第13話「80階層へ」
俺たちは、昇降機で80階層へと一気に降下する最中だった──だが、やはりここは深き死の地下迷宮、そう簡単には行かせてくれない。
「大蝙蝠──どんどん増えやがる!」
暗闇の中、無数の黒い影が舞う。宙を飛び回るあの蝙蝠は、一匹一匹の攻撃力こそそこまで高くはないが、とにかくのらりくらりと素早くて厄介だ。
しかも今は、デリユが術の詠唱中。完成するまでの間、どうにか時間を稼がなきゃならない。
「ゼタさん、この程度の相手なら、多少のダメージを覚悟してでも交差攻撃狙いでいいのではありませんか?」
ヴィエラがそんな勇ましい事を言う。
「……まあヴィエラならそれも可能かもしれんが、こいつら病気を媒介してくるぞ」
「び、病気……?」
急に顔色を変えるヴィエラ。
「ああ。高熱に咳、運が悪ければ頭がおかしくなって痙攣して泡吹いて死ぬ。冒険者の間じゃ蝙蝠熱病なんて呼ばれてる」
「さ、サーヤさんの治癒魔術なら病気も──」
「蝙蝠熱病は治癒魔術で治療しても後遺症が残る場合もあるらしい──」
「こ、後遺症──」
俺の言葉でヴィエラは大蝙蝠に対してかなり警戒をするようになった。
(まぁ、脅し気味に言ったが稀にあるらしいからな……用心するに越したことはない)
「とはいえ、矢を温存してばかりもいられん。ならば──」
俺は背中の矢筒から一本を抜いた。
(戦技──笛吹矢)
風を切る矢が高く鋭い音を放つ。
──ピィィィィッ!
すると、周囲を飛び回っていた大蝙蝠たちが一斉に動きを乱し、混乱したように後方へ退いた。
(一瞬、時間は稼いだが……)
「デリユ、そっちはまだか!」
「……デキました」
デリユは右手の二指で宙に何かを描いてから、俺の肩にそっと手を置く。
『加持……開眼……』
──次の瞬間。
まるで冷ややか風が頭の中を吹き抜けたかのように、意識が冴えわたった。目の前の大蝙蝠の軌道がとても遅く見える。
(……なんだ、これは?)
混沌としていた蝙蝠らのヒラヒラした動きが、手に取るように分かる。次にどこへ飛ぶのか、おぼろげに見える気さえした。
「ミエルモノ、ソノママ、受ケ入レテ──」
俺は言われるがままに弓を引き、気配に従って矢を放つ。
「ドン」と一発目が命中。まるで、蝙蝠の方から矢に当たりにいったかのようだった。
「これは……」
「加持法──アナタたちの言う、支援魔術デス。ゼタさん、今、動キ、見エルハズ」
(なるほど……未来予測ってわけじゃねぇが、動きの"気配"が目で見えてるってことか)
俺は矢を次々に番え、気配のままに引いては放った。
ドンッ、バスッ──。
大蝙蝠が、一匹、また一匹と落ちていく。
「ゼタさんすごいです! 本当に全部当たって……!」
「いやいや、これは俺の腕っていうより……デリユ、あんたの術のおかげだな」
「イエ、ゼタさんノ弓、正確デス。術ダケデハ、無理デス」
デリユが少し誇らしげに微笑んだ。
──こうして、危機は一応の終息を迎えた。
やがて昇降機が終点に到着する。
(……空気が変わったな)
湿った土と草の匂い。まるで森の中にいるような、そんな感覚。
昇降機が辿り着いた先は、壁に囲まれた広い建物の中だったが蔦や雑草が這い、壁は苔に覆われている。人工の迷宮とは思えぬ光景だ。
先頭を行くサーヤに付いて昇降機の建物を出ると──目の前には膝丈ほどの茂みが広がり、上には青空があった。
「こ、これは……空!? ここ、地下ですよね?!」
「信ジラレナイ……迷宮、中ナノニ……」
ヴィエラとデリユが、ぽかんと口を開ける。
かつて30階層の“密林地帯”を通過した俺にとって、こういう空間は初めてじゃないが……何度見ても慣れるものじゃない。
(ほんとに……ここ、地下迷宮の中か?)
そんな疑念すら抱くほど、そこには"空"があった。




