【短編版】好きな人と結ばれない運命の私が、愛してやまない非攻略対象の婚約者になりました ~ただし、婚約者は女性になる魔法をかけられてしまったようです~
――好きな人とは結ばれない運命なんだ、私は。
学生時代、好きになった相手には彼女や好きな相手がいたり、海外へ引っ越して二度と連絡が取れなくなったりした。
社会人になってから好きになった人は、何度も思わせぶりな態度を取られていよいよと思った頃、こんな告白をしてきたっけ。
「実は結婚するんだ。……あれ、ずっと付き合ってる彼女がいるって言ってなかったっけ?」
(――よし、現実はもう駄目だ)
そう思って、私が手を出したのは乙女ゲームだった。
恋愛するためのゲームなら、選択肢さえ間違えなければ結ばれないなんてありえない。
仮初だってなんだって、意中の相手と恋人になって幸せになれる。
(もう現実なんて捨てて、ゲームでイケメンとのぬるま湯の恋に浸ろう――)
そう、思っていたのに。
「――公爵家令嬢となったからにはしゃんとしなさい。兄である私に恥をかかせたくないのならね」
飴細工のようなブロンド、陶器のように透ける白い肌、菫色の瞳がよく似合う中性的な美貌。
貴族の生まれに誇りを持ち、才能に努力を重ね、公爵家次期当主にふさわしい立ち居振る舞いを見せながらも、決して驕らない青年――
私が好きになったのは、ヒロインであるシャーロットの実兄、シャルル・ウォーレルだった。
この令和の時代、コンプライアンス的に実兄と結ばれる作品なんて皆無。当然、シャルルが登場する作品『魔法使いと飴玉の世界』でもそうだ。
つまり、私は必ず恋愛ができるはずのゲームで、絶対に恋愛ができない非攻略キャラを好きになってしまったのだった。
……この時、私は確信した。
(やっぱり、私は好きな人と結ばれない運命なんだ……!)
*****
――けれど、事実は小説より奇なり。
「……おい、どうした?」
「ん……?」
ぼんやりしていた意識が浮上していく。
数度目を瞬かせると、なんだかやたらときらきらしたものが目に映った。
(これは……)
「――眠いのか。茶を飲んでいる最中、急に上の空になるくらい」
甘く柔いのに、まるでうっとうしさのないすっきりとした声。
「それとも、私との茶会は意識を飛ばすほど退屈だとでも?」
宝石をそのまま人間の形に拵えたような、現実ではありえないほどの美貌――
「あっ、ああっ……!?」
みっともなく、言葉にならない声を上げる。
目の前にいる青年は、さすがに怪訝そうに眉を寄せた。
「……本当にどうしてしまったんだ、婚約者殿」
(し、シャルル……!?)
シャルル・ウォーレル――『魔法使いと飴玉の世界』の非攻略対象キャラクター。
大好きな二次元のキャラクターが、なぜか目の前にいる……!?
(それに……今、なんだかものすごく気になる単語を言っていたような……)
「こ、婚約者殿って……?」
「……? 今日の君は本当におかしいな」
シャルルはアメジストのような瞳を瞬かせると、優雅にティーカップを置きながら答える。
「君は五年前、十二歳の頃から私の婚約者だと記憶しているが? 侯爵家令嬢、サラ・アッシュフォード」
(私が……シャルルの婚約者? 侯爵家の令嬢……?)
何を言われているのかわからない。
奇想天外な状況を前に、私の頭はついにオーバーヒートを起こして――
「ううっ……」
「――おいっ!?」
とても侯爵家令嬢とは思えない醜態を晒しながら、失神してしまった。
*****
再び意識が浮上した時、私はふかふかなベッドの上で寝ていた。
どうやらここは侯爵家にある、サラ――私の部屋らしい。
お付きのメイドだというレイは、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた後、シャルルについて教えてくれた。
「シャルル様なら、仕事があるそうで帰られました。去り際までサラ様のお体を案じられておられましたが……」
「そ、そう……」
(やっぱり、シャルルは実在したんだ。夢なんかじゃなく――)
……いや、やけに煌びやかな部屋で目覚めた時点で、これが現実らしいことはわかっていたけれど。
(本当に、何がどうしてこうなったんだろう? いつも通り残業して、疲れ果てて帰ろうとしてたはずなんだけど……)
その後のことが、どうしてもうまく思い出せない。
(疲れてたわりには、何かすごくいいことがあったような気はする。でも、それがなんだったのか思い出せないな……)
これがいわゆる異世界転生というやつなら、私は死んでしまったのだろうか。なんだかいまいち実感がないけれど……。
(両親はもう亡くなってるし、恋人もいなかったから……。悲しむ人間がいないところだけは救いかな)
とりあえず今は、今後のことを考えないといけない。
(自分が侯爵家の令嬢で、シャルルの婚約者だってことはわかった。それ以外の情報も集めて、状況を整理しないと……)
「……あの、レイさん」
「レイさん? いつもはレイと……」
「! ええっと……」
(サラ・アッシュフォードは知らない登場人物だけど……。とりあえず、貴族っぽく話しておいたほうがいいかな)
「……なんだか熱っぽいせいか、記憶が混濁しているの。変な質問をしてもいいかしら?」
「? もちろん、構いませんが……」
「ありがとう! それじゃあ――」
それから私は、大きなことからこまごまとしたところまで質問を重ねた。
――魔法が存在する大国・マージア王国侯爵家の一人娘、サラ・アッシュフォード。
年は十七で、現在は王都にある『マージア王国魔法学院』に通っているらしい。
そして……シャルル・ウォーレルとは五年前、政略的に婚約が成立したのだという。
公爵家次期当主であるシャルルは忙しい。
かつ、優秀な魔法使いである彼と凡庸な魔法しか使えないというサラは学院でもクラスが違い、ほとんど接点がないらしい。
けれど、婚約者である以上はある程度の交流が必要だろうと、シャルルは三月に一度ほどお茶会の時間を取ってくれていた。
それが――まさに今日のことだったらしい。
(本当に、この世界で私とシャルルは婚約者なんだ……?)
シャルルは非攻略対象だから、彼の恋愛事情について、本編では明かされなかった。
(でも、実は普通の貴族と同じように婚約者がいて。そこに私が転生した――)
シャルルとは結ばれないと思ってた。
だって、彼は攻略対象キャラクターじゃなかったから。
どれだけ嘆いたって結局はどうにもならないんだって……。
(それなのに、こんな幸運あっていいの……!?)
今この瞬間までは、ただ驚きと戸惑いばかりだったけれど……。
じわじわと、奇跡のような出来事に対する喜びが湧いてくる。
(嬉しい……。でも、私にそんな奇跡ありえる?)
呪われているのではないかというくらい、好きな人と結ばれ続けなかった私だ。
今回も、何か落とし穴があるようにしか思えない。
(……ゲームの内容を思い返そう。危険な展開とかなかったっけ……?)
ただ、『魔法使いと飴玉の世界』はとても平和的なゲームだ。
誰かが死んだり、凋落したり、悪人らしい悪人が出てくる展開はなかったように思う。
(『魔法が存在する世界で、貴族たちと甘い毎日を送る』っていうのがコンセプトだったもんね)
非攻略対象キャラクターも、誰も不幸な目には遭わなかった。それは当然シャルルだってそうだ。
(私とシャルルが十七歳。それならシャルルの二つ年下のシャーロットは公爵家に戻って、学院に入学してる。……もう誰かを攻略してる可能性だってあるはず)
シャーロットが十五歳になった頃。
平民として暮らしていた彼女が、実は赤ん坊の頃に誘拐され、亡くなったと思われていた公爵家の令嬢だと判明する。
そして、公爵家に引き取られて学院に入学するところから物語がスタートするのだ。
その後は、攻略するキャラクターによって十五歳のうちにエンディングを迎えることもあれば、卒業の年に迎えることもある。
(今が物語のどの地点だろうと、シャルルの人生にはそう大きく関係ないはずなんだけど。何かが引っかかるような……)
「記憶が欠落されているのなら、お医者様にかかるべきです。今すぐに手配いたします」
「あっ、いや――今のは試しに聞いてみただけだけよ。ちゃんと全部覚えていたから安心して?」
「本当ですか? ですが、せめて明日の学校は休んだほうがいいのでは……」
(学校か……。ちょっと不安だけど、行ってみたらもっといろんなことがわかるかもしれないし――)
「いえ、体調は問題ないから学校にも行くわ。心配してくれてありがとう」
「……わかりました。ですが、もしお辛ければすぐに言ってくださいね」
「ええ、そうさせてもらうわね」
レイが頭を下げて部屋を出ていく。
(不安はあるけど、せっかくゲームの世界に入れて、好きな人の婚約者になれたんだ。前向きに頑張ってみよう……!)
――けれど、人生をひっくり返すほどの大事件は、それからたった一時間後に起こった。
*****
「ご体調が優れないところ申し訳ございません。実は……シャルル様がこちらへ戻られて、サラ様とお話がしたいと言っているんです」
「……え?」
少し前に帰っていったはずのシャルルが、なぜか侯爵家へ舞い戻ってきたらしい。
「それもよほどお急ぎだったようで、従者の方々は置いておひとりで来られたと……」
(な、なんで? 何かあったのかな……?)
「ですが、まだご体調が心配ですし……今は難しいとお伝えしましょうか」
レイは心配そうに言ってくれる。
(正直、会う心構えはまったくできてないけど……)
多忙な彼がわざわざ戻ってくるからには、相応の理由があるとしか思えない。
「……いいえ、会うわ。身支度を手伝ってもらえるかしら?」
「はい、もちろんです」
とりあえず、レイに身綺麗にしてもらってから、彼が待つ客間へと向かう。
(冷静に、もう失神したりしないように……!)
大きく息を吸い込んでから、ドアをゆっくりと開ける。そこには――
「――気分が優れないところ、再び押しかけてしまって申し訳ない」
彫像なのではないかと思うほど美しいシャルルが、恭しく頭を下げて立っていた。
「い、いえいえいえ! 頭を上げてください……! シャルル様ともあろう方が、私なんかに頭を下げたらいけません!」
「……思いのほか元気そうだな。何よりだが」
(し、しまった。オタク全開になっちゃった……)
シャルルはちょっと呆れたような顔をしながら、ソファへと腰かける。
それを見て、私もまた向かいのソファへと腰かけた。
「実は帰宅途中、自由にさせていた私の使い魔からきな臭い情報を得てね」
「きな臭い情報、と言うと……」
「侯爵家の別邸の周辺を、何者が探っていたらしい。……それ以上のことはまだわかっていないが、念のためすぐ伝えておくべきだと思ったんだ」
「この家の周辺を……?」
(侯爵家は身分の高い家だから、狙う人間がいてもおかしくはないのかも……。とりあえず、警戒するに越したことはなさそう)
「……ありがとうございます、家の者に伝えておきますね」
「ああ」
(……それにしても。こうしてわざわざ案じてくれるあたり、サラとシャルルの仲はそんなに悪くはなかったのかな)
だとしたら、もう少し何気ない会話をしてみたり――と思ったのだけど。
「では、用件が済んだので失礼しよう」
シャルルはしゃんと立ち上がり、その場から立ち去ろうとする。
「えっ」
思わず短く声を上げると、シャルルは眉根を寄せながらこちらを見た。
「なんだ」
「あっ、いえ。せっかくなら少しお話でもと思ったのですが。私の体調も治りましたし……」
「へえ。君から会話を望むなど珍しいこともあったものだね。……いつもは、つまらなさそうに下を向いてばかりだというのに」
「え……」
(ぜ、全然仲良くなかったんだ! それに、サラはシャルルを嫌ってた……?)
……いや。慎み深く恥ずかしがり屋な令嬢だったとしたら、気後れしていただけかもしれない。
シャルルは公爵家の次期当主かつ、とんでもない美貌の持ち主だから。
「すみません……。もちろん、ご迷惑なら帰っていただいて結構なので……」
「……別に迷惑だとは言っていないだろう。ただ、私は――」
シャルルが何かを答えようとしてくれた、その時だった。
「……! 伏せろ!」
「え……!?」
向かいに座っていたシャルルがテーブルを踏み越え、私をソファの上に押し倒す。
それと同時に、客間はきらっと小さなきらめきを放って――
「……っ!」
「シャルル様……?」
私の上で、シャルルが小さく呻いた。
「シャルル様!」
「……喚くな」
声を上げる私に、シャルルはかすれた声で答えた。
「窓の外から、攻撃魔法の波動を感じた」
「!」
「……微かに食らった気配があったんだが、運よく異変はなさそ……」
シャルルはゆっくりと身体を持ち上げる。
美しい彼が間近に迫るのを見て、私は固まってしまった。
「……!」
彼の顔の美しさそのものにじゃない。
彼に起こっている『とある異変』に気が付いたものだから――
「シャ、シャ、シャルル様……!」
「……ん?」
青ざめる私を見て、シャルルは怪訝そうな顔をする。
けれどやがて、ゆっくりと自身の身体に視線を下ろし……。
「――は?」
自身の胸元を見て、固まった。
華奢ながら、引き締まった身体をしていたはずの彼の胸元に……柔らかなふくらみができていたから。
「なんだ、これは」
シャルルは明らかに動揺した様子で、頭を掻こうとする。
すると今度は、飴細工のようなブロンドが腰まで長く伸びていることに気が付いたようで――
「……おい、サラ・アッシュフォード」
「は、はい」
「私の身体に起きている異変を、君の目から見て言ってみろ」
「そ、それは……」
私もまだ、目の前で起きている異変が信じられない。
けれど、シャルルの促すような目を見て、震える唇を開き……。
「シャルル様が、女性の姿になっています……」
「…………」
あまりにも奇想天外で、残酷な事実を告げる。
(もしかしたらこの世界では好きな人と幸せに結ばれるのかもしれない、なんて思った。それなのに――)
……ああ。きっと神様は、私のことがどうしようもなく嫌いなんだろう。
「……最悪だ」
こんなイレギュラー極まりない方法を使ってまで、私の恋を邪魔しようとするんだから。
*****
「……とりあえず、邸宅の周辺に軽い結界を張っておいた。これで当面は安全だろう」
「あ、ありがとうございます……」
――シャルルが謎の魔法で女性の姿になってしまった後。
おろおろする私とは違い、判断が早い彼は使用人たちへ見つからないようこっそりと外へ出て、侯爵家の守りを固めるための結界を張ってくれた。
見た目はずいぶんと可愛らしく変化したというのに、中身はまるで変わらず男らしい。
(自分の体が急に変わって、動揺してないはずないのに)
尊敬の念を抱きつつも、再びふつふつと心配になって尋ねてみる。
「あの……お体は大丈夫ですか?」
「調子が悪いかどうかであれば、心配する必要はない」
だが、とシャルルは一区切りして長く伸びた髪をいじる。
「この変化における手立てを知りうるか否かという意味であれば、答えは否だ」
「……っ」
「とはいえ、当然調査してすぐに解決する。君が余計な心配をする必要はない」
「で、でも、私のせいで……」
(……そう、私のせいだ)
謎の魔法から守ってくれたから、という意味でもそうだけれど――
(好きな人と結ばれない運命なのに、シャルルの婚約者になったから。神様が無理やり元の運命に戻そうとたんじゃ……)
陰謀めいた考えかもしれない。
でも、タイミングを考えるとそうだとしか思えなかった。
(せっかく異世界転生して、シャルルに会えたのに)
初めにこんな迷惑をかけてしまうだなんて思わなかった。
私が転生しなければ、シャルルの性別が変わることなんてなかったはずなのに――
「ごめんなさい……」
「…………」
申し訳なさやらやるせなさやらで、謝ることしかできない。
「謝罪は必要ない」
「でも、私がいなければこんなことにはなりませんでした」
「襲撃者がいなければ、だ。君が気負う必要は何一つない」
「そうじゃ、なくて……」
私が、甘やかな期待に心を委ねたりしたから。
顔を上げられず罪悪感でいっぱいになっていると、彼は小さくため息をついた。
「……はあ」
「!」
(呆れられた……?)
胸がちくりと痛む。
その次の瞬間、痛んだのは私の両頬だった。――シャルルに両手で軽くはたかれたのだ。
「いっ……!?」
「身を挺して守ったんだ。謝罪より、笑顔の礼を聞きたいものだね」
「……!」
(そういえば、まだちゃんとお礼を言ってなかった……)
「……ありがとうございます、シャルル様。本当に助かりました……」
「……笑顔ではないが、まあ受け取っておくとしよう」
シャルルは飴玉のような瞳をふっと細めて笑う。
(シャルルは……ゲームで見てたのと同じ。本当に優しい人だな……)
平民として暮らしていたのにも関わらず、公爵家の娘だということがわかり、急きょ連れ戻されることになったシャーロット。
右も左もわからず不安だらけの中、攻略対象より両親よりも先に、彼女の面倒を見て導いたのは、他でもないシャルルだった。
皮肉も交えながら厳しく貴族教育を施すシャルルに、初めは苦手意識を抱いていたシャーロットだけれど……。
やがてそれが、彼女が貴族社会で己の身を守れるよう、愛をこめて施されたものだと知る。
そうしてシャーロットは、シャルルを大切な兄として認めるようになるのだ。
(生真面目で、わかりにくいけど優しい人……。そんなシャルルのことを、画面越しでも大好きになった)
恋をするために乙女ゲームを始めたのにも関わらず、彼が非攻略対象だと知っても。
好きな気持ちを、止めることなんてできなかった。
(……でも、ただ優しくされてるだけなのは嫌だ)
せっかくこうして会えたからには、私は自分にできることを彼にしたい――
そんな思いから、震える唇を開く。
「シャルル様……。私にできることがあればなんだって言ってください! その魔法を解く方法も、どうにか探し出してみせますから……!」
「…………」
シャルルは以前よりも女性らしく丸みを帯びた瞳をこちらへ向ける。
それから口角を上げたかと思うと、ゆっくりと口を開いて――
「それなら、今夜は君の家へ泊めてくれ」
「え……」
意外な言葉に目を瞬かせる。
(そ、それって……)
それと同時に、シャルルは私の肩を強く掴んだ。
「――断るなよ。こんな姿で公爵家に戻れば、確実に両親のオモチャにされる……!」
「あっ、はい……!」
切実さあまりあるシャルルの言葉に、頷かざるを得なかった。
*****
「――シャーロットが家へ戻ってきた時はひどかった。無事に娘が帰ってきたことを喜ぶだけなら微笑ましかっただろうが」
こっそりと私の部屋へ移動した後、シャルルは両親への不満を吐き出すように言った。
「もし生きていたのなら着せたかったドレスを買い続けていたのだとかなんだとかで、あの子を数か月に渡って着せ替え人形のようにしていたよ」
「な、なるほど……」
「……もっとも、シャーロットがレオンハルト第二王子と婚約して、彼の元で花嫁修業するようになってからは落ち着いたけれどね」
「!」
(レオンハルト第二王子――『魔法使いと飴玉の世界』のメインヒーローだよね。じゃあ、シャーロットはレオンハルトルートをクリアしてるんだ……!)
レオンハルトルートでは、王家に生まれながら第一王子である兄に勝てず、王になれない劣等感に苛まれていた彼をシャーロットが慰め、救うことによってエンディングを迎える。
(今はハッピーエンドのその先……もう、ゲーム本編からは外れた世界ってことだ)
であれば、未来を先に読んで立ち振る舞うことはできない。
なんにせよ、シャルルにかけられた魔法はゲーム本編では出てきていなかったものなので、どうしようもない気もするのだけど。
(ゲームに出てこない魔法……。何となく違和感があるんだよね)
「そんな中、女性となった私が帰宅すればどうなると思う?」
「えっ? ああ、まず心配されるのでは……」
「うちの両親がそんな繊細なものか。第二の着せ替え人形にされるに決まっているだろう」
(そう、なのかな……?)
ゲームの内容を思い返してみると、確かに爵位のわりに陽気で気さくな人たちだったような気はするけれど……。
さすがに次期当主の身を案じるのでは? と疑問を抱く私を見て、シャルルは小さく息をついた。
「心配はしないさ。公爵家の次期当主たるもの、己の身は己でどうにかせよと言われるだけだろうね。……元よりそのつもりだから一向に構わないが」
「そういうものなんですね……」
さすがは公爵家。和やかなように見えてなかなかスパルタらしい。
「というわけで、今の状況について両親に報告するつもりはない。……襲撃犯やこの魔法についての調査も、私の使い魔と腹心を中心に任せるつもりだ」
そう言って、一区切りつけるとシャルルは菫色の瞳を私へ向けた。
「それと、結界を張ったとはいえ侯爵家の守りが不安だ。君の両親は……旅行で本宅にも別邸にも一月ほど帰らないと聞いている。今から連絡を取ったとしてもそう簡単には戻ってこられないだろう」
(あ、そうなんだ……)
よく知らない両親と対面する勇気はまだなかったので、少しだけほっとする。
「――だから、しばらく私をここへ泊めてほしい。ただし、私のこの姿は誰にもばれないように」
「誰にもって……使用人たちにもですか?」
「ああ」
「それは、なかなか難しいんじゃ……」
さすが侯爵家というだけあって、邸宅内に使用人の数は多い。ここは王都から近い別邸だと聞いたので、本宅ほどではないのだろうけど――
「そこは、君の力でどうにかしてくれ。……何でもすると言っただろう?」
「うっ……」
言った。それに、シャルルの力になりたいのは本当だ。
「……わかりました、どうにかできないか計らってみます。とりあえず、今日は私の部屋で過ごしてもらったほうがいいかもしれませんね」
(他の部屋のことは、まだよくわからないし……)
「君の部屋? ……いや、他にも部屋はいくらでもあるんじゃ――」
「……失礼いたします。サラ様、移動されたようでしたのでこちらへお茶をお持ちしたのですが……」
「! ちょうど侍女が来たようなので、説明してきますね」
「おい――」
部屋の外へ出て、少し驚いた顔をしているレイと対峙する。
「あの……? よろしければお部屋へお持ちしますが……」
「ううん、部屋には入らないで。それとその……シャルル様をしばらくうちへお泊めしたくてね」
「シャルル様を?」
「ただ、なるべく二人きりで過ごしたいから……こちらから呼びに行かない限りは、絶対に部屋へ近づかないでもらいたいの。……お願いできる?」
「……!」
レイは大きく目を見開くと、慌てたようにこくこくと何度も頷いた。
「か、かしこまりました。他の者にもそのように伝えます」
「ありがとう!」
「いえ……。その、旦那様は仲睦まじいことをお喜びになるでしょうが……あまりご無理はなさらないでくださいね」
「えっ?」
「諸々の準備をいたしますので、失礼します」
レイは頭を下げると、そそくさとその場を去っていった。
(なんだろう、反応が妙だったような……)
とりあえず部屋の中へ戻ると、顔を真っ赤にしてこちらを見ているシャルルがいた。
「――なんだ、あの説明は。とんでもない誤解を生んでいるだろう、絶対……!」
「誤解?」
「……っ、はあ……」
何を言っているのかよくわからず首を傾げると、シャルルはへなへなと地面にへたり込んでしまった。美しい長髪が地面についてしまう。
「シャ、シャルル様……!? 大丈夫ですか? もしかしてお体が……」
「体じゃない、矜持の問題だ。……公爵家の次期当主が、とんでもない獣だと思われないことを切に願っているよ」
シャルルはぶつぶつと魂が抜けたように呟く。
結局、彼が言っていることの意味は最後までわからなかった。
*****
自室に二人分の夕食を持っていき、食事を済ませた後――
「お風呂ですが……シャルル様、一人で入れそうですか?」
「……ああ」
シャルルは自分の体を見下ろして、少し不安そうに瞳を揺らす。
けれど、髪を揺らしてかぶりを振ると「問題ない」とはっきり答えた。
「服は……君のものを貸してもらうことになり申し訳ないが。あとですべて弁償する」
「いえ、そこは気にせずともよいのですが」
「レディの服を借りるんだ、そこは譲れない。……ともかく行ってくる」
シャルルが、部屋備え付けの浴室へ向かう。
(大丈夫……だよね? ただ体を洗うだけなんだし)
そう思い、シャルルが近くでお風呂に入っているという事実から気を逸らそうとしたのだけど――
「うっ……」
(え……)
浴室からうめくような声が聞こえて、心臓がどくりと音を立てる。
(もしかして、何かあったんじゃ……)
たとえば、シャルルが受けた魔法が、ただの性別転換のものではなくて命を蝕むようなものであったとか――
「……っ!」
いてもたってもいられなかった。
気が付けばその場から走り出し、浴室のドアを開けて――
「シャルル!」
「……!?」
その先で、裸体のシャルルは驚愕の表情で私を見ていた。
「なぜ入ってくる……!?」
「だ、だってうめき声をあげていたので! 何かあったんじゃないんですか……!?」
「何もない! ただ、体の変化を目の当りにしたら、思ったよりもダメージがあっただけで……」
そう言って、シャルルは口をつぐんだ。
「……大丈夫だから、出て行ってくれ」
(やっぱり、性別が変わってショックじゃないわけなかったんだ……)
罪悪感と、せめて自分にできることをしたい、という気持ちが湧く。
(だったら……)
「私が入浴を手伝います!」
「は……?」
「シャルル様は目を瞑っていてください。その間に私が洗いますから」
(そうすれば、自分で洗うよりは体の変化に意識がいかないはず)
シャルルは青ざめる。
「男の私と風呂へ入ろうと? 君は正気か……?」
「正気です。元はと言えば、ご迷惑をおかけしたのは私ですし……。それに、今は男性じゃありませんよね?」
「そ、それは……」
(となると、さすがにドレスのままじゃまずいよね)
何層にも重なっているドレスの上の層を脱ぐ。
「っ、おい――」
そうして、身軽になってから浴室へ足を踏み入れた。
「さあ、シャルル様!」
「……っ!」
シャルルは何度も口をぱくぱくと開閉させると、やがてがっくりとうなだれて――
「…………一刻も早く済ませてくれ」
ようやく、受け入れてくれるのだった。
*****
「はあ…………」
(ふう。ちょっと緊張したけど、無事に済んでよかった……)
達成感を抱く私とは反対に、シャルルは心底疲れた様子で白目を剝いている。
「なぜ結婚前にこんな……。君は私をなんだと思っているんだ……」
「……ご、強引ですみません。えっと、それより髪を乾かしましょう! 髪が長くて大変でしょうし、お拭きしますよ!」
さすがにちょっとまずいことをしたかも、と思い始めて慌ててごまかそうとする。
そんな私に気が付いたのか、シャルルはそれは大きなため息をついた。
「必要ない、すぐ乾く」
「あ……」
シャルルがぱちんと指を鳴らす。
金色の濡れた髪は宙を舞い、宝石のような水滴が弾かれ――あっという間にさらさらと乾いてしまった。
(これが、シャルルの魔法……)
「すごい……!」
「……大げさな、高位貴族なら誰でも使える魔法だろう」
そう言って、シャルルは何とも言えない表情をする。
「いや、人によりけりか」
多分、サラのレベルでは使えない魔法なんだろう。
「……えっと、すみません」
「謝る必要はない。こういうのは適正もある」
「はい……」
(……シャルルは、サラのことをどう思ってたんだろう)
ふと、そんな疑問が湧いた。
(身分的には問題なくても、話し上手なわけでもなくて、魔法の才能もない婚約者を疎ましく思ったりはしなかったのかな……?)
今のところ、彼からサラに対する嫌悪感のようなものは感じないけれど――
「なんだ?」
「! い、いえ……なんでも」
「…………」
シャルルはじっと私を見つめてから、ゆっくりと唇を開いた。
「とりあえず、今夜一晩様子を見てから明日の登校を決めようと思う」
「! それがいいですね……」
「それと――」
シャルルは長い髪を揺らし、一歩、二歩とこちらへ近づく。
「あ、あの……?」
後ずさる私の腕を軽く掴むと、なんだかとても怖い表情を浮かべて――
「さっきはさんざん好きにしてくれたんだ、今度は私の言うことを聞いてくれるな」
「い、言うことって……」
息を呑む私を見て、シャルルはおもむろに告げるのだった。
「――今夜は、私と共寝するように」
*****
「……それじゃあ、眠るぞ」
「は、はい……」
(ど、どうしてこんなことに……)
シャルルと同じベッドに入る。
自分と同じ石鹸しか使っていないはずなのに、ふわりとやけに甘い香りがした。
そして、どこからどう見ても美少女にしか見えないシャルルと間近で目が合う。
(本当だったら同衾だなんて緊張するはずだけど、女性になったシャルルは――)
「可愛い……」
思わずぽつりと呟くと、シャルルはあからさまに眉根を寄せた。
「婚約者に言われて嬉しい台詞ではないな」
「す、すみません……」
「……謝らなくていい。そもそも、婚前の婚約者に不躾な要求をしたのはこちらなのだから」
「えっと……」
(……シャルルは、どうして共寝したいなんて言ったんだろう)
彼がやましいことを考えているとは思えない。
万が一、を考えても今の体の状態では何もできないのだし――
不思議に思ってドロップのような目を見つめていると、彼はぽつりと唇を開いた。
「……今日は、思いがけず君のいろんな表情を見られたから」
「え……」
「変に遠慮せず、もっと踏み込んだほうがいいのかもしれないと思ったんだ。……この、奇天烈な事態を活かしてね」
「……!」
「これまで何度か茶の時間は取っていたが、あれでは結局、交流していないのと同じことだっただろう」
『へえ。君から会話を望むなど珍しいこともあったものだね。……いつもは、つまらなさそうに下を向いてばかりだというのに』
そういえば、シャルルはそんなことを言っていた。
(もしかして……サラに歩み寄ろうとしてくれてる?)
でも、もしそうだとして――
「……どうして、私との交流を大切にしてくださるんですか?」
「……え?」
「婚約は政略的なものですし、シャルル様はお忙しいようなので……私に手間をかけてくれる理由が、わからなくて」
ぽつりと疑問をこぼす。
サラは優秀で魅力的な令嬢、というわけではなかったようだし……。
シャルルの行動は、言ってみればコスパが悪いように思えてしまったのだ。
疑問を膨らませる私を見た後、シャルルは天井を見上げる。
「私の両親は、政略結婚だった。他の貴族たちと同じようにね」
しんとした部屋に、彼の凛とした声が響く。
「だが、彼らはとても仲がいいんだ。もし公爵家に一大事が訪れたとしても、お互いの身を最優先するだろうと思うほどには」
シャルルは、さらさらと絹糸のような髪をこぼしながらこちらを見やる。
「それを見ていて、結婚も悪くないと思っていた。だから……自分に婚約者ができた時には大切にしようと思っていたんだよ。政略であろうと、歩み寄って思い合うことができればいいと」
「……っ」
まっすぐな言葉に胸がどきりとしつつ、下を向く。
「素敵ですね。……でも」
(サラのことは知らない。でも少なくとも、私はシャルルに思ってもらえるほどの人間じゃない……)
本当だったら彼よりも年上の、貴族令嬢でも何でもない平凡な女だ。
やたら恋愛がうまくいかないことを差し引いても、シャルルが愛するほどの人間じゃない。
そう思った瞬間、胸がずきずきと痛み始めた。
(……きっと今までの恋愛がうまくいかなかったのだって、結局は私に魅力がなかっただけで)
(それなのに、転生して婚約者になれたからって。シャルルの優しさに付け込んで、仲のいい夫婦になろうとするなんて図々しいんじゃ……)
「サラ」
「!」
シャルルの手のひらが、私の頬を伝う。
「君が何を考えているのかは、おおよそ想像がつく。……いつも自信がなさそうにしているからね」
「……っ」
(もしかしたら、サラも同じような気持ちだったのかな……)
似ているからこそ、この体に転生したのかもしれない。
「だが――」
シャルルは恭しく私の手を取ると、そっと唇を押し当てた。
「……! シャ……」
「人間、誰しも取り柄があるものさ。少なくとも今日の君には何度も驚かされたが、愉快と言えば愉快だったし」
「ゆ、愉快……」
「人生を共にするんだ。これまではよく知らなかったけれど、長い時間をかけて君の長所を見出していこう。……そして君も、私のよいところを見つけていってほしい」
「シャルル様……」
そんな言葉を聞いた瞬間、なんだか涙が滲んでしまった。
私がシャルルの婚約者になれたのはただのラッキーだ。
でも……彼は私を知ろうとしてくれている。その上で、婚約者として大切にしてくれようとしている――
「……まあ、男の姿に戻ることができなければ、婚約の話自体飛んでしまうのだろうが」
「!」
(それは、確かにそうだよね……!?)
私は慌ててシャルルの手を握る。
「戻りましょうね、絶対!」
「…………」
シャルルは菫色の目を大きく見開く。それから少しおかしそうにくすっと笑った。
「ああ、当然だ」
*****
「――おはよう、寝坊助」
「……!?」
目を覚ます。
そこには、可愛らしい寝起きの少女――はおらず。
「! その姿……!」
制服を身にまといしゃんと立っている、男性のシャルルの姿があった。
(男性の姿……ってことは、呪いは解けたの?)
目を瞬かせる私を見て、シャルルはかぶりを振る。
「残念だが、呪いが解けたわけではない」
「え? じゃあ……」
「魔法で姿形を上書きしているんだ。根本的な解決にはなっていないし、それなりに魔力は使うが……まあ、休み休み過ごせばどうにかなるだろう」
シャルルは、昨夜私が眠ってからはその確認作業をしていたらしい。
(でも、魔法を維持し続けるのってかなりの負担なんじゃ……)
「数日くらいなら休んでもいい気もしますけど……」
「公爵家次期当主たるもの、そういうわけにもいかない。何より、学校が所蔵する書架には希少なものが多く、呪いを解く手立てになるかもしれないからな」
「なるほど……」
「それに、ここよりもかえって衆目のある学校のほうが安全だろう。……というわけで、早く支度するといい。まさかこの私を遅刻へ共連れするつもりかな?」
「あっ、急ぎます……!」
呆れるシャルルから離れ、私は慌てて身支度を済ませるのだった。
*****
城かと見間違うほどの豪奢な校舎へ入った後。
シャルルとはクラスが違うため、自分が向かうべき教室へ足を踏み入れる。
(わあ、下位クラスでも、ゲームで見たのとほとんど同じ教室……!)
「おはようございます、アッシュフォードさん」
「あっ、ええ。おはようございます……」
クラスメイトらしい女子生徒たちから挨拶を受ける。
(サラとクラスメイトとの関係は、普通に良好だったみたい)
少しほっとしながら、どこへ座ればいいのだろうかと周囲を見回す。
(ゲーム本編だと、大学みたいに好きな席に座ってたはずだけど……)
すると、厚いレンズの眼鏡をかけた男子生徒に声をかけられた。
「ねえ、隣に座りなよ」
「え……」
(……サラと親しい人だったのかな?)
焦がしたキャラメルのような茶髪を綿菓子のようにふわふわと跳ねさせた、あまり貴族然とはしていない容貌だけど――
(断る理由もないし、親しいなら拒否したら不自然だよね)
「……はい、失礼します」
素直に隣へ腰かけると、彼はじっと私の顔を覗き込んできた。
「あ、あの……?」
「……同じ馬車から来るなんて、随分シャルルと仲良くなったみたいじゃない、婚約者ちゃん?」
「えっ――」
甘やかな声とともに、分厚いレンズでよく見えないはずの青い瞳がきらっと光る。
(学校から離れた位置で馬車を降りたはずなのに……どうして、シャルルと来たことを知ってるの?)
背筋がぞくっとする。
けれど、理由を問いかける前に教師らしき人物が教室へと入ってきて――
「おはよう、諸君。このクラスに転入生が入ったので紹介しよう」
(……転入生?)
貴族ならほぼ全員入学義務のあるこの学校に、途中から転入してくる生徒はごく少ないはずだ。
(ゲーム本編だと、一度も転入生が入るイベントなんてなかったよね)
珍しく思っていると、教師は頭をぽりぽりとかいた。
「と、その予定だったんだが……急な体調不良で登校は明日以降になるそうだ。新しいクラスメイトを受け入れる心構えだけしておいてくれ」
(……気になる。念のために、あとでシャルルに伝えに行こう――)
*****
――そして、昼休み。
(うーん。授業の内容、ほとんどわからなかったな……)
下位クラスとは言え、ゲームで見ていた知識しかない私にはちんぷんかんぷんだった。
実技授業がなく、当てられることもなかっただけ、まだマシだったけれど。
(今後のことを考えると、勉強したほうがいいのかも)
そんなことを思いつつ、シャルルがいる上位クラスへ向かおうと廊下を歩く。
けれど……あまりにも校舎が広いため、自分が今どこにいるのかさえわからなくなってしまった。
(ま、迷子になっちゃった……?)
焦っていると、誰かに背後から肩を叩かれた。
「サラちゃん」
「……っ!?」
振り返った先にいたのは、クラスで隣の席に座っていたクラスメイト。
(どうして、この人がここに――)
「シャルルを探してるんでしょ?」
「!」
(なんで、シャルルを探してるってわかるの……?)
ぞくりとして後ずさる。
「――ああ、警戒しないで」
その間、アーサーは余裕げな態度とともに指を弾いた。
「大丈夫、怪しい者じゃないから」
「……!」
彼がそう言った瞬間、髪はさらさらと黒く変化し、眼鏡もどこかへ消えてしまって――
黒髪にサファイアのような瞳がよく似合う、絶世の美青年が現れた。
(この人――)
「僕はアーサー、シャルルの親友だよ」
(攻略対象の、伯爵家長男のアーサー・トンプソン……!)
伯爵家、と言いつつ実は王族の血を引いている青年だ。
彼は王族の血を疎ましく思っており、恋愛作家として大成することを夢見ているものの――意志に反し、後継者争いに巻き込まれていく。
(でも、どうして……)
「……アーサー様は、下位クラスの生徒じゃありませんよね? どうしてあのクラスに……?」
「ちょっと潜入取材をしたくてさ。偶然、君とシャルルが一緒に登校するところを見たものだから――小説のネタになるかなって。それで、みんなの認知を魔法で歪ませて紛れ込んじゃった」
(そ、そんなことのために?)
彼は自ルートでは決して悪人じゃなかった。
でも、他ルートだと悪人とまでは言わずとも、キャラたちをかく乱するような立ち位置で登場する。
(……怪しい、なんて思ったらよくないかな。でも、このタイミングだと……)
「でもさ、変なんだよね」
アーサーは私へ一歩近づく。
「へ、変って……?」
「僕、君には認知を歪ませる魔法をかけてないんだよ。それなのに、どうして知らないクラスメイトがいても怪しまなかったのかってさ」
「……!」
アーサーの海のように青い瞳が、私の瞳をじっと見つめる。
「ねえ、教えてくれる? 君がシャルルと急接近した理由と、何か関係があるのかな」
「そ、れは――」
ごくりと息を呑む。
転生についても、シャルルの呪いについても、信頼のおけない相手に容易に明かすべきじゃない。
そう思い、どうにかその場から逃れられないかと考えた時――
「――婚約者殿に、何をしている?」
「シャルル様……!」
アーサーに迫られる私の元へ来てくれたのは、他でもないシャルルだった。
「やあ、シャルル。そう怖い顔をしなくてもおかしな真似はしていないよ。親友の婚約者に手を出すわけもないんだし」
「だが、婚約者殿は怯えているようだ。……貴様が何かしたとしか思えないのだが」
「……強いて言うのなら、どうして君と急接近したのか、謎を解き明かしたくてね。ほんの少し迫ってしまっただけだよ」
「くだらないことを」
シャルルは呆れたように息を吐くと、まっすぐ私へ近づいてきてくれる。
「怖かったな」
「……!」
ぽすんと頭を撫でられた。まるで、兄が妹へするように。
「色気がないなあ、それじゃ、シャーロットちゃんへするのと同じじゃない」
「うるさい。それより、妙な探究心を彼女へぶつけるな。貴様が書く恋愛小説の糧にさせるつもりはないぞ」
「ええ、ひどいなあ」
「ひどいものか。……婚約者殿、奴は己の好奇心がゆえに人の不安を煽るところがあるが……悪人ではないからな。あまり怯えなくていい」
「ネガティブキャンペーンだ!」
「すべて真実だ」
気やすい仲同士ならではの会話が、目の前で繰り広げられる。
(アーサーは……本当に、悪い人ってわけじゃないのかな? 少なくともシャルルは気安くしてるみたいだし)
「急接近した理由、などくだらない。婚約者同士の距離が縮むことに何の問題もあるものか」
「いや、そりゃ何の問題もないけど。今まではろくな進展もなさそうだったから……」
「他人の関係性の進展を気にするな、気色が悪い」
「ひどっ!? いくら何でもその言い草!」
(……うん、仲いいな……)
ぽんぽんと飛び交う軽口の応酬を聞いていると、やがてシャルルの異変に気が付く。
「…………」
(顔色が悪い? もしかして、ずっと魔法で姿を変えてるから――)
「あの――」
私が彼の名前を呼ぼうとした瞬間、シャルルはこちらを向く。
そして、私の腕を軽く引いて――
「アーサー、私は忙しい。疾く去ってくれ」
「え……」
シャルルは近くの空き教室へ私を引き込むと、魔法で鍵をかけてしまう。
がちゃんと音がした瞬間、アーサー様が戸惑うように息を吸う音が聞こえた。
それと同時に――
「はあっ……」
「……!」
シャルルが私の胸へ寄りかかる。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「ああ。だが、ギリギリだったな……」
その呟きとともに、姿を上書きする魔法は解けたようで、長い髪がふわりと揺れる。
「……あの馬鹿はようやく諦めたか」
「そう、みたいですね……」
廊下にアーサーの気配はない。諦めて、どこかへと去ったようだった。
「すみません、シャルル様の親友とトラブルを起こすつもりはなかったんですが……」
「不審な挙動をしたのは向こうなのだろう。気にする必要はない」
だが、とシャルルは会話をちぎる。
「もし、昨日の襲撃の犯人として疑っているのなら、それは恐らく違う」
「そうなんですか……?」
「君、ないしは私を襲う理由がない。……創作のネタにしたい、などというふざけたことを言い出す可能性はゼロではないが――」
シャルルの菫色の瞳は、私の姿を映す。
「昨日の魔法の痕跡からは、微かに悪意が感じ取れた。……侯爵家か公爵家、ないしは君か私を恨む人間の犯行だと思う」
「……!」
「家柄を鑑みるに、私も君も人の恨みをまるきり買わないとは言えないだろうが……。何か、心当たりはないか?」
「心当たり……」
私自身にはない。
かと言って、周囲の反応を見る限り、サラにもありそうには思えないけれど――
(……でも、なんだろう。何かが引っかかるような……)
「……まあいい。今はとりあえず、性別転換の魔法に関しての資料を漁っている。進展を待っていてくれ」
「! 私も手伝います、だって私のせい――」
「ではないが。人手があるのは助かる、放課後から頼むとしよう」
「はい!」
「……それでは、そろそろ――」
シャルルが私から離れようとする。
けれど、彼の体はいまだにふらついているようだった。
「まだ疲れているなら、無理しないでください。遠慮なく寄りかかっていていいですよ」
「ああ……いや。もう十分だから……」
「十分ではないでしょう、ほら」
「!」
心配になって、シャルルの頭を胸へ引き寄せる。
「楽になるまでこうしていてください」
「…………」
シャルルは一瞬黙ると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「……昨日から思っていたんだが。君は私をなんだと思っている?」
「え……」
「今はこのようななりだが、私と君は男女だ。――こうして近づいても、何も感じないのか?」
「……!」
シャルルが私の顎を掴む。
唇が触れてしまいそうなほどの距離に、彼の顔があった。
「そ、れは……」
(頭が回ってなかっただけで、どきどきするに決まってるけど……!)
「黙っていないで、答えたらどうだ」
「……っ、そういうシャルル様はどうなんですか? 特に変わらないようですけど……」
誤魔化すようにそんな返答をする。
「変わらない?」
シャルルはむっと眉根を寄せると、突然、魔法で男性の姿へと変わり――
「!」
「変わらないわけがないだろう。……私が公爵家の名と誇りを背負っていなければ、とうに手を出している」
「え……!?」
「……とまでは言わないが」
(あっ、嘘なんだ……!?)
一瞬でも本当のことかと思ってどきどきしかけた自分が恥ずかしくなる。
けれど、頬を熱くする私を見ながらシャルルは言った。
「それなりに心はかき乱されている。……君のせいでな」
「……!」
「――さあ、今度こそ問題ない。次の授業が始まってしまうから行こう」
身なりを軽く整えたシャルルは、すぐに私から離れて歩いて行ってしまう。
けれど……私はどきどきで気が気ではなかった。
*****
その日の放課後。
シャルルと学内にある書架で待ち合わせているため、慌てて向かおうとする。
(授業が長引いて遅れちゃった……。待たせてないといいな)
昼休みのことを思い返すと、シャルルに会うのはどうにも気恥ずかしいけれど……。
(……いろいろあったせいで、転校生のことを伝えるのも忘れてたし。会わないわけにはいかないよね)
そう思っていた時のことだった。
「――邪魔をしてるのは、あなたね?」
「……っ?」
香水を頭からかぶった時のような、嫌な甘ったるさを感じる声。
背筋が冷たくなる感覚を抱きながら、ゆっくりと振り返る。
(誰……?)
そこにいたのは、栗色の髪を赤いリボンで一つにまとめた可愛らしい少女だった。
彼女の顔を見た瞬間、私は強烈な既視感を抱く。
(私……この子を知ってる?)
でも、こんな少女はゲームでは見たことがないはず。
主人公のシャーロットでなければ、サブキャラクターの女性キャラたちでもないのだから。
――じゃあ、彼女は誰?
なぜか、体が熱病に侵された時のようにぞくぞくする。
嫌な予感を全身で抱いているかのように。
「おかしいのよ、シャルルに婚約者がまだいるなんて……。物語開始時点で、彼とサラとの婚約は破談になっているはずなのに!」
「え……」
(……この子は、何を言ってるんだろう)
物語開始時点、なんてまるで私と同じ転生者のような表現をしている。
(ううん、もしかして本当に転生者なんじゃ……。転生してるのが私だけとは限らないんだから)
いや、もしそうだとして。
ゲーム開始時点で婚約の破談、という設定は本編のどこにも出てきていなかった。
少女は目を吊り上げながら私へ近づくと、憎悪の感情を露にする。
「あなた、転生者? ……それで物語を捻じ曲げたんでしょう」
「!」
(転生者……。その言葉を知ってるってことは、この子もやっぱりそうなんだ……!)
「答えなさい!」
迫力に気圧されて、おずおずと答える。
「……っ、確かに転生者だけど、物語を捻じ曲げるようなことは何も……」
「嘘よ。そうじゃなければ……続編ヒロインである私の編入までに、彼がフリーになっていないなんてありえないもの!」
「……?」
(続編? ヒロイン? シャルルがフリーに……?)
その言葉を聞いた瞬間、転生前の記憶が一気に溢れかえる。
(そうだ……転生前に感じた、すごくいいこと。あれは――)
『魔法使いと飴玉の世界』続編の発表。そして……。
「――続編ヒロインとして言うわ。非攻略対象から攻略対象へ格上げされたシャルル・ウォーレルを解放して頂戴」
――シャルルが、非攻略対象から攻略対象へ格上げされたから。
(じゃあ……シャルルと結ばれるのは、婚約者のサラじゃなく、続編のヒロインであるこの子?)
ああ、やっぱり――
私は、神様に嫌われているのだとしか思えない。
*****
「――遅かったな」
シャルルと待ち合わせしていた書庫へたどり着く。
そこには誰もおらず、シャルルは魔法を解いて女性の姿で本棚を漁っているようだった。
「まあ構わないが、時間が惜しくはある。来て早々に申し訳ないが、そちらにある本を確認してもらえるか」
「…………」
「……婚約者殿?」
何も答えない私を、シャルルが不審そうに覗き込もうとする。
けれど、今の顔を見られたくなかった私は慌てて背けた。
その瞬間、シャルルは端正な顔を歪める。
「――何があった」
女性らしく柔くなってはいるものの、ぞくっとする固い声だった。
私は、少し前――続編のヒロインと対話していた時のことを思い返す。
*****
「シャルルは今、女性の姿になっているわね?」
「……!」
私とシャルル本人しか知らないはずのことを、彼女は言う。
(と、言うことは……)
「あなたが、シャルルに魔法をかけたの……?」
「そうよ」
彼女はあっさりと答えた。
「と言っても、本当はあなたにかけようとしたの。婚約者が目の前で男性になれば、婚約は破談になると思ってね」
「……!」
「命を狙わなかっただけ、優しいと思って。……私、元の世界にいた頃からシャルルが大好きだったんだから!」
少女が声を張り上げる。誰もいない廊下に、彼女の声はぐわんと響いた。
「『魔法使いと飴玉の世界』の無印の頃だから大好きだったわ。でも、シャルルは非攻略対象で……毎日のようにメーカーに問い合わせたものよ。『シャルルを攻略対象に格上げして!』ってね」
まるでステージに立つ演者のように、少女はその場をゆったりと歩きながら告げる。
「努力の甲斐あって、シャルルが攻略対象になった続編が発表された時は夢かと思った。……そして、実際にゲームをプレイして本当に彼のことが好きになった」
「!」
(実際にゲームを……?)
私の記憶は続編が発表されたところまで。
もしかしたら、彼女は私よりも少し先の未来から転生してきたのかもしれない。
かつ、襲撃のタイミングを鑑みるに、転生を自覚したタイミングも私とは異なるんだろう。
「初デートも、舞踏会での思い出も、真摯にプロポーズされたことも――彼への思いを一層強めてくれた」
少女は私へ一歩、また一歩と近づいてくる。
後ずさろうとするけれど、後ろはすぐ壁だった。
「あなたの百倍彼を好きな自信がある。……シャルルを私に譲って頂戴」
「そ、れは……」
私だって、シャルルが好きだ。
でも――彼女の思いの強さに勝てるんだろうか?
(私は……シャルルのために、毎日問い合わせなんてしなかったな)
気持ちで負けているのであれば、彼女に婚約者の座を譲るべきなんじゃないか……?
(あれ、でも……)
「シャルルは女性の姿のままです。あなたが婚約しようとしても、うまくいかないんじゃ……」
「私になら魔法が解ける」
「……!」
彼女ははっきりと答えた。
「それじゃあ、今すぐ戻してあげてください! 今、無理やり男性の姿に戻ってるから大変そうで……」
「いいわよ。ただし――あなたがシャルルとの婚約を破棄したらね。そうじゃないかぎり、絶対に魔法は解かない」
「……!」
「あれは私にしか解けないものだから、あなたの決断が遅れれば遅れるほど、彼は苦しむでしょうね」
「…………」
『身を挺して守ったんだ。謝罪より、笑顔の礼を聞きたいものだね』
『人生を共にするんだ。これまではよく知らなかったけれど、長い時間をかけて君の長所を見出していこう。……そして君も、私のよいところを見つけていってほしい』
『怖かったな』
(……転生して、直接話せただけでも、私にとっては運がよかったんだ)
シャルルは私に優しくしてくれた。
だったらせめて、彼にもらった優しさの分だけでも恩を返したい――
*****
「……魔法を解く方法を探す必要はないみたいです」
「どういうことだ」
「魔力が高くて、どんな魔法でも解けるっていう人が現れたんです。その人に任せれば、何もかも問題ないそうですよ」
「…………」
シャルルは訝しむように私を見た。
(……早く、言わなくちゃ)
心が拒もうとするけれど、必死に震える唇を開いて――
「その人は、シャルル様のことをとても愛しているそうなんです。……私なんかよりも、よほど」
「何を……」
「だから――役立たずの私との婚約は破棄して、その方と幸せになってください」
「――――」
シャルルは、信じられないものをみるような目で私を見た。
(言って、しまった……)
手続きなどはあるだろうけれど、これでもう、私とシャルルは婚約者ではなくなるのだ。
(たった二日だけだったけど……私にとっては、奇跡だった)
「……その方、明日から転入してくるそうです。そこで魔法を解いてもらってください」
(奇跡みたいに、幸せだった……)
「――さようなら、シャルル様」
身体を翻し、一歩踏み出そうとする。
「待て」
けれど、シャルルはそんな私の腕を力強く掴み――
「……っ、シャルル……?」
「そんな話だけで納得いくはずがないだろう。もっと詳しく話すべきだ」
「……明日、その方と話していただければわかりますから」
「そうじゃない」
シャルルは私の身体を振り向かせると、少女とは思えない凛とした表情でこちらを見つめる。
「私は、君の口から聞きたいと言っている」
「…………」
(でも、余計なことは何も話すなって言われてる……)
もし不要な情報を話して彼女の機嫌を損ねたとして――シャルルの魔法を一生解いてもらえなかったら?
彼女はシャルルとの婚約を求めているから、それはないとは思うけれど。可能性がゼロではない限り、不要なことは言いたくなかった。
「何らかのリスクを恐れているのか? 構わないから話せ」
「でも……っ」
「――いい。大丈夫、だから」
「……!」
まるであやすように、シャルルの手のひらが私の頭を撫でる。
シャルルの表情があんまり優しくて。
(ああ、駄目だ……)
それを見た瞬間、私の思いはどうしようもなく膨らんで――
「――好きです」
「――――」
「シャルルのことが、好き……。元の世界にいた頃もそうだったけど、この世界に来て、直接話したらもっと好きになって……。結婚してずっと一緒にいられたら、どれだけ幸せだろうって……!」
涙がぼろぼろ零れて、それと同時に、支離滅裂に言葉も零れていく。
そんな私を目の当たりにしたシャルルは、顔を赤らめておろおろと戸惑い始める。
「……あ、愛の告白か? あんまり突然だと照れるんだが……」
「でも、私は好きな人とは結ばれない運命なんです! 今までだって、他の人を好きになってもずっと……」
「……他の人? 君、私のほかに誰か――」
「だから、続編ヒロインに取られるんだ……!!」
「…………頼むから落ち着いて話してくれ……」
シャルルは呆れたようにするけれど、根気強く私が話す内容を聞き続けてくれた。
そうして、私のシャルルに対する思いや転生のこと、続編ヒロインと魔法についてなど、なんだかんだですべて吐き出した頃――
「……君の話はわかった。いや、明確に言えば『転生』や『乙女ゲーム』のことはよくわからないが」
シャルルは小さく息をついてから私を見る。
「つまるところ、私にこの魔法をかけたという少女に脅されたんだな。婚約破棄すれば、私にかかっている性別転換の魔法を解いてやると――」
「…………はい」
「…………」
(な、なんだかんだで全部話しちゃった……)
転生のところはさらっと流されてしまい拍子抜けするけれど、長考している様子の彼がなんというのかとどきどきしていると……。
「君は知らないかもしれないが、私にも結ばれる相手を選ぶ権利があるんだ」
「……? はい」
「嫌に決まっているだろう。婚約者に訳のわからない呪いをかけようとして、あげくの果てに脅してくるような女性は」
そう言って、シャルルは私にデコピンする。
「いっ……!」
「お断りだ。よって、君との婚約も破棄しない」
「……! でも、それじゃあシャルル様にかかった魔法は……」
「まあ、魔法の類はかけた本人にしか解けないというのはセオリーではあるが。他の手がないと決まったわけでもない、何しろ調べ始めたばかりだしな」
「……そうかもしれませんけど、調べた結果ゼロっていう可能性も……」
「あるだろう。だが、それならそれでいい」
シャルルは私の顔をじっと見つめて、可憐な顔を微笑みに染めた。
「その時は、女性でも公爵家当主となれる方法を探そう。……女性同士でも、結婚できる方法を探せばいい」
「……!」
「その場合、もちろん辛いことも大変なこともあるだろうが……。私は案外やっていける気がしている」
「ど、どうしてですか……?」
「それは……」
シャルルは、胸がぎゅっとするような優しい笑顔を浮かべた。
「魔力切れを起こした私を君が抱いてくれた時……力強くて頼もしく思った。その時、きっと何があっても君となら乗り越えていけるだろうと――そう思ったんだよ」
「そ、そんなことで……」
「そんなものだろう、夫婦なんて。……きっとね」
シャルルは、私を胸へとかき抱く。
「……っ」
「君は、自分は好きな人と結ばれないと言った。……あまり考えたくはないが、これまでそういう経験があったということなのだろう」
彼が私を抱きしめる力が、より強まる。
「けれど、今までうまくいかなかった理由について、私はひとつ思い当たるよ」
「! な、なんですか?」
「私との恋が、君にとっての運命だから」
「――――」
飴色の髪が、きらりと光る。
「それと、実を言うと――君との婚約破棄の話はこれまでに何度か出ていたんだ」
「え……!」
衝撃の事実に目を丸くする。シャルルは浅く頷いてから話を続けた。
「アッシュフォード家との婚約は、商売人としても活躍する君の父上がもちかけたものだった。彼は自身の商会で得た巨万の富を享受することを条件に、より高貴な血筋を欲したというわけだ」
だが、とシャルルはかぶりを振る。
「今、君のご両親は旅行……もとい、昨今の流行り病が原因で傾きかけた商売をどうにか立て直そうとしている」
「!」
(そうだったの……?)
「だが、うちの父はもう回復の見込みはないと考えている。その場合、アッシュフォード家との婚約に意味はあるのかと。より良い条件の婚約が他にあるのではないかと考えたわけだ」
「……!」
(それで、続編だとふたりは婚約破棄をした……?)
――でも、だとしたら。
「どうして、破談にならなかったんですか……?」
「…………」
シャルルがサラを強く愛していた、というふうにも思えないのだけど。
彼はなぜだか頬を赤らめると、なんとなく気まずそうに視線を彷徨わせた。
「……しないほうがいいと思ったんだ。本当に何となくだが、いつか君を好きになるような気がしたから。破談にすれば後悔するような気がして――」
「……!」
――それを、シャルルは運命だと捉えている。
「……だが、そんな曖昧な勘もそう誤りではなかったようだ」
柔らかく微笑むと、シャルルは書庫の扉の向こうへ視線を向ける。
「――聞いていたな。そういうわけで、私は彼女との婚約を破棄するつもりはない」
「え……」
書庫の扉が開く。
何とも悔しそうな表情で入ってきたのは、続編のヒロインだった。
「な、なんでここに……!」
「私たちを待ち構えていたんだろう。ずっと気配を感じてはいたが……」
彼女は目を怒らせると、髪を振り乱して叫ぶ。
「――いや! だったら本当に魔法を解かないわよ……!?」
「構わない。……というのも本心ではあるんだが」
シャルルはにやりと笑う。
「君、公爵家の次期当主に怪しげな魔法をかけて、無事でいられるとでも?」
「え……」
「はいはーい。シャルルの使い魔から信号を受けて、学院の衛兵たちを連れてきたよ~」
「あっ、アーサー様……!?」
現れたのはアーサーと、学院の衛兵たちだった。
「……彼女の気配を感じ取った時、使い魔を飛ばして近くにいたアーサーに頼んだんだ。昼休みの一件の詫びにとな」
「シャルルには嫌われたくないしね。なーんか面白そうなものを見られそうだったから、協力してあげちゃった。小説のネタになりそうだし」
アーサーは何とも緩い調子で笑う。
「ちょっ、離して! ヒロインの私にこんな強引な真似……!」
「ヒロイン、ではなく襲撃犯だろう。私の家で詳しく話を聞いた後、裁判にかけさせてもらう」
「さ、裁判……!?」
彼女は顔を青ざめさせる。けれど、必死にシャルルをにらみつけた。
「そんなことされても、魔法を解いてあげたりしないわよ……! 絶対に!」
「へえ? でもたぶん、これから死んだほうがマシって目に遭うと思うよ。……君、ウォーレル公爵家の別名って知ってる?」
それを聞いた瞬間、彼女はますます顔を青ざめさせる。
まるで、その『別名』とやらを知っているかのように。
(もしかして、続編では出てる情報だったりするのかな……?)
「その、別名って?」
アーサーはいたずら好きの子供のようににやりと笑う。
「『血に塗れた狂気の統率者』、ってね」
「いやああ……!!」
ずるずると彼女は衛兵たちに引きずられていった。
(シャルルの続編のシナリオって……)
そうっとシャルルを振り返ると、彼、もとい彼女は彫像のように美しい笑みを浮かべるのだった。
「――言っておくが、婚約破棄はしないぞ?」
「……は、はい」
(もしかして、続編で路線変更してたりしないよね……!?)
一瞬少し怖くなるものの――結局、彼のことが好きなので離れる気になんてなれないのだ。
「魔法のことやらなにやら、まだいろいろと問題は残っているが――」
「!」
上書きの魔法を使ったのだろう。
男性の姿に戻ったシャルルは、私の手を取って甲へとそっと口づけた。
「これから、少しずつでもいいからいい夫婦になっていこう」
「……はい」
こうして、神様に嫌われている私の運命は書き換わる。
好きな人と、永遠に幸せに暮らす運命へと――きっと。




