第9話「デリユ・ナンカ―」
──あの竜から逃れるべく飛び込んだ廃墟の地下室で、俺たちは"彼女"を見つけた。
褐色の肌に、艶やかな薄紅の長髪。装束は異国風の長衣、刺青のような紋様が肌に刻まれている。西方大陸の人間か。
床に倒れていた女は、サーヤの治癒魔法を受けてゆっくりと瞼を開けた。
「気が付きまして?」
ヴィエラが慣れた仕草で身体を支えようとすると、女は驚いたように目を見開き、身を起こしながら何やら異国の言葉をまくし立てた。
「え……異国語、ですの?」
困惑した様子で俺を見るヴィエラ。
「……そんな目で見ても、俺もわからんぞ」
俺が苦笑しながら肩をすくめると、不意に──。
「あの、タスケ……ありガト……ございます……」
片言の共通語が、女の口からこぼれた。
「え? 共通語、話せるのですね?」
「少し、話セマス。わたし、デリユ・ナンカ―、言いマス。アナタたち……冒険者?」
「ああ、そうだ」
俺は簡単にこちらの事情を説明しつつ、逆に彼女──デリユの身の上を訊ねた。
「……ふむ。仲間とはぐれて、一か八かで踏んだ転送陣でこの階層に飛ばされたってわけか」
「ソウデス……わたし、仲間とはぐれタ。帰ル道、探シテ、コノ階層、探索して……ソウすると、面白イ本、タクサン見つケテ……。でも、空腹、で……」
デリユは、元々は古代文明の研究をしていたらしく、その調査のために冒険者となり、この迷宮にもパーティーに入って潜っていたらしい。偶然辿り着いたこの階層に遺構と古文書が眠っていることに気づき、夢中で探索を進めたが、食料が尽きて動けなくなった──そういう話だった。
俺の携帯食を手に、必死で頬張りながら説明しているのを見る限り、本当に飢えていたらしい。
「ところで……上にいた竜のことは知ってるか?」
俺の問いに、デリユは首をかしげた。
「竜……竜のコト? わたし、ミテナイ……」
やはり、さっきの閃光は転送の光だったか。デリユは竜とは遭遇していない。
(それにしても、この階層──やけに転送されてくるものが多いな。偶然か、それとも何か仕掛けでも?)
思考を巡らせていると──。
「むむっ?」
サーヤが小さく唸る声を上げた。彼女はヴィエラの鎧に付着した何かを指でつまみ取っている。
「……これは?」
拳大ほどの、泥とも粘土ともつかない半凝固の物体。まるで生き物のようなぬめりを纏っている。
「……ぅむーっ!? むむむっ!!」
次の瞬間、サーヤはその破片をぽいっと放り投げた。放たれた物体は、床の上でぬるりと、微かに動いたように見えた。
「な、何ですのこれは……?!」
ヴィエラが一歩下がると、唐突に──。
──ズゥン……ズズズ……。
地下室の天井の向こう、廃墟の上層部から、何か巨大なものが這い回るような音が響いてきた。竜がこの真上を移動しているのか。
──ドンッ!
突如、凄まじい振動と共に、天井にひびが入る。直後、壁が震え、埃や天井の欠片ががぱらぱらと落ちてきた。
「まさか、気付かれたか……?!」
「ゼタさん! このままではわたくし達、瓦礫の下敷きに──!」
「──よし、出るぞ! デリユ、一緒に来るか?」
「ハイ、オネガイします!」
──こうして、デリユ・ナンカ―も俺たちと共に行動を共にすることになった。
扉をそっと開けて、俺が様子を伺う。あの竜は地面に向かって尾と脚を激しく叩きつけていた。
「今だ、走れ!」
ヴィエラにサーヤを担がせ、デリユを連れて離れた廃墟へと退避する。俺は殿に回ってヤツの動きを注視していたが──俺に向かって移動し始めた。
「くっ……! 気付かれたか!」
ヤツがこちらに迫ってくる、迷ってる暇はない。
「……脚を潰して止める!」
(戦技──徹甲矢!)
高速回転する矢が放たれ、左前脚に命中──分厚い鱗を貫通し、ズブリと深々と食い込んだ。竜は一瞬膝をつくように転倒したが……。
「起き上がった……?!」
そして、驚くべきことに矢に抉られた脚の傷口に体表の粘液が蠢くように集まって、瞬く間に塞いだ。
「……傷が、再生してる……?」
その現象について考える間もなく──。
「脚ですね? でやぁぁっ!!」
ヴィエラの大鎚矛が、先ほど俺が撃ち込んだ左脚に向けてフルスイングで打ち込まれた。
──グベシャァ!!
凄まじい衝撃音と共に、竜の左脚が折れ曲がり肉と骨がぐしゃりと潰れ、表面の粘液が周囲に飛び散る。
「な、はぁっ!?」
(あれを折るのか……!)
ヴィエラの天恵"怪力"がそこまで凄いとは思っていなかった……だが、それでも竜は止まらない。
潰れたはずの脚の断面に、ずるずると粘液のようなものが集まり始める。肉の代わりに粘体が凝固し、骨の代わりに菌糸が束になって脚の形を成していく。
「なっ……何ですのこれっ?!」
ヴィエラが警戒しながら大鎚矛を振るい、何度も打ち据える。だが、叩いて潰したそばから、傷口がぐちゃりと盛り上がり、ぬるりと閉じていく。
(……こいつぁ、マズい)
迷宮には、死者や怪物の骸に魔力が染みつき、意思なきまま蠢き出す不死と呼ばれる現象がある。既に死んでいるから、当然「死なない」。
対処するには頭か心臓を破壊するしかない。不死の怪物は脳か心臓に魔力が集中、蓄積しているからだ。
「不死の竜とか、勘弁してくれよ……」
(また使わにゃならんか──)
溜め息を吐きながら俺は魂喰らいの魔槍を取り出したが、ふと気配を感じて振り返ると、それはデリユだった。
「アレは、不死、違いマス。アレは──キノコです」
「……キノコ?」
一瞬、何を言ってるのかと思った。だが──腑に落ちた。
あの再生の異様さ。肉が肉でない、粘液のような"別のもの"で置き換わっていく有様。
「なるほど……動くキノコか。あれは竜の死体にキノコが寄生してる……ってか」
──動くキノコ、植物系怪物の中でもタチが悪いヤツだ。何故なら、ヤツらはキノコで「菌糸」という小さなものの集合体だ。キノコは切り刻もうが潰そうが菌糸が生きている限り死なない。そして何かに取り付いてそれを養分にして増えるのだ。
「じゃあ、差し詰め"菌糸に侵された竜"って所か?」
「わたし二、マカせて、くだサイ──」
そう言うと、デリユは一歩前に出た。静かに両手を合わせ、流れるような動きで指を折り、重ね、印を結んでゆく。その口から紡がれるのは、俺たちの知る魔術とは違う異国の響きのある詠唱だ。
『清浄──瞑想──結界──』
彼女の目は半ば閉じられ、祈る様に……眠るように静かだが──まるで何かと交信しているような、そんな神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「ヴィエラ……さん、離レテ、クダサイ」
「え? は、はいっ!」
その声に慌てて後退したヴィエラの前で、デリユが両手を交差させ、決然と声を放つ。
『──火界網!』
印が結ばれた瞬間、空間が揺れる。
菌糸に侵された竜の全身を、光の網のようなものが絡め取る──と思った次の瞬間、それは業火となって一斉に燃え上がった。
「うおっ?!」
菌糸に侵された竜は咆哮とも呻きともつかぬ声を上げ、のたうち回る。火を払おうと瓦礫に身を打ちつけるが──炎は網のように身体を縛りつけ、纏わりつき、決して離さない。
網状の結界は、捕らえた“菌糸”全てを消し炭にするように、内から外から焼き尽くしてゆく。
──そして、その炎は、菌糸に侵された竜が炭化してピクリとも動かなくなるまで、燃え続けていた。
(……終わった、のか?)
デリユは目を開いて、息を深く深く吸い、そしてゆっくり吐く。その表情は安堵の微笑みを浮かべていた。
(ただの学者先生って訳じゃ無さそうだな──)
彼女と目が合うと、ニコリと微笑んだ。それはさっきの凄まじい術の使い手とは思えない優しい笑みだった。