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 それから3週間。

 もともとの素養も大きいのだろうが、猫族の割には社交的なグレイは特に兵団の中で受け入れられすっかりなじんでいた。

 グレイが兵団の訓練場へ行くときはシャールも端からついて行くつもりをしていたからかまわないのだが、彼は毎回シャールを“誘い”にというよりも迎えに来るようになっていた。

 そのおかげもあるのか、どこからどんなふうに情報が漏れたのかは不明だが、きつかったシャールに対するあたりは、今では随分と柔らかくなっている。自分へのあたりがどうとかこうとか気にするシャールではないが、結果としては動きやすくなり情報が入りやすくなった点においては良い傾向だと感じていた。

 今日も朝からグレイがシャールの部屋のドアをノックする。

「シャール、行こう~」

 声をかけられ、シャールは装備を整えると部屋を出る。

 違法界渡りさせられた当初はシャールを“さん”付けで呼んでいたグレイだが、3日と経たないうちにシャールに“さん付け禁止令”を出され、今ではシャールの前では彼のことを“シャール”と呼ぶようになった。さん付けしなくなったのはシャールの前だけなのを知らないのは、当の本人のみ。

 朝からいつも通りにご機嫌な足取りのグレイと共に、向かう先は兵団の訓練場。

 傭兵業が国の収入源なだけあり、兵員の数もかなりのものだった。

兵団は大きく分けて4つあり、訓練場もそれぞれに与えられている。王城内のグレイやシャールが泊っている居城を中心にそれぞれ東西南北にそれぞれの兵団がそれぞれの訓練場を構え、名称もその方角のままに“東の兵団”“西の兵団”と呼ばれている。

グレイの警護についている虎族のリッジと豹族のグエンが北の兵団の所属で、初めはそこに入り浸っていたグレイだが、今は他の兵団にも出入りしている。

今日は西の兵団の訓練場へと向かっているらしい。

 西の兵団はグレイが得意とする拳術を使う者の割合が他の兵団よりも多いこともあり、今では一番初めに入り浸っていた北の兵団と同じかそれ以上に入り浸っていた。

 特に兵団の副団長を務める狼族のエンリとは気が合うようで、リッジとグエンの警護が付いているものの、夕食後に城を抜けだして街に呑みに繰り出したりしているくらいだ。

 他の兵団に比べて西の兵団はシャールにとっても、ある意味では気が楽な場所になっていた。


『犬族大好き!』


と、憚ることのないグレイの、気の合う狼族のエンリが居ることで、他の兵団に居る時よりもシャールに纏わりつかないからだ。そのおかげで自分のための稽古に励むことができる。

 モノ好きな団員が手合わせを申し出てくることもあるが、ほとんどは実戦と想定したシャール曰くの“素振り稽古”をしている。その動きがまるで演武を見ているようだと、どこの兵団でも同じようにささやかれていることはシャールは知らない。

 エンリに駆け寄るグレイからシャールはしれっと離れ、訓練場のほぼ対角線上まで移動すると大きく伸びをする。

 この3週間ほどの間に、討伐部隊の編成と出兵時期についての情報を得られることはなかったが、こうして兵団の訓練場を渡り歩くグレイの付き添いをしていたおかげで、兵力の規模についての把握はほぼできた。

 東西南北の兵団の戦力は、平均すると均衡しているが、それぞれに特徴がある。

 東は魔術を、西は拳術を、南は槍術を、北は剣術を操る者たちが他の団に比べると割合としては多い。そのための団といえるほどの割合ではなく、あくまでも他の団に比べるとという程度だ。そのための団だといえるほどに特化させるよりも、平均的にレベルをあげさせて戦闘時に苦手な分野を持たせない様にするのが狙いらしく、全体的にみたときの軍としてのバランスがとても良い。

 その証拠に、どんな得物を持つ者と手合わせをしても、よく間合いをとり充分に対応しているのが観察できた。

 特にシャールを唸らせたのは、拳術と弓術の手合わせだ。極端に間合いが違うにも関らず、互角に渡り合う。流石にこれには感心すればいいのか閉口すればいいのかと、心の中で呟いたほどだ。

 くわわわぁ、と大きく欠伸を漏らしながら程良い感じの木陰に入り、それを作り出す樹の根元に腰を降ろして幹に背を預ける。

 この場所も西に兵団に来た時に陣取るのが、シャールには常のことになっている。

 ちょっと見にはそこにいると分かりにくく、なおかつそよそよと風が抜けて気持ちが良い。

 要するにちょっと気を抜くには丁度良い場所なのだ。

 異界渡りさせられ元の界に戻ることを希望しているにもかかわらず、すぐに戻れない状況を作り出してしまった対象をそれまで安全に確保し続ける、つまり、守護し続けるguardianスキルを持っていても、適当なところで緊張を抜くことを知らないと完遂することは出来ない。

 シャールの今回の任務の中で、ここは多少緊張を抜いてもよいと決めたのがこの場所だ。

 少なくとも二人の護衛がグレイにはついているが、西の兵団では特に彼が懐いていることもあって副団長にほぼべったりで、さらに警護が強化されているようなものだからだ。

 木の幹に背を預けたまま、シャールはうとうとと微睡に誘われゆっくりと瞼を閉じる。

 ふと、瞼の裏に浮かんできたのは同族の二人の巡察士。

 たいして歳のかわらないシャールのことをどうしてだか『アー兄』と呼ぶ、ギールとユール。

 ほぼ2歳ずつ歳が違い、一番上がシャール、次がギールで一番下がユール。ローティーンなら2歳差は大きな壁となるだろうが、もっとずっと長く生きている彼らからすると、一ケタ程度の年齢の違いは“同い年”のくくりに入れられる程度の僅かな違いでしかない。

 少し子供っぽいところのあるギールと、そんな彼に妙にくってかかるユール。

“仲良くしてればいいけど……”

 心の中で苦笑と共に呟く。

 バディたちが残っているし、アキオミがいるからどうとでもなるだろうと思いなおし、緊張の糸をゆるゆるとゆるめ微睡におちた。


 小一時間ほど経っただろうか。

 シャールが急に目を開き、体を跳ねさせ横に飛びすさった。

 ドカッ

 シャールが背を預けていた木の幹を、重そうな音を立てた原因であるブーツの底が踏み抜いていた。

「相変わらず、反応が良いな」

 ニィッと口角を持ちあげ、そのくせ全く悪びれる様子もない犬族の男が足を戻しながら言う。

 シャールは小さくため息をつく。

 その犬族の男は西の兵団の団長を務めるリッケルで、ここへ来ると2度に一度の割合でこうして絡んでくるのだ。

「いいもの、持って来てやったぜ」

 リッケルはそう言いながら、シャールが座っていた場所に腰を降ろすと、手に抱えているカゴにかぶせている布を取って地面に広げカゴをのせる。

「そろそろ言い飽きてきたけど、団長様がこんなところでサボっていていいのか?」

 呆れたように返しつつも、シャールは木陰に戻りカゴの側に腰を降ろした。

「サボるなんて相変わらず人聞きの悪い。俺は、せっかく神官達が召喚したグレイを、元の世界に送りかえすなんて言いやがるワルモノの監視兼懐柔をしてるだけだぜ?」

「はいはい」

 若干芝居がかって力説するリッケルの言葉を、シャールは面倒くさそうにさらりと流す。

「と、言う訳でだ。呑むだろ」

 こんなやり取りも一度や二度ではないため、リッケルはカゴの中から小瓶を2本取り出し一本をシャールに差し出す。

「まだ昼にもなっていないのにか?」

「いらないなら、俺が呑む」

「いらないとは言っていない」

 シャールはそれを受け取ると、カゴの中を覗き込む。

「今日の“懐柔”料理はなんだ?」

「本日の“接待”料理は、俺様お手製ヤクのチーズとエルクのロースト、ボアのスペアリブ」

「悪くないな」

「もっと褒めてもいいんだぞ」

「それは食ってからだ」

 軽口を叩きあいながら、それぞれにカゴの中に手を伸ばしながら小瓶の中のエールをゆっくりと傾ける。

 リッケルの言う“ワルモノの監視”は確かに彼に命じられているのかもしれないが、それを堂々とサボるための免罪符にしているとは、西の兵団内ではもっぱらの噂だ。

 シャールの立場は、彼が言うようにせっかく召喚したグレイを元の世界に戻すなんて言って横からかっさらおうとする“ワルモノ”なのだが、グレイがやたらと懐いてやたらとシャールを連れ回すおかげで、誰も面と向かって“敵”扱いできない。

 戸惑っているうちに、シャールが仕様としていることは彼らにとっては“悪”だが、当の本人自身は武にも秀でていて少しぶっきらぼうだけれど基本的にいい人だと認識してしまっていて。

 むしろお近づきになって、気兼ねなく稽古や仕合の相手をしてもらえるようになりたいと、そんなふうに思われる対象になっている。おかげで、免罪符を掲げて気軽に近づいていくリッケルは、兵団員たちからうっすらと羨望の眼差しを受けている。

 もちろん、当の本人たちが知る由もないことだが。

「このスペアリブ、美味いな」

 エールの瓶片手に、もう片方の手でつまみあげたスペアリブにかじりついたシャールが素直に感想を口にすると、リッケルは得意そうににんまりと笑う。

「そうだろ! 丸一日しっかりタレに漬け込んでるからな。あ、もちろん、タレは愛情たっぷりなお手製だ」

「愛情が余計だ」

「失礼なやつだな」

 軽口をたたきあうこの関係は嫌いではないようで、シャールもリッケルも互いに肩の力を抜いてエールと肴をゆっくりと愉しむ。

 エールと肴で小腹が満たされると、次に訪れるのは先にシャールがむさぼろうとしていた微睡への誘惑。

 くわぁぁぁ

 くわわぁぁぁ

 犬族二人が大口を開ける。

 互いに場所を陣取り合い、同じ木の幹に背を預け目を閉じる。

 西の兵団の訓練場の中では目立ちにくいおさぼりポイントのこの場所は、兵舎の1階にある食堂裏の料理場からは割と良く見える位置になっていて。

 シャールがここへ来るようになってからというもの、良く見かける様になったその光景を、そこで働く者たちが微笑ましそうに眺めていることも……。当人たちの預かり知らぬところだった。



 さらに2週間が過ぎ。

 もうそろそろ出撃を決めるくらいのことはしてもいいんじゃないのかと、シャールが眉間の皺を深くし始める。

 トータルで一月以上も経っているのに、兵力をまとめ上げている様な様子がこれっぽっちも感じられないからだ。

 たとえ兵力をまとめ、その発表を行うのがまだだったとしても、糧秣や装備などの準備の気配があってもよいはずなのに、それすら感じない。

 この期間がグレイの力量を見極めるためという名目で兵団を渡り歩かせていたというなら、それはそれで納得できる部分もある。だが、それにしては準備期間を置きすぎなんじゃないかと、シャールは思う。

 グレイの言い分は通っている筈なのだが、王をはじめとする権力者たちの間でなにか面倒事になっているのかもしれない。狐族の神官カイナの言葉からすると、被害はかなり深刻で早急に対処するためにとグレイの違法異界渡りを敢行した様子だったのに、いくらなんでものんびりしすぎだろうと。

 いよいよ長引きそうな任務の気配に、シャールは大きくため息をつく。

 長期の任務が嫌という訳ではない。

 先の見通しがつかないということが嫌なだけで。

「さーて、どうしたものかな」

 呟きながらも、とりあえずは狐族の神官に会って話を聞いてみて、情報が得られないなら諜報活動だなと計画を立てる。

 監視をつけられてはいるものの、兵団長クラスが相手というわけではないのでその目をかいくぐることなど難しくはない。しかも、その監視自体がここへ来た当初から比べると、驚くほどに友好的で甘くなっているのだからなおさらだ。

 そうと決めたら、まずは狐族の神官カイナに面会を取りつけることから始めなければならない。

「おい」

 室内ドア横に配置されている監視に声をかける。

「狐族の神官と話しがしたい。取り次ぐように言ってくれ」

「カイナ様に取り次ぎ?」

「そうだ。無理か?」

「お忙しい方だ。すぐにという訳にはいかないだろうが……」

「構わない」

「分かった」

「ありがとう」

 今行かないということは、監視の交替に合わせるつもりなのだろう。

 じきに朝食が運ばれてきて、食べ終わった頃にはグレイが迎えに来る。その時間に合わせてシャールの監視は自動的にその日の兵団へとうつり、夕方戻ってくるのに合わせてまた監視がつく。

 うまく行けば明日にでも顔を合わせられるかもしれないな、と胸の内で算段する。


 その算段は良い方に裏切られた。

 今日も西の兵団にきていて、いつものようにいつもの場所でのんびりと羽を伸ばしていた。

 近づいてくる人の気配。

 この場所を陣取るシャールを、2度に一度の割合で酒と肴をもって襲撃に来る西の兵団長のものとは違う気配に、シャールは目を開ける。

「あぁ、狐族か」

 その姿に呟けば、狐族の神官長は僅かに眉間に皺を寄せながら、さくさくとシャールの側まで進んできて足を止める。

「何か話しがあるのだと聞きましたが」

 神官長カイナは立ったままで尋ねた。

「わざわざ、すまない。流石にいい加減気にし始めてもおかしくないだろう? 一体、いつになったらグレイを出すんだ? 随分と切羽詰まった様子だと思っていたが、そうではなかったのか? だとすれば、なかなかの演技派だな」

「言いたいことはそれだけですか」

「障害があるなら、取り除いてやってもいい」

 さらりと受け流そうとする様子のカイナの耳先がピクリと動いた。

 やはり何かしら課の横槍が入っているのだと確信し、持ちかけるとカイナはそのままでじっとシャールを見据える。

「それを、あなたが言いますか」

「あいつを“召喚”したくらいにはおまえたちにも信念があるだろう。それと同じように、俺にも信念がある。本人の同意もなく還す手段を持たずに喚び、都合を押し付けるなど……。された当人にしか分からないだろう?」

 シャールにそんなふうに投げかけられ、カイナの口角にきゅっと力が入る。

「俺の任務はグレイを、グレイが望んだタイミングで元の界に戻すこと。それまでの間なら、雇われてもいい。必要があるなら、な」

 神官長などという立場ではあるようだが、自由に動かせる手駒がないのかもしれないと感じてのことだった。

 グレイを異界渡りさせたあの時の様子から考えれば、多少の横槍を入れられてもこの狐族の神官長なら押し進めそうなのに、あえて横槍を喰らっているのは、相手が彼よりも上位にあるのだろうという予測もつくが、自分の手駒もないのだろうとそう判断したのだ。

 手駒があるならこの神官長なら、自分よりも上位の者たちからの横槍もうまく捌くだろうに……。

「そっちは民の安全の確保、こっちはグレイを戻す。互いに利はあると思うが?」

 追い打ちをかける様に口にすれば、カイナはきゅっと目を閉じゆっくりと大きく息を吐き出してから目を開いた。

「……なにが、出来ます」

 そう問うたのはカイナ。

「何をさせたい。後で面倒事に巻き込まないと保証するなら、諜報だろうが闇討ちだろうがなんだろうが可能だ」

「大きく出ましたね」

「初めて赴く異界で、それでも異界渡りさせられた対象を見つけて確保し、元の界に送りとどけるんだ。そのくらいはできないと、この仕事は出来ない」

「……。いいでしょう。あなたの実力については兵団長達からも聞いています。具体的に何をしていただきたいかは、追ってご連絡します」

「了解」

 短く応じると、カイナは何か言おうと口を開き……きゅっと閉ざす。神官服らしい長い裾をひるがえすとシャールの背を向け立ち去って行った。


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