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 彼は必死に足を動かし続けていた。

 自分でも五月蠅いと感じるくらいに、口からは喘鳴かと思えるほどの切迫した呼吸音が発せられ、言葉なんて紡ぐような余裕はこれっぽっちもない。

 とにかくここから逃げるしかない。

 脳裏を占めるのはそれだけだった。

 深い深い森の中、彼にとってはこれまで一度たりともしたことがないほどの長い時間を全力で走り続けている。


 どうして。

 どうして!

 どうして!!


 筋肉に限界が訪れる。

 足が思っている様に上がらなくなり、大きく張り出していた木の根につま先を引っかけられてバランスを崩した。

 そのまま前のめりに転倒し、それでも逃げなければという気持ちと、今の自分のおかれた状況に対する……葛藤ともいう心情とで体がうまく動かない。

 体を反転させて上体を起こし、ソレに対して腕を顔の前でクロスさせて本能的な防御態勢を取ることが精一杯だった。

 大きな牙を持つ二つ頭の四足の獣が、飢えた目で獲物に留めをさすべく大口をあけて自分の方へと跳びかかってくるのが、他人事のように、それこそ映画やアニメのワンシーンの様にまるでスローモーションのように映る。


 どうして!?


 よぎるのは、時間的にはここ1時間ほどのことだろう。


 走馬灯って……やつかよ。


 大学からの帰路の途中だった。

 5時限が休講になったため、うきうきと家路へとついた。電車を使えば10分、歩けば30分の道のりを少しでも節約するためにと徒歩で通い、途中に寄ったスーパーでチラシの特売の卵をゲットしてかなりご機嫌だった。

 スーパーのビニール袋をかさかさ鳴らしながら、狭いながらも風呂トイレ別のワンルームのアパートにたどり着き、ジーンズのポケットに突っ込んでいる鍵を取り出し鍵穴に差し込む。

 いつものようにカチリと小さな音を立てて鍵が開き、ドアを引いて開けて……。

 そう。

 そこまでは間違いなくいつも通りだった。

 いつも通りじゃなかったのはここからだ。

 開けたドアの向こうには、いつもの見慣れた部屋はなく、四角く切り取った星空のようなものがあった。

「はぁ!?」

 視界に飛び込んできたものの意味など理解できようはずもなく、とりあえずいったんドアを閉じた。

 そういえばここのところバイトを詰め込み過ぎていたから、自分では気付けなかったけれども実は疲れていたのかもしれない。

 そう思いながら、ドアを開け直す。

 視界に映るのは、さっきとおなじでドアの形に切り取った星空の様なもの。

 もう一度ドアを閉め……、開け直すがやはり同じものが見えた。

 三度目も同じものが見え、どうしたものかと進むこともできず、さりとてもう一度ドアを閉めることもためらわれて、そうフリーズした。

 その時だった。

 ぶわりと背を押される様な強風にあおられ、体が前のめりに倒れた。

 ドアの向こうに見える星空の様なものの中に押し込まれるというか、吸い込まれるというか……。

 気がつけば、風に押し倒されて中に入った筈の広いとはお世辞にも言えないワンルームの自分の部屋だとは認識できなかった。

 アニメの映画で見る様な深い深い森といったイメージ。

 なぜここに居るのかすら理解できない。

 肩から掛けていたメッセンジャーバックと手提げのビニール袋が側に落ちていて、手元に引き寄せると、バッグを改めて肩にかけ直した。

 ぎゅっと肩から掛けたベルトを握りしめ、きょろきょろと見回してみるけれども、木々の葉の緑と幹と土の茶色しか視界には無い。普段は気にしたことのもないけれども、人の気配すら全く感じられない。

 しばらく呆然と立ち尽くし、とにかくここから出て、人のいるところに行くべきだと思い至り、訳も分からないままに歩きだした。

 進んでも進んでも景色は変わらない。

 ただただ続く、視界の上半分の緑と下半分の茶色。

 変わらない景色に、体力よりも先に気持ちが音をあげた。

 気持ちが音をあげたことで、足も止まる。

 それとともに、ぐうううと腹が鳴った。

 意識はしていなかったけれども、こんなときでも腹は減るらしい。

 そんなことを思うと、急に自分の体に意識が向いていろんな情報が入ってくる。

 腹が減った。

 喉が渇いた。

 足がパンパンになってる。

 端的に言うなら空腹で疲れきっているという状態だ。

 空腹よりも渇きの方が勝っていて、手にしているビニール袋の存在を思い出し、すぐに溜息をつく。

 中にあるのは大学からアパートまでの途中にあるスーパーで買った特売の卵が1パック入っているだけだ。喉の渇きが生卵丸飲みでどうにかなるとは到底思えない。

 肩から斜めがけにしているバッグの中も、こんな時に限ってペットボトルの一本も入っていない。

「携帯!」

 バッグのことを思い出したからだろう、中に放り込んでいるもののことにようやく思い至り、彼はあわててバッグの中を探って目当てのものを取り出す。

 移動する前に気付けばよかったのに、自分のうかつさに腹を立てながらもスリープ状態を解除し……。

 示されている文字に肩をおとす。

『圏外』

 こうなってしまうとどうしようもない。

 誰かに連絡することもできないし、GPS機能を使って自分が今居る場所を特定することもできない。

 とりあえず少し休もう。

 携帯をバッグの中に戻し、目についた木の方へと歩み寄り幹に背を預けて座りこもうと、膝の力を緩めた時だった。

 パキ。

 枝を踏みおるような音だった。

「すみません! 助けて下さい! ここどこ……」

 他にも人がいるのかと気持ちが沸き立ち、音源の方へと体を向けながら発した言葉は全てを紡ぎきることは出来なかった。

 少し離れた茂みの奥からソレが現れた。

 どう見ても友好的とは思えない。

 どう見ても……。

 彼は身をひるがえし脱兎のごとく走りだした。

 空腹も喉の渇きも、疲れてぱんぱんになってる足も関係ない。

 ソレが追いかけてくるのが気配だけで分かる。

 見たこともない動物。

 形だけなら狼だとか大型犬だとか称することができるだろうけれど、頭が二つついていた。その雰囲気からも目の色からもとても友好的とは思えない。むしろ、狩られると、エサと認識されているのだろうと、分かりたくもないのに感じられてしまう。

 それが感じられたからこそ、こうして脱兎のごとく走りだしたのだ。

 逃げ切れる可能性が低いことが自分でもわかる。

 どう考えたって、四足の獣に足で勝てるとは思えない。

 友人宅で飼われている小型犬でさえ、本気で走らせたら人の足を追いこすくらいなのだ。大型犬よりもまだ大きい位の獣にどう頑張ったって敵わない。

 そんなことは分かっている。

 分かっていても、足を止めたらすぐにあの二つの頭で、大きな牙の餌食にされるだろうことが容易に想像できるため、足を止めることは出来ない。

 ソレもこの獲物が捕えるのにたいして難しいものではないと分かっているのだろう。じわりじわりと距離を詰めてくるが、一気に跳びかかってくる様子は今の頃は無い。疲れてもっと動きが鈍るのを待っているのかもしれないが。

 手にしたままのビニール袋を勘だけで後ろに投げつけるが、その程度でソレがひるむ様なことなどなく、ゆっくりと距離を詰められる。

 それでも必死になって走り……。

 張り出した木の根につま先を引っかけられ、転倒した。

 充分に追い詰めたと判断したのだろう、一気に詰められ、ソレが二つの頭のそれぞれの大口を開けて飛びかかってきた。


「ギャオゥッ」


 脳内を走った走馬灯から、現実に引き戻されたのは、襲い来ると予測した痛みではなくくぐもった感じの獣の悲鳴らしき音だった。

「大丈夫!?」

 顔をかばう位置であげてクロスさせていた腕を僅かに降ろすと、ソレが地面に転がり、自分との間に別のモノがいるのが見えた。

「そのまま、動かないで」

 ソレは自分を跳ね飛ばしたモノを、獲物を横取りする敵とみなし、先に排除すべくターゲットを絞り直した。

 新たに現れたモノはソレに向き合うと、半身を引いて初撃を交わし、いつ手にしていたのかすれ違いざまにざくりとソレの片方の頭の口の中に大きなナイフの様なものを突き立てた。

「ギャッ」

 ナイフを突き立てられた方の頭がぐたりと力を失い、ぐったりと頭を垂れる。

 片方の頭を再起不能にされ、ソレは低く唸りをあげながらじっと睨みつける。追い込まれた時の獣の本能で“逃走”か“闘争”のどちらが有利なのかを読み取ろうしている。

 ひときわ大きな唸りをあげてソレは地を蹴り、新たなモノへと跳びかかった。

 ソレは闘争を選んだのだ。

 が、その判断はソレにとっては正しい行動とはならなかった。

 残った頭での初撃を交わされ、踏み込みながら牙を振るうがかすりもしない。するりするりと交わされ続けるうちに、攻撃が当たらない怒りから動きが荒くなりはじめる。それを待っていたというかのように、新たなモノはまたもやいつ取り出したのか、大型ナイフの様な刃物を横に一閃して目を潰し、顎下から喉を突きながら頭を垂れたままのもう一つの頭の口から先の一振りをずろりと抜き取ると、ダンスのステップを踏む様な動きでソレの左に抜けざまに、左肘の付け根の奥へとナイフを突き立てた。

 絶命したソレがずしゃと、崩れる様にソレが地に倒れる。

 新たなモノは小さく安堵の息を着くと、ソレの体につき立てられている二振りを回収し刃についている体液をソレの被毛にこすりつけてキレイにしてから、腰の後ろにまわした。


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