呑まれつつある
★ルーはふと思い至って立ち止まった。
何で走っていたのだろうかと。
正体不明の攻撃や、遺跡に感じていた違和感は記憶の彼方に置き去られている。
そしてもう一つ思い至る。
骨拾いの皆はどこに行ったのかと。
どちらかと言えばどこかへ行ってしまったのはルーの方である、と説明するのは今更なのであろうけれども。
この時点で遺跡に巣食うモノはルーの位置を把握していたが、若干意味不明な挙動をするこの侵入者を放置する事を決めていた。
何故なら他にやる事が出来たのだから。
そうして立ち止まったルーは冷静に辺りを見回す。
見回した所でこの遺跡はどこも同じ光景である。
周囲を埋め尽くす植物の根。
ただ少しだけ今までと異なるのは、周囲を構成する植物の根が死んでいた事だ。
ルーはナイフで手近な場所に斬り付けた。
一見すれば先程意味も無く周囲を切り裂いた行為と同じ様に見えるが、今行っているそれはある種の確信があっての事だった。
「さっきよりも深い」
ナイフからの感触でその根が死んだ植物を切った感触である事を感覚的に確認したルーは、全く別の独り言を漏らす。
今ルーの居る場所は走り始めた時点と比較して相当深い場所にある。
もっと深くへ行ってみよう。
ルーはそう思った。
そこに深い意味は無い。
こうしてルーは更に安全な領域へと歩いて行った。
★ルドラドルラは若干呆けていた。
世の中には後先考えない愚かな者が多い事を知っていたが、あの伝説がその類だとは思わなかった。
そんな事を思った直後に、あれと一緒にしたら後先考えない愚か者に失礼だとも思った。
交渉とは何なのか、知略とは何なのか、懐柔とは何だったのか。
そんな事が頭の中を駆け巡る。
「伝説って馬鹿だったんですねえ」
未だ冷めぬお茶を一口飲んで、まだお茶が冷めるほどの時間も経っていなかった事にまた驚いた。
「想像を絶する痴れ者ですが、想像を絶する実力者でもありますね」
勘違いで共和国の正規軍を壊滅させましたからね、とリリーはしみじみととんでもない事を言ってのけた。
今から百年程前に起きたその事件は、公式では魔王の先兵だった存在の残滓が引き起こした小規模な災害だとされている。
その共和国を揺るがした災害が伝説によって成された、と言う噂をルドラドルラは知っていた。
知っていたが信じていなかった。
単身で万軍を相手に圧勝すると言う余りに荒唐無稽な話であると同時に、伝説が共和国に敵対する理由はどこにも無いと思ったからだ。
大方遺跡管理協会辺りが広域傭兵管理組合に仕掛けた嫌がらせの類だろうと、そう思っていたのだ。
「それに、感じたでしょう?アレにはソレが可能だと」
リリーの言葉に、ルドラドルラは肯定の吐息を吐き出した。
ルドラドルラは元傭兵である。
下級止まりの傭兵であったが、それでも伝説は格が違う事は分かった。
リリーが女神跡地下の探索で行方不明者が多数出ている事を伝えると、伝説は一言こう言ったのだ。
「じゃあ取り敢えず消し飛ばせばいいかな。地形戻すのは面倒だから任せるけど」
その時ルドラドルラは、初めてリリーにも慌てる事があると知った。
同時に魔王の爪痕と呼ばれる荒野を思い出した。
伝説が激闘を繰り広げた跡であるとされる、未だに共和国が一帯を封鎖しているその荒野を。
受付嬢でありながらも巨漢の二つ名に恥じない漢であるリリーは、常に冷静沈着だと思っていた。
しかし慌ててもリリーはリリーであった事は僥倖であった。
リリーの説得。説得と言うより懇願に近いその説得で、伝説は遺跡の探索に向かう事になった。
遺跡を壊さない事を成功条件の一つにしたのでルドラドルラの不安は幾分軽減されているが、それでも途方も無い不安が残る。
ルドラドルラがあの馬鹿を野放しにしていていいのかと問うと、リリーはそれが一番損害を抑える方法ですと回答した。
★ジルの首に纏わり付いている蛇猫はもう何千年も前に死んでいる。
当時はまだ一緒に行動していたヒロミと言う名の相棒が防腐処理を施した剥製がその蛇猫の正体である。
剥製でありながら生体の様に柔らかいのだが、ヒロミはそれを剥製だと言い張ったためにジルもそれを剥製だと認識している。
「入口が出現したり消滅したりしているね」
その蛇猫の角から響く声は、光竜と名付けられた存在の声である。
光竜は大雑把に言えば光そのものが生命を得た存在であり、造られた生命でもある。
ジルは良く分からない何かとしか認識していない。
そして一万年以上ジルにしか聞こえなかった自身の声が、何故蛇猫の角を媒介すると可聴音域へと変換出来るのかは光竜自身にも分からない。
「一番近いのは、真っ直ぐ七キロ位先」
その情報を得た瞬間、ジルは跳んだ。
重い音と、凹んだ地面を残して跳んだ。
踏み込んだ右足は砕けたが、すぐに修復された。
その加速に耐え切れず、服の一部が千切れて散った。
常軌を逸した速度で、まるで弾丸の様に七キロ程の間合いを消し去ったジルは、その勢いのまま遺跡地下へと飛び込んだ。
遺跡の入口はその異物を門前払いするかの如く閉じたが、最早物理的に止められない勢いのジルは自身の身体を破壊しながら根に突き刺さった。
距離にして一キロ程突き抜けたジルは原型を留めていなかったが、それも瞬時に修復される。
ジルを圧殺せんばかりに締め上げる根に対して、ジルが破壊的衝動に任せて数発根を殴る。
暴力的な破壊に、堪らず根はジルを解放した。
ジルは遺跡地下の一般的な通路の中で青臭い香りに包まれながら、少しだけ今後の行動を考えた。
真っ先に浮かんだのは破壊的な発想だったが、リリーとの約束を思い出して思い留まる。
遺跡を破壊しない事。簡単な事だ。普通は。
ジルの認識ではここまでの所業は破壊の内に含まれない。
「でもどうしたらいいと思う?」
そう光竜に尋ねたジルは、そこで初めて光竜の存在が感知出来ない事に気が付いた。
気が付いただけだが。
「役立たずめ」
そう呟いたジルは歩き出す。
通路の先に僅かな血の匂いを感じたからだ。
通路が真っ直ぐそこへ向かって生成された事に疑問を抱く事は無く、ジルは歩き出す。
★グスラとバルサは人の子ではない。
造られた存在である。
造られてまだ五十年程の存在である。
それ故に、未熟なのだ。
窒息では死なないし、斬られても刺されても死なない。
それらの事実が念頭にあるからこそ、グスラは慢心していた。
「あれ?」
グスラが間抜けな声を漏らす。
開けた場所に放り出されたグスラの目の前には、バルサがいた。
姿形はバルサなのだが、一目でバルサではないと分かった。
同じ顔でも表情によって印象は変わる物である。
それを認識した瞬間グスラはバルサの姿をしたそれに攻撃を加えようとした。
バルサは死なない。グスラですら殺せない。
もし本人であっても、誤って殺してしまう事は無い。
そしてグスラは自身の身体が動かない事に気が付いたのだ。
そんな状況に置かれて尚、グスラには危機感が無い。
だからこそ間抜けな声が漏れるのだ。
「色々調べさせて貰ったけど、お前に利用価値は無いな。こっちの身体の方が丈夫だ」
声はバルサの声だった。
聞き慣れた声でありながら、バルサとは思えない声だった。
グスラが軽く混乱している内に、その身体に次なる異変が起きた。
糸が解ける様にグスラの身体が崩壊し始めた。
そうなって初めて、グスラは思い出した。
バルサは不死身だが、自身は不死身に近いと言う程度である事を。
これは拙いと、バルサを何とかしようとした。
何が拙いかと言えば、バルサの不死身を敵が手に入れたかも知れない事だ。
グスラは無理矢理身体を動かす。五指はほぼ崩壊していたが、バルサから奪い取った魔剣野鍵はその手に握られたままだった。
得体の知れないその大剣を投げ付けようとしたグスラだったが、普段ならば容易に振るえるその大剣は、今のグスラには重すぎた。
到底相手まで届かない力で放たれた魔剣野鍵は、グスラの手が完全に崩壊した事で真上に少しだけ飛んだ。
くるりと回りながら落下する野鍵の先端は崩壊しかかってぐずぐずになっていたグスラの肩口に突き刺さる。
その程度はグスラにとって致命傷では無いが、グスラは自身に魔剣野鍵が突き立った事を認識する間も無く完全に崩壊した。
大量の糸屑の中に魔剣野鍵は半ば埋もれた。