第11話「デリユ・ナンカ―の追想」
異国からやって来た、古代文明研究者であり祈祷師のデリユ・ナンカ―。彼女は微睡みの中で、迷宮で自らに起きた出来事を思い出していた──。
食事の後──今後の行程を考え、リーダー(と理解している)ゼタの提案で仮眠を交代でとることになったのだけれど……。
──これは夢か、それとも、ほんの少し前の記憶を脳裏が反芻しているのか。
意識はまだ、眠りと覚醒の狭間──微睡みの底にある。
私の名は、デリユ・ナンカー。
西方より海を渡ってきた、学者にして祈祷師。古代文明の遺跡を巡り、その研究に没頭している者だ。
……この地を目指した目的は、ただ一つ。
古の書物に記されていた──"失われし知識の宝庫"という古代魔法帝国の地下都市に、どうしても辿り着きたかった、それだけだった。
だが、古代魔法帝国の地下都市というのはこの国では"深き死の地下迷宮"と呼ばれる場所だった。
無数の魔物が徘徊し、生半可な腕では1階層すら踏破できない、生きたまま呑み込まれる地獄。
(……一人では、とても生きて戻れない)
だから私は冒険者となり、迷宮都市でパーティを組んだ。言葉に不自由がある異国の者にとって、それは大きな賭けだった──いや、むしろ愚かな選択だったのかもしれない。
「なあ、今日は深ぇとこ行くから、そのつもりでな?」
「ハイ、深い所、行くの、分かりマス。……デモ、"そのつもり"の意味は?」
「はあ? 覚悟しろってことだよ、ったく通じねえな」
彼らの言葉は粗野で曖昧、そして雑だった。
私は丁寧に聞き返しているつもりだったが、それが気に障る者もいるようだった。舌打ちする者、鼻で笑う者、わざと聞こえるように愚痴る者もいた。
「スミマセン……言葉、マダ、上手くナい、デス」
「いいって、別に。お前のその変な支援魔法、まあまあ使えるしな──」
──嘘だ。一応使えるからパーティーに残してるだけで、理解も信用もされていない。
私の術、"祈祷"はこの大陸の"魔法"とは根本から異なる。手指の印と言霊の詠唱によって地水火風──自然の力を借りる。ともすれば、それらを統べる精霊や神々とも対話し助力を乞う。
──それを彼らは「気味が悪い」「呪われそう」「時間がかかり過ぎる」と言って忌避した。だから私は、敢えて略式の極弱い力しか発揮されない祈祷を使っていた──彼らに合わせるために。
(……下らない、と思いつつね)
今回の探索は、28階層で消息を絶った別のパーティの捜索だった。
「ったく、あいつら調子乗ってたしな。やっぱ遭難か?」
「運が良けりゃ装備だけでも残ってるだろ」
「死人の持ち物剥ぎ取りとか、ちょっと気が引けるが……」
「何言ってんだ。遺品を有効活用してやる、それが供養ってもんだろ」
「なあに、あの異国女にゃ聞かれたって問題ねえよ。どうせロクに通じねぇんだから」
──ほとんど理解している。聞こえてる。だが、黙っていた。彼らが実力ある冒険者であったのは事実だ。戦闘技術も経験も申し分なかった。
……だが、人としては──全く理解できない。
私は彼らを信用してなどいなかった。ただ、目的のために必要だったから、共に行動していたに過ぎない。
そうして私たちは、例のパーティの"残骸"を発見する。
「おい……これ、何にやられた?」
炭化した遺体。煤にまみれた鎧。熱で溶けかけた武具。黒く焼け焦げた床に、巨大な爪痕──。
「チッ、黒焦げで使えねぇ装備ばっかりじゃねぇか……」
「金貨袋は……よし、これは無事だ」
盗賊と変わらぬ物言いが、平然と口から飛び出す。
そんな中、リーダーの遊撃兵が眉をひそめた。
「まさか……火炎亜竜……か?」
「冗談……だろ?」
その言葉を聞いた瞬間、焼け付くような波動で全身が怖気だった。
(火の気配……これは──)
「皆サン、ケイカイして……ホノが、来ます」
「はぁ? このアマ、何わけわかんねぇこと……」
「違う! 来るぞ! "生命探知"にでけぇ反応が──!」
──ズゥン、ズゥン。
回廊の奥から、鉄を踏み抜くような音が響く。
そして、現れた。
全長七メートルはあろうかという巨体。灼熱の揺らめきを纏う四つ脚の亜竜──その姿は、まさに悪夢だ。
「な、なんだありゃ……!」
剣の如き爪で踏みしめるたびに床が赤熱していく。全身が焼きゴテの如く灼け、周囲の塵や埃が発火して火の粉の様に舞う。
(あれは……火炎亜竜じゃない)
『……灼熱亜竜』
「うるせえ、変な言葉使うな!」
「ゴメンなサイ、たぶん……ヒーター、ドレイク、です」
そう言った瞬間──奴は地響きと共に突進してきた。
──戦闘は、まるで話にならなかった。
灼熱を帯びた爪が戦士の大楯を焼き斬り、魔術師の攻撃魔法は硬い皮膚には致命傷を与えられない。私の略式祈祷では彼らの力を強くすることも出来ない。
(……恐らく、この連中では倒せない)
私は迷わず、略式ではなく"本来の"祈祷を使う決意をした。
「大きナ術、使いマス……ダカラ、守ってクダサイ!」
伝わったかどうかは分からない。
「おい、何か言ってるぞ?」
「ふざけんな! 時間稼ぎしろってか!?」
「待て。……どれくらい必要だ」
「イチ分、あれば……」
私の言葉に、リーダーが頷いた。その一瞬だけ、私は希望を見たのだ。
高位の祈祷は瞑想を必要する。私は目を瞑り集中に入った──が。
次に目を開いた時、私は一人だった。
「……え?」
後ろを振り向くと、彼らは既に逃げていた。
「訳わかんねえ術に命張れるかっての!」
「せめてお前が喰われてる間に、逃げさせてもらうぜ!」
回廊の先、迷路のような通路へ──誰も振り返らなかった。
(……私は、判断を、誤った)
湧き上がったのは怒りではない、悔しさだった。そう──自分が、彼らに一縷の希望を託したことが。
だが、それを嘆く時間すら与えてはくれない。
灼熱亜竜の咆哮。──私は印を組み、渾身の術を放った。
『──|《水蛇氾流〈ウガナーガ〉》!』
水が生まれ、大蛇となって燃える巨体を貫く。水蛇が亜竜の熱に触れ爆発するように蒸発し、濃霧となって視界を塞いだ。
絶叫のような叫びと大きなものがのたうつ音が響いている。やがて蒸気が治まると、灼熱亜竜は胴に大きな穴を開けて絶命していた。
「はぁ、はぁ……」
私は香袋を取り出し、深く息を吸う。薬草の香気が、わずかに気力を取り戻させてくれた。
『……少し休んで、彼らの足跡を──』
地上へ戻るルートは彼らが熟知しているはずだ。探知系の祈祷を使い彼らの後を追って、転送陣を何度か使っているうちに、この75階層に辿り着いた。
しかし──食料も尽き、進みも戻りも出来ず、力尽きて倒れた私を──救ってくれたのが、ゼタ達だった。
冒険者に裏切られた私を救ったのもまた冒険者──私は彼らを信じる事ができるだろうか?
この国に来てから私に向けられたのは差別、蔑み、憐み──しかし、彼らからはそれを感じない。
(今の所は──ね?)
試す様で悪いけれど――言葉が拙いままの方がこちらの観察には都合が良い。今も、それは続けている。
(まあ、こちらの言葉がまだ流暢に喋れないのは事実だけど……)
サーヤという無言の少女、彼女が人ではないことも気づいている。古代文明を模して造られた"人造治癒装置"──。
しかし、彼女にはそれだけじゃない、造られたものが持たない感情のような温かなものを感じていた。それは私には微かな希望に思えた。
(──ほんの少しだけ、時間をちょうだい)
それが、再び人を信じるための猶予だ。




