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「ギールちゃん、おかえり~!」
「ただいま~」
一仕事終えて帰還してきた巡察士を迎えたのは、彼のバディだった。
文字通りすっとんできて迎えてくれたバディとともに、彼は自分のデスクが入れられている別室へと向かう。
事務机が5台入れられており、そのうち2台は使われている様子がない。
残りの3台にはデスクトップのPCがそれぞれに乗せられており、開いたままの読みかけの本が載っていたり、やや雑然としていたりとそれぞれに使っている人物の個性が出ている。
ギールと呼ばれた彼は、開きっぱなしの本がのっている自分のデスクへと進むと、ぽすんとキャスター付きの椅子に腰を落ち着ける。
足先が床から浮いてしまうのはご愛敬だ。
「ギールちゃん、ベルト外して。双刀、メンテに出してきてあげる」
ふわりとデスクの上に降り立つとギールのバディは、彼を促して腰につけている双刀を剣帯ごと外させて受け取る。
「メンテ、出してくるからね。報告書、書いてよ」
「うん」
そのサイズ感からすると相当重い筈なのに、彼のバディはひょいと剣帯ごと肩にかけるとふわりと浮かび、宙を滑る様に進み部屋から出て行った。
その背を見送り、ギールは小さく溜息を零す。
それでも言われたとおりにPCをたちあげると、雛型のデータをひらいてぽちぽちと今回の異界送りの報告書の入力に取り掛かった。
PCの操作があまり得意ではないから、入力のペースは本当にぽちぽちと随分とゆっくりだ。
今日の日付や場所、発生状況など雛型にそって入力をする姿に、通りかかるスタッフたちが腰高の強化ガラスごしに微笑ましそうに口元を緩めている。
彼の所属するチームはその職務内容からそこそこに機密度が高く、雑談レベルでもちょっとした機密漏洩とされてしまうため、他のスタッフとは隔離した方が良いと判断されてこうして壁を立てて別室をあつらえることになったのだが、そうと決まった時にスタッフたちが大反発したのだ。
彼らが仕事する姿は、スタッフ達に癒しを与えている。
彼らの姿がない職場になど来る必要はない。そんなことをするなら、全員でストライキを起こすと。
当人たちを差し置いてスタッフたちと上層部の話し合いがもたれた。その結果、彼ら様に別室を用意することに決まった。話声が漏れないように防音仕様にするが、壁の腰上から1m分を防音効果の高い強化ガラスにするという条件付きで。
そんなやりとりがあったなど、当人たちはそんなことなど知る由もないのだが。
カチャと、オートロックの部屋のドアが開かれる音が大きな三角の耳が拾い上げる。
視線をPCのモニターからドアの方へと向けると、目が合う。
「早かったんだな」
そう声をかけられ、ギールはこくりと頷く。
「おかえり、アー兄」
「ただいま」
入ってきた人物に声をかければ、彼は腰に佩く剣を剣帯ごと外して彼のバディへと自然な動きで差し出して受け取らせると、自分のデスクへと向かいギールがしたのと同じようにPCを立ちあげる。
しばらく待って起動したPCに向かって、そのキーボードをまるで鍵盤楽器を奏じる様になめらかに弾いていく。ギールのキーボードからもれるぽちぽちとゆっくりしたタッチ音とは雲泥の差だ。
ギールがようやく半分ほど仕上げたところで、アー兄と呼ばれた彼は席を立ち、この防音室が作られた時に一緒に設えてくれたミニキッチンへと足を運んだ。
ミニキッチンも室内でさらに壁に仕切られているが、これもまた腰高はガラスになっている。彼らがお茶を入れる様子すら癒しだと、スタッフたちが交渉の結果もぎとった勝利の一部だ。
CORGIと色違いでプリントされたマグカップを二つもち、彼はその片方をギールのデスクにそっと置く。
「ありがとう」
「ん」
素直に感謝の言葉を口にするギールに短く応え、自分のデスクへと戻っていった。
ぽちぽちとキーボードを打つ合間に、淹れてもらったミルクたっぷり甘い目の紅茶を口にするギール。
ようやく残り1/4ほどまで入力したところで、ドアが開く。
「ただいま」
「おかえり」
「ん」
入ってきた彼を、それぞれに言葉で迎える。
「アー兄の方が早かったんだ。あ、ギーもいたんだ」
前半は楽しそうに、後半はそれよりもずっとトーンダウンした口調で言いながら、三人目の彼は自分の席についた。
そこに彼のバディがすっとんできて、その勢いのままに拳を作って頭に拳骨をおとし、さらに頭の上に着地して腰をかがめ、大きな三角耳にてっぺんをぎゅうと両手で引っ張り上げながら大きく息を吸い込んだ。
「こぉのバカ犬! なんでもかんでもケンカ吹っ掛けるなって、何度言ったら分かるんだー!!!」
耳元でというよりも、鼓膜に叩き込むと言った勢いでまくしたてる。
「うるさいなー! オレが悪いんじゃないし。あれは向こうから吹っ掛けてきたから、露払いしただけだし」
ぶるんと頭を振って払いのけようとしたが、しっかりと足を踏ん張り耳先を掴んでいるバディはその程度では振り落とされることはない。
「吹っ掛けた来たからって、そう仕向けてるの誰だよ!」
「あっち」
「おまえだよ!!」
頭の上にバディをのせてきゃんきゃん言い合っている様子を、スタッフたちが壁の向こうから微笑ましく見ているが、もちろん当の本人たちはまったく意に介していない。
界統括機構。
世の中には“界”と呼ばれ“世界”と認識されているものがたくさんある。
それぞれの界はそれぞれに独特の文化や文明、生命体をもち、管理者によって管理されている。
界統括機構では文字通りそれぞれの界の管理を行い、管理者が正しく管理を行っているかといったことを監督するための機関だ。
その業務内容は多岐にわたる。
界自体が寿命を迎え崩壊することもあれば、新たな界の誕生も起こる。
界の管理者が寿命や界での争いに巻き込まれて亡くなったり変更があったりといった管理から、管理者が界に故意に悪影響を及ぼすようであれば調査しその結果次第では管理者を拘束することもある。
界の管理から、管理者の監督まで界に関することを幅広く取り扱うのが、界統括機構だ。
界に関するあらゆることを取り扱う界統括機能が、内部では様々な部署に分かれている。
なかでもここ十年ほどで三倍以上に対処件数が膨れ上がり、界統括機構としても楽観視できないようになっている事件がある。
別の界の住人を相手の意思を無視して勝手に移動させるというものだ。界の管理者自身がそれに関っていることもあるが、界の住人が行っていることが多い。
ごく稀に別の界に生まれるべき魂魄が紛れ込んでしまったりすることもあり、そうしたものたちを元の界に戻したり、逆に界の管理に必要となって別の界から迎え入れる必要が出てくることもある。
そうした場合は、管理者からの連絡を受け界統括機構が調査を行う。正当性が認められれば申請、対象者への連絡説明を行い対象者の承諾のうえ、移動許可を行い、界を移動させることができる。
だが、管理者でもきちんとした手続きを踏まないものがいたり、界統括機構の存在など知り得ない界の住人たちが様々な目的から別の界の住人を呼び込んでしまうことがある。
後者の場合、そういう事態が起こらないようにと管理者の方でも気を配っているものの、なかなか事前に感知できないのが現状だ。管理者の主な仕事は界の運営管理がメインで、どんなに小さな界でも管理者がすべての生命体の個々を識別して認識管理できるような規模ではない。そのため、どうしたって生命体個々の単位での活動を監視することは難しいのだ。
管理者が行った事ならば、その管理者が管理する界の住人を勝手に別の界に移動させても、自分の界に戻すことは可能だが、問題なのは、そうでなかった場合と界の住人が行った場合だ。
管理者が別の界の住人を許可なく違う界に移動させた場合は、その管理者が対象者を元の世界の戻すことは出来ない。
理由については全容が解明されていないが、別の管理者が介入することで、当該管理者の界に及ぼす管理から外され、どこにも所属せず宙ぶらりんな状態になって管理者からの影響を受け付けなくなるからではないかと考えられている。
また、界の住人が勝手に別の界の対象者を呼び寄せた場合も、管理者による界の移動が出来なくなる。
こちらについても完全に解明されていない部分はあるが、同じ様な理由だろうと考えられている。
界統括機構を通さず、また犯罪に抵触はするが管理者が自分の界の対象者を移動させたというパターン以外で界を移動させると、多くの場合は元の界に戻ることができないということだ。
元の界に戻りたくとも戻れずに、移動させられた界で亡くなるものも少なくはない。
そんな事態が多く発生するようになったことが、新部署の設立に至った。
『異界渡り監察課』
異界渡りとは界から界へと移動することで、不当に異界渡り、つまり別の界へと移動させられた対象者たちを発見、保護し、必要に応じて個々に対処するために設けられたのがこの部署だ。
中でも実際に界を移動し対象者に接触する業務を担うものを、異界渡り巡察士(課内略記号CO:crostrang officer)と呼ぶ。
異界渡り巡察士は今のところそう多くはない。また、彼らが持つスキルによりCOの後に略号が追加されてゆき、その巡察士がどのレベルのことができるのかが分かる。
RスキルはRescue:異界渡りした対象を、元の界に戻すスキル。
GスキルはGuardian:異界渡りした対象を護衛するスキル。
IスキルはIntegrate:異界渡りした対象を異界での存在を馴染ませる/統合させ、かつ元の界との統合性を取るスキル。
どんなことが起こるか分からないが、少なくとも自分の身の安全と対象の安全の確保が求められるため、巡察士はほぼ全員がGスキルを持つ。
個人で持つことが困難なのが、RスキルとIスキルだ。
Rスキルは自力で異界渡りができるという特殊な能力を持っていなければ出来ない。訓練次第では獲得することもできる。特に巡察士に求められるのは、他者を伴う異界渡りの能力で、このレベルとなると訓練での獲得確率は非常に低い。そのため巡士官でRの肩書をもつものはGに比べると極端に少なくなる。
それがIスキルともなると残念ながら異界渡り監察課の中でも課長を含めた4名だけだ。Iスキルは異界渡りした対象が、元の界に戻ることなく移動させられた界で活きて行くことを選択した場合に必要となる。移動させられた界での存在の受け入れと、元の界での存在の喪失を、それぞれの界に馴染むように統合を計るというものだ。多くの場合、元の世界ではそもそも存在していなかったという操作を行い、移動させられた先の界での当初から存在しており、その界の生命ルールに沿うように操作するということが多い。
現在、異界渡り監察課で実働している巡察士の中でも精鋭と呼ばれるランクに在るのは3名。
全てのスキルを持つ彼らの肩書はC.O.R.G.I.
その防音室の入り口に掲げられている手作りらしい雰囲気のプレートに刻まれている。
そう。
彼らは、異界渡り巡視官精鋭部隊、通称CORGIの隊員たちなのだ。
様々な種族、様々な容姿のスタッフたちが働く機構の中、この3名は同じ種属で外見はとても愛らしい。地球界で犬と呼ばれる種属のなかのコーギーという種にそっくりだが、2本足で歩くのが通常のスタイルだ。
彼らの種族の特性としては、姿を変える能力のほか比較的身体能力が高く戦闘スキルも高いことがあげられる。
巡察士ともなると姿を変える能力はかなり重要だ。様々な界を渡ることになるため、どの界でもそこで活動するのに差し支えのない姿を取る必要がある。彼らの場合、今のスタイルだけでなく、四足をつく獣型や、人型に変えることもできるし、途中で変化を止める様な形で半獣半人型を取ることもできる。もちろん、もっと器用に姿を変える種族の者たちもいるが、それだけ姿を変えることができるなら充分だ。
そうした能力の劣る者は、種族に応じて魔力だとか科学だとかを駆使して作られた道具を使い、スキルを補ったり、職務内容を偵察に特化したりすることになる。