崩壊する一家、死にゆく家
十年前――
政孝は長年勤めた家電量販チェーン企業を、三月一杯で退社した。しかも、亮子には何の相談もなく。理由は、亮子が言うには、両親が高齢の為、それと東京にいる兄(伯父)が帰郷し易いようにする為、本家の農業を引き継ごうというもの、らしい。
私が生まれた三田居家は、祖父、政康の代で四八代目となる、地元では名家である。
平安時代中期、伝承では九五○年頃とも。から安土桃山時代後期まで、駿河国、現在の静岡県北東部の村、十八ヶ村一帯の広大な地域を支配していた豪族、三田居氏は二六代目の時、近隣の大名によって攻め滅ぼされてしまう。
その時一族のほとんどが命を落としてしまったけれど、助かった当主の子供や家臣たちは駿河国から出るなり地元の村で帰農し、散逸していった。それが、現在の三田居本家だ。
政孝が退社した当時、私は一○○円ショップでアルバイトをしていた。駅近くにあり、客層も幅広く来店者も多い店。クレーマーも数人いて、店員のストレスも多かった。
『お父さん、会社辞めるから』
亮子からそう聞いた日もクタクタで、私は「そう」とだけ答えて聞き流した。
政孝は農業に転職して一年目は、両親がやってきた米、椎茸栽培を踏襲したみたいだけど、翌年からはトマトのハウス栽培を始める。
しかし、その年の十月上旬、静岡県内に上陸した台風によりハウスが全壊してしまう。よって以降の収穫はゼロ。従って収入もゼロ……になってしまう。
私はその事を亮子からの電話で聞いたけど、それとは別に、今回の台風で家のリビングが雨漏りし、階段の壁も変色してしまった事も伝えられた。当時、実家は建ってまだ六年、怪訝に思った。
長年借家住まいだった一家四人の目標は、いつか自分達の家を建てる事だった。
『あのお家はお爺ちゃんとお婆ちゃんが一生懸命お金を貯めて建てたの。うちもいつかあんなお家を建てようね』
私が幼い頃、亮子が自分の実家の前でよく言っていた台詞。念願叶ったのは、私が高校二年の夏だった。
木造二階建て。姉妹にも一部屋ずつ与えてもらい、嬉しくて快適だった。
あの頃は、我が家も順調だったはずなのに――
「築二、三十年の家ならガタがくるだろうけどさ・・・・・・工務店に言った方が良いんじゃない」
『そうしたいけど、今はそれどころじゃないわ』
「そう・・・・・・家族の家が死んで行くね」
『そうね・・・・・・』
私の気持ちとは裏腹に、亮子の返事は上の空。
無理もないと思う。急に夫に会社を辞められ、生活困窮に巻き添えにされたのだから……。夫婦は金の事で喧嘩する日が多くなったという。
以来、私が「食欲がない」と言っても、亮子は『そんなの一時的なものよ!』と言って突っぱね、精神的にも不安定になった。家のローンも残る中、生活費すら借金しなければならなくなった現実。
精神的ストレスから血圧が上がり、通院して薬を常用するまでになる。




