ⅩⅣ
まったく、どうしてこんなことに。
事故から二日たったが、桜花の意識はまだ戻らない。ただ外傷はほとんどなく、綺麗な姿で白いベッドに横たわっている。
先ほどまでご両親もお見舞いに来ていたが、今は自分ひとりだ。
「桜花がこんな状況なのに、何やってんのよ新夜君は……」
そう、新夜君もあの日から目覚めてはいない。
一日にどれだけ寝ても新夜君は起きてこない。何度呼びかけても反応は無い。
だめだ、このままじゃ一生新夜君は戻ってこない。そんな気がしてきた。もう自分の力じゃどうにもできない。そう思い、私は決意した。
徐に携帯を取り出す。
唯一覚えている番号がある。忘れないように、毎日毎日頭の中で反芻してきた。その番号をプッシュした。
この番号に電話をかけるのは二度目だ。できればもうかけたくはなったけど、こんな常用じゃ仕方がない。彼に頼るしかない。
「はい?」
長いコールの後、気だるそうな声が電話越しに聴こえた。
「……」
「もしもし?」
「俺だ」
「……誰だ?」
「おいおい、息子の声も分からないのか?」
ふざけている場合ではないのだが、彼の慌てる声を聴いてみたかった。
「……新夜か? なぜこの番号を知っている? ああ、彼女か。まったく、あれほど――」
予想通り彼は狼狽したように早口になった。
「ははっ、すいません、私です。十歌です」
「君か……、まったく」
呆れたようにため息をつくのが電話越しでもわかった。
「お久しぶりです」
「その様子だと、うまくいったようだな。よかった、よかった」
別段喜んでいる様子でもなく、他人事のような口調だった。まあ、実際他人事だ。
「新夜君が、帰ってきません」
すぐに本題を述べた。
「……何日だ?」
少し真剣な声音になって彼は言った。
「三日目です」
「そうか……、わかった。取りあえずそちらに行く」
彼は全て理解したようだった。
「……お願いします」
「ああ」
そして電話は向こうから切られた。
一気に脱力して項垂れる。
事がどう転ぶかは分からない。だけど覚悟だけは決めておかなくては。
翌日、家には立ち寄れないということで仕方なく桜花の病室に彼を招き入れた。
髪はぼさぼさ、無精髭は伸びっぱなし、それでも白衣を着ているのであまり此処では目立たないだろう。
「彼女は?」
「新夜君の恋人です」
本人はまだその事実を知らないのだけれど。
「ふうん」
どうして寝たきりなのか、何か病気なのか、そんなことは一切興味がない様子だった。
彼はすぐに桜花から視線を外すとパイプ椅子に腰かけた。そして試すように問いかけた。
「で、どうしたい?」
その問いに私は憤慨した。
「どうしたいって、自分の息子でしょ? 助けるのが普通じゃないの? このままじゃ、新夜君は危ないんでしょう?」
「ああ、このままじゃ新夜の人格はずっと眠ったままだ」
「どうしてそんなに冷静なんですか?」
「私に倫理観なんて持ち合わせていると思っているのかい?」
「……」
私は絶句した。
だけど、考えてみればそうだ、この人は最初からこうだった。常識を持ち合わせていれば自分の息子にこんな人体実験じみたことはしなかっただろう。しかし、私が今こうして生きていられるのはこの人のおかげでもある。
「それで、どうするんだい? 私も暇じゃないんだ。さっさと決めてくれれば助かるんだが」
「決めるって何を……」
本当は分かっていた。それでも訊かずには居られなかった。
「君と息子、どちらが死ぬかだ」
どちらが生きるか、そう訊かないところが彼の嫌なところだ。
「新夜君を助けてください」
迷いは無かった。
私の答えに彼は少し意外そうな顔をした。
「へえ、いいのかい? あんなに生に執着していた君が」
「はい」
まっすぐに彼の目を見据えて私は答えた。
「ふう……。少しがっかりだよ。『どんなことをしても、どんな形でも生きていたい』君のそんな貪欲な言葉に少しは共感して助けてあげたというのに」
「確かにあのときはそう思ってました。このまま何もできず、何も知らずに死ぬことがどうしてもいやだった。こんな形で行かされるとは思ってもみませんでしたけど……。でも、もういいんです。新夜君の中で生きたこの数週間は今まで生きてきた数十年よりも密度の濃いものでした。まだやりたいこと、思い残したことはたくさんあるけど、新夜君が死んで私が生き残るなんて、耐えきれない」
死ぬことが怖くないなんて言わない、言えない。発狂しそうなほど怖いに決まってる。だからあの頃の私は狂ったように生きるすべを模索し続けて彼に辿り着いた。
そんな私の愚行のせいで新夜君にはたくさん迷惑をかけた。よく付き合ってくれたものだと思う。同情だとしても嬉しかった。
「じゃあ、さっさと済まそうか。」
そう言って彼は鞄から道具を取り出し、準備に取り掛かった。
ふと、横たわる桜花に目を向けた。
嗚呼、桜花がこうなったのも、もしかして私のせいなのかな。私なんかに出会わなければ、事故に遭うこともなかったかもしれないのに。
心の中で深く桜花に謝罪した。
きっと、すぐに目覚めるよね?
「さて、準備は終わりだ」
私の頭部には仰々しい装置が取り付けられ、その装置から伸びた線は彼の手元のパソコンに伸びている。
「お願い、します」
「最後に何か言い残すことは?
「真夜君に、感謝と、お詫びを」
「なんだ、私には感謝してくれないのか」
そんな台詞を吐く彼を睨みつけた
話つぃがいなくなったら新夜君はどう思うだろうか。悲しんでくれるだろうか、それとも自分の中から変な奴が消えてせいせいするだろうか。
どう思われてもいい。だけど、せめて覚えていて欲しいと思った。
「最後に」嫌らしい笑みを浮かべてかれは言った。「新夜も君も助かる、そんな可能性があるとしたらどうする」
「どんなものっ……」
「ふと思いついたんだ、あくまで可能性だけど。……さあ、どうする?」
平穏だった私の心がかき乱される。
二人とも助かる? そんな未来の可能性が……?
一筋の光があたしの脳内をぐちゃぐちゃにする。心拍数が跳ね上がり今にも飛びだしそうなほど高なってる。
信じていいのか、彼を?
戸惑う私を彼はにやにやと嫌らしく観察している。
そして、私はまた愚行を犯した。




