収斂の方向
★グスラは辛うじて生きていた。
糸屑の山になりながらも、自分に起きた事はある程度把握していた。
グスラの大半は微細な根に絡み付かれ再編する事は不可能だった。
大半ではあるが、全てでは無かったのが幸いした。
浸食の無い糸が寄り集まって分離体が形成される。
その身体は毛糸で編まれた人形の様に簡略化された造形で、目鼻はおろか指も無い。
そもそもそれは分離体であって本体では無い。
本体は解かれて積もる糸屑の方である。
グスラは単一の機能を持つ器官を所有していない。
全体が一つでありそれぞれであるのがグスラだ。
それ故にどの部位に攻撃を受けても致命傷には成り得ない。
グスラにとって体積は心臓であり肺であり、脳でもある。
よって、分離体に本体程の知性は無い。
本体と極細糸で繋がれた分離体は、さながら勝手に動く情報収集体だ。
分離体の感覚を頼りに周囲の様子を探り、どうやら敵はいない様だと判断したグスラは、分離体が隠れられる場所を探した。
それはその空間に無数に存在した。
木の根の隙間は多く、小さな分離体であれば隠れる場所に困る事は無さそうだった。
問題は知能の低い分離体にいかにして指示を出すかだったが、それは敵の恐ろしさを伝える事によって解決した。
分離体が手頃な隙間に隠れると、グスラはその知覚を研ぎ澄まさせて外の様子を伺った。
★カヤとクダは荒涼とした空間に出た。
細い通路の先にこれまでの狭い通路からは連想も出来ない開けた空間があったのだから、クダは一瞬ぽかんとした顔で動きを止めてしまった。
その隣でカヤは特に驚く事も無く、その情景を受け入れていた。
「何か化け物と化け物が戦った跡みたいね」
まるで見て来た様にそう言って、カヤは空間に背を向けた。
謎の反転にクダは探索しないのですかと聞くが、カヤは嫌な感じしかしないと言葉短く答えた。
実際問題空間異常の存在するその場所は、目に見えなくとも危険しか存在しない。
四肢が消し飛んでも構わない者にはちょっと動きづらい場所程度なのだが、そんな異常体質でも無いカヤとクダが探索するのは割に合わない場所である。
木の根がこの無駄な空間を塞がないのも、その空間異常に妨げられた結果であり、その場所は女神跡地下でも飛び抜けて危険な場所であった。
こうして危険を回避したカヤとクダはその場所よりは幾分かマシな通常の通路へと戻って行った。
★その日広域傭兵管理組合東ナユ地域統括支部では、定期監査が行われていた。
遥かな昔組織の適正化を行う目的で実施されていた監査は、長い時間の果てに形式的な作業となっていた。
形式的ではあるが、作業自体は行われている。
形式的なのにも関わらず、作業内容は決まっていない。
監査員は本部から派遣される者が行うが、その人選基準は明確にされていない。
その日東ナユ地域統括支部を訪れた二名の監査員は最近支部で斡旋した依頼の詳細事項を延々と読み散らしていた。
監査を初めて数分後の事である。
一人の監査員が極最近の事案を閲覧していたが、その手が不意に止まった。
その監査員は小首を傾げて、ある一文を凝視していた。
その事案は女神跡地下の探索に関する事前調査書であり、そこには遺跡管理協会から提供された未帰還者の名簿が転載されていた。
監査員の視線は遺跡探索班骨拾いの名簿で固定されていた。
骨拾いの中ではルーとしか呼ばれない女の正式な名前がそこには記載されていたのだ。
最初は矢鱈長い名前だと言う事で目に留まったのだが、監査員はその名前に既視感を覚えた。
その既視感には何か良く無い印象が伴っていて、一度は読み流したその名前をじっくりと読み直して、その良く無い印象の正体を思い出そうとした。
ルーセンドドルスボアキランドルランドルズーズルファンムムムルグヤヤンコヒ。
その下には略称ルーと記載されていた。
名前が長すぎて認識票に全部を記載出来なかった為、例外的措置として頭の部分が刻印されたと注釈が付いていた。
名前が長い事自体は特別な事柄では無い。
この様な長い名前はシガ族やヂヅ教信者に良く見られる。
しかし昨今登録の際に使用する略称を複数使い分けて不正をする事案が多発していた。
監査員はその事に思い至ると同時に、ルーの正式名称を見た書類を思い出した。
そして、大声で叫んで立ち上がった。
驚くもう一人の監査員をその場に残して、叫んだ監査員は部屋を飛び出した。
向かうのは受付。
通常営業中の為多数の傭兵が居る広間に駆け込んだ監査員は、無数の視線を浴びながら反射的に止めようとした職員を押し退けて受付の中へと侵入した。
何事かと無数の視線がその様子を見守る中で、監査員は各受付の下に設置されている要注意人員名簿を引っ張り出して開く。
七百年前に後に伝説とまで言われる様になった規格外の傭兵、通称全滅のジル。
大き過ぎる力は危険を伴うと言う中央評議会の採決を理由に作成されたのが要注意人員名簿である。
そこには何人もの上級或いは特級傭兵の個人情報が記載されている。
全滅のジルを筆頭に残酷のライル、無差別のグスラ、両断のバルサ、味方殺しのサーガと言ったある程度実力のある傭兵であれば一度は聞いた事がある二つ名がそこには漏れる事無く記載されている。
その中の一人を見つけて、監査員は凍ったように固まった。
爆弾魔のランド。
ガフ諸国で活動していた被認可の人身売買組織を始末する依頼における顛末が発端で名簿にその名を記される事となった傭兵。
ジフにあった組織の拠点を制圧する過程で三百棟以上の関係無い建造物が全壊、百五十棟の建造物が半壊、軽微な損壊に至っては調査を放棄される程多数。死者は確認されているだけでも二千人を軽く超え、負傷者もやはり調査が途中で打ち切られた。
その大惨事は最低でも十個からなる爆弾によって引き起こされたのは確かなのだが、そうなった原理に関しては本人すら把握していない為に現在も不明。
その爆発によってジフと言う地名は地図から姿を消した。
広域傭兵管理組合によるその後の調査で、ランドは過去に多数の討伐系依頼を受注していたがその大半が失敗と記録されていた。
失敗理由は全て依頼達成が確認出来ない為。
どの依頼においても討伐対象が跡形も無く吹き飛んだ為、依頼の達成を確認出来ずに失敗扱いとなっていた。
更なる調査でこれまでは被害を補填する代わりに報酬金を支払わないと言う形で不問に付されていた事が発覚したが、その頃にはランドは行方を暗ましていた。
顔色を失くして凍り付く監査員の視線の先には、あまり多く無いランドの情報が記されている。
性別や容姿と共に、ランドの正式名称がそこには記載されている。
爆弾魔ランドの正式名称。
ルーセンドドルスボアキ「ランド」ル「ランド」ルズーズルファンムムムルグヤヤンコヒ。
★拠点とも言える閉鎖された空間に戻って来たl:oll/foa.は少し悩んでいた。
そこには糸屑の横に放り投げられたジルの上半身があった。
l:oll/foa.はその肉に潜り込ませた貯水草の根によってジルの身体を解析していたのだが、解析は遅々として進まない。
余りに異質で意味不明なジルと言う存在はl:oll/foa.の理解を超越していた。
ジルの解析が終わるまでは数千年程の時間が必要だとl:oll/foa.は感じていた。
多彩な影響を受け入れ続けたジルと言う存在は、絡まった毛糸すら簡素な構造だと感じられる程難解を極めた存在であった。
それでも時間を掛ければ解析は可能だと考えるからこそ、l:oll/foa.はジルの秘密を放棄する選択肢を捨てられずにいた。
数時間程悩んでいる間にジルは眠った。
疲労等の理由ではない。
退屈から眠ったのだ。
その行動を挑発と受け取ったl:oll/foa.は半ばムキになってジルの解析を進めていたが、そこで一つの事柄を思い出した。
l:oll/foa.が思考種と名付けた存在だ。
思考種が脳に保持している用途不明の器官について、l:oll/foa.は思考の補助を行っていると言う仮説を立てていた。
そして、現在拝借している身体はその器官を保有していた。
グスラの素体となった傭兵はl:oll/foa.が言う所の標準種であったが、バルサの素体となった傭兵は思考種であったのだ。
現状その器官がl:oll/foa.の精神活動に与える影響が未知数である為、他の脳組織からは切り離していたが、その器官の用途が予想通りであったのであればジルの解析を短時間化する事が可能である様に思えた。
不死身の身体を手に入れた影響もあり、危険性に対する警戒が薄くなり始めていたl:oll/foa.は即座にその器官を活用する事を決定した。
実はその器官は、かつて魔王と呼ばれた規格外の不定形種が人族を分解解析して再構成する際に仕込んだ器官であり、その器官が異相空間に存在する魔王に仮接続する機能を有している事をl:oll/foa.は知らない。
当の魔王がそんな事をしたのは再び人族を解析する際にその手順を簡略化する為であり、それを活用する理由が無い現在魔王側から器官を利用する事は無い。
一方でその器官の存在も用途も由来も知らない思考種達の一部には、本能的に魔王の浅層に接続して脳の処理能力を水増しする者もいた。
女神跡地下に迷い込んだ人族の中ではカヤはその実例である。
カヤが何と無く察知する危険は、カヤ自身が気にも留めていない些細な情報から推測された物である。
そんな事を知らないl:oll/foa.は強引に器官に干渉し、魔王が設定した方法とは若干異なる不正な方法で魔王の思考領域へと接続した。