第5話「巨大蠍」
「あー……サーヤ、ここって地下迷宮の、どの辺なんだ?」
とりあえずストレートに聞いてみた。まどろっこしい言い方は、この娘には通じない気がする。
サーヤはきょろきょろと周囲を見渡す。ふと何かを思いついたように、近くに転がっていた石を拾って戻ってきた。そして、硬い床に「75」と数字を刻む。
「な、ななじゅ……ご……75だと?!」
俺が最後にいたのは第五階層のはずだ。それが一気に75階層? そんな転送陣は聞いたことがない。サーヤは俺の75階層という言葉に頷いているから、間違いなさそうだ。
過去、俺と仲間達がようやく60階層に辿り着いた際には、幾つのも転送陣を探し、何度も試して、ようやく到達したのだ。
その時は決死の覚悟だった事を思い出す。食糧も水も尽きかけ、そこで仲間も──。
(いや、そんな感傷はいい)
視線を落とすと、床に描かれた別の文字が目に入った。古い共通語だが、俺には読める。「安息所」──そう書かれている。
地下迷宮に点在する施設のひとつ。回復と休息のための安全地帯。旧王国の迷宮調査部隊が設営したものだという。
元々あったものは、殆どが一〇〇年前の大地震でそれらの多くは破壊されたが一部はこうして残っている。そもそもこの安息所は古代文明の技術を模して造られたものらしい。
(俺達も60階層までに二つくらい発見した程度だったしな)
昔の仲間がその調査をしていて、色々分かった事があった。古代の技術では魔術結晶という人造の宝石を精製し、永続的に治癒魔術の力を宿していたらしい。しかしそれの完全に再現は出来なかった。
その替わりに造られたのが、魔術結晶を埋め込まれた生きる魔道具──人造の治癒魔術師だ。この調査結果を持ち帰る最中、俺を残して全滅した。
俺は、この反吐が出る様な話については詳しくなかったのもあって、誰にも話さずにいた。
普通の子供が迷宮の深層にいるはずがない。しかも高位の治癒魔術を自在に操る。何年生きているのかも分からない──まさに"生きている魔道具"なんだろう。
(石棺の中で干からびていたのはサーヤの同類ってことか……)
この深き死の地下迷宮は、もともと古代文明の遺構とされている。作られた時代の技術は、現代とは桁違いだ。転送陣、巨大な地下都市、魂喰らいの魔槍の様な魔道具──そんなものはごく一部で、もっと凄いものが沢山あったのだろう。
二〇〇年前、旧王国が古代文明の再興を夢見て、国を挙げて迷宮探索を命じた。探索用の補給施設、宿営地……その一部が“安息所”だ。それらは一〇〇年前の大地震で破壊されたが、一部はこうして今も動いている。
つまり──古代文明と近世のものがこの迷宮には混在している。
(だから、余計ややこしいんだよ迷宮は──)
ふとそんな事に思考を巡らせていることに気付き、頭を掻く。こんな学者じみた分析をしていた仲間の事を揶揄っていた俺が生死の狭間でやる羽目になるとはな。
「──っ!」
自嘲気味に笑っていた俺だったが……サーヤが突然何かを感じ取った様に、踵を返して駆け出した事で現実に引き戻された。
「おい、なんだ? ちょっと待て!」
問いかける暇もなく、少女は迷宮の奥へと消えていく。俺は反射的にその後を追った。
──この階層は、まるで地下都市のように廃墟と化した建物群が立ち並んでいた。石造りのアーチ、崩れた路地、積もる砂塵。迷宮下層の多くはこういった景色が広がっている。
しばらく走ると、金属の打撃音や瓦礫が崩れる音が聞こえてきた。ようやくサーヤを見つけるが、彼女はその音の方角へ迷いなく進む。俺はその背中を追いながら、自分の武器が腰に差した護身兼作業用の狩猟用短剣だけなことを思い出した。
(そうか、弓は壊れたんだったな……)
ふと横を見ると、建物の影に古い白骨死体が転がっていた。それなりの数の死体が点在しているように見えた。
(意識しないと気づかんものだな……)
冒険者──戦士か。その装備品はほとんど残されており、使えそうなものが幾つかある。中でも、一張の弓が目に留まった。弦は千切れていたが、骨格は健在だ。腰の予備弦を取り出して張ってみる。
「──よし、使えるな」
矢筒の中身も確認すると数本残っていた。手持ちの矢と合わせると一〇本程度だ。
「……無いよりマシか」
ぽつりと呟き、再び走り出す。もし、生き延びようと思うなら、矢の補充は重要案件だ。
視界の先、広場のような場所で凄まじい戦いが繰り広げられていた。俺はサーヤに追い付き、その様子を一緒に物陰から見ている。
(……巨大蠍、にしてはデカい?!)
──そう、あれは巨大蠍の特異個体、”朱塗り鋏”だ。甲殻の色は青銅色だが、その鋏だけに血飛沫のような朱色の斑模様が浮かんでいる事からそう呼ばれていた。
そういう特異個体は”仇名持ち”と言われ恐れられている。
本来、巨大蠍は上層──10階層辺りに生息している怪物で、牛ほどもある大きな蠍だがコイツは更にふた回りは大きい。
上層では特異個体、仇名持ちだった存在が、ここでは平然と徘徊している──そういう事なのかもしれない。
「まったく、やっぱりここは深き死の地下迷宮だよな……」
自然と愚痴が漏れる。
そしてヤツと対峙していたのは、全身を鎧で覆った騎士──身の丈ほどある大鎚矛を振るっている。
「あんな武器振り回せるのかよ……」
力任せに大きな大鎚矛で朱塗り鋏の甲殻を何度も叩く。一見攻勢に見えたが、ヤツの大きな鋏の鋭い突きが騎士を弾き飛ばした。
数メートル後方、叩きつけられた瓦礫が崩れそのまま動かない。
「うお、やられたか……死んだ?」
サーヤが俺の言葉に首を横に振る。そして、そのまま駆け出した。
「おい待て!」
だが、俺の声はサーヤには届いていない。
朱塗り鋏が、サーヤの動きに反応した。獲物を見つけた狩人のように身体を低く構えて鋏を広げ、駆けてゆく獲物を狙っている。
「ぬぁ、クソ──チィッ!」
サーヤが人ではない何かだとしても、俺はあの子に命を救われた──それは紛れもない事実。
俺は咄嗟に足元の瓦礫を拾い、ヤツに投げつける。石が甲殻に当たり音を立てると、ヤツの身体はこちらを向き、複眼が俺を捉えた。
「おい、こっちだ!」
俺は近くにある廃墟を盾に陣取った。巨大サソリは両腕の朱色の鋏を大きく振り上げ、獲物を狩る姿勢を取る──。
(……よし、こっちに来たな)
俺としたことが、感情で先に身体が動いてしまったが──不思議と後悔はしていなかった。
「それはそれとして、このバケモノをどうするかね……」
溜め息を吐きつつ、周囲の状況を具に確認しながら策を練る。