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第十一話:夕暮れの観覧車

『……あそこの、観覧車……一緒に、乗ってみない?』

『……ラブコメの、王道だし……。きっと、最高の『取材』の、締めくくりに、なると思うから……』


お化け屋敷の恐怖と興奮がまだ冷めやらぬ中、夕暮れのベンチで交わされた弥生さんからの、あまりにも核心を突いた提案。観覧車への誘い。それは、俺の耳には、まるで運命の鐘の音のように響いた。またしても「取材」という、もはや形骸化した言葉をエクスキューズにしてはいたけれど、その声に含まれた微かな震えと、俺の目を真っ直ぐに見つめる真剣な眼差しは、これが彼女にとっても、単なる思いつきではないことを物語っていた。それは、ある種の覚悟のようなものさえ感じさせた。


「……はい! 是非……!」


俺の声は、自分でも驚くほど大きく、そして情けないほど上擦っていた。しかし、そこに込められた感情は、紛れもなく本物だった。行きたい。いや、行かなければならない。この流れを、止めてはいけない。断るという選択肢は、もはや俺の中には存在しなかった。


俺の返事を聞いた瞬間、弥生さんの表情が、まるで硬い蕾がふわりと開くように、安堵と喜びの色に染まった。

「……良かった! じゃあ、行こっか!」

その笑顔は、今日一日で見たどの笑顔よりも輝いて見え、俺の心臓は幸福感と期待感で、今にも張り裂けそうだった。まるで、ジェットコースターの頂点に達した時のような、強烈な浮遊感が全身を包む。


ベンチから立ち上がり、俺たちは、光の魔法にかかったような夕暮れの遊園地を、その象徴である巨大な観覧車へと向かって歩き出した。空は刻一刻と表情を変え、燃えるようなオレンジ色から深いインディゴブルーへと移り変わっていく。一番星が、まるで俺たちの行く末を見守るかのように、控えめに瞬き始めていた。園内のあちこちで、色とりどりのイルミネーションが点灯し、昼間の喧騒とは違う、幻想的でロマンチックな雰囲気が、あたり一帯を支配し始めていた。


その光景の中を歩いていると、まるで自分たちが物語の主人公にでもなったかのような錯覚に陥る。周りの楽しげな音楽や人々の笑い声は、不思議と遠くに聞こえ、聞こえてくるのは、すぐ隣を歩く弥生さんの、規則正しい呼吸音と、時折、風に彼女の髪が揺れて衣擦れする、か細い音だけ。世界から、俺たち二人だけが切り取られたような、そんな感覚。


弥生さんの横顔は、様々な色のイルミネーションの光を受けて、見る角度によって、まるで万華鏡のように表情を変える。楽しそうに目を輝かせたかと思えば、ふと真剣な眼差しで遠くを見つめたり、あるいは、何かを考え込むように、小さく唇を結んだり。その一つ一つの変化から、目が離せない。綺麗だ、と思う。そして、同時に、どうしようもなく、胸が締め付けられるほど愛おしい、と感じている自分に気づく。


俺たちの間に流れる空気も、昼間とは明らかに質が異なっていた。友達同士のような、あるいは「取材」相手としての、どこか気軽で、遠慮のある雰囲気は薄れ、代わりに、もっとパーソナルで、親密で、そして、何か大きな転換点が近づいていることを予感させるような、甘美で張り詰めた緊張感が漂っている。それは、決して不快なものではなく、むしろ、この状況をより特別なものにしている、心地よいスパイスのようでもあった。


(……観覧車)


ラブコメにおける、最終兵器。約束の場所。聖地。

二人きりになることを運命づけられた、天空の密室。ゆっくりと移り変わる絶景。地上から隔離された、限られた時間。

そこで、何かが起こらない方が不自然だ。そう期待してしまうのは、もはやラブコメ脳の呪いかもしれない。


もちろん、「取材」という本来の目的(と、今ではほとんど言い訳になっている大義名分)も、忘れてはいない。この、究極とも言えるシチュエーションで、主人公とヒロインはどのような心理状態に陥るのか。どんな些細な言葉や仕草が、互いの心を揺さぶるのか。どんな景色が、二人の感情を高ぶらせるのか。それを、この五感すべてを使って体験し、脳裏に、心に、深く刻み込むのだ。最高のクライマックスシーンを描き上げるために。


だが、今の俺にとって、それはもはや第二、第三の目的でしかないのかもしれない。

一番の願いは、ただ、弥生さんと二人きりで、あのゴンドラに乗りたい。そして、この特別な時間を、一秒でも長く共有したい。願わくば……この、もどかしくて、でも愛おしい曖昧な関係に、何か少しでもいい、確かな光が差し込んでくれればいい、と。そんな、淡く、しかし切実な期待を抱いてしまっているのだ。


やがて、光り輝く巨大な観覧車の乗り場へと到着した。やはり、夕暮れから夜景へと移り変わるこの時間帯は一番の人気らしく、乗り場にはすでに長い列ができていた。様々な人々が、それぞれの想いを胸に、空への旅立ちを待っている。楽しそうに寄り添うカップル、記念写真を撮る家族連れ、友達同士でこれから始まる景色に胸をときめかせているグループ……。その誰もが、どこか浮き足立っているように見える。


「わあ……やっぱり混んでるね。でも、この時間帯が一番綺麗だろうから、仕方ないか」

弥生さんが、少し残念そうに、でも納得したように言った。

「そうですね。でも、待ち時間も、『取材』のうち、ですから」

俺は、さっき弥生さんが言った言葉を、少しだけ真似て返してみた。

「もう、航くんまで!(笑)」

弥生さんは、楽しそうに笑って、俺の肩を軽く叩いた。その仕草が、昼間よりもずっと自然で、親密に感じられて、俺の心臓がまた一つ、大きな音を立てた。


列に並び、ゆっくりと進むのを待つ間、俺たちの間には、またしても、どこかぎこちない沈黙が訪れた。周りの喧騒とは裏腹に、俺たちの周りだけ、時間がゆっくりと流れているような感覚。何を話せばいいのか、言葉が見つからない。いや、むしろ、言葉を探すこと自体が、この特別な空気感を壊してしまうような気がして、躊躇われたのかもしれない。


俺は、ただ、ゆっくりと回転を続ける観覧車の、色とりどりのゴンドラを目で追っていた。一つ一つに、異なる色の光が灯されている。赤、青、緑、黄色、そして、ひときわ目を引く、ハートマークが描かれたピンク色のゴンドラ。あれは、きっとカップル向けの「ラブラブゴンドラ」的なやつだろう。まさか、俺たちがアレに乗ることになったりしないよな……? いや、でも、もしそうなったら……。そんな、くだらない妄想をしてしまう。


隣に立つ弥生さんも、黙って観覧車を見上げていた。その横顔は、様々な色のイルミネーションに照らされて、どこか儚げで、美しかった。何を考えているのだろう。俺と同じように、これから始まる時間に、期待と不安を感じているのだろうか。それとも、全く別のことを考えているのだろうか。彼女の心の中を覗いてみたい、という衝動に駆られるが、もちろんそんなことはできない。


「……綺麗だね」


沈黙を破ったのは、またしても弥生さんの、囁くような声だった。

「え?」

「……観覧車。下から見上げても、こんなに綺麗なんだね。一つ一つの光が、星みたい」

「……はい。本当に……星空が地上に降りてきたみたいですね」

俺も、素直な感想を口にした。ライトアップされた観覧車は、まるで巨大な光のアート作品のようだった。


「……あのゴンドラが、一番上まで行ったら、どんな景色が見えるんだろうね。きっと、世界が全部、キラキラして見えるんだろうな」

弥生さんの声には、子供のような純粋な好奇心と、同時に、何かに対する憧憬のような響きが混じっているように聞こえた。

「きっと、そうですね。遊園地の光も、街の明かりも、空の星も……全部、俺たちのものになる、みたいな」

俺も、少しだけ詩的な表現を使ってみる。弥生さんは、少し驚いたように俺を見て、それから、ふふっ、と小さく笑った。

「航くん、詩人みたいだね」

「えっ!? い、いえ、そんな……!」

照れて否定するが、弥生さんが笑ってくれたことが、なんだか嬉しかった。


そんな短い会話をきっかけに、俺たちの間の空気は、少しだけ和らいだ気がした。順番を待つ間、俺たちは、昼間の出来事を振り返ったり、弥生さんの大学の話の続きを聞いたり、あるいは、ただ黙って、周りのカップルを観察して「あの二人、絶対付き合いたてだよね」「あっちのカップルは、なんか倦怠期っぽい?」などと、勝手な分析をしてくすくす笑い合ったりしていた。それは、とても穏やかで、心地よい時間だった。


そして、長いようで短かった待ち時間が終わり、ついに俺たちの番がやってきた。

係員に誘導され、ゆっくりと近づいてきたゴンドラへと足を踏み入れる。それは……幸か不幸か、例のハートマーク付きのピンク色のゴンドラではなかった。少しだけ安堵したような、でも、ほんの僅かに残念なような、複雑な気持ち。


ゴンドラは、思ったよりも狭く、そして、外から見るよりもずっとシンプルだった。二人掛けのベンチシートが向かい合わせではなく、L字型に設置されている。自然と、隣同士に座ることになる。肩と肩が触れ合う、必然的な近さ。

ドアが、音もなく静かに閉まる。カチャリ、とロックのかかる音が、やけに大きく響いた。

瞬間、外の世界の喧騒が、嘘のように遠ざかる。まるで、透明なカプセルに閉じ込められたかのように、静寂が訪れた。聞こえるのは、ゴンドラが動く、微かな機械音と、俺と弥生さんの、少しだけ速くなった呼吸音だけ。


ふわりとした、独特の浮遊感。

ゴンドラが、ゆっくりと、しかし確実に、地上を離れていく。窓の外の景色が、少しずつ低くなっていく。乗り場で待っている人々の姿が、みるみる小さくなっていく。

俺たちの乗ったゴンドラは、光り輝く夜空へと、静かに、静かに昇り始めた。


ゴンドラの中は、外のイルミネーションの光が淡く、そして柔らかく差し込むだけで、やはり薄暗かった。それが、この空間を、より一層、秘密めいた、親密なものに感じさせている。

隣に座る弥生さんの存在が、嫌でも意識される。甘い香り。すぐ隣にある体温。緊張からか、少しだけ硬くなっている肩。スカートの上に置かれた、白い指先。その全てが、俺の感覚を鋭敏にし、心臓の鼓動を速めていく。


「……わぁ……!」


窓の外に広がる光景に、弥生さんが、再び感嘆の声を漏らした。俺も、息を呑む。

上昇するにつれて、視界は劇的に開けていく。眼下に広がるのは、まさに光の絨毯だ。きらめく遊園地のイルミネーションは、まるで地上に描かれた巨大な光の絵画のよう。メリーゴーランドの優雅な光の輪、ジェットコースターのレールを走る閃光、パレードのフロートが放つ眩い輝き……。そして、その向こうには、どこまでも続く、無数の光の点滅。大都市の夜景だ。それは、地上から見るのとは全く違う、圧倒的なスケールと美しさを持っていた。空には、昼間よりもずっと多くの星が瞬いており、まるで手の届きそうな錯覚さえ覚える。


「……すごい……本当に、世界が全部、キラキラしてる……」

弥生さんは、窓ガラスに額を押し付けるようにして、食い入るようにその絶景に見入っている。その横顔は、夜景の光を反射して、宝石のように輝いていた。長い睫毛が、興奮に微かに震えている。

「……本当ですね……。言葉が出ないです……」

俺も、ただただ圧倒されていた。こんなにも美しい景色を、今まで見たことがなかった。そして、この景色を、今、弥生さんと二人きりで見ているという事実が、さらに俺の胸を熱くさせる。


しばらくの間、俺たちは言葉を失い、ただ窓の外に広がる光の海を眺めていた。

ゴンドラは、ゆっくりと、静かに上昇を続けていく。一番高い場所へと、少しずつ近づいていく。

この、非日常的な空間と、圧倒的な美しさ。そして、すぐ隣にある、大切な人の存在。

それは、あまりにも完璧で、あまりにもロマンチックすぎるシチュエーションだった。


ラブコメなら、間違いなく、ここで何かが起こる。

告白。キス。あるいは、未来の約束。

そんな、決定的な瞬間が訪れるはずだ。


(……言えるのか? 俺に……)


再び、その想いが頭をもたげる。

自分の気持ちを。弥生さんへの、この、もはや抑えきれないほどの想いを。

今しかないんじゃないか? この、最高の舞台で、伝えるべきなんじゃないか?

観覧車が頂上に達する、その瞬間に。


でも……。

やはり、怖いのだ。

この、奇跡のような時間を、自分の言葉で壊してしまうかもしれない、という恐怖。弥生さんを失ってしまうかもしれない、という恐怖。臆病な俺は、そのリスクを冒すことができない。


『「……弥生さん」 主人公は、震える声で、隣に座るヒロインの名前を呼んだ。ヒロインは、ゆっくりとこちらを振り返る。その瞳には、期待と不安が入り混じったような色が浮かんでいた。主人公は、意を決して、言葉を紡ごうとした。その時――』

(……ダメだ。その先が、書けない。今の俺には、ハッピーエンドを確信できないから)


頭の中で、またしても小説のプロットが展開される。それは、やはり現実からの逃避行動なのかもしれない。自分の不甲斐なさを、創作の世界に転嫁しているだけなのかもしれない。


「……航くん」


不意に、静寂を破って、弥生さんが俺の名前を呼んだ。その声は、先ほどよりもさらに静かで、そして、どこか切実な響きを帯びていた。まるで、何か大切なことを打ち明けようとしているかのような。

「……はい」

俺は、心臓がドクンと大きく跳ねるのを感じながら、弥生さんの方を向いた。弥生さんもまた、窓の外の景色から視線を外し、俺の目を、じっと見つめていた。薄暗いゴンドラの中、彼女の大きな瞳が、潤んで、きらめいて見える。それは、夜景の光のせいだけではないような気がした。


「……今日の『取材』、本当に、本当に、楽しかった……」

弥生さんは、ゆっくりと、一言一言を確かめるように、言葉を紡ぎ始めた。

「私もね……航くんと同じ気持ちだったんだよ。最初は、航くんの小説の役に立てればいいなって、軽い気持ちで……。でも……」

「……いつの間にか、そんなこと、どうでもよくなっちゃうくらい……今日のこの時間を、ただ、楽しんでた」

「航くんと一緒にいると、なんだか……すごく、素直になれるっていうか……。普段は、年上だからしっかりしなきゃって、どこかで気を張ってるんだけど……航くんの前だと、そういうの、全部忘れちゃうみたいで……」


弥生さんの、飾らない、正直な言葉。それが、俺の心に、温かく、そして少しだけ切なく染み込んでいく。弥生さんも、俺と同じように、この時間に特別なものを感じてくれていたのだ。


「……方向音痴なとこも、怖がりなとこも、コーヒーカップではしゃぎすぎちゃうとこも……本当は、あんまり見られたくない、ダメな自分なんだけど……。不思議と、航くんには、見られてもいいかなって……むしろ、見せたいなって、思っちゃうんだよね」

そう言って、弥生さんは、はにかむように、でも、とても愛おしそうな表情で、小さく笑った。その笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも、俺の心を強く揺さぶった。


「……だからね」

弥生さんは、一度、小さく息を吸い込んだ。そして、意を決したように、真っ直ぐに俺の目を見て、続けた。その瞳には、もう迷いはなかった。

「……今日の、この遊園地での時間も……ううん、航くんと過ごす時間、全部が……『取材』とか、そういうのじゃなくて……私にとっても、本当に、すごく……特別で、大切な時間だよ」


特別で、大切な時間。

その言葉の重みが、ずしりと、俺の胸に響いた。

それは、俺がずっと聞きたかった言葉であり、同時に、聞くのが少しだけ怖かった言葉でもあった。

弥生さんにとって、俺は、もう単なる年下の相談相手や、「取材」の対象ではない。もっと、個人的で、特別な存在になりつつある。その事実を、彼女自身の口から告げられたのだ。


「弥生さん……」

感情が、込み上げてくる。嬉しい。切ない。愛おしい。言葉にならない想いが、胸の中で渦巻く。俺は、ただ、彼女の名前を繰り返すことしかできなかった。声が、震えているのが自分でも分かった。


ちょうどその時、ゴンドラは、ゆっくりと、その最高到達点に達したようだった。動きが、一瞬だけ、ふっと止まったかのように感じられる。一番空に近い場所。視界を遮るものは、何もない。三百六十度、見渡す限り、光り輝く星空と、宝石を散りばめたような夜景が広がっている。まるで、宇宙空間に二人きりで漂っているかのような、荘厳で、幻想的な光景。


弥生さんは、俺から視線を外し、再び窓の外の絶景へと目を向けた。

「……綺麗……」

その呟きは、今度は、明らかに、単なる景色の美しさだけを表すものではないように聞こえた。もっと、深い、万感の想いが込められているような。


言葉は、途切れた。

けれど、ゴンドラの中には、息苦しいほどの沈黙ではなく、むしろ、言葉以上に雄弁な何かが満ちているような気がした。

互いの気持ちが、確かに触れ合い、響き合っている。そんな、確かな感覚。


俺は、衝動的に、隣に座る弥生さんの肩に、そっと、自分の肩を寄せた。ほんの少しだけ、体重をかけるように。

弥生さんの体が、一瞬だけ、ピクリと震えた。でも、拒絶する様子はない。むしろ、彼女もまた、ゆっくりと、俺の方に体重を預けてくるような気配があった。

触れ合った肩から、弥生さんの温もりが、じわりと伝わってくる。それは、どんな言葉よりも温かく、どんな言葉よりも雄弁に、今の俺たちの気持ちを表しているように思えた。


ゴンドラは、ゆっくりと、静かに下降を始めた。

頂点で感じた、あの特別な高揚感は、少しずつ薄れていく。魔法のような時間は、もうすぐ終わりを告げるのだ。

名残惜しい。このまま、時間が止まってしまえばいいのに、と本気で思った。

言えなかった言葉。聞けなかった答え。たくさんの「もしも」が頭の中を駆け巡る。


でも、今は、これでいいのかもしれない。

焦る必要はない。俺たちの物語は、まだ始まったばかりなのだから。

今日、ここで感じた温もりと、通い合った(と信じたい)気持ち。それを、大切に、胸にしまっておこう。


『観覧車のゴンドラが、ゆっくりと地上へと近づいていく。窓の外の景色は、だんだんと現実味を帯びてくる。けれど、二人の間に流れる空気は、乗る前とは明らかに違っていた。言葉にしなくても分かる、確かな繋がり。それは、恋の始まりを告げる、優しい予感に満ちていた。』

(……よし。この、余韻。この、切なくて温かい感じ。これを、次のシーンへの布石として、丁寧に描こう)


俺は、心の中で、しっかりと、この観覧車での体験を、そして、そこから生まれた感情を、未来の物語へと繋げるための、大切なピースとして刻み付けた。


やがて、ゴンドラは、完全に地上へと到着した。

ドアが開き、外の喧騒と、少しだけひんやりとした夜風が、ゴンドラの中に流れ込んでくる。現実へと引き戻される瞬間だ。


名残惜しさを胸に、俺たちはゴンドラを降りた。

地上に降り立つと、足元が少しだけふわふわするような感覚があった。観覧車に乗っていたせいだけではないだろう。俺の心もまた、まだ少しだけ、夢見心地だったのだ。


隣を歩く弥生さんの顔を、そっと盗み見る。彼女もまた、少しだけ、ぼうっとしたような、夢から覚めたばかりのような表情をしていた。その頬は、まだほんのりと赤みを帯びている。


「……終わっちゃったね」

弥生さんが、ぽつりと、囁くように言った。その声には、隠しきれない寂しさが滲んでいた。

「……そうですね」

俺の声にも、同じ響きがあったかもしれない。

「……なんだか、あっという間だった。……ちょっと、寂しい、かも」

弥生さんは、視線を落として、小さく付け加えた。

「……俺も、です。すごく……」


思わず、本音が漏れた。今、この瞬間は、駆け引きも、建前も、何もかも忘れて、ただ正直な気持ちを伝えたかった。

弥生さんは、少し驚いたように顔を上げて俺を見た。そして、次の瞬間、ふわりと、花が咲くように、優しく微笑んだ。それは、今日一日の中で、いや、今まで見た中で、一番綺麗で、一番心に響く笑顔だったような気がした。


「……でも、本当に、最高の『取材』になったね。……ありがとう、航くん」

弥生さんは、もう一度、しっかりと俺の目を見て言った。その瞳は、感謝と、親愛と、そして、もしかしたらそれ以上の、温かい光で満たされていた。

「はい! こちらこそ……! 間違いなく、最高の『取材』でした!」


俺たちは、どちらからともなく、顔を見合わせて、少しだけ照れたように笑い合った。

もう、遊園地の閉園時間が迫っている。蛍の光が、別れを告げるように、園内に流れ始めていた。


今日の、この忘れられない一日。

「取材」という、便利な言葉を隠れ蓑にして始まった、俺にとって、紛れもない初めてのデート。

それは、俺の書くべき物語に、計り知れないほどのインスピレーションを与えてくれたと同時に、俺自身の心にも、大きな、そして決定的な変化をもたらした、特別な一日となったのだ。


観覧車から降りてきた俺たちの間に流れる空気は、乗る前とは、明らかにその質を変えていた。

より深く、より温かく、より切なく、そして、より確かなものに。

この変化が、これから、俺と弥生さんの関係を、そして俺が紡いでいく物語を、どこへ導いていくのだろうか。


期待と、少しの不安。

そして、弥生さんへの、もはや疑いようのない、確信へと変わりつつある強い想い。

その全てを胸に抱きしめながら、俺は、閉園間際の、きらめく光と影が交錯する喧騒の中を、大切な人の隣を、一歩一歩、噛みしめるように歩き続けるのだった。

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