"Trinity"
人間には明かされていないが、一般に『悪魔は天使とセットで行動する』という規則が存在している
悪魔が人間を唆し、天使が善なる道を説く
『その結果正しい道を選び取れた人間にこそ、価値が有る』と信じられているからだ
僕たち悪魔は言ってみれば悪役、汚れ役を生まれついて任されている事になるが、そうした役割を文句一つ無くこなす都合から、高位の悪魔は天界で大天使以上の地位と尊敬を得る事が出来る
僕もそうした高位悪魔に憧れ、相棒となる天使共に初仕事のため人間界に来たつもりだった
───どうすれば良い?
何度考えても答えは出なかった
一軒家の浴室では、衣服を剥がされ血塗れで両眼を視開いたまま、ぴくりとも動かない天使が横たわっている
僕の相棒だ
今回の僕たちの仕事は『悪魔が歳幼い少年を悪へと誘惑し、天使が諭す』という内容だ
本来こんな風になるような要素は一つも無かった
その筈だった
どうしようどうしよう、どうしようどうしようどうしよう………
ボロボロになるまで読んだ教本には『人間が襲ってきた場合、天使が対処すべし』と記載されていた
『悪魔より高い戦闘能力を有する天使が』と
その事から考えるに、僕が戦って事態を解決出来る可能性は極めて低いようだった
鼻歌が浴室に近付いてくる
今回の仕事の対象だった少年だ
自分の身長近くある鋸を、彼は何処からか引き摺りながら持って現れた
少年は僕など眼の前に居ないかの様に鼻歌を続けながら、天使の血に濡れた白い首筋に鋸を当てた
『やめろ』と叫ぼうとしたが、出来なかった
悪魔は職務上、人間に善なる道を説く事は許可されて居ない
僕は努めて笑おうとしながら、彼の行いを視ている事しか出来なかった
少年が鋸を軽く前後させると、天使の双眸から滲むように涙が広がった
もしかすれば、彼は本当はまだ生きていたのかも知れなかった
ぐちっ、ぐちっ、と音を立てながら紅い白衣の同僚は解体され、肉になった
少年は天使の躰を関節ごとに切り離すと、最後に一つ一つをラップにくるんで隣室の冷蔵庫に運び込んでいった
どうするつもりなのかは、怖くて聞く事が出来なかった
浴室には天使の、泣き顔に凍り付いた首だけが残された
僕は少年が冷蔵庫を触っている間、呆然とそれを視続けていた
「ごめんなさい……」
首に僕は詫びた
天使の頭部は眼を視開いたまま、微動だにしなかった
浴室の扉が勢い良く開かれる
少年が冷蔵庫の整理を終えたのだ
僕は彼が残された首をどうするのか、嫌な予感と共に気になって居た
少年は首を両手で抱え上げると、その唇に自分のそれを重ねた
液躰音と共に腐臭のする接吻が繰り返されるかに思えたが、それは直ぐに終わった
少年は前歯で天使の舌を挟むと、それを外まで引き摺り出していた様だった
力無く垂れ下がる舌を少年の唇が挟んでしごく
しかし次の瞬間には、彼は舌を食い千切って嗤っていた
舌の内容物の大半は血管だ
だから舌はあんなにも紅い
僕の顔にまで届くほど、天使の血は撒き散らされた
既に浴室の中で、血に濡れて居ないものは一つも無かった
「食べなよ」
声がしてから数刻して、はっとする
少年が僕に天使の首を差し出して食べるように促していた
「食べたくないの?」
明るい声色に思えてその実、刀身の太い刃物のような憎悪が隠されずに内包された声だ
僕は「た、食べるよ……」と言いながら頭を受け取ると、天使の舌を食べようとした
天使の瞳が僕を視る
僕は両眼を固く閉じて、同僚の死体を貪った
その時、浴室にがちゃりと金属音が響いた
瞼を上げる
僕の両手に手錠を嵌めて、少年は嗤っていた