魔王「我が死ぬと100兆円の保険金が入るから早くトドメを刺してくれ」〜聖人魔王を勇者の俺はどうしても殺せない〜
「ようやく来たか……。頼む勇者、一突きでやってくれ。……あ、なるべく苦しまない方向で」
魔王城の最深部、禍々しい漆黒の玉座。
そこに鎮座する魔王は、俺――勇者アレンの姿を見るなり無防備に両手を広げてそう言った。
「…………は?」
俺の口から漏れたのは、情けないほど間抜けた声だった。
全身の鎧はボロボロ。仲間の戦士や賢者たちも、道中の激戦で精根尽き果て、今は扉の外で動けずにいる。勇者の俺だけが最後の力を振り絞って、ここに辿り着いたのだ。
だというのに、魔王は立ち上がりもしない。
「待っていたぞ勇者。さあ、一突きで頼む。我の心臓はここだぞ」
魔王は「我」という一人称に相応しい重厚な声で、トントンと自分の左胸を指差した。
あまりの拍子抜けに、構えていた聖剣の先がわずかに下がる。
「……何の、罠だ?」
「罠ではない。この契約は我が『勇者の手』で絶命しないと下りない保険金なのだ」
「ほ、ほけんきん……?」
耳を疑う単語が飛び出した。
魔王はまるで明日の天気を語るような淡々とした口調で、衝撃の事実を告げる。
「我が勇者の手で死ねば、この世界に『国家救済保険』の保険金百兆円が振り込まれる契約なのだ。さあ、我を殺して保険金を降ろせ。それがこの世界各国々の、お主の家族の、そして勇者であるお主の救いになる」
俺の脳裏に、これまでの激闘が走馬灯のように駆け巡った。
死線を越えた修行、仲間との出会いと別れ、多くの犠牲。その終着点が、まさかの「生命保険の受け取り手続き」だというのか。
「何を……、何を言っているんだ……」
聖剣を握る手が、別の意味で震え始めた。
魔王は慈愛に満ちた、まるで聖人のような笑みを浮かべている。
「さあ遠慮はいらぬ。我の命など、百兆円のボランティアに比べれば安いものだ」
「待て、待ってくれ。話が全然見えない」
俺が剣先を震わせながら制止すると、魔王は「やれやれ」と肩をすくめ、虚空から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには黄金の文字で、およそ禍々しい魔王には似つかわしくない契約条項がびっしりと書き込まれている。
「いいか勇者、よく聞くがよいぞ。この世界は魔王である我の魔力によってバランスが保たれている。だが、我という強大すぎる極点が存在する限り、人間界には魔力が逆流し、魔物被害や飢饉が止まぬ。これはもはや世界のバグなのだ」
魔王は淡々と、しかし学校の教師のように丁寧に解説を続けた。
「そこで我は考えた。人類を救うには、我を倒した『達成感』と、再建に必要な『金』が同時に必要だと。ゆえに我は天界の神々が運営する『世界銀行』と契約したのだ」
魔王が指し示した契約書の末尾には、神々しい印影と並んで『国家救済保険・特別条項』の文字。
「この契約は我の心臓がお主の剣で停止した瞬間、世界銀行から各国の国庫へ一斉に送金される仕組みなのだ。その額、合計百兆円。それだけあれば飢饉もなくなり、インフラが整備され、全人類が一生遊んで暮らせるだろう」
「……」
あまりのスケールの大きさに、俺の頭はオーバーヒート寸前だった。
だが、ふとある疑問が頭をよぎる。こいつは今、さらりととんでもないことを言わなかったか?
「お前……、まさか、そのためにわざと村を襲っていたのか? 俺の故郷を焼いたのも、全部……!」
俺の怒鳴り声に、魔王は心外だと言わんばかりに首を振った。
「人聞きの悪いことを言うでない。我は襲ったのではないぞ。あの村の家々はだいぶ古く、倒壊の危機があった。ゆえに我の配下が適度な火加減で壊し、保険金の前借り分で新築を建てる手助けをしただけだ。我はこれを『地上げ』と呼んでいる」
「じ、地上げ……」
「勇者よ、お主がここまで強くなれたのも、我が必要最低限の絶望を与え、効率的なレベルアップを支援したからだ。すべては今日この時に我を確実に殺させ、百兆円を人類に還元するため……。いわば、究極のボランティアよ」
――ぞっとした。
この男は、悪意で世界を蹂躙していたんじゃない。
あまりに度を越した、狂気じみた「善意」で、俺たちの人生を、世界そのものをデザインしていたんだ。
俺が今握っている聖剣の重みさえ、こいつが支払った保険料の一部に思えてきて、吐き気がした。
「ふざけるな! そんな金で誰が幸せになれるか!」
俺は叫びとともに、聖剣を床に叩きつけた。石造りの床が激しく火花を散らす。
「何を言うのだ。勇者よ、早く我を突き刺して英雄になれ。それが我が望んでいる『究極のボランティア』の完成形なのだ」
「……ふざけるなと言ったんだ! いいか、お前が死んで百兆円が振ってきたとして、誰がその金の使い道を監視するんだ!? 欲深い王たちが着服して、内乱が起きて終わりだぞ!」
俺の至極真っ当な(と思いたい)反論に、魔王は困ったように眉を下げ、おじいちゃんが孫を諭すような口調で言った。
「そう熱くなるでない。綺麗事を言うでないぞ勇者よ。お主の故郷の村も先日に届いた義援金で救われたであろう? あれはな我が既に支払った『生命保険の前借り分』なのだよ」
「なっ……!」
「お主は、その金で腹を満たした子供たちの笑顔も、偽物だと言うのか? 我を殺せば、それが全世界に広がるだけのこと。何も難しいことはないわい」
魔王はゆっくりと立ち上がり、自らの死を急かすように俺の傍へ歩み寄る。その瞳には魔王としての威厳ではなく、一人の老人が抱くような、穏やかで残酷な慈愛が宿っていた。
「頼む……。最後くらい、魔王らしい仕事をさせてくれんか。お主を英雄に、人類を笑顔に。……それが、我のボランティアの集大成なのだ」
殺せば世界は救われる。
だが、このお節介な「聖人」を、俺の剣で終わらせていいはずがない。
「……ああ、分かったよ。そこまで言うのなら、魔王、お前の願いを叶えてやる」
俺は再び剣を手に取り、大きく振り被った。
魔王は満足そうに目を閉じ、その首を差し出す。
「ぎゃっ!?!?」
次の瞬間、魔王城に響き渡ったのは断末魔ではなく、情けない悲鳴だった。
鈍い音と共に、魔王の頭から立派な漆黒の角が一本、床に転がる。
「な、何をするんじゃ勇者よ! 心臓を突けと言ったではないか! 角を折っても保険金は一銭も出んぞ!」
「うるさい! 今からお前は死んだことにする! これはその『証拠品』だ!」
俺は懐から白紙の書状を引っ張り出した。
『魔王、勇者アレンの手により絶命。ただし遺体は魔力の暴走により霧散』
偽造の死亡診断書。そこに無理やり魔王の手を掴んで血判を押させる。
「百兆円はお前が生きて、その枯れ果てた目で使い道を監視しろ! 着服しようとする奴らがいたら、元魔王として脅しをかけてやるんだ! ……それが、勇者である俺が考える『ボランティアの続き』だ!」
「な……、なんという無茶苦茶を……。お主、それでは契約違反じゃ⋯」
「黙ってろ! さあ行くぞ! 世界を救う仕事は、ここからが本番なんだよ!」
「……というわけで、魔王はおれの超必殺技で跡形もなく消え去った。この角がその証拠だ!」
魔王討伐から帰還した後、王都の広場で俺がそう宣言すると、国中は割れんばかりの歓声に包まれた。
魔王の角を掲げ、偽造した『討伐証明書』を突きつける。天界の保険会社も、角を折られ魔力を喪失した魔王の状態を「実質的な存在の消滅(みなし死亡)」と判定。
結果、人類の歴史上かつてない額の保険金が世界各国の国庫へと振り込まれた。
――それから数年。
世界には文字通り、黄金時代が到来していた。
溢れんばかりの資金でインフラは整備され、貧困による争いは激減した。人々は口々に、「勇者アレン様と、死んでくれた魔王のおかげだ」と笑い合っている。
そんな喧騒を遠く離れた、のどかな辺境の農村。
「……ふむ、あの時の百兆円、第一王国の港湾整備に回すより、東方の魔力発電に投資した方が利回りは良かったはずなのじゃがなあ……」
麦わら帽子を被り、縁側で茶を啜りながらボヤいている老人がいた。
かつて世界を恐怖させた魔王、その成れの果てである。
「おい、いつまで計算してんだ。いい加減にしろよ、おじいさん」
俺は鍬を肩に担ぎ、汗を拭いながら声をかける。
魔王は「むっ」と顔を上げ、不満げに鼻を鳴らした。
「我を捕まえておじいさんとは失礼な。我の計算によれば、今の村の収穫高はあと三%はあげられるはずじゃ。これも一種のボランティア……」
「はいはい、そのボランティアのせいで、うちの畑の野菜、近所の直売所でオーバースペックだって言われてんだよ。魔力を肥料に混ぜるなって言っただろう」
魔王は魔力をほぼ失ったと言いつつも、その知識とお節介だけは健在だった。
今では村の知恵袋として近所の子供たちに読み書きを教えたり、お年寄りの肩を叩いたりと忙しそうに過ごしている。
魔王はよっこいしょと腰を上げると、俺の方を見てニヤリと笑った。
「アレンよ、今日の我のボランティア……、草むしりの時間はまだか? 効率的な除草ルートは既にシミュレーション済みじゃぞ」
「だから、その『我』って言い方やめろって。近所にバレたらどうすんだよ」
「よいではないか。誰もこの腰の曲がった老いぼれが、世界を滅ぼそうとした男だとは思うまい」
そう言って元魔王は楽しそうに笑いながら、カゴを持って畑へと歩き出す。
かつて、死ぬことでしか世界を救えないと信じていた孤独な聖人は、今、泥にまみれて名もなき誰かのために働いている。
保険金で買った平和も悪くないが、俺はこっちの方がよっぽど価値があると思うんだ。
「ほら、さっさと動け! 終わったらお前が『生命保険の前借り』で建て直した新築の家で、美味い飯を食わせてやるからな」
「おお、それは楽しみじゃ。お主の嫁の料理は美味いからのう!」
雲一つない快晴の下、俺たちは並んで畑へと向かう。
百兆円の価値がある英雄と、百兆円の価値を捨てた元魔王。
世界を救った二人だけの、騒がしくて穏やかなボランティアの続きだ。
(完)
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