第15話「水上の死闘」
──ヴィエラが、悲鳴もなく濁った水面に崩れ落ちた。全身を貫いた電撃に耐えきれず、意識を失ったのだ。デリユの使った水面歩行の術で沈みはしないが、倒れて動かない。
「うぅ……イケマセン……」
痺れによる激痛が俺の全身を襲う。遅れて、デリユも膝をついた。
「まさか……あいつの電撃か?」
「生きてマス……でも、ダメージ、ヒドイ」
俺は苦痛に耐える様に歯を食いしばり視線を水面移すと、水中に消えたヤツの巨体が残した波紋が不気味に広がっていた。
「電撃なんて使う大ウナギ、聞いたこともねえぞ──」
「故郷、イマシタ……でも、こんな……大きく、ナイ」
その時、濁った泥水がわずかにうねった。
(ヤツが移動しているのか?)
「くそっ、この視界じゃ……!」
姿が見えない。水の底からいつ、どう襲ってくるかも分からない。だが、ヴィエラを置いて逃げるわけにもいかないが──金属鎧に大鎚矛。とても一人で引きずれたものじゃない。
(デリユと二人でも厳しいよな……)
──その時。
「くる……! サーヤ、避けテ!」
デリユが叫んだ瞬間、俺はサーヤに飛びつき、水面を転がった。
その刹那。サーヤがいた場所を──水中から、巨大な口が襲う。濁った飛沫を上げて濁流を纏い、大ウナギが飛び出してきたのだ。
「うおっ?!」
間一髪、なんとか躱した俺はサーヤを抱え込んだまま顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か──」
しかし、彼女は虚ろな瞳で宙を見つめ、抑揚のない声で呟いた。
「ダメージ……許容量超過。行動再開まで、一時休止に入る」
「──おい? おいっ!」
肩を揺さぶると、彼女はそのまま脱力し、静かに瞼を閉じた。
「眠った、思いマス……」
デリユが小さく呟く。彼女に預けたいが、それもできない。
ヤツはサーヤを狙っている。しかも、デリユは術で電撃の威力を軽減しているみたいだったが、今の苦悶の表情を見る限り電撃のダメージは軽くは無い様だ。
「……とっととケリつけるしかねぇな」
俺は左腕に魂喰らいの魔槍を装着する。表面の古代文字が淡く光り、冷たい魔力が身体に流れ込む。
ヤツはまた深く潜って気配を殺している。狙いはきっとサーヤ。だが、問題は──いつ来るかだ。
「デリユ、ヤツの気配は分かるか?」
「……私、痛み、抑える、感覚、鈍くしてる」
(そうか、デリユは術で感覚を鈍らせる事で痛みを抑えてるのか……)
「直前、弱い、雷の気配、感知、デキマス……」
ヤツは電撃を感知器官にしているみたいだ。水中で微弱な電気を放ち、獲物の位置を把握しているらしい。
(こっちは泥水の中じゃ何も見えねえってのによ……)
だが逆に言えば──サーヤに近づいた瞬間、電気の気配があるはずだ。
(とはいえ、サーヤを囮にするってのも、気が引けるが……)
今さら綺麗事は通用しない。このままでは全滅、ヤツの腹の中だ。
「──ええい、ままよ」
俺は魔槍をいつでも使える様に起動する。手甲が割れて開き、砲口が露出する。身体中の力がそこに奪われる様に集まってゆく。
サーヤの前にしゃがみ込んで水面に右手を添え、感覚を研ぎ澄ます──その数秒後。
(……ッ!?)
右手から全身を駆け上がる、強い違和感と全身の毛が粟立つ感覚。
「──来た」
泥水が大きく盛り上がり、直後──。
「ぐおおっ!?」
俺の右腕に激痛が走った。大ウナギが、水中から俺の右腕に喰らいついてきたのだ。細かく生えそろった針山の様な牙が肉に食い込む。ヤツは嚥下で喉奥へと腕ごと引きずり込もうとする。
「お前にゃこっちをやる──ぞ!」
俺は左腕の手甲をヤツの顎下に押し当て、発動させた。魔槍が呼吸をするような唸りを上げ、破裂音が響く。
……ヒュオォォ──ズドォッ!!
白き光槍が大ウナギの顎を貫き、脳天まで一直線に突き抜け──衝撃と共にヤツの頭部が抉れた。
──バシュッ。
手甲の割れ目から火焔の様な赤い魔力光が排出され、光槍が粒子となって消えると、大ウナギの巨体が水面に崩れ落ちた。
そのせいで泥水が飛沫を上げて波打ち、俺を咥え込んだまま沈んでゆく。
(やべぇ……っ!)
力を無くしたその大口から、なんとか右腕を引き抜くと、デリユの水歩きの効果で水面へと浮かび上がった。飲んでしまった泥水を吐き出すが、右腕の激痛で立ち上がれない。
「ぐぅ……がはっ……」
肘から先がヤスリで削られた様にズタズタだ。
(血が止まらん……)
視界が揺れた。呼吸が荒くなる。激しい疲労と倦怠感、左腕も痺れて動かせない──魔槍の反動が全身を襲う。身体に力が入らず動かせ無いのだ。
(こいつは……マズい)
危機感と恐怖を感じたまま俺は薄れていく意識に身を委ねるしか無かった──。
どれくらい時が経ったか、再び意識が浮上する。
目蓋を持ち上げると、そこには茜色に染まった空が広がっていた。
……一瞬、ここがどこなのか理解できなかった。
だが、すぐに傍らから「むー!」という、聞き慣れた間の抜けた声が耳に飛び込んでくる。
(ああ……そうか、そうだったな)
記憶が蘇る──俺は大ウナギに右腕を噛まれながら魂喰らいの魔槍を喰らわせて──怪我と魔槍の呪いでぶっ倒れたのだ。
身体を起こすと、そこは水辺の小島だった。そう、目指していた大沼の中心……目的地だった。
「ゼタさん! 良かった……もう目を覚まさないかと思いましたわ……!」
ヴィエラが俺の顔を覗き込み、胸を撫で下ろす。その隣には、どこか誇らしげに両腕を腰に当てて「むーっ」と言っているサーヤ。さらに少し離れた場所には、静かに微笑むナンカーの姿もあった。
「みんな……無事か」
「ハイ。あのあと、サーヤ、目覚めて……全員、治癒、しまシタ」
ナンカーが静かな声で報告する。
(サーヤの……あの異常は何だったんだ?)
あの子のどこかお道化た素振りに惑わされがちだが──サーヤは、言ってしまえば生きた魔道具のような存在だ。高度な治癒術も、豊富な迷宮の知識も、彼女の機能の一端に過ぎない。だがその一方でダメージを負い、壊れてしまえば道具のように途端に動かなくなる──。
さっきのようにサーヤが沈黙したままだったら──誰一人、生き残れなかったかもしれない。
(……あの子を失えば、俺たちは全滅だ)
言葉が無く、何を考えてるのか分からなくても。もし何か別の存在であろうと──この深き死の地下迷宮から生きて帰るには、あの子が俺たちの生命線なのだ。




