ⅩⅤ
光を。
光を感じた。
眩しいよ、まだ眠っていたいんだ。十歌、代わりに……。
……十歌?
「……」
蛍光灯の眩しい光に目を細めた。
光に慣れてやがて周りの景色が鮮明になる。
何処だ、此処は?
椅子に座っていることがわかった。だからてっきり家のリビングだと思ったが、どうやら違うようだ。
視線を横に移すと白いベッドがあった。
「……桜花?」
横たわっているのは何故か桜花。
「お目覚めか」
部屋にはもう一人いた。
声のする方を振り返ると白衣を着た中年男性が腰かけていた。
白衣の男性、横たわる桜花を見て此処は病院だと思いいたった。
「桜花はどうしたんですか?」
そこでしまったと思った。何故今更自分が桜花のことを聴くのだろうと不審に思われないだろうか。
「彼女は交通事故に遭ったらしい。外傷はないが意識が戻らない」
「そうですか……」
そうだ、詳しいことを聴くには十歌に訊けばいい。
(十歌。何があったんだ? ……十歌?)
十歌からの返答は無い。それ以前に十歌の存在を感じられなかった。
「ちなみに、私は彼女の担当医ではない。十歌の関係者だ」
十歌の名前を他人から聴いて体に戦慄が走った。
「な……」
どういうことだ? 関係者? ということは、
「俺の家にあのメモリーカードを贈ったのはあんたか?」
「そうだ」
「なぜ俺の家に」
「それは、まあ……、なんとなくだ」
明らかに他の理由がありそうだが、彼はそう言って言葉を濁した。
目の前の男へと不信感が一気に積もった。
「十歌は何処に?」
「もう君の中にはいない」
「だから、何処に!」
思わず声を荒げた。
「何をそんなに怒っている? 君にとって彼女は勝手に中に入り込んできた邪魔な存在ではないのか? いなくなってせいせいしてはいないのか?」
「確かに、最初はうっとうしく思ったさ、だけど……」
最近じゃいるのが当たり前のようになっていた。いつまでもこのままではいけないと思いつつも深く考えないようにしていた。もう少しくらいはこのままで、ゆっくり打開策を練っていこうと思っていたが。これではあまりに急じゃないか。別れの挨拶一つなしだなんて。
「十歌のことばかり心配して、そこに寝ている彼女は心配しなくていいのかい? 恋人なのだろう」
「え?」
恋人? 桜花が?
そういえば、と、記憶を思い返してみる。
桜花と映画を見て、食事をして……、そう、そこで桜花に告白的なことをされて……。そこからの記憶がない。十歌が勝手にオーケーしたのか、まったく。そもそもどうしてこの男がそのことを知っている。桜花はどうして事故に、今は何日だ?
様々な疑問が頭を巡る。どれから考えればいいのかさえもわからない。
「まったく、もしかして恋愛事まで十歌に任せていたのか? 情けない。だから十歌がいなくなってしまうんだよ」
「どういうことだ?」
「推測だが、君はしょっちゅう十歌に体を明渡して、自分は奥底で眠りこけていただろう? だから十歌が主の人格になり始めた。君が三日も起きてこないと十歌から連絡を受けてね、急遽駆け付けたというわけだ」
三日、今日を含めると四日も眠っていたというわけか。
「そして十歌を俺の中から出した、ということか?」
「その通り」
「じゃあ、十歌はもう……」
死んでしまったというわけか……?
「いんや」シニカルな笑みを湛えて彼は口を開いた。「此処にいる」
そう言って彼がかざしたのは見覚えのあるメモリーカード。
「そこに、また十歌を閉じ込めたのか?」
「閉じ込めた? 酷いな、避難させたと言ってくれよ。ただ無産するだけの彼女の意識を」
結果からみれば十歌を助けたのかもしれない。しかし、彼の物言いからは人をもてあそんで楽しんでいるようにしか見えなかった。
「それで、十歌をどうする気だ? また関係ない他人にテロみたいに送りつけるのか?」
「関係ない、ね……。まあ、彼女も望まないだろうし、もう誰に送ることもない」
「じゃあ、どうする気だ?」
「別に、どうもしない。むしろどうしたい?」
「……また俺の中に――」
関係ない他人を巻き込むわけにはいかない。それならば、と思いそう言ったが――。
「おいおい、それじゃ十歌の気持ちはどうなる? 君を助けたくてわざわざ私を呼びつけて自ら消えるという選択をしたというのに」
「それでも――」
みずみず消えてしまうくらいなら。
「もう一度彼女を君の中にいれたとしよう。次はうまくやって君の意識が消えないとしてもだ。それでも一生一つの体に二つの人格が存在するということはおそらく無理だ。ずっとは続かない。君も薄々とそう感じていたのではないか? 恋人もできたことだし。ここらで区切りをつけてはどうだ。第一、本当はもう彼女は死んでいるのだから」
「くっ……」
何も言い返せずただこぶしを握り締めた。
もう、どうすることもできないのか? このまま十歌は消えるしかないのか?
両案は浮かばず、絶望的な考えだけが頭を巡る。
「ここで問題だ」
重苦しい雰囲気にそぐわない陽気な彼の声が響いた。
顔を上げると、にやにやと嫌な笑顔が目に入った。
「なんだ」?
「彼女――十歌は消える覚悟、すなわち死ぬ覚悟を決めて自分を君の中から出した。自分はもう死んだものと思ってるだろうね。まあ、この中では意識は無いが」
「何がいいたい?」
「行くあての無い彼女の意識をなぜ私はわざわざ此処に残したと思う?」
飾り気のないメモリーカードが彼の目の前でゆらゆらと揺れる。
「それは……」
何故だ? どうして、わざわざ……。助かる見込みがあるからか? いや、助かるといっても誰かの中に入れなければ……。
誰か――、視線を移すと視界に入ってきたのは横たわる桜花。
一瞬よぎったおぞましい考えをすぐに否定した。
「いやいや、それで正解だよ」
心を読み取ったかのように彼は言った。
「……」
聴こえないふりをして視線を床に戻した。
「一瞬考えただろう? いや、今も考えているだろう? そうだ、そこに横たわる彼女を使えばいいじゃないか」
「だまれ!」
「そこ眠っている彼女は蔓延性意識障害――俗に言う植物状態というやつだよ。頭を強く打ったからね、いつ目覚めるかは分からない。明日目覚めるかもしれないし、一生寝たきりかもしれない。それならいっそ――」
「だまれ!」
部屋にこだまするくらいの大きな声で彼の言葉をとめた。
「それじゃあ、しかたない十歌は諦めるんだな」
そう言うと彼は手に持っていたメモリーカードを床に落とし踏みつけようとした。
「止めろ!」
すかさず飛び付いて十歌を守った。
「はっはははは、まったくもって醜いな」
高笑いし、中傷するように男は見下ろしてきた。
「……」
何も言い返せない。そんなことは自分が一番よく分かっているからだ。
「それは君にあげよう。せいぜい迷い、足掻けばいい。どちらを選んだにせよ、君は後悔し苦しむことになる。世界は残酷だな」
うるさい、早く目の前から消えてくれ。ただそれだけを願って十歌の入ったメモリーカードを握り締めたまま床にうずくまっていた。
「あ、最後に言っておくが、期限は約三日ぐらいだ。それ以降だのその中の彼女の意識は闇に飲まれてしまうのであしからず。それと、必ずしも成功するとも限らない」
それだけを言い残して男は部屋を去っていった。
「くそっ……」
床を思いっきり殴りつけた。
蹲ったまま立ち上がることができない。涙が頬を伝い床に落ちる。
「どうすればいい……」
答えの出ないと問いをとう。
「どうすればいい、十歌?」
それは最後まで自問ではなく十歌に対するものだった。目の前にいる彼女はもう何も答えてはくれない。
「どうすればいい、桜花?」
静かに眠る桜花は何の反応も示さず静謐を保つばかりだ。
もう、問いに答えてくれる人はいない。自分で答えを出さなくてはいけない。
いつまでも考えることもできない。三日以内に決断しなければ。
大団円なんて存在しない。
あの男は十歌が助かる希望を残していってくれた。だけどその小さな希望は絶望以上に自分を苦しめる。なんて皮肉だろうか。
「ちくしょう……」
嘆いたところで何も変わらない。それでも、嘆かずには居られなかった。
「どうすればいい……、俺は、俺は……」
そして――




