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光を  作者: 七七日
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十歌が走りたいと言った次の日から毎朝、セットもしてない目覚まし時計によって五時に起こされるはめになった。

 睡眠を妨げられるのはどうしようもない苦痛だったがそれも一瞬のことなのでなんとか我慢した。すぐに眠りよりもさらに深い場所に落ちるのだから。

 ただ、最初の一週間ばかりは辛かった。夜中に足がつって跳ね起きたときはその激痛に泣きそうになった。

 筋肉痛は下半身のみならず上半身にまでおよび、マグカップを持ち上げるだけでも四肢が悲鳴をあげるほどだ。

 しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れる(キリン以上に長い喉だったが)。今では筋肉痛も納まり以前の生活を取り戻した。

 走り込みのおかげか、体が軽く感じ、十歌ではないが思わず走りだしたくなるほどバイタリティに溢れている。

 それでも、貴重な睡眠時間を削っているせいか、講義中は眠くなる。意識が飛びそうなときには決まって十歌が代わりに入ってくれる。

 自分より綺麗にノートは取ってくれるし、いつしか十歌は講義の内容を理解するようになったので後で聞くこともできる。いい事づくめだ。

 そう、楽観視していた。

 思えば無頓着すぎた。誰もいない家ならまだしも、世間の目がある外に自分の意識がないまま貸し出すなど軽はずみなことだった。

 十歌は悪くない。悪いのは軽はずみなことを許した自分だ。

 一日、二日なら問題なかったはずだ。それが長期間に及んだのがまずかった。

 意識の無い自分の行動はいつしかズレを生んでいた。



 昼休み、友人と共に食堂にて昼食を摂っていた。

「ずずっ」

 学校の食堂だというのに値段はそれほど安くは無い。なので食しているのは一番安い素うどんだった。

「あー、来週からテストかあ……」

 友人が嘆くように呟いた。

「そうだな」

「新夜、何教科?」

「五」

「少なっ! 俺なんか八教科もあるんだぞ。しかも半分は必修だし……」

「一、二年のときさぼってたからだろ」

 友人と違いこっちは真面目に単位を稼いでいたおかげでこれからはずいぶん楽ができる。おそらく後期は一日ないし二日は学校に来なくてもいい日ができることだろう。

「……なあ、あの子、知り合いか?」

「うん?」

 友人の視線の先を見ると食堂の入口付近、今しがた入ってきたであろう女学生が小さく手を振っていた。

『あ』

「結構美人じゃね? 知り合いか? まさか彼女とか……」

「いや、知らないけど」

「視線がばっちり合うんだけど」

 確かに彼女の視線の先には自分たちがいる。試しに後ろを振り返ってみたが彼女に反応を示す人は見当たらない。

「人違いだろ。さ、次は実習だ、早めに行くぞ」

 そう言って丼を手に持って立ち上がった。

「ああ」

 友人も倣って立ち上がる。

 帰り際、先ほどの彼女とすれ違った。遠目からではよくわからなかったが、確かに、近くで見るとかなりの美人だった。

 横目に彼女を見ていると、彼女の方もこちらに視線を向けた。そしてものすごい剣幕で睨まれた。

 なんなんだ、まったく。

「なあ、なんか睨んでなかったか、彼女?」

「……睨んでたな。でも俺は知らん」



 基本的に十歌と会話をするときは実際に声に出している。一応、声に出さなくても会話は可能なのだが、それに慣れてしまうことで意図しない思考まで伝わることが怖かった。

 どの程度で十歌に伝わるか、その加減はなんとなくわかるのだが、それはあくまでなんとなくでしかなく、話しかけたつもりでも伝わらないことが何度かあった。それならば、と、確実に伝わる声で会話することにしたのだ。ただ、そのデメリットは他人から見たら独り言を言っているように見えることだ。

「なあ、十歌」

 だから話しかけるときはさり気なく周りに目を配り、そして小声で話す。

『なに?』

「お前はあの、昼休みに手振ってた彼女、見たことあるか?」

『……』

「おい、十歌?」

 反応の無い十歌に少しトーンを上げて再度尋ねた。

「ちょっと!」

 不意に後ろから声をかけられ、思わず足を止めて振り返った。

「あ……」

 例の昼休みの彼女だった。

「どうして無視したの? 一人で手振って私、馬鹿みたいじゃない」

「え、え?」

 初対面の彼女にそんなことを言われてもただ戸惑うばかりだった。

「もしかして、私って気付かなかった?」

『実は彼女、朝に走っているときに……』

「なんだって?」

 二人の声が重なったせいでどちらの内容も聴きとることができなかった。

「だから、私って気付かなかった?」

『だから、朝走っているときに……』

 ああ、面倒くさい。

「ごめん、ちょっとトイレ」

 十歌の方の話を聴くのが先決だと判断し、近くのトイレに駆け込んだ。

 個室に入り、便座の上に腰を落ち着かせ一息ついた。

「で、なんだって」

 詰問するように問いかけた。

『あの人は……、朝に走っているときに何度か会って……』

「俺の知らないとこで他人とかかわるなよ……」

『ごめんなさい……、でも挨拶ぐらいしかしてないから。それに同じ学校だなんて知らなかったし』

「わかった、わかった。じゃあ、数回挨拶したぐらいなんだな」

『うん』

 十歌と話しを終えるとすぐにトイレを出た。

「あ、出てきた」

 彼女は壁に背中を預けて待っていた。

「ごめん」

 開口一番、とりあえず、もろもろの非礼を詫びた。

「ちょっと時間ある?」

 忙しいなどと今さら言えるわけもなく、頷くしかなかった。



 大学内の談話スペース。彼女と向かい合わせに椅子に腰かけた。テーブルの上には自販機で買った二人分の缶コーヒー。

 自分にとっては初対面の相手、気まずさを紛らわすために先ほどから缶コーヒーをこまめに口に運んだ。

 一息ついて彼女が口を開いた。

「同じ大学だったんだね」

「ああ、そうだね。驚いた」

「で、どうして昼休みは無視したの?」

 柔和な表情から一変、彼女の眼は吊り上った。

「ごめん、気付かなかったんだよ。ええと……」

『いつもジャージだったから』と十歌が助け船を出した。

「ほら、いつもと恰好が違うから」

「ふうん、すれ違った時も無視したよね」

「あれは……」

『友達と一緒で恥ずかしかったから』

「友達と一緒だったから、ちょっと恥ずかしくて」

「私と知り合いってことがそんなに恥ずかしかったの?」

 彼女の声のトーンが下がり、気分を害したことが窺えた。どうしてくれるんだ。内心、十歌に毒づいた。

『あなたがあまりにも綺麗だったから』

「君があまりに綺麗だったから」

 てんぱってしまい、意味も考えずただ十歌の言葉を繰り返してしまった。

「そ、そう……」

 彼女の頬に朱が差した。

 そこでそうやく自分が気障ったらしい台詞を吐いてしまったことに気がついた。

 彼女は口を閉ざしてしまい、気まずい雰囲気が漂った。

『ほら、何かしゃべらないと』

 うるせえ、こうなったのはお前のせいだろ。

『私がいなかったらうまい言い訳も思い付かなかったくせに』

 くっ……。

 痛いところを突かれて何も言い返すことができなかった。

「あー、そう言えばお名前は?」 

 なんとか絞り出した話題がそれだった。

「あ、そういえば顔を合わせていながら、お互いの名前も知らなかったね。私は大石桜花。教育学部の四年生」

「俺は、深見新夜。工学部の三年生……です」

 目の間に座る彼女――桜花が年上だと聴いて驚いた。桜花の見目形は綺麗で整っていたが何処かに幼さを残し、年下か、せめて同い年だと思っていた。

「あ、三年生だったんだ。てっきり同じ四年生だと思った」

「どうして……ですか?」

「はは、別にため口でもいいよ。いや、だってもうすぐテストでしょ。それなのに毎日走ってるから」

 実際に走っているのは十歌なので乾いた笑いしか返すことができなかった。

 聞いたところによると四年生になれば研究だけで、ほとんどテストはないらしい。それも、学部と人によるそうだけど。

「新夜君、頭いいんだ」

「別にそんなことないよ。単位なんて取れればいいってスタンスだし」

 謙遜でもなんでもなく、本当に成績がいいわけではない。ただ単位は落とさないようにしてるだけ。いうなれば要領がいい。

「でも、工学部って一番厳しいって聞くよ? 留年率も一番高いとか」

「他の学部がどんなもんか分かんないけど、普通にしてれば大したことないよ」

「ふふっ」

 桜花は何が面白かったのか小さな笑みを浮かべた。

「なに?」

「いやあ、普通にため口で喋ってるなあと思って」

「……それでいいって言ったのはそっちだろ」

「はは、そうだね、ごめん。」

 最初の気まずい雰囲気は何処へやら。日が落ちたのにも気づかないほど会話に花を咲かせていた。

 そしてその日はお互いの連絡先を交換して別れた。


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