第6話「ヴィエラ・タリスの追想」
「朱塗り鋏」と戦っていた鎧の騎士は重傷を負った。薄れゆく意識の中で走馬灯が走る──。
(──あら? 私、どうしてこんなところで倒れているのでしょう?)
お腹に何か──物凄い衝撃を受けて、弾き飛ばされて、背中と頭を強く打ち付けて……倒れました。身体中が痺れるような痛みで動きません。
(これは……あの朱塗り鋏という恐ろしい蠍の怪物の突きを受けて……?)
ようやく、ぼんやりとした記憶が繋がりはじめます。私は、地下迷宮の一〇階層で戦っていたのでした。
(もしかして、私──死ぬのでしょうか?)
そう思った瞬間、妙に冷静な自分がいる事に気づきました。というか……なんだか、これまでの人生が浮かんでは消えて行きます。
──私の名前はヴィエライア・タリスモス。地方領主、タリスモス子爵家の長女として、跡継ぎである兄に続いて生を受けました。両親は私を貴族令嬢らしく──慎ましく、優雅に、育てようとしていました。
……が。
私は、生まれながらに特異な能力……尋常ならざる"怪力"を持っていました。赤ん坊の頃、飾り用の騎士剣を抜いて振り回し、床を割り、柱を折り──。
「この娘は……呪われている」
父にはそう言われ、他の家族からも家人達からも"化け物"扱いでした。やがて社交界に上がる一四歳の時、父が何処からか手に入れてきた魔道具の指輪を与えられました。
「これを小指につければ、忌まわしき力は封じられる。いいか、決して外さないように……」
(──これで、私はようやく普通になれる)
家族の安堵した笑顔を見たのはこの時が初めてで、そして思えば最後でした。
ある時、お兄様が病に罹りました。その際にお父様はお兄様の病に効くという秘薬に財を注ぎ込まれましたが、その甲斐なくお亡くなりに──残ったのは莫大な借金でした。
そして、私に"縁談"が持ち上がったのです。
──お相手は大商人。家の借金を肩代わりしてくれると聞かされました。
でも、実際は違いました。彼は"貴族の娘"を他国に売り飛ばす仲買人で、私はその"商品"として求められたのです。
後で知ったのですが、この国の若い貴族令嬢は他国で好まれるそうです。しかし、奴隷や人身売買が法で禁じられているので、その抜け道というものなのでしょう。
言葉も通じぬ遠い異国の地に身売りされると知った私は、恐怖と絶望のなかで……初めて、指輪を外しました。
囚われていた部屋の扉を破壊し、その扉で見張りを殴りとばしました。男たちは宙を舞い、家具は吹っ飛び、壁が崩れた頃──私は気付きました。
(怪力で解決する──こんなに簡単なのですね?)
一緒に捕らえられていた女性たちは私に感謝してくれました。「ありがとう、ありがとう」と涙を流して喜んでいました。
(……初めて、この能力が人の役に立った)
そんな時、同じく囚われていたひとりの女性にこう言われたのです。
「あなた、冒険者になりなさい。その力、きっと必要とされるよ」
その人の紹介で私は──"迷宮都市"に辿り着き、名を"ヴィエラ・タリス"と変えて冒険者となりました。
慣れない迷宮探索──人間相手だと力の加減を誤れば命に関わります。でも、怪物相手なら……思い切り殴れます。遠慮も気兼ねもなく、怪力の限り武器を振るって、ただ前に進めばいいのです。
その武器も──剣、槍、斧など色々試しましたが、私の怪力で振るっても折れなかった大鎚矛に辿り着きました。
暴れまわり、襲い掛かって来る恐ろしい怪物達も私が目一杯殴れば動かなくなりました。
(やはり、怪力で解決できる事がこんなにあるのですね……)
──そんな快感を覚える自分がいることに、驚きつつもどこか納得していました。
いつの頃からか私は"鋼鉄の乙女"──そう呼ばれるようになって、パーティーの誘いも増えました。
けれど──しばらくすると、お誘いも減って行きました。理由は分かりません。私に何か粗相があったのかもしれません。酒場で話しかけられる事も減り、皆さん私を怖がるような態度になってゆきました。
(私、精一杯頑張っていたのですけれど……)
でも、そんな中である日、憧れの有名なパーティーからお誘いがありました。
「君が、"鋼鉄の乙女"ヴィエラ・タリスか。我々は下層に挑む為に君を必要としている、どうだい?」
下層に挑む──それは迷宮の冒険者としては実力者の証でしたので、私は喜んで参加を決めました。
迷宮の攻略は順調に進み、そして10階層──。
複数の巨大蠍との戦闘の後、その特異個体で仇名持ちの朱塗り鋏が現れました。
その他の巨大蠍よりも大きく、より硬い甲殻は武器や攻撃魔法も弾くほどでした。何より攻撃的で狂暴です。
予想外の強敵の出現に、パーティーは撤退を決断しましたが朱塗り鋏はとても執念深く、執拗に追いかけてきました。
そして、リーダーが私に言いました。
「君にしかできない。ヤツを引きつけて、この場所まで誘導してくれ──」
私は仲間の為、指示通り怪物と一対一で戦いつつ、指定された位置まで誘導しました。
「この辺りで宜しいでしょうか?」
私が朱塗り鋏を伴って入り込んだ場所──その床が青白く光を放ち、模様が浮かび上がりました。
(……転送陣!?)
気づいた時、私は朱塗り鋏と共に転送されていました。指定された場所を間違えて転送罠を踏んでしまったのか、それとも初めから私ごと転送陣で飛ばす作戦だったのか──今となってはわかりません。
──こうして、私は転送された先で朱塗り鋏と戦い、大きな傷を負ったのです。
(……身体が、冷たい)
つま先から、ゆっくり命が抜けていくような感覚。これが「死」というものなのでしょうか? 願わくば、このまま静かに──誰にも見られず、迷惑もかけず、眠るように……。
(……え? 温かい?)
頬に、何か柔らかいものが触れています。ふわりと包み込むような温かさ。
(……これは、手のひら?)
その瞬間、頭の中に声が響きました。
『大いなる癒し』
温かい光……全身が緑の光に包まれました。痛みで痺れていた私の身体が元に戻ってゆきます。
そして──。
「……えっと?」
視界の中に、こちらをのぞき込む少女の顔。私の命を救ってくれたのは恐らく彼女なのだと、何故かすぐに理解できました。
少女は微笑むと立ち上がって向こうを見つめていました。身体を起こして同じ方向を見ると、少し離れた場所で朱塗り鋏が何かに襲い掛かっているのが見えました。
少女は微かに「ん、ん、」と言葉にならない声を発してそちらを指さしました。そこには朱塗り鋏と戦っている一人の男性の姿があります。
「貴女のお仲間ですね、分かりました」
私は面付兜を被り直し、大鎚矛を担ぎ、そちらへと向かいました──。