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第四話:初めてのアドバイスと、見えた光明

桜井弥生さん――弥生さんと連絡先を交換してから、三日が過ぎた。

週末を挟んだ月曜日。俺の日常は、表面上は何も変わらない。朝起きて、学校へ行き、授業を受け、放課後を迎える。健太は相変わらずだし、美咲も通常運転だ。


だが、俺のポケットの中のスマホは、もはやただの通信機器ではなかった。それは、弥生さんという、特別な存在と繋がるための魔法のアイテムと化していた。


金曜日の夜、家に帰ってからというもの、俺はスマホの画面とにらめっこする時間が増えた。弥生さんに、どんなメッセージを送るべきか。その一点で、軽く二時間は悩んだと思う。


『今日はありがとうございました! また図書館でお会いできて嬉しかったです!』

(……堅すぎるか? でも、最初の挨拶としては無難か?)


『弥生さん、早速ですが相談に乗ってほしいことが……!』

(……いや、これはダメだ。がっつきすぎてる。下心が見え見えだ)


『弥生さんって、普段何してるんですか? 休みの日は何してるんですか? 彼氏はいるんですか?』

(……論外だ。完全に不審者だ。ブロックされても文句は言えない)


結局、散々悩んだ末に送ったのは、こんな当たり障りのないメッセージだった。


『弥生さん、こんばんは。航です。今日はありがとうございました。連絡先交換できて、すごく嬉しかったです。』


送信ボタンを押す指が、震えた。既読が付くまでの数分間が、永遠のように長く感じられた。もし返信が来なかったらどうしよう。やっぱり迷惑だったんじゃないか。そんな不安が頭をよぎる。


ピコン、と通知音が鳴ったのは、それから十分ほど経った頃だった。慌てて画面を確認する。


『航くん、こんばんは! こちらこそ、今日はありがとうね。私も航くんとまた話せて嬉しかったよ(^-^)』


返信が来た! しかも、顔文字付き!

(やった……!)

思わず、ガッツポーズが出た。隣の部屋で美咲が「うるさい!」と壁を叩く音が聞こえたが、そんなことはどうでもよかった。


『早速だけど、航くんが書いてるラブコメ、どんなお話なのかすごく気になるなー。もしよかったら、少しだけでも読ませてもらえないかな? 無理にとは言わないけど!』


……読みたい、だと!?

俺の、あの、まだ書きかけの、拙い小説を?


嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。でも、同時に、猛烈な不安と羞恥心が襲ってきた。

あんなものを、弥生さんに読ませるなんて……。幻滅されるんじゃないか?「なんだ、この程度か」って、呆れられるんじゃないか?


でも、弥生さんは言ってくれた。「読んでみたい」と。その言葉を、無下にはしたくない。それに、読んでもらって、感想やアドバイスをもらえたら、それは俺にとって、とてつもなく大きな前進になるはずだ。


(……よし。覚悟を決めよう)


『えっ、本当ですか!? めちゃくちゃ嬉しいですけど、まだ全然完成してなくて、お見せできるようなものじゃ……。でも、もし弥生さんがそれでもいいって言うなら……』


『もちろん! 全然気にしないよ。むしろ、書きかけのものを読めるなんて、ちょっとワクワクするかも(笑)』


弥生さんの返信は、いつも俺の不安を軽々と吹き飛ばしてくれる。この、どこまでも肯定的なスタンス。太陽みたいだ、と思った。


『じゃあ……お言葉に甘えて……。今書いている、冒頭の部分だけですけど、送ってもいいですか?』

『うん! 楽しみにしてるね!』


俺は、PCに向かい、ここ数日かけて書き直した「雨のバス停」のシーンをテキストファイルにコピーした。文字数にして、約五千字。我ながら、よくここまで書けたものだと思う。もちろん、まだまだ納得のいく出来ではない。誤字脱字だってあるかもしれない。


それでも、今の俺の全力だった。

これを、弥生さんに送る。


深呼吸をして、メッセージアプリのファイル添付ボタンを押す。送信。

……送ってしまった。


途端に、猛烈な後悔が襲ってきた。

やっぱり、送るべきじゃなかったんじゃないか? もっと完成度を高めてからにすべきだったんじゃないか?

ああ、でも、もう遅い。


スマホを放り出し、ベッドに倒れ込む。心臓がバクバクしている。どんな感想が返ってくるのか、怖くて仕方がない。


(……もし、ダメ出しされたら、立ち直れないかもしれない)


いや、ダメだ。弱気になるな。

弥生さんは、きっと優しい言葉をかけてくれるはずだ。それに、もし厳しい指摘があったとしても、それは俺のためを思ってのことだ。真摯に受け止めなければ。


そう自分に言い聞かせながら、天井を見つめて返信を待つ。一分が、一時間に感じる。


ピコン。


通知音に、ビクッと体が跳ねた。

恐る恐る、スマホを手に取る。弥生さんからのメッセージだ。


『読んだよ!』


……読んだ? もう? 五千字あったはずなのに。読むの早くないか?

それとも、ざっと流し読みされただけ……?


不安になりながら、続きを読む。


『すごい……! すごく良かったよ、航くん!』


……え?

良かった? すごく?


『まず、文章がすごく丁寧で、情景が目に浮かぶようだった。雨の描写とか、バス停の雰囲気とか、すごくリアルに感じられたよ。』

『それに、主人公の航くん(名前、同じなんだね!笑)の心情が、すごく繊細に描かれてるなって思った。弥生さん(こっちも同じ!笑)と出会った時の、あのドキドキ感とか、戸惑いとか、すごく伝わってきたよ。「秘密の扉が開かれたような感覚」っていう表現、すごく素敵だなって思った。』


……褒められてる?

めちゃくちゃ褒められてる!?


信じられない気持ちで、何度もメッセージを読み返す。誤字じゃないよな? 俺の幻覚じゃないよな?


『特に、二人の会話シーンがすごく良かった! ラブコメ好きっていう共通点から、自然に話が弾んでいく感じとか、それぞれのキャラクターの個性が出てる感じとか、すごくリアルで、読んでてキュンとしたよ(〃ω〃)』


キュンとした、とまで書かれている。あの、弥生さんが? 俺の書いた小説で?


(……うわあああああ!)


嬉しすぎて、ベッドの上で意味もなく転がり回ってしまった。また壁ドンされたが、気にしない。

最高だ。最高すぎる。今まで、誰にも見せたことのなかった自分の作品を、憧れの人に読んでもらって、こんなに褒めてもらえるなんて。小説家を目指してきて、一番嬉しい瞬間かもしれない。


『もちろん、まだ冒頭だから、これからどうなるのか分からないけど、すごく続きが気になる! 早く完成版が読みたいなー! なんて、プレッシャーかけちゃったらごめんね(^_^;)』


プレッシャーなんて、とんでもない。むしろ、モチベーションが爆上がりだ。今すぐにでも続きを書きたい。


『でも、一つだけ、もしアドバイスするとしたら……だけど』


……きた。

アドバイス。

褒められた後だから、少しだけ身構えてしまう。どんな指摘だろうか。


『弥生さんのキャラクターについて、もう少しだけ深掘りできると、もっと魅力的になるかなって思ったんだ』

『え?』


『今のままでも、すごく素敵なヒロインだと思うんだけど、少しだけ「理想のお姉さん」すぎるかなって。航くんから見た弥生さんは、きっと知的で、綺麗で、優しい、完璧な存在に見えるんだろうけど、実際の弥生さん(つまり、私ね!笑)は、そんなに完璧じゃないからさ(笑)』


弥生さんが、完璧じゃない?

俺から見たら、どこからどう見ても完璧なのだが。


『例えば、弥生さんにも、何か苦手なこととか、コンプレックスとか、あるいは、ちょっと意外な一面とかがあると、もっと人間味が出て、読者も感情移入しやすくなるんじゃないかなって。』

『航くんとの関係においても、ただ優しいだけじゃなくて、時々、ちょっと意地悪なことを言ってみたり、逆に、航くんの前でだけ弱い部分を見せたり……そういうギャップがあると、もっとキュンとすると思うんだよね』


ギャップ……。

なるほど。確かに、俺の書いた弥生さん(仮)は、ただただ優しくて、包容力があって、主人公を導いてくれる女神のような存在になっていたかもしれない。それは、俺自身の、弥生さんに対する理想像が反映されすぎていたからだろう。


(弥生さんの、意外な一面……か)


どんな一面があるんだろう。

あの落ち着いた雰囲気からは想像もつかないけれど。

もしかしたら、方向音痴だったり? 料理が苦手だったり? あるいは、実は大食いだったり?


想像してみると、なんだか面白い。

そして、もし本当にそんな一面があったとしたら……確かに、もっと親近感が湧くし、愛おしく思えるかもしれない。


『……なるほど。確かに、そうかもしれません。俺、弥生さんのことを、ちょっと美化しすぎてたかもしれません』

素直な感想を送った。


『ふふ、そんなことないよ。航くんにとって、私はそういう風に見えてるんだなって思うと、ちょっと嬉しいけどね(〃ω〃) でも、小説のヒロインとしては、もう少し「隙」があった方が、魅力的かなって思っただけだから。気に障ったらごめんね』

『いえ! 全然! めちゃくちゃ参考になりました! ありがとうございます!』


本当に、心の底からそう思った。

ただ褒めるだけじゃなく、的確で、しかも押し付けがましくないアドバイス。すごい。弥生さん、やっぱりただ者じゃない。


『どういたしまして。少しでも航くんの力になれたなら嬉しいな。またいつでも、書いてるもの送ってきてね。感想言うの、すごく楽しいから!』

『はい! 是非お願いします!』


このやり取りの後、俺は完全に舞い上がっていた。

弥生さんという、最高の読者であり、最高の批評家を得たのだ。これほど心強いことはない。


(もっと書きたい! もっと弥生さんに読んでもらいたい! そして、もっと褒められたい!)


不純な動機かもしれないが、それでも構わない。今の俺にとって、それは何よりの原動力だった。



それからの俺は、文字通り、寝る間も惜しんで執筆に没頭した。

と言っても、物理的に寝る間を惜しんだわけではない。高校生の本分は学業だ(と、建前上は思っている)。ちゃんと睡眠時間は確保している。

だが、授業中も、休み時間も、通学の電車の中でも、頭の中は常に小説のことでいっぱいだった。


弥生さんにもらったアドバイス。「ヒロインのギャップ」。

これをどう表現するか。


まずは、弥生さん本人を観察することから始めた。……いや、ストーカー的な意味ではなく。メッセージのやり取りの中で、彼女の「意外な一面」を探ろうとしたのだ。


週末、俺は思い切って弥生さんにこんなメッセージを送ってみた。

『弥生さん、今週末って何か予定ありますか?』

(よし、送った! デートの誘い……ではない! 断じて違う! これは、取材だ! 小説のための!)

自分に言い聞かせる。


すぐに返信が来た。

『うーん、土曜日は友達と買い物に行くけど、日曜日は特に予定ないかな。どうしたの?』


(日曜日、空いてる!)

チャンスだ。


『もし、ご迷惑じゃなければなんですけど……。小説のことで、また少し相談したいことがあって……。少しだけ、お時間いただけませんか? 例えば、お茶でもしながら……とか』

(……これ、完全にデートの誘い文句じゃないか!? いや、違う、これは取材だ、取材……!)

心の中で葛藤する。


『お茶? いいね! 日曜日、ちょうど私も暇してたから、ぜひ! どこかいいカフェ知ってる?』


……OKが出た! しかも、乗り気っぽい!

(やったあああああ!)

思わず、声に出して叫びそうになるのを堪える。


カフェ……。どこがいいだろうか。

俺は、普段カフェなんてほとんど行かない。健太とたまにファミレスに入るくらいだ。

弥生さんみたいな、おしゃれな大人の女性が好みそうなカフェ……。


ネットで「〇〇駅 カフェ おしゃれ」などと検索してみる。

いくつか候補が出てきた。

駅前のチェーン店は、ちょっと味気ないか。

かといって、隠れ家的な個人経営の店は、俺一人では入る勇気がない。


悩んだ末、俺はある場所を思い出した。

市立図書館の近くにある、小さなカフェ。名前は確か、「カフェ 木漏れ日」。

外観は少しレトロで、蔦の絡まる壁が印象的だ。いつも前を通りかかるだけで、入ったことはなかったが、なんとなく落ち着いた雰囲気を感じていた。図書館帰りであろう、弥生さんくらいの年齢の女性客もよく見かける気がする。


『図書館の近くに、「木漏れ日」っていうカフェがあるんですけど、そこはどうですか? 行ったことないんですけど、雰囲気が良さそうかなって……』

『ああ、木漏れ日さん! 私も行ったことないけど、気になってたんだよね! いいね、そこにしようか! じゃあ、日曜日の……午後二時くらいに、お店の前で待ち合わせでどうかな?』

『はい! 大丈夫です! 楽しみにしています!』


……約束、してしまった。

弥生さんと、二人きりで、カフェでお茶をする。

これは、もう、デートと言っても差し支えないのではないだろうか? いや、だから、取材なんだってば。


とにかく、日曜日が待ち遠しくて仕方がなかった。

同時に、猛烈な不安も襲ってきた。

何を話せばいい? どんな服を着ていけばいい? カフェでのマナーとか、大丈夫だろうか?

そもそも、相談したい「小説のこと」って、具体的に何を相談するんだ?


(そうだ、相談内容をちゃんと考えておかないと)


弥生さん(仮)のギャップについて、もっと具体的なアイデアが欲しい。

弥生さん本人に、それとなく聞いてみるのが一番だろう。


『弥生さんって、何か苦手なこととかありますか?』

(……いや、これはストレートすぎるか?)


『弥生さんの意外な一面って、どんなところだと思いますか?(友人談)』

(……回りくどいな)


うーん、難しい。

自然な会話の流れで、聞き出すしかないか。


そんなことを考えながら、迎えた日曜日。

俺は、約束の時間の一時間も前に家を出て、クローゼットの前で仁王立ちしていた。

服。何を着ていけばいいんだ。


制服は論外だ。いくら日曜日とはいえ、高校生感丸出しすぎる。

かといって、私服も、Tシャツにジーパン、パーカーくらいしか持っていない。どれもこれも、ヨレヨレだったり、色褪せていたり……。


(……やばい。まともな服が、一着もない)


健太みたいに、おしゃれに気を遣ってこなかったツケが、今になって回ってきた。

どうしよう。このままじゃ、弥生さんに幻滅されてしまうかもしれない。


焦りながらクローゼットを漁っていると、奥の方から、一枚のシャツが出てきた。

白地に、細い紺色のストライプが入った、ボタンダウンのシャツ。これは……確か、去年の誕生日に、母さんが買ってくれたものだ。一度も着ていない。なんとなく、自分には似合わない気がして。


恐る恐る、袖を通してみる。

鏡に映った自分は……うん、まあ、いつもよりは、多少マシに見えるかもしれない。少なくとも、ヨレヨレのTシャツよりは清潔感がある。

これに、黒いチノパンを合わせれば……なんとか、形にはなるか?


(……よし。これで行こう)


髪も、寝癖を直して、少しだけワックスをつけてみる。普段はやらないことだ。鏡の中の自分が、なんだか別人みたいで落ち着かない。


(大丈夫か、俺……。完全に浮かれてるじゃないか……)


自覚は、あった。これはもう、ただの「取材」ではない。完全に、弥生さんとの「デート」を意識している。

でも、仕方ないじゃないか。好きな人と、二人きりで会えるのだ。浮かれるなという方が無理だ。


……ん?

今、俺、「好きな人」って言ったか?


(……いやいやいや、違う。憧れの人、だ。尊敬する、年上のお姉さん)


必死で自分に言い聞かせる。

でも、胸の高鳴りは、嘘をつけない。


約束の十五分前。俺は「カフェ 木漏れ日」の前に到着した。

レンガ造りの壁に、緑の蔦。丸い窓には、レースのカーテンがかかっている。思った通り、落ち着いた、素敵な雰囲気のカフェだ。


店の前で待っていると、数分して、弥生さんがやってきた。

「航くん、お待たせ!」

今日の弥生さんは、淡いラベンダー色のワンピースを着ていた。白いカーディガンを羽織り、小さなショルダーバッグを肩にかけている。髪は緩く巻かれていて、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。


(……綺麗だ)


思わず、見惚れてしまった。

いつも綺麗だとは思っていたけれど、今日の弥生さんは、なんだか特別に輝いて見えた。


「ううん、俺も今来たとこです。……あの、今日の服、すごく似合ってますね」

思ったことが、つい口から出てしまった。

弥生さんは、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに頬を染めた。


「……ありがと。航くんも、そのシャツ、すごく似合ってるよ。いつもと雰囲気違うね」

「えっ、そ、そうですか!?」

褒められた!? 俺が!?

しかも、弥生さんに!?

嬉しすぎて、顔が熱くなるのが分かった。


「さ、入ろっか」

弥生さんは、少し照れたように俯きながら、カフェのドアを開けた。


店内は、外観のイメージ通り、アンティーク調の家具で統一された、落ち着いた空間だった。壁には風景画が飾られ、小さなテーブルには可愛らしい花が一輪挿しに生けられている。窓際の席からは、通りの緑が見えた。


俺たちは、窓際の二人掛けのテーブル席に案内された。

メニューを開くと、コーヒーや紅茶の種類が豊富で、手作りのケーキやスコーンも美味しそうだ。


「どうしようかな……。ケーキも食べたいけど……」

弥生さんは、真剣な表情でメニューとにらめっこしている。その横顔が、なんだか可愛らしい。

「俺は……アイスコーヒーにしようかな」

「あ、じゃあ私もそうしよっと。あと、この……ベイクドチーズケーキも」

結局、ケーキも頼むようだ。意外と、甘いものが好きなのかもしれない。これも、一つの「ギャップ」だろうか。


注文を終えると、少しだけ沈黙が訪れた。

何を話そう。まずは、お礼からか。

「あの、弥生さん。今日は、時間作ってくれて、本当にありがとうございます」

「ううん、どういたしまして。私も、航くんとこうやって話せるの、楽しみにしてたから」

弥生さんは、にっこりと微笑んだ。その笑顔に、また心臓がドキリとする。


「それで、相談したいことって?」

弥生さんが、本題を切り出してくれた。

「あ、はい。えっと……この前、アドバイスいただいた、ヒロインのギャップについてなんですけど……」

俺は、ここぞとばかりに、考えてきたことを話し始めた。

「弥生さん(仮)に、もっと人間味を持たせるために、何か弱点とか、意外な一面を設定したいんですけど、なかなかいいアイデアが浮かばなくて……。弥生さんご自身は、何か『私、実はこういうところあるんだよね』みたいなのって、あったりしますか……?」

恐る恐る、核心に迫る質問をしてみる。


弥生さんは、一瞬、きょとんとした顔をした。

「え? 私の弱点?」

「あ、いえ、もし差し支えなければ、で……! もちろん、言いたくなければ全然……!」

慌てて付け加える。やっぱり、失礼な質問だっただろうか。


すると、弥生さんは、くすくすと笑い出した。

「ふふ、航くん、面白いこと聞くね」

「す、すみません……」

「ううん、いいよ。えーっと、私の弱点かぁ……。なんだろうな……」

弥生さんは、少し考えるように、人差し指を顎に当てた。その仕草も絵になる。


「……たくさんありすぎて、どれから話そうかな(笑)」

「えっ」

意外な答えだった。完璧に見える弥生さんに、弱点がたくさん?


「例えばね……私、ものすごく方向音痴なんだよね」

「ええっ!?」

思わず、大きな声が出てしまった。

あの、しっかり者に見える弥生さんが、方向音痴?


「そうなの。地図アプリ使っても迷うくらい。この前も、友達と待ち合わせしてたんだけど、全然違う場所に行っちゃって、めちゃくちゃ怒られたんだよね……」

弥生さんは、少し恥ずかしそうに、ぺろりと舌を出した。

「……なんだか、意外です」

「でしょ? よく言われる。しっかりしてそうに見えるらしいんだけど、中身は結構ポンコツなんだよ、私」


ポンコツ……。

弥生さんの口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。

でも、その告白が、なんだかすごく……人間らしくて、親近感が湧いた。そして、少しだけ、可愛いと思ってしまった。


「あとはね……実は、ホラーとか、お化け屋敷とか、そういうのが全然ダメなんだよね」

「え、そうなんですか?」

「うん。映画とかも、ちょっと怖いシーンがあると、すぐに目ぇ瞑っちゃうし、お化け屋敷なんて、入る前から泣いちゃうかも……」

「……それも、意外です」

「あとね、あとね……」


弥生さんは、堰を切ったように、自分の「弱点」や「意外な一面」を話し始めた。

料理は好きだけど、なぜか必ず何かを焦がしてしまうこと。

可愛いぬいぐるみを見ると、つい集めてしまうこと。

感動系の映画を見ると、人目も憚らず号泣してしまうこと。

実は、結構な人見知りで、初対面の人と話すのは苦手なこと(「航くんとは、不思議と話しやすかったけどね」と付け加えてくれた)。


話を聞いているうちに、俺の中の「桜井弥生」像が、どんどん変わっていくのを感じた。

完璧な、手の届かないお姉さん、ではなかった。

ドジなところも、怖がりなところも、可愛いものが好きなところも、人見知りなところもある、一人の、等身大の女性。


そして、その「ギャップ」を知るたびに、俺は、ますます弥生さんに惹かれていくのを感じていた。


(……すごい。弥生さんの言う通りだ。ギャップって、こんなにも人を魅力的に見せるんだな)


これは、絶対に小説に活かせる。

弥生さん(仮)にも、方向音痴で、怖がりで、ぬいぐるみが好きで……そんな設定を加えてみよう。きっと、もっと生き生きとした、愛されるヒロインになるはずだ。


「……ふう。なんだか、自分のダメなとこばっかり話しちゃったな。航くん、引かなかった?」

一通り話し終えた弥生さんが、少し不安そうに尋ねた。

「いえ! 全然! むしろ、すごく……魅力的だなって思いました!」

素直な気持ちを伝えると、弥生さんは、また嬉しそうに頬を染めた。


ちょうどその時、注文したアイスコーヒーとチーズケーキが運ばれてきた。

「わあ、美味しそう!」

弥生さんは、目を輝かせてチーズケーキを見つめている。本当に、甘いものが好きなんだな。


「いただきます」

二人で手を合わせ、まずはアイスコーヒーを一口。うん、美味しい。すっきりとした苦味が、火照った体に心地よかった。

そして、弥生さんは、早速チーズケーキにフォークを入れた。

「んー! 美味しい!」

幸せそうな顔で、ケーキを頬張っている。その無邪気な表情を見ていると、こちらまで幸せな気分になってくる。


(……この瞬間も、小説に書けるかもしれない)

『ヒロインが、美味しそうにケーキを食べる姿を見て、主人公は思わず頬が緩む』……みたいな。


そんなことを考えていると、弥生さんが顔を上げた。

「あ、そうだ。航くんの小説、あの後、少しは進んだ?」

「あ、はい! おかげさまで、バス停のシーンは、なんとか形になりました!」

「本当? すごい! ねえ、もしよかったら、今、ここで読ませてもらってもいい?」

「えっ、今、ここでですか!?」

それは、さすがに恥ずかしい。周りにお客さんもいるし。


「ダメかな……? やっぱり、恥ずかしい?」

弥生さんが、少ししょんぼりとした顔をする。子犬のような、上目遣い。

……これは、反則だ。断れるわけがない。


「……い、いえ! 大丈夫です! 読みますか!?」

「やった! ありがとう!」

弥生さんは、パッと顔を輝かせた。


俺は、リュックからノートPCを取り出した。カフェでPCを開くなんて、なんだかデキるビジネスマンみたいで、少しだけ気恥ずかしい。

テキストエディタを起動し、例のファイルを開く。


「どうぞ……。でも、あんまりジロジロ見られると、緊張するんで……」

「うん、分かってる。こっそり読むから」

弥生さんは、いたずらっぽく笑って、俺の隣に少しだけ身を寄せた。

近い。また、あの甘い香りがする。心臓が、うるさいくらいに鳴っている。


弥生さんは、真剣な表情で、画面に映し出された俺の文章を追い始めた。

時折、「ふふっ」と小さく笑ったり、「うんうん」と頷いたりしている。

その反応一つ一つに、俺は一喜一憂してしまう。


五千字ほどの文章を、弥生さんはゆっくりと、丁寧に読んでくれた。

そして、読み終えると、ふう、と一つ息をついて、顔を上げた。


「……航くん、すごいよ」

開口一番、そう言ってくれた。

「え?」

「この前読ませてもらった時より、格段に良くなってる。特に、弥生さん(仮)の描写が、すごく魅力的になったと思う」


弥生さんは、具体的に、どこがどう良かったのかを、一つ一つ挙げてくれた。

俺が苦心して書き直した、笑顔の描写。

会話の中で見え隠れする、キャラクターの個性。

そして、今回新たに追加した、弥生さん(仮)のちょっとしたドジな一面(バス停で、傘を差そうとして思いっきり自分に雨水をかけてしまう、というシーンを入れてみた)。


「この、傘で失敗しちゃうとことか、すごく可愛かった! 『しっかりしてそうに見えて、意外とポンコツ』っていうギャップが、すごく効いてると思う」

「……あ、ありがとうございます」

弥生さん本人に褒められるのは、なんだか不思議な気分だったが、素直に嬉しかった。


「本当に、才能あると思うよ、航くん」

弥生さんは、真っ直ぐに俺の目を見て言った。

「いえ、そんな……弥生さんのアドバイスのおかげです」

「ううん、アドバイスはきっかけかもしれないけど、それをちゃんと自分のものにして、ここまで書けるのは、航くん自身の力だよ。自信持っていいと思う」


自信……。

今まで、一番自分に欠けていたものかもしれない。

弥生さんの言葉が、乾いた心に、じんわりと染み渡っていく。


(……もっと、書きたい。もっと、弥生さんに読んでもらいたい)


その思いが、さらに強くなった。

弥生さんという女神が、俺に光明を与えてくれたのだ。この光を頼りに、俺はもっと先へ進めるはずだ。


その後も、俺たちは色々な話をした。

弥生さんの大学での話。俺の学校での話。好きな本や映画の話。

話せば話すほど、弥生さんのことをもっと知りたくなったし、俺自身のことも、もっと知ってもらいたいと思った。


時間はあっという間に過ぎて、気づけば窓の外は夕暮れに染まっていた。

「わ、もうこんな時間だね」

弥生さんが、名残惜しそうに言った。

「本当ですね……。あっという間でした」

「うん。すごく楽しかった。ありがとうね、航くん」

「こちらこそ、ありがとうございました!」


俺たちはカフェを出て、駅までの道を並んで歩いた。

夕暮れの風が心地よかった。隣を歩く弥生さんの横顔を、ちらりと盗み見る。綺麗だ、と思った。


駅の改札前で、俺たちは立ち止まった。

「じゃあ、ここで」

「はい。今日は、本当にありがとうございました」

「ううん。また、いつでも相談してね。完成したら、絶対に読ませてね」

「はい!」


「……じゃあ、またね」

「はい、また……!」


弥生さんは、小さく手を振って、改札の中へと消えていった。

その姿が見えなくなるまで、俺はずっと見送っていた。


(……最高の、一日だった)


胸の中が、温かいもので満たされている。

小説家への道は、まだ遠いかもしれない。

でも、確かな手応えと、そして、大きな希望を感じることができた。


弥生さんという、創作の女神。

いや、もしかしたら、それ以上の存在になりつつあるのかもしれない、特別な人。


彼女との出会いが、俺の人生を、そして俺の物語を、大きく変えようとしていた。

その予感に、胸を高鳴らせながら、俺は家路についた。


ポケットの中のスマホが、軽く震えた。

弥生さんからのメッセージだった。


『今日はありがとう! すごく楽しかったよ(^-^) 航くんの小説、本当に楽しみにしてるね! P.S. チーズケーキ、めちゃくちゃ美味しかった! また行きたいな♪』


そのメッセージを何度も読み返しながら、俺の顔は、きっと、自分でも気づかないうちに、緩みきっていたに違いない。

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