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「怪我してない? 大丈夫?」

 どう見たって攻撃力の高そうな危険でしかなさそうなソレを相手に立ちまわりをしたとも思えない様子で、ほてほてと彼の方へと近づいて小首を傾げてたずねた。

「え……。なに? どういうこと……」

「怪我、してない?」

 彼が目の前の出来事を処理しきれずにいると、もう一度同じことを尋ねられた。

「けが……?」

「うん。大丈夫?」

 とりあえず自分の体を見てみる。逃げている最中に枝に引っかけたのかシャツに小さな裂け目があったが、皮膚には傷がついていない。派手に転んだ際についたからだろう、掌や腕に少し擦り傷があるくらいのものだった。

「……大丈夫」

 短く答えると、

「そう、良かったね!」

 と、嬉しそうに返されて、彼は改めて自分を助けてくれたモノへと視線を向ける。

 犬を飼っている友人は数人いるが、そのうちの一人の家で見た……。

 いや、あれはちゃんと四足で歩いていた。けれども、今目の前に居るのは後足で立ち上がり、腰にはベルトの様なものを付けていて、ベストっぽいものを身につけている。

 なに、これ、どういうこと?

「……コーギー?」

 ぐちゃぐちゃになった頭の中で、口から出たのはその一言だけだった。

 友人宅に居た犬の種類の名、だった。

「CORGI知ってるの?」

 大きな三角耳をぴくぴくさせて返された言葉に、ちょっとした違和感を感じながらも彼はこくこくと頷いたところで、目の前のイキモノに助けられたこと改めて思い出して慌てて立ち上がった。

「あの! えーっと、助けてもらってありがとうございます! アパートのドアを開けた筈なのに、なんかこんなことになっていてホントわけわからなくて!」

「そうだよね。びっくりするよね」

「え?」

 自分でも自分の身に起こっていることが充分に理解できていないのに、それを普通に“今日の天気は晴れですね”くらいのテイストで返されて、その反応におどろきを見せればまた小首を傾げられる。

「あ、そっか。地球界の人?」

 そんなふうに問いかけられ、国ではなく地球と言われたことにスケール大きすぎと心の中で突っ込みながらも彼は首を縦に動かして肯定する。

「地球界の人なら納得。コーギーって言ったんでしょ?」

「え? だって、コーギーだし……」

「コーギーじゃなくてCORGI。地球界の人はみんなおれたちのことコーギーって言うよね。地球界の犬族のコーギー種に似てるんでしょ」

「似てるっていうか……。コーギーだし」

 言いながら二本足で立つコーギーを改めて観察する。

 背の高さは、頭の位置で腰の位置よりも高いくらい。友人宅のコーギーが後足で立ちあがっても頭の位置が腰よりも随分と低かったことを思えば、結構大きいのかもしれない。

 毛の長さは中くらいというんだろうか、白と黒と茶色の三毛犬だ。友人曰くトライカラーだと言っていた様な気がする。上半身はベストに隠れていて見えないけれど、背の大部分は黒で腹は白で、境目のなっている辺りに茶色が入っている。顔は口元は白いが全体的に茶色で、頭が黒の毛が混ざっていて幅の広いカチューシャを付けている様に見える。首元はくるりと一周マフラーを巻いている様に白。

“どこから見ても犬だし、コーギーだし”

 ちょっと違うのは2本足で立ちあがって普通に歩いてるのと、普通に話しが出来てることくらいだ。

“あー……。ひょっとしたらさ、アレじゃないか? 夢オチ的な”

 ちょいちょいとシャツの裾を引っ張られ、彼はよその世界に突入しかけていた意識を引き戻された。

「ちょっと話し、きいてくれる?」

「え? あ、うん」

 曖昧な返事をすると、自称コーギーならぬCORGIはじっと彼を見上げてきた。

「あのね、ここ、地球じゃない界なの。で、えーっとなんだっけ、いい言葉教えてもらったんだけど……。あ、そうそう! いせかいとりっぷって分かる? そんな感じで、ここに来ちゃったの」

 コーギーの口から異世界トリップなんて言葉が出るとは思わなかったなぁ。誰かに教わったらしいけど、確かに分かりやすいけど……。

 そっと心の中だけで突っ込み、話を続けるCORGIの言葉に耳を傾ける。

「で、ここに来るにあたって、誰かと契約したとか、そんなっぽい夢を見たとかある?」

「は? いや、ないけど……」

「地球界に戻りたい? ここで暮らしたい?」

「ここで暮らす!? いやいやいや、どう頑張っても無理だろ。こんな森の中に放り出されても、さっきにみたいな獣に襲われたら、死ぬし!」

「ん~、じゃあ、帰る?」

「帰れるのか!?」

「うん。できるよ。だってCORGIだから」

 えっへんと胸を張るコーギー。

「ここの界の管理者、こういうことする常習犯なんだ。ごめんね」

 そう付け足すとコーギーはベストのポケットに手を突っ込み携帯っぽいものを取り出すと器用に操作し始める。

 操作自体は難しいものではないのか、すぐに終えてしまったようで、胸ポケットへとしまい込んだ。

「違法渡りの確認も取れたし、帰る?」

「え? そんな簡単に戻れんの?」

「だってCORGIだから」

 ハマりにはまってる友人に押し付けられてるようにライトノベルを読んだが、どれもこれも召喚されたはいいけれど帰る方法はありませんとか、帰るためにはものすごいイベントをこなしまくらないといけないとか、異世界トリップものはそういう系ばかりだった。

 目の前のコーギーが“地球に戻りたい?”だとか“帰る!?”と言うのも、てっきり何かいろんな条件的なものをこなさないといけないと思っていたのだ。

「あのさ、戻るためにこんなことしなきゃいけないとか、なんか面倒くさいことあったりとかしないのか?」

 だから、つい聞いてしまった。

「特にないよ。たまにそういうのに当たっちゃうこともあるけど」

「……。今帰りたいって言ったら、今帰れたりとか?」

「するよ。帰る?」

「そんな簡単に帰れるのか!?」

「だから、CORGIだからって言ってるでしょ」

 コーギーとCORGI。

 微妙な違和感の正体はもうそこしかないなと、流石に察して彼はこれについてたずねようとして……ためた。

 好奇心は猫を殺すのだ。

 友人に押し付けられた異世界トリップ系の小説の中の主人公がやっちゃって、のっぴきならないことになっちゃう。妙なことをしてしまったり知ってしまう前に、帰れる時に帰るのが無難なのだ。

 そう自分に言い聞かせた。

「いろいろ気になることもあるけど、なんかいいわ。帰れるなら帰りたい。帰してくれるか?」

 自分内結論を口にすれば、コーギーは分かりやすくにぱっと笑みを浮かべる。

 友人のトコのコーギーもよくこんな顔するよな。あれ、笑ってたんだな。

 そんなことを思いながら見ていると、コーギーが短い前足を彼の方へと差し出した。

「手、繋いで」

 言われるままにコーギーの前足をそっと握る。

“うん、肉球だ”

 掌にあたる感触に、ついふにふにしたくなるがぐっとこらえた。なにせ妙なことはしないと、さっき自分で決めたところなのだ。

「ちゃんとぎゅってしててね。あと、目、つぶってる方がいいよ。ちょっとまぶしいあとに、ぐわーってなって、そのあとまたまぶしくなるから。2回目のまぶしいの後に、俺の手の感触がなくなったら目、開けて。元の場所に戻ってるから」

「分かった」

 いや、本当は“ぐわーってなる”っていうあたりについて、もう少し詳しく聞いておきたい気持ちもあるのだが、彼はこれもあえて聞かないことにして言われたとおりに目を閉じた。

 直後、目を閉じてなお瞼を焼き切る様なまぶしさに包まれ、ぎゅうぎゅうと四方八方から体を押さえ込まれる様な感覚に襲われる。その感覚ときたら、けっして気持ちの良いものではなく、コーギーが“ぐわーってなる”といったのは結構正しい表現だったと心の片隅で呟いた。

 ぐわーっとなっているのが長く続いた様にも思うし、ほんの数秒だった様にも思う。

 再び、瞼閉じてなおまぶしい光の波にのまれ……。


 自分が目を閉じて立っていることに気付いた。

 手の中にあった肉球の感触はもうない。

 だからそっと目を開けた

 見慣れた景色が視界に入ってきた。

 大学に入ってから一人暮らしをしている、ワンルームのアパートのドアをまさに開けたところだった。

 狭い玄関にはサンダルと一張羅の皮靴。

 一歩踏み入れると、そこにあるのは日常だった。

 いつものようにスニーカーを脱いで部屋に入り、肩にかけているバッグを布団の上げ下げが面倒という理由で買った安物のパイプベッドの上に投げ出す。

 チッチッチッと枕元で時を刻んでいるアナログな目覚まし時計の秒針の音に、耳と視線を引き寄せられ長針と短針が示す時間を見てどうしてだか苦笑が浮かんだ。

 5時限が休講で途中でスーパーに寄って帰ったら確かにこの時間だろう。

 ふと思い出し、ベッドに放り出したバッグから携帯を取り出して電波状態を確認すれば、アンテナ表示がきちんと電波受信状態にあることを知らせてくれる。

「白昼夢……」

 思わず呟き、ぶるぶると左右に頭を振る。

 あれは夢じゃない。

 現実だった。

 その証拠に、あの時確認したシャツの裂け目は今もあるし、掌や腕の擦り傷は消えていない。

 なにより……。

「あー……。どうするよ、晩飯」

 大学からの帰りに寄ったスーパーで買った特売品の卵がない。

 バイトの給料日前でちょっと厳しいから、米だけ焚いて鶏肉なしの親子丼、つまりは卵丼にしようと思っていたのに、メインを飾る筈の卵がない。

 二つ頭の獣に追われている時に投げつけた覚えがある。

 どうせならあれも回収して一緒に帰らせてくれたらよかったのに。あ、でも全部割れてるか……。

 ぐうぅうぅきゅるるるぅぅぅ。

 体がエネルギーを寄越せと訴える。

 バッグの中から財布を取り出し、小さな玄関へと戻ると脱いだばかりのスニーカーに足を突っ込む。

「売り切れてなきゃいいけど」

 そう呟きながらドアを開ける。

 向かう先は大学からの帰りに寄ったスーパーだ。

「これ、あいつに言ったらすげー絡まれるんだろうな」

 呟きながら階段を下りる。脳裏に浮かんでいるのはライトノベルをごりごりと押しつけてきた友人の顔だ。

 おまえ頭大丈夫かと言われる前に、そこんとこKWSKとか言われてこっちがどん引くどころじゃすまないくらいに絡んでくることしか想像できなくて、彼は小さくため息をつくとともにこのことは自分だけの秘密にしようと記憶にそっと蓋をする。

「明日、あいつン家によるか」

 次に浮かんだのは犬飼いの友人の顔。胴が長く足が短い、茶色と白の被毛に覆われた大きな三角耳の犬を彼は飼っている。

 あの2本足で立ってヤツもあれはあれでやっぱ“コーギー”だったよな。

 コーギーとCORGIの違いについてはいつまでたっても分からないだろう。

 分かるのは友人宅の犬がコーギーだということ。

 そして、日常という名の平穏がとても素晴らしいと感じる自分がいること。

 危険な二つ頭の獣を颯爽と倒したあのコが、ちょっと天然ぽくてかわいかったなと、二度と会うこともないCORGIのことを、蓋した記憶とは別にたまに思い出したいなと思うこと。

「のんびりしてたら、本当に売り切れるな」

 言い聞かせる用意呟くと、彼は走り始めた。

非日常の中で必要に駆られてではなく、日常生活に戻るために。


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