第八話:『取材』という名の初デート? ~遊園地・出会いと絶叫~
『今度の週末、もしよかったら、またどこか『取材』に行かない?』
『例えば……そうだなあ。ラブコメの定番といえば……遊園地とか、どうかな?』
弥生さんからの、あまりにも衝撃的な提案。それは、徹夜明けで朦朧としていた俺の意識を、一瞬で覚醒させるのに十分すぎる威力を持っていた。
遊園地。二人きりで。
それはもう、どう言い繕っても「デート」以外の何物でもないだろう。
ラブコメにおける遊園地デートといえば、関係進展のための超重要イベントだ。観覧車での告白、お化け屋敷での急接近、パレードを見ながらのロマンチックな雰囲気……そんな王道展開が、次々と頭の中に浮かんでは消えていく。
(……まさか、俺が、弥生さんと、遊園地デート……?)
現実感がなさすぎて、しばらくスマホの画面を呆然と見つめてしまった。これは夢じゃないだろうか。徹夜の見せた幻覚? いや、でも、弥生さんからのメッセージは、確かにそこにある。
『ゆ、遊園地ですか!? めちゃくちゃ行きたいです! 是非お願いします!』
反射的に送った、興奮丸出しの返信。もう少し冷静になるべきだったかもしれないが、後悔はない。だって、行きたいのだ。めちゃくちゃ。
『わーい! やった! じゃあ、決まりね! どこの遊園地がいいかな? また相談しよっか(^-^)』
弥生さんからの、弾むような返信。その文面からも、彼女が楽しみにしていることが伝わってきて、俺の胸は期待で破裂しそうだった。
それからの数日間、俺は完全に浮かれきっていた。
授業中も、ノートの端に「遊園地 デート 持ち物」「遊園地 デート 会話」などと無意識に書き殴っている始末。もちろん、すぐに消したが。
健太には「おい航、お前、最近ニヤニヤしすぎだろ。なんかヤベー薬でもやってんのか?」と真顔で心配された。
「や、やってねーよ! ちょっと、小説のネタが思いついてな……」
「ふーん? 小説ねえ……。まあ、お前にしては、確かに楽しそうではあるけどな」
健太は疑いの目を向けつつも、それ以上は追及してこなかった。こいつ、意外と鋭いところがあるから油断できない。
もちろん、遊園地デート(取材)のことで頭がいっぱいな一方で、執筆活動も続けていた。弥生さんに「ファンになった」とまで言われたのだ。期待を裏切るわけにはいかない。
雨の日のシーンをさらに推敲し、次の展開……ヒロインが風邪を引く看病イベントのプロットを練り直す。弥生さんから聞いた「心細くなる」「そばにいてほしい」という気持ちを、どうすればリアルに描けるか。お粥の作り方も、こっそりネットで調べてみたりした。
だが、やはり集中しきれない自分がいた。
頭の中では、どうしても週末の遊園地のことがちらついてしまうのだ。
(……遊園地デートのシーン、書きたいな)
自分の小説にも、いずれは遊園地デートのシーンを入れたい。今回の「取材」は、そのための絶好の機会だ。
でも、まだ体験していないことを、リアルに書くことはできない。この前の雨の日のように、実際に体験して、感じて、それを言葉にしなければ、きっと薄っぺらいものになってしまうだろう。
(……早く、週末にならないかな)
逸る気持ちを抑えきれない。まるで、遠足を待ちきれない小学生のようだ。十七歳にもなって、情けないとは思うが、仕方ない。
弥生さんとは、メッセージで遊園地の相談をした。
『どこの遊園地がいいかな? 航くん、行きたいところとかある?』
『いえ、俺はどこでも! 弥生さんの行きたいところで大丈夫です!』
『えー、そう言われると困っちゃうな(笑) じゃあ……定番だけど、〇〇ランドとかどうかな? アトラクションも多いし、パレードとかもあるし、「取材」にはもってこいかなって』
〇〇ランド。都心から電車で一時間ほどの、有名な大型遊園地だ。俺も小学生の頃に家族で行ったきりだが、楽しかった記憶がある。
『いいですね! 〇〇ランド! 賛成です!』
『よかった! じゃあ、決まりね! 当日は、開園時間に合わせて、駅で待ち合わせしよっか』
『はい! 了解です!』
着ていく服も、また悩んだ。
この前のカフェでの反省を踏まえ、さすがにヨレヨレのTシャツで行くわけにはいかない。かといって、またあのストライプのシャツというのも芸がない気がする。
結局、週末を前に、なけなしの小遣いをはたいて、無難なグレーのパーカーと、新しいスニーカーを買った。健太に「お前、急にどうしたんだよ?」と怪しまれたが、「いや、まあ、気分転換だ」と適当に誤魔化した。
そして、あっという間に、運命の週末、土曜日がやってきた。
天気は、雲一つない快晴。絶好の遊園地日和だ。てるてる坊主を逆さまに吊るした甲斐があったのかもしれない(吊るしてないけど)。
俺は、約束の時間の一時間も前に目が覚めてしまい、落ち着かずに部屋の中をうろうろしていた。
新しいパーカーとスニーカーを身につけ、鏡の前に立つ。……うん、まあ、悪くない。少なくとも、いつもの寝癖頭にヨレた服よりは、数倍マシに見えるはずだ。髪も、少しだけワックスで整えた。
(……大丈夫。これは取材だ。あくまで、小説のための)
何度目か分からない自己暗示をかけ、深呼吸をする。
それでも、心臓は、期待と緊張でバクバクと音を立てている。
待ち合わせ場所の駅に着いたのは、約束の時刻の二十分前だった。早すぎたか、と思ったが、すでに弥生さんの姿がそこにあった。
「あ、航くん! おはよう!」
弥生さんは、俺を見つけると、ぱっと顔を輝かせて手を振った。
今日の弥生さんは……。
思わず、息を呑んだ。
いつもより、ずっとカジュアルな服装だった。白いTシャツに、デニムのオーバーオール。足元は、歩きやすそうな白いスニーカー。髪は、高い位置でポニーテールに結ばれていて、元気で活動的な印象だ。
いつもの綺麗なお姉さん、という雰囲気とは少し違う。年相応の、というか、むしろ少し幼くも見えるような、無邪気な可愛らしさ。
(……か、可愛い……!)
完全に、不意打ちだった。こんな弥生さんも、ありなのか。ギャップ萌え、というやつか。
心臓が、またしても鷲掴みにされたような衝撃。
「お、おはようございます! 弥生さん、早いですね」
なんとか、平静を装って挨拶を返す。
「うん、なんだか楽しみで、早く着いちゃった」
弥生さんは、少し照れたように笑った。その笑顔が、また眩しい。
「……あの、今日の服、すごく……可愛いです」
またしても、思ったことがそのまま口から出てしまった。学習能力がないな、俺は。
「えっ!? ほ、本当? ありがとう……!」
弥生さんは、一瞬きょとんとした後、みるみるうちに顔を赤くした。
「ちょっと、子供っぽすぎないかなって心配だったんだけど……良かった……」
俯いて、オーバーオールの裾をいじっている。その仕草が、たまらなく可愛い。
「航くんこそ、そのパーカー、似合ってるね! いつもと違う感じで、かっこいいよ」
今度は、俺が褒められる番だった。
「えっ、か、かっこいい……!? そ、そうですか!?」
顔が熱い。絶対に赤くなっている。弥生さんに「かっこいい」なんて言われたら、舞い上がらない方が無理だ。
「さ、行こっか!」
弥生さんは、そんな俺の様子を見て、またくすくすと笑いながら、歩き出した。
俺は、まだドキドキと鳴りやまない心臓を抱えながら、慌ててその後を追った。
遊園地へ向かう電車の中。
隣同士に座った俺たちは、とりとめもない話をしていた。
最近見た映画の話、好きな音楽の話、学校での出来事。弥生さんは、俺の話をいつも楽しそうに聞いてくれるし、弥生さん自身の話も、とても面白かった。大学での専門分野の話(文学部だったらしい)は少し難しかったけれど、真剣に語る横顔は知的で、やっぱり素敵だなと思った。
時折、電車の揺れで肩が触れ合う。その度に、お互いに少しだけ意識して、距離を取ろうとするけれど、すぐにまた元の位置に戻ってしまう。雨の日の相合傘の時と同じだ。でも、あの時のような、息苦しいほどの緊張感は、少しだけ和らいでいるような気がした。慣れ、だろうか。それとも、お互いの距離が、少しだけ縮まった証拠なのだろうか。
電車に揺られること約一時間。ついに、目的地の〇〇ランドの最寄り駅に到着した。
駅を降りると、すでに多くの人で賑わっていた。家族連れ、友達同士のグループ、そして……カップル。
楽しそうなカップルたちの姿が、やけに目に付く。俺たちも、周りから見たら、あんな風に見えているのだろうか? そう思うと、なんだかむず痒いような、誇らしいような、複雑な気持ちになった。
遊園地のゲートをくぐると、目の前に広がるのは、まさに夢の世界だった。
カラフルな建物、陽気な音楽、キャラクターたちの着ぐるみ、そして、遠くに見えるジェットコースターやお城。非日常的な空間に、否応なくテンションが上がる。
「わあ……! すごいね!」
弥生さんも、目をキラキラさせて、子供のようにはしゃいでいる。その無邪気な姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
「すごいですね……! 何から乗りますか?」
「うーん、どうしようかなあ……。航くん、何か乗りたいのある?」
「いえ、俺は弥生さんに合わせますよ。『取材』なんで!」
ここぞとばかりに、「取材」を強調してみる。
「もう、また『取材』って言うー(笑)」
弥生さんは、楽しそうに俺の腕を軽く叩いた。その仕草も、なんだか自然で、ドキッとしてしまう。
「じゃあさ、まずは、あれに乗らない? 定番だけど!」
弥生さんが指差したのは、メリーゴーランドだった。白馬や華やかな馬車が、オルゴールの音楽に合わせてゆっくりと回っている。
「メリーゴーランド……ですか?」
少し意外な選択だった。もっと、絶叫系とかに行くのかと思っていた。
「うん! なんだか、遊園地に来た!って感じがするじゃない? それに、いきなり絶叫系は、ちょっと心の準備が……(笑)」
弥生さんは、ぺろりと舌を出した。
なるほど。怖がりな弥生さんらしい選択かもしれない。これも、ギャップ萌えポイントだ。
「いいですね! 乗りましょう!」
俺たちは、メリーゴーランドの乗り場へと向かった。幸い、待ち時間はほとんどなかった。
どの馬に乗るか、二人で少し悩む。
「航くんは、やっぱり白馬?」
「えっ、いや、俺は別に……。弥生さんは?」
「うーん、私は、この馬車がいいかな。なんだか、お姫様気分になれそうじゃない?」
弥生さんは、キラキラした装飾の施された、二人乗りの馬車を選んだ。
「じゃあ、俺も、その隣の馬に……」
「えー、せっかくだから、一緒に馬車に乗ろうよ!」
弥生さんが、俺の腕を引いて、馬車に乗り込ませた。
「ええっ!?」
まさか、二人で馬車に乗ることになるとは。しかも、隣同士で。
動き出すメリーゴーランド。ゆっくりと、世界が回り始める。
オルゴールの優しいメロディーが、耳に心地よい。
隣に座る弥生さんとの距離が、近い。肩が触れ合っている。弥生さんの、シャンプーとは違う、甘くて柔らかな香りがする。香水だろうか?
「……なんか、いいね、これ」
弥生さんが、うっとりとした表情で呟いた。
「そうですね……。なんだか、落ち着きますね」
俺も、素直な感想を口にした。絶叫系のようなスリルはないけれど、この、ゆったりとした時間の流れは、悪くない。
「ねえ、航くん」
弥生さんが、こちらを見上げてきた。陽の光を浴びて、その瞳がキラキラと輝いている。
「はい?」
「……今日の『取材』、ちゃんとできてる?」
悪戯っぽく、聞いてくる。
「……は、はい! もちろんです! しっかり、観察させてもらってます!」
俺は、少しどもりながらも、胸を張って答えた。
実際、俺は必死だった。
弥生さんの、楽しそうな笑顔。馬車に揺られる、華奢な体。風に揺れる、ポニーテール。時折、俺に向ける、優しい視線。
その全てを、目に焼き付け、心に刻み込もうとしていた。
これは、最高の「ラブコメ素材」だ。これを、どうやって小説に活かそうか。
『隣に座る彼女は、まるで物語から抜け出してきたお姫様のようだった。メリーゴーランドの優しい光に照らされた横顔は、あまりにも綺麗で、俺はただ、見惚れることしかできなかった。』
『ゆっくりと回る木馬。すぐ隣にある、彼女の温もり。流れるオルゴールの調べ。世界から、俺たち二人だけが切り取られたような、甘美な錯覚。この瞬間が、永遠に続けばいいのに、と願わずにはいられなかった。』
(……いかん。またポエムになってる)
心の中で、自分にツッコミを入れる。どうしても、感情が先行してしまう。
でも、まあ、これも後で修正すればいいか。今は、この瞬間を、全力で楽しもう。そして、感じたことを、正直に記録しよう。
メリーゴーランドが終わり、俺たちは馬車を降りた。
「ふう、楽しかったね!」
「はい、なんだか、童心に返ったみたいでした」
「次はどうする? そろそろ、少しスリルのあるやつ、行ってみる?」
弥生さんが、わくわくした表情で提案してきた。
「いいですね! 何か乗りたいの、ありますか?」
「うーん、あれとかどうかな?」
弥生さんが指差したのは……コーヒーカップだった。
「コーヒーカップ……ですか?」
これもまた、意外な選択だ。スリル、というには、少し違うような……。
「うん! あれ、見た目によらず、結構目が回るんだよ! 思いっきり回したら、スリル満点だよ!」
弥生さんは、自信満々に言った。
(……なるほど。そういう方向性のスリルか)
「分かりました! じゃあ、コーヒーカップ、行きましょう!」
俺たちは、コーヒーカップの乗り場へと向かった。こちらも、待ち時間はそれほど長くないようだ。
二人で、一つのカップに乗り込む。向かい合わせに座る形だ。
動き出すカップ。最初は、ゆっくりと全体が回転しているだけだが、中央にあるハンドルを回すと、自分たちのカップ自体も回転する仕組みだ。
「よーし、回すぞー!」
弥生さんが、嬉々としてハンドルを握った。
「えっ、ちょ、弥生さん!?」
弥生さんは、見た目に反して、意外と力が強いらしい。ハンドルを、ぐんぐんと回し始めた。
カップが、猛烈な勢いで回転し始める。
景色が、ぐるぐると渦を巻いて、目が回りそうだ。
「きゃははは! 早い! 面白い!」
弥生さんは、大声で笑いながら、さらにハンドルを回し続ける。
その無邪気な笑顔は、最高に可愛いのだが……俺は、それどころではなかった。
(……うっ……き、気持ち悪い……)
三半規管が、悲鳴を上げている。視界がぐにゃぐにゃと歪み、胃の中のものが逆流してきそうだ。
「や、弥生さん……! そ、そろそろ、ストップ……!」
情けない声を上げると、弥生さんはようやく手を止めた。
「えー、もう終わり? 航くん、もしかして、三半規管弱い?」
ケラケラと笑いながら、弥生さんが尋ねてくる。
「……は、はい……。昔から、回転系は、ちょっと……」
ぐったりと、カップの壁にもたれかかる。
「あはは、ごめんごめん! ちょっと調子に乗っちゃった」
弥生さんは、悪びれる様子もなく笑っている。
その笑顔は、やっぱり可愛いのだが、今は少しだけ、悪魔のようにも見えた。
(……これも、ギャップ……なのか?)
しっかり者に見えて、意外と容赦がない。そして、人の弱点を全力で楽しむタイプ……?
これは、ヒロインの属性としては、かなり新しいかもしれない。メモ……いや、記憶しておこう。
コーヒーカップが終わり、ふらふらになりながらカップを降りる。
「だ、大丈夫? 航くん。顔色悪いよ?」
さすがに心配になったのか、弥生さんが俺の顔を覗き込んできた。
「だ、大丈夫です……。少し、休めば……」
「ごめんね、本当に。私が悪かった」
弥生さんは、しゅん、とした表情で謝ってきた。その顔を見ると、怒る気も失せてしまう。
「いえ……俺が弱いだけですから……。でも、弥生さんが、あんなに楽しそうだったんで、良かったです」
強がって、笑顔を作ってみせる。
「……もう。航くんって、優しいんだから」
弥生さんは、そう言うと、ふい、と顔を背けた。その耳が、また少し赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
「……よし! じゃあ、次は、私が航くんを楽しませる番だね!」
弥生さんが、気を取り直したように、パン、と手を叩いた。
「え?」
「次は、絶叫系、行ってみない?」
弥生さんは、目を輝かせて、園内で一番大きなジェットコースターを指差した。
「……あれ、弥生さん、絶叫系、大丈夫なんですか? 怖がりだって……」
「うーん、実はね……」
弥生さんは、人差し指を唇に当てて、内緒話をするように声を潜めた。
「……怖いんだけど、好きなの」
「えっ?」
「怖くて、キャーキャー叫びながら乗るのが、好きなの。ストレス発散になるっていうか……。変かな?」
「い、いえ! 全然変じゃないです! ……なるほど、そういうタイプなんですね」
これもまた、新たなギャップだ。怖がりだけど、絶叫系が好き。面白い。
「じゃあ、決まりね! ジェットコースター、行こう!」
弥生さんは、今度は俺の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張っていく。その小さな体からは想像もつかないような力強さだ。
「ちょ、弥生さん、待って……!」
俺は、まだ少し残る目眩と戦いながら、弥生さんに引きずられるようにして、ジェットコースターの乗り場へと向かうのだった。
果たして、俺は無事に生還できるのだろうか。そして、このジェットコースターのようなデート(取材)は、俺たちの関係をどこへ連れて行くのだろうか。
期待と、一抹の不安を胸に、俺たちの遊園地での一日は、まだ始まったばかりだった。