Ⅸ
翌朝、眠気をこらえながら早めに店を出た。もう少し眠っていたいのは山々だったが追加料金を払いたくなかった。
「さて、どうするんだ?」
朝日に目を細めながら一人呟いた。
『うん……』
呟きに反応するのは自分の中にいるもう一つの人格――十歌。
「うん、じゃねえよ。これからどうするんだよ」
『あ、そうだね。ごめん……』
しかし、それっきり十歌は口を閉ざしてしまった。
「まったく……」
朝食がてらにどこかの喫茶店かファミレスにでも入ろうと思ったが、まだ店の開いている時間ではなかった。
仕方なく、コンビニでおにぎりと飲み物を購入して近くの公園に腰を落ち着かせた。
空腹を満たして空を仰いだ。
当たり前だが、地元から見る空とあまり変わり映えはしない。北海道というから寒いと予想していたが気温の方もあまり変わらない。
北海道に来ているという実感があまり湧いてこなかった。あれ、そもそもなんで北海道に来たんだっけ? ああ、十歌が行きたいって言って、そして十歌のことが何か分かるかもしれなくて……。
どうやら、まだ脳が完全に機能していないようだった。
『ねえ、新夜君はどこか行きたいところないの?』
「別に、クラーク像も時計台もそれほど見たいってわけじゃないな」
『他にもあるでしょ。最北端の宗谷岬とか旭山動物園とか。観光に興味ないんなら食べ物とかは?』
「だから、俺は特にないって」
『そう……』
いい加減に痺れを切らした。
「お前が来たいって言ったんだろ。用がないなら帰るぞ」
『ごめん、待って! もう少しだけ……』
「……わかったよ」
家を飛び出してからというもの、どうも十歌の様子が変だ。口数は少なく、声にも覇気がない。普段とは正反対だ。
当てもなくだらだらと過ごした。
コンビニで立ち読みして時間をつぶし、店が開く時間になってからはゲーセンを見つけて立ち寄ったり、本屋でまた立ち読みをしたり、そうしている間に時間は正午を過ぎていた。
少々の空腹を覚え、ファミレスで昼食を摂った。食後のコーヒーをすすっているところで、ようやく十歌は口を開いた。
『ごめんね、行こうか』
「ああ」
やっとか。精算を済ませてファミレスを出た。さて、何処に行くのだろうか。
『近くにバス停ある?』
周りを見渡すと数百メートル先にそれを見つけた。
バス停に表示された地名はどれもなじみなく読み方も怪しいものが多かった。
『あ、視線外さないで』
「ああ、見てたのか」
十歌はバス停を見ていたらしい。といっても分かるのだろうか?
『わかった。七分後に来るバスに乗って』
「了解」
何処に行くのか、なんて野暮なことは訊かないでおこう。ついてからのお楽しみだ。
近くに備え付けられたベンチに腰掛け緩やかな七分間を過ごした。
やがてバスが来て、それに乗り込む。中には片手で顔得られる程度の乗客しかいなかった。
三十分ほど揺られただろうか。手に取った乗車券の番号の料金は四桁に突入しようとしていた。
何処で降りるのだろう。焦り出したところで終点まで行きついてしまった。
『次は電車』
バスから降りると十歌は短くそれだけ言った。
駅構内に入り路線図を眺める。さっぱりわからない。
『五百六十円の切符で、ええと……五分後の三番乗り場』
言われた通りに行動した。こんなことなら体を明け渡して寝ていればよかったと思った。
およそ二十分後、十歌の指定した目的地へとたどり着いた。
その町の地名に聞き覚えはないので、おそらく観光名所ってところではないのだろう。ざっと見渡したところ、見上げるような高い建物は無く小さな商店と後は住宅街。特別な何かがここにあるとは思えなかった。
「此処が目的か?」
『うん。少し散歩しよう?』
「散歩って……」
『いいから』
そうせがまれて仕方なく歩き始めた。
何処を目的とするわけでもなく、適当に歩いた。
右に左に、交差点に差し掛かるたびに無作為に曲がった。気づけば住宅街に入り込み自分が何処にいるのか、北を向いているのか東を向いているのかも分からなくなっていた。
『ねえ』
不意に十歌が声をかけてきた。
「ん?」
『新夜君って、このあたり初めてだよね。別に何も調べて来てたりしないよね?』
「初めてだけど、どういう――」
視線を前に向けると壮年の夫婦が向こうから歩いてくるのが見えたので声をひそめた。
――あれ?
自然と足が止まった。
下半身の筋肉がこわばり動かすことができない。こんな道のど真ん中でただ立ち止まっていれば不審に思われてしまう。しかしどうしても動かない。
やがて向こうから歩いてきた夫婦がこちらに塩線を向けた。
そして何故か彼らの方も足をとめ、女性の方が心配そうな口調で話しかけてきた。
「あなた、大丈夫?」
なぜそんな言葉をかけられるのか理解できなかった。だけどすぐに自分の体におこる異変に気がついた。
「あれ、なんで」
涙があふれていた。
必死に拭うが次々と溢れて視界が歪んでいく。
「どこか痛いの? 救急車呼ぶ」
女性はより心配そうに顔を覗き込んできた。
「え、いや……」
自分でも説明できない涙の訳にただただ狼狽し、うまく言葉が出なかった。
『ごめんね、後は任せてもらっていい?』
もう、わけが分からなかったが、今は早くこの状況から逃れたいがために十歌に席を譲った。
今にも救急車を呼びようだった夫婦を十歌は冷静な声で制した。
「すいません、もう大丈夫です」
「何処も悪くないの?」
「ええ、少し悲しいことを思い出して」
「何かあったの?」
「……少し前に友人を亡くしまして。友人といってもネットでしかのやり取りは無くて実際にあったことは無かったんですけど。長期休暇に入ったんで足を運んで線香でもあげようと思って」
十歌はそんな嘘をまるで用意していたかのように並べた。
「それはお気の毒に……、私達もちょうど娘のお墓参りに行ってきたところなの」
「そうなんですが。実は、少し道に迷ってしまって、ここら辺に浅野さんって方の家はありますか」
その言葉を聴いたとたん、夫婦は目を瞠って驚いた様子だった。
「もしかして、亡くなった友人って十歌? 浅野十歌?」
「ええ、そうです。もしかして……」
「はい……、浅野十歌は私達の娘です」
「そうでしたか」
白々しい十歌の演技は幸いにも向こうには気づかれていないようだ。
「よかったら、少し上がっていかない? すぐそこなのだけど」
「……はい」




