切り札の行く先
★女神跡地下。そのとても深くて暗い場所。
空気は薄く、光は無い。
ルーは手製の灯光管を別の種類に持ち替えていた。
最初に使っていた灯光管は金属粉末と火薬を練り合わせた燃料棒を緩やかに燃やして光を発する仕組みだったが、今使っている灯光管は二重構造の硝子管に調合した火薬を詰めて栓をした物である。
ぼんやりとした光しか得られないが、火薬を取り扱う際に誤爆を引き起こさない事から重宝される種類でもある。
嫌火式と呼ばれるその灯光管は非常に高価だが、ルーが今手にしているのは手製の品だ。
僅かな明かりの中遺跡の深奥部を歩くルーは、奇妙な仮面を被っていた。
口の前に二房の袋の付いたその仮面は以前別の遺跡を探索した際にカヤが発見した物である。
用途は不明だが、何と無くと言う理由でカヤからルーに譲渡された。
ルーもまたその仮面が持つ機能を把握している訳では無く、今も気分で装着している。
それは空気の悪い場所でこの仮面を装着して呼吸をすると少しマシになると言う程度だが、微量ながら有毒ガスの漂うこの場所においては最良の選択でもあった。
灯光管を持ちかえた理由にしても、いつもと燃え方が異なるから持ち替えたと言う理由であったが、それによりガス溜まりに出会っても爆死する事は無かった。
それは全て経験から来る判断だが、ルー本人には理由があっての行動だと言う自覚すら無い。
本人が自覚する限り何も考えずに歩いているルーは、ふと立ち止まった。
何故立ち止まったかと言えば当たりの様子が変化している事に気が付いたからである。
「黒い」
ルーはそう呟いた。
周囲の根は死んでいるのは大分前からの事だったが、今ルーの周囲にある根はその色が黒く変色している。
その事に気が付いたのは半刻程前である。
立ち止まった理由はそれでは無い。
黒くなった樹木。地下深く。
その二つの要素がルーの記憶から一つの事柄を引き出した。今更ではあるのだが、引き出されてしまった物はどうしようもない。
引き出した瞬間からその事柄は意識の片隅に追いやられた。
ただその記憶がルーにとって喜びの感情を想起させる物だった。
ルーが立ち止まった理由を的確に述べるのなら、歩くのを忘れるくらい興奮したからと言った所が妥当なのであろう。きっと。
本人すら良く分かっていないが、多分そうだろう。
ルーは小躍りしながら、薬瓶を幾つか取り出して変色した木の根を蹴った。
鉄を仕込んだ靴は、岩程の硬さの木の根を砕いた。
砕けた木の根を靴裏で念入りに磨り潰し、しゃがみ込んで灯光管を近付ける。
外から見る限りでは完全に乾燥していた木の根はペースト状になっていた。
ルーは跳び上がって小躍りした。
★サックが息を整える横で、ジル=カカは片手を壁に翳した。
それは上等な弦楽器を掻き鳴らす様な、美麗でありながら荒々しい声だった。
「木の枝は、万能である」
ジル=カカが呪文を唱えると、壁から差し出される様に捻じれた木の棒が捩じり出された。
「木が、枯れる時」
その棒を手にしたジル=カカが別の呪文を唱えると、現通路に横穴が開いた。
「木が、枯れる時」
ジル=カカが再び同じ呪文を唱えると、横穴の先には小部屋が出来上がっていた。
サックはその後頭部を眺めながら、普段から普通に喋ればいいのにと言い掛けてその言葉を呑み込んだ。
サックもカヤの異常性は十分に理解しているのだから。
少なくともカヤは気付くだろう。ジル=カカの声が出ている場所に。
「木に、祝福があるまで」
ややぐったりとしたサックの手を引いてその小部屋に誘うと、ジル=カカはまた別の呪文を唱えて入口を塞いだ。
「木が、息絶えぬ幻」
周囲の木の霜に覆われる様に根が白く変色する。
「追い駆けて来た敵は植物だった。恐らく女神跡地下を構成する根もその一部」
ジル=カカはサックの目を見詰めて、後頭部の発声口からはっきりとした声でそう言った。
「…前に言っていたエルフの魔法か。魔草の類に干渉すると言う、失われた魔法」
ぐったりと壁にもたれ掛ってはいるが、軽薄な笑みを浮かべる程度には回復したサックが周囲の様子を見回してそう言うと、ジル=カカは誇らしげに微笑んでサックに歩み寄り、倒れ掛かった。
サックはよろめきながらジル=カカを抱き留め、そのまま二人して床に転倒した。
無茶をするとサックが言うと、大した事では無いとジル=カカは嬉しそうに微笑んだ。
思わず捕食口が緩んだジル=カカと見つめ合って、サックは疲労から眠りに落ちた。
その寝顔を暫く見詰めていたジル=カカは、サックの額に発声口で口付けをして、魔法の連続行使の疲労から眠りに落ちた。
人前ではそっけない女性が二人きりになるとべたべたに甘える事を指してツンデレと呼ぶ文化がそことは異なる別の世界にはあったが、それはここには存在しない概念である。
★ジルの上半身と下半身が離別した。
「まあ、それも面白いか」
木の根に絡み取られたジルは、どこか他人事の様にそう言った。
傷口は再生しなかった。
周囲は壮絶な有様だった。
ジルとl:oll/foa.の殴り合いの余波で、地下に広大な空間が出来上がっていた。
広さは十キロ四方、高さは七キロに渡って木の根が消滅していた。
その地下空間では空間が所々断絶していた。
この世界と別の世界の狭間にある世界。そこに住むかつては精霊と呼ばれた存在を引きずり出して壊す事によって生まれる莫大な破壊力。
それはジルの切り札でもある。
暴力的な破壊を受けても無限に再生するジルだからこそ扱えるその力。
「いやはや、早々に強敵に出会えるなんて、非常に運が良かった」
ジルとほぼ同等の再生力を有する身体を手に入れたl:oll/foa.相手には、些か相性の悪い切り札である。
「敗北なんて久しぶりだ。面白い」
万年以上前の記憶を辿りながら、ジルは楽しそうに笑った。とても凶暴な笑みだった。
★ルドラドルラは様々な事態に備えていた。
取り敢えず今最も危惧している事はグスラとバルサを失った場合である。
私財を投入して、広域傭兵管理組合から秘匿した遺物で造った人造傭兵。
幾つもの失敗作を経て完成したその二体の人造傭兵を失うと言う事は、ルドラドルラの切り札を失うと言う事でもある。
東ナユ地域統括支部本館の地下で、ルドラドルラは遺物を操作していた。
遺物は三つの液体貯蔵器と棺型の箱で構成されていた。
かつて十基回収された棺型の箱は、当時は三つが稼働可能な状態だった。
今は一つしか動かない。
棺型の箱には利き腕を失った傭兵が収められている。
棺型の箱はエルフの遺物で、人体の欠損した物がそこに入ると欠損部位を再生させる遺物である。
しかし動作が安定せず、時折人族の標準を超えた多機能で強力な部位が再生される事がある一方、全く役に立たない程脆弱な部位が再生される可能性もある為、広域傭兵管理組合がその不確定さを鑑みて封印する事にした幻の遺物。
そんな嘘がその傭兵には伝えられていた。
実際は人族を別の何かに造り替える遺物であった。
ルドラドルラは棺型の箱に二本の液管を繋いだ。
棺の中に二種類の液体が注がれる。
ルドラドルラが古い文献を漁って調査した結果、使用された薬剤は三種類。
一つは栄養剤。原料は魔草のペースト。
一つは森の設計図。原料は恐らくエルフの肉。エルフは絶滅している為、適当な魔物の肉で代用した。
一つは融合促進剤。文献によれば素体の知識を引き継がせる為の薬剤であるが、調合方法はおろか原料に関しても散逸してしまっていた。
ルドラドルラはこれを人造傭兵作成に無駄な薬剤だと判断した為、再現を放棄した。
こうして、赤子程の知性を有した新たな生命が生み出される。
そしてその殆どは生成されて直ぐに息絶える。
その様子を伺っている者が、先程までいた。
「こんな事だろうと思っていましたが…」
ルドラドルラの所業を確認したリリーは、それを咎める事無くその場を立ち去った。
壁に偽装された入口を元通り閉めて。
「あれを、実用化させるとは。顔に似合わず優秀なのですね」
約九百年前、リリーが傭兵を引退するきっかけとなった忌まわしい遺物に対する感傷は、そこには感じられなかった。
その様な感情は流れ去った時に置き忘れて来てしまったのだから。