第14話「怪魚」
八十階層に到達した俺達の目の前に広がっていたのは──腰ほどの高さの茂みと、まさかの青空だった。
「……空、ですか?」
ぽかんと口を開けるヴィエラ。隣ではデリユも驚いたように目を見開いている。だが、サーヤだけはいつも通り「むーむー」と指を振って、何かを伝えようとしていた。
「あ、す……スミマセン。ココ、抜けテ……反対側……エレベタ、言ってマス」
「反対側……って、この階層を横断するんですか!? また、前の階層みたいに広いのでは──」
ヴィエラは不安げに周囲を見回し、デリユとサーヤを交互に見つめた。そんな彼女に対して、サーヤは「むーむー」と身振り手振りでなにやら説明している。
「大きさ、同じくらい、でも、テレポタ、ある──と、言ってマス」
「えっ、転送陣があるんですか!? それなら!」
ぱっとヴィエラの顔が明るくなる。
(ほんと、素直で分かり易いヤツだ……)
俺たちはサーヤの案内で、最寄りの転送陣を目指して歩き始めた。
──が、途中で様子がおかしいことに気づく。森は鬱蒼と茂り、ぬかるんだ湿地帯が道を阻む。どうやら、サーヤの知っている地図と現状が一致していないらしい。
「知っテル、地図、昔ノもの……今、変わっテル」
「……いつの"昔"なんだか聞いても無駄だろうな」
生きている回復装置であるこの娘を設置したという旧王国が大地震で崩壊したのが100年前らしい。
「自然ハ、人では、制御できナイ。ソレは、同じ、なのでショウ──」
「いかに古代文明が空を作れても、生きている自然は御しきれ無い──ってか?」
(ま、だから滅んで遺跡になってるんだろうがな)
進むうちに視界が開け──そこには大きな沼があった。その中心、小島のような盛り上がりの上に、ツタに覆われた石造りの建物が建っている。サーヤが「あれ」と指差す。
「アレ、テレポタ、言ってマス」
辺りを見回すと、かつては橋が架かっていたらしい痕跡があり、朽ちた橋脚が沼の中に点々と残っていた。
「元は橋があったようだが……今は完全に沈んでるな」
(さて、どう渡るか……)
「深そうですね? 私じゃ絶対沈みます……」
「いや、金属鎧じゃなくても普通に沈むと思うぜ?」
思わず肩をすくめ苦笑いする俺──ヴィエラは沼を見つめてムッとしていた。
「サーヤ、他にあそこへ行く方法はないのか?」
「んー……むー……」
しばし考える仕草のあと、サーヤが答える。
「別の、テレポタ、から、イケル、言ってマス」
「それって……俺たちが今向かってる転送先のことじゃねえか?」
ウンウン、とサーヤがうなずく。
(……そりゃそうだろうが、そうじゃねえ)
俺が頭を掻いていると、デリユが小さく手を挙げた。
「ゼタさん、水のウエ、歩けル……祈祷、アリマス」
「マジか?」
デリユは無言で前に出て、指を組み、静かに印を結ぶ。
『水天加持……水歩き……』
そう呟いたあと、「完了デス」とだけ言って、沼へと一歩踏み出す。
「お、おい!?」
だが、デリユは沈まなかった。水面に立ち、ただ波紋だけが静かに広がっていく。
「……マジかよ」
その様子にヴィエラが目を丸くしている横で、サーヤは楽しげに水面へ飛び降り、ぴょんぴょんと跳ね回っていた。
「ダイジョブ、歩ケマス」
デリユの微笑みに促され、俺とヴィエラも恐る恐る水の上に足を乗せる。
「うわ……ふわふわしてるのに、滑らかで──妙な感覚ですね」
「柔らかい絨毯の様で、大理石の床の様で……確かに奇妙だな」
それぞれの足元に意識を向けながら、俺たちは小島へと向かって歩き始めた。距離はざっと100メートルはある。
「これ……もともと沼じゃなかったんじゃねぇか?」
「ソウ、見エマス。泥、ダケジャ、ナイ、深イ、水デス」
俺とデリユがそんな話をしていた矢先だった。
「むーむー! むー!」
サーヤが突然、慌てて手を振る。警戒の仕草だ。そして──デリユの表情にも緊張が走った。
「ミナさん、キケン……ナニか、来マス!」
その言葉と同時に、水面が盛り上がり、異様な太さの何かが現れる。人の胴体よりも太く、露出している部分だけで2メートルはある。
「な、何ですのあれ……!? 大蛇……?」
ヴィエラが叫ぶ。
「──違うな。あれは……」
牙の並ぶ巨大な口。頭の後ろにはヒレのようなものが見える。これは──俺の記憶にある、あの怪物だ。
「大ウナギだ!」
その名を叫ぶと同時に、ヤツはサーヤへ向かって突っ込んできた。小さい者を狙うのは本能か。
「させませんわ!」
ヴィエラが大鎚矛を構え、サーヤの前に飛び出す。デリユは素早くサーヤの腕を引いて後退させた。だがその瞬間、ヴィエラに襲いかかる大ウナギが、大鎚矛にかぶりつく。
「ぐっ……この、しぶとい!」
引っ張り合いになり、牙が大鎚矛に食い込む。ヴィエラは咄嗟に武器を放し、組んだ両拳で奴の鼻面へ一撃を見舞う。
ギョワブリュル──ッ!!
気味の悪い悲鳴のような声をあげ、大ウナギは大鎚矛を吐き出して身をよじった。ヴィエラは即座に武器を拾い上げ、渾身の一撃を狙う──。
「ヴィエラさん、イケマセンッ! 雷の気配が──」
次の瞬間、大ウナギの身体が淡く光を帯び──直後、ビリリと痺れる衝撃が足元から背筋を貫いた。
「ぐあっ……なんだ、感電か!?」
身体中に熱く痺れる様な痛みが走り、苦痛で思考が鈍る。デリユとサーヤも苦痛に顔を歪めていたが二人は俺よりも症状は軽そうに見える。
(魔術的に抵抗したのか──)
それでも、デリユもサーヤも一時的に動きは鈍くなっている様だ。だが、最も近くにいたヴィエラは直撃を喰らってしまっていた。身体を硬直させて、受け身も取れず倒れ込む──。
「ヴィエラ!」
呼びかけに返答はなかった。電撃は身体の内部にもダメージを受ける、いくらヴィエラが能力せいで頑丈でも無事ではなさそうだ。
(クソ……これは、マズいな)




