくとも……”
ユールは心の中で呟く。
“異界渡りを行った実行犯を探しだし、殴りに行く必要はなくなった”
「核心の部分を教えてほしい」
返ってくる言葉などこの状況なら分かりきっているが、当事者への確認は必須事項になっているためユールは改めてユリアナに向き直す。
「ユリアナさんはどうしたい? 元の界に戻る? ここに残る?」
どストレートな質問に、ユリアナはカーロの方へと顔を向けてからユールへと向き直し、小さく笑みをこぼした。
「あの小さな村に居た頃なら、帰りたい、帰る方法があるなら帰してほしいって即答したわ。それに、カーロに出会う前だったら、どうしてもっと早くって詰るくらいのことはしていたと思う。でも今は、どちらも過ぎたことと思えるわ。きっと、この人に会うために必要なことだったんだって、そう思えるようになったから」
「つまり?」
「ここで生きていくわ」
核心の言葉を紡がせると、ユールはおもむろにベストのポケットに手を突っ込むと、そこから取り出した手のひらサイズの通信機をぱぱっと操作し、しばらく画面を眺めてから元通りにポケットに押し込む。
「申請済ませたから。こっちの界で暮らせるようにするし、界からのシグナルも発生しなくなるから。元の界のことは、ユリアナさんが過ごした時間はユリアナさんの経験として記憶としてユリアナさんの中に残るけれど、ユリアナさん以外はユリアナさんは初めから存在していなかったという風に認識されることになる」
「分かったわ」
「じゃあ、この界に統合させるから。手、貸して」
ユールがテーブル越しに掌を上にして手を差し出すと、促されたユリアナがそっと手をのせる。
「にーさん、俺は」
カーロが心配そうにユリアナを見ながら言うと、ユールはフルフルと小さく左右に首を振った。
「むしろ何もしなくていい。驚かずにただ見守ってあげてればいい。で、ユリアナさんが目を開けたら抱きしめてあげて」
「分かった」
ユールの言葉に、カーロは椅子を横に動かしユリアナの方に体ごと向き直す。一挙手一投足すべて視界におさめますといった様子だ。
「オレの手の感触が変わったら合図だ。すごく暗くなる。すごく強い力で引っ張られる感じがして……それから急に眩しくなる。眩しいのがなくなったら、もういいよ。そうだ、目を閉じてる方がいいと思う」
そんな説明を受け、ユリアナがそっと目を閉じるのをカーロが心配そうに見守る。
ユールがゆったりと息を吐きだす。
姿は人型から本来の姿へと変わる。
カーロが息を飲むのを気配で感じるが“驚かずに”と先に告げておいたおかげか、驚きの声をあげることはない。
ユールはカーロに口パクで“大丈夫”と伝えると、意識を集中する。
それは祈りに似ていて……。
ユリアナは掌に感じる感触が変わるとピクリと肩を揺らしたが、ユールに告げられていた“合図”なのだろうと、自分を安心させるためにゆっくりと息を吐きだした。それに呼応するように、目を閉じていてもなお深い暗闇へと導かれる様な感覚に襲われる。
しばらくして、体がというよりも自分の中の自分でも分からない何かが引っ張られる様な感覚。不思議と苦しくもなくさりとて快い訳でもなく、ただただ、引っ張られるというしか表現できない。
どのくらい時間が経ったのかすらわからない。一瞬の様にも思うし、数時間の様にも、数年単位の様にも思う。
やがて、光がやってきた。
目を閉じていてもなお眩しい、それこそ光の闇とでも表現できそうな眩しさ。
ゆっくりと光の闇がおさまり……。
『いいよ』
彼の声が聞こえた気がして、ユリアナはそっと目を開いた。
「ユリアナ」
耳に届いたのは先ほどの声とは違い、聞き慣れたカーロのもの。
名を呼ばれたと思ったら、柔らかく抱きしめられて、ユリアナも彼の背に腕を回して抱きしめ返した。
「ただいま」
異界渡り監察課送還室に帰還したユールは大きく伸びをした後、自分達に与えられている通称コギ部屋へと足を踏み入れた。
「このバカ犬―!」
とたんに彼のバディがすっとんできて、その勢いを殺すことなくユールの頬に拳骨を喰らわせる。
「言ったよな!? 出て行く時に言ったよな!? 長くなりそうなら連絡しろって! このデカ耳はダテか!? 飾りなのか!?」
流れる様に頭の上に乗り、耳先を引っ張り上げて鼓膜に叩きつけるように耳孔に顔を突っ込む勢いで声を張り上げるバディ。
ユールは面倒くさそうにぶるぶるっと頭を振るが、その程度でふりはらわれる様なバディではない。
「なのに、結局、連絡してきたのはクロストレンジャーが残るから手続きしてって、その伝言だけってなに!? しかも言うだけ言って一方的に切るってなに!?」
ぎゃんぎゃんとバディにまくしたてられ、ユールは声が頭に響くとばかりにバディが引っ張り上げている耳と同じ方向の目を瞑る。
「入れてくれたた貴石、使ったから」
言いながらユールは支給されているベストを脱ぎ、頭の上にいるバディへと差し出す。
「もーッ!! そんなことよりも!」
「はい、これ。今回抜いてないけど」
ぷりぷりするバディに更に剣帯ごと外した刀を差し出す。
「もーッッ! バカ犬!」
「犬じゃないし」
「犬型だろ! 犬で充分だし!」
ぷりぷりしながらもバディはユールの頭の上から離れ、差し出されているベストと剣帯をひったくる様に受け取る。
「いい!? メンテに出してくるから、報告書、取りかかって。仕上げたら帰らせてあげる」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はーい」
ぷりぷりしつつも、
「おかえり。無事でよかった」
と、小さく零すように口にするバディ。
「さっきも言ったけど。ただいま」
と、ユールも小さく返して自分のデスクへと向かう。
こんなやりともりももう毎度のことで。
ユールから預かったベストと装備をがっつりと肩にかけ、バディはふよふよと宙空を飛んで技術製作班へと向かう。
ユールの装備だと言って預けると、いそいそと異界渡り監察課のオフィスへと戻り、課長席でにまにまとコギ部屋へと視線を向けているアキオミの元へ行く。
「ちょっと」
でんとデスクの上に降りたって仁王立ちになりながら、本人的にはアキオミを睨みつける。
「ん?」
「オミ、ちょっとユールのこと甘やかしすぎじゃない!? もうちょっとちゃんと、任務途中での経過報告とか徹底させるように言える筈だよな」
「え~、ちゃんと仕事してるし、ヤバいことになる前にはちゃんと連絡してくるし」
「そ・れ・が! 悪いって言ってんの! あのバカ犬が増長するのはオミが放任主義するからだろ!」
肩手を腰に当て、もう片方の手を肩の高さに持ち上げてアキオミを指さすバディ。
「そんなこと言うけどさぁ。コギ族の存在自体がもう正義だろ? ユールのツンデレもごちそうさまっていうかご褒美じゃな~い」
へらりと鼻の下を伸ばした笑みを見せるアキオミに、バディが思い切りよく舌打ちをする。
「もうホント、かわいいよね~。ユールのツンデレに、ギールの照れデレ。それにシャールの……」
「シャーラップ! とにかく! 放任主義してると、あのバカ犬、結局あとになって自分内反省とか訳のわからないことしだして面倒くさいことになるんだから、ちゃんと手綱ひいてくれよな!」
「それはバディの仕事でしょ~?」
「……ムカつく」
「大丈夫。ユールは分かってるよ。ユールだけじゃなく、あの子たちはみんな、な?」
「超ムカつく」
ぴょんと跳び上がりざま、バディはぽくっとアキオミの顎に拳をねじ込み、ふよふよとコギ部屋へと飛んでいく。
「ホント、キミたちはいいバディだよ」
バディの耳でも聞きとれないくらいに小さく、温かな視線を向けながらアキオミが零すのも、毎度のこと。