第十三話 和議の影
堀江城の三度の逆襲から一夜が明けた。
城内には疲労が満ちていたが、誰も弱音を吐かなかった。
堀川城で散った者たちの名が、まだ胸の奥で燃えている。
中安兵部は傷を負いながら巡察を続け、権田織部泰長は兵の配置を整え、
城下の民は静かに祈りを捧げていた。
堀江城は、まだ折れていない。
だが、徳川軍もまた退いてはいなかった。
包囲の陣はそのまま残り、湖岸には新たな櫓が組まれ、
井伊谷衆の旗が風に揺れている。
その頃、掛川城包囲陣。
鈴木重時討死の報せを受けた松平元康は、夜通し眠れずにいた。
(重時が倒れるほどの激戦……
ならば、堀江城の戦は……
基胤殿の身は……)
胸が締めつけられた。
重時を悼んだのではない。
重時が死ぬほどの戦なら、次に倒れるのは基胤だ――
その恐怖が元康の心を支配していた。
(基胤殿を死なせるわけにはいかぬ。
そなたまで失えば、私は……)
言葉にならない思いが胸に渦巻く。
元康は静かに息を吸い、側に控える石川数正と酒井忠次を呼んだ。
「……堀江城へ向かえ。
まずは停戦の意思を伝えよ。
和議の席を設けたい、と」
その声は震えていた。
数正と忠次は深く頭を下げ、堀江城へ向かった。
堀江城の天守では、基胤が湖面を見下ろしていた。
朝の光が揺れ、堀川城の方角にはまだ薄い煙が漂っている。
(……竹田。主膳。修理。新田。
そして、民の者たち……)
胸が痛んだ。
堀川城で散った者たちの無念は、まだ消えない。
そこへ、物見の兵が駆け込んできた。
「殿! 松平方より使者が参りました!
石川数正、酒井忠次にございます!」
家臣団がざわめいた。
「和議……か?」
「いや、まだ分からぬ。
だが、敵の重臣が来る以上、ただ事ではない」
基胤は静かに立ち上がった。
「通せ」
石川数正と酒井忠次は、深く礼をした。
「大沢殿。
松平元康公よりの申し入れにございます」
基胤は黙って二人を見つめた。
その沈黙には、怒りも、悲しみも、覚悟も含まれていた。
数正が口を開いた。
「元康公は申されました。
『堀江城の忠義、まことに見事。
これ以上の戦は双方に損をもたらすのみ。
まずは停戦し、和議の席を設けたい』と」
家臣たちが息を呑んだ。
基胤は目を閉じた。
(……元康。
そなたの想いは、確かに届いている。
だが、それを口にする時ではない)
基胤は静かに言った。
「よかろう。
和議の席に応じる」
その声は揺るぎなく、
堀江城の主としての誇りに満ちていた。
こうして、堀江城攻防戦は
新たな局面――和議へと向かっていく。




