第7話「朱塗り鋏」
俺は朱塗り鋏の注意を──騎士を助けに向かったサーヤから逸らす為に拳大の瓦礫をぶん投げた。
瓦礫の破片がヤツの右腕に当たって砕ける。硬いものを叩くような乾いた音、ダメージは無いだろう。
(まあ気が引けりゃいいからな──)
ヤツの視線が俺に向いた。両腕の鋏を開いて威嚇しつつ接近してくる。動き自体は速くないが、八本の脚の動きで見た目と移動速度のギャップが曲者だ。
俺は崩れかけた建物の二階へ跳び上がり、ヤツが見える位置で狙いを定めた。狙うは、頭部に走った一筋の亀裂──さっき鎧の騎士が大鎚矛を打ち込んだ、現時点での急所だ。
(……戦技、徹甲矢)
矢を番え、高速回転させる様に撃ち出す──。
──ギィン!
矢じりは甲殻に当たって火花を散らした。ヤツは自らの鋏でひびを庇ったのだ。
「ちぃっ、防がれたか──!」
(ならば曲射で上から……)
角度を変えて撃とうとした瞬間──風切り音が鳴り、太い毒尾が襲い掛かって来た。
「──なっ!?」
二階の高さにも届く長さで、矢のような速度の毒尾を俺はギリギリで回避した。貫かれた床板に毒液が垂れている。毒、甲殻、そして攻撃速度……通常の巨大蠍とは訳が違う。
(流石、”仇名持ち”ってか……)
その時、ヤツの動きが乱れた──横合いから叩き込まれた、強烈な一撃だ。
「……まさか、生きてたのか」
さっき鋏の突きで昏倒した鎧の騎士が、立ち上がってヤツの脚を砕いていた。視線を走らせると、瓦礫の陰からサーヤが手で大きな丸を作っている。
(サーヤの治癒魔法か……助かった)
地下迷宮では治癒魔術師がいるからこそ、こんな狂った恐ろしい怪物にも挑める。だがそれでも、どれほど高位の術者でも死人を生き返らせることはできない──仲間を何人も失った俺には、それが骨身に染みている。
気を戻す。朱塗り鋏は脚を一本潰されながらも、怯まず騎士に襲いかかっていた。その隙に再び狙いを定める。
(戦技──徹甲矢)
狙い澄ました矢が、頭部のひびへ深々と突き刺さる。ヤツの動きが鈍った一瞬を逃さず、騎士が大鎚矛を振り下ろす。
ゴシャッ──!
右鋏が砕け、ヤツが仰け反った。
(いいぞ、畳みかけ──)
だが次の瞬間左の鋏で騎士が弾かれた。だが直撃は避けられ、面当て付兜が吹き飛ぶ──そして、露わになった顔に俺は驚愕した。
「大丈夫か……って、お、女?!」
陶器のような白肌に、翠玉色の瞳。金髪を編み込んだその騎士は、どう見ても良家の令嬢といった風貌だった。
「はい、大丈夫です!」
涼やかな声と、しなやかな所作。馬鹿デカい大鎚矛を振り回していたのが、どこぞの令嬢の様な娘とは──。
(……まあ、そんなのは後だ)
今は生き残るのが先だ。朱塗り鋏が怯んでいる隙に彼女は後ろに下がる様に指示し、合流する。
「俺はゼタだ」
「ヴィエラ・タリスと申しますわ」
俺は腰の旅人の小鞄に手を伸ばし、左腕に白銀の手甲──魔道具"魂喰らいの魔槍"を装着した。
「決着をつける。ヤツの鋏、抑えられるか?」
「はい、お任せください!」
ヴィエラは正面から朱塗り鋏に再び接近する。ヤツは鋏で彼女を何度も突くが、大鎚矛で弾く様に受け流していた。彼女の動き──立ち回りが明らかに良くなっている。
("一度の死線は一〇度の勝利に勝り、新米を熟練に変える"──だったな)
かつての冒険仲間──そのリーダーである熟練の戦士が言っていた言葉を思い出した。
朱塗り鋏は鋏を開いてヴィエラを掴みに行ったが、それをしっかりと受け流し、勢いをそのまま利用して円を描くように反撃を叩き込んだ。
グシャッ──!
鋏の硬い甲殻が割れ、大鎚矛が深くめり込んだ。両腕が破壊されてヤツは大きく怯んだが、毒尾を振り上げてヴィエラを狙う──。
「──っ!」
彼女は咄嗟に大鎚矛を手放し、毒尾を両腕で掴んで脇で挟み込むように押さえた。
(やるな……いける!)
俺は魂喰らいの魔槍に意識を向けて起動し、一気に加速してヤツの目前へと踏み込む。
「喰らえ──」
手甲に光る古代文字が浮かぶと同時に外装が割れて開く。赤い粒子が火の粉の様に散り、陽炎に揺らめく腕先の砲口に眩いエネルギーが収束する。
──ズドォッ!
手甲本体から赤い光が爆炎の様に噴出し、砲口から眩い光槍が射出された。光槍はヤツの顎から天頂まで貫く──そして、甲殻を撃ち貫いた光槍が粒子となって霧散すると、青黒く粘度のある体液が「ゴボゴボ」と涌き出た。
俺は横たわる朱塗り鋏の巨体を尻目に大きく溜め息を吐いた。
「ふう、終わったか……」
手甲全体から沸く、陽炎のような揺らめきが消えて魔槍の放熱が終わる。開いていた外装がひとりでに閉じると同時に左腕に指先から凍てつく様な痛みが走り、痺れて次第に感覚が無くなってゆく。
(ぐぅ、やっぱり慣れんなこれは──)
俺はその場に座り込む。左腕は力が入らずだらりと垂れ、全身の倦怠感と痛みに顔が歪む。
「ゼタ様!? お怪我を……」
ヴィエラは慌てて俺に手を差し伸べた。
「いや、大丈夫──でも無いんだが、まあ怪我じゃない」
やせ我慢で苦笑いしていると、サーヤが駆け寄って来た。俺の手甲をペチペチと叩き外すよう促すので「わかったよ」と言いながら素直に外すと、腕は蝋のように白く変色していた。
「これは……」
ヴィエラは目を見開いて言葉に詰まる。
「さっきの魔道具の──反動、呪いってやつだ。じきに治まる」
感覚のない左腕にサーヤがそっと手を当てる。
『……健やかなる身体』
──治癒魔法の中でも高位のコレを唱えられる術者は冒険者の中でもそう多くない。それに、要求される魔力も大きく、一日に何度も唱えられるものではない。
俺の腕はすっかり治って、身体も軽くなった。
(……やっぱり、サーヤも只者じゃねえってことだな?)
試すように軽く左腕を動かしていると、ヴィエラは安堵の溜め息を漏らしていた。そんな彼女の"ヴィエラ"という名には心当たりがあったので思い切って尋ねる。
「──あんた、もしかして"鋼鉄の乙女"か?」
名を聞いた時から、馬鹿デカい大鎚矛を振るう若い女の冒険者が居る──という噂を思い出していた。
「はい。そう、呼ぶ方も居られます……改めまして。私、ヴィエラ・タリスと申します」
ヴィエラは立ち上がって淑女礼をした──重い金属鎧を着ているのに、それはドレスような軽やかな仕草だった──。