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16. オオカミ怪人と夕方のニュース

「またかよ……」


 俺は呆れたように小さく息を吐いた。


 衣奈のやつときたら、またフレドルカを補給している最中に、俺の腹の上で眠りこけやがった。普通なら、さっさと叩き起こしててめぇのベッドに放り投げるところだ。俺は怪人だぞ? 何をされても、文句は言えないだろうが。


 しかし、俺は動かない。


 衣奈は相変わらず俺の胸元の毛並みに顔を埋めるようにして、すやすやと寝息を立てている。時々小さく寝言を呟いたり、ちょっとした物音に反応して身じろぎをしたりするが、起きる様子は全くない。


 安心しきっているんだろうな、この女は。


 俺の膝に腰を乗せ、両腕を俺の胴に回した格好で眠る衣奈の重みは、俺の体躯からすれば大したことがない。大した重みじゃない、ん、だが……。


 俺は、自分の上で眠る衣奈を見下ろした。


 普段は活発な表情も、今は穏やかで無防備そのものだ。少し開いた唇からは規則正しい寝息が漏れ、長いまつげが頬に影を落としている。ダークブラウンの髪が肩に流れ落ち、その隙間から滑らかな肌が覗いていた。


 なんなんだよ、この感覚は。胸の奥が、妙にむず痒い。


 衣奈の寝顔を見つめていると、普段感じることのない奇妙な感情が湧き上がってくる。眠る彼女の表情があまりに平和で、見ているこっちまで平和ボケてしまうんだろう。その姿は、どういうわけか俺の心に暖かく静かな何かを満たしていく。


 俺は、衣奈の脳天にそっと鼻を近づけた。


 衣奈から漂ってくる匂いは、相変わらずシトラスのように爽やかだ。それから、ほんのりと甘い体臭が混じった、人工的な香料ではない生き物本来の匂いがする。この匂いを嗅いでいると、どうも――。


「……っ!?」


 何やってんだ、俺は!! 人間の女の匂いを嗅いで、心地良いだぁ!?!? 正気の沙汰じゃない!! 人間なんぞ所詮、フレドルカを奪う対象でしかない! はず!! ……なのに、な。


 絆されちまうって、こういうことを言うんだろうか。

 

 気まずさに耐えきれず、俺は顏ごと視線をそらした。そして、何気なくつけっぱなしになっていたテレビの画面に目を向けた。


 画面には、星明(ほしあかり)こども園の様子が映し出されていた。どうやら地域のニュース番組で、園児たちの日常を紹介する特集をやっているらしい。子供たちが元気いっぱいに遊んでいる映像に、穏やかなナレーションが重なっている。


「星明こども園では、子供たちが安心して過ごせるよう、職員の皆さんが一丸となって――」


 まったく興味のない内容だったが、衣奈を起こすのも面倒で、そのまま画面を眺めていた。


 園庭で遊ぶ子供たちの向こうに、園舎の修繕作業をしている職員の姿が映り込んだ。がっしりとした体格の男で、重そうな資材を軽々と運んでいる。子供たちも親しみを込めて手を振っており、園でも人気の職員なのだろう。


 カメラがその男性に少しズームした時、俺の心臓が跳ね上がった。


「なっ!?」


 思わず身を起こしていた。その弾みで、俺の上で眠っていた衣奈の身体が、床へと転がり落ちる。


「ぎゃん!! なになに!? え、ウ、ウルフガルム?」


 突然のことに、衣奈は驚いた顔で俺を見上げている。しかし、俺の意識は完全にテレビの画面へと釘付けになっていた。画面の中の男は、こちらに背を向けて作業を続けている。


 その後ろ姿に、俺はタイモー・ヘイムダルの姿が重なった。俺の相棒だった、岩怪人だ。


 不恰好なほど頑丈そうな肩幅。ゆっくりとした、しかし確実な動作。そして何より、あの特徴的な立ち方。岩でできた身体を人間の姿に変えているが、動きの癖は変わらない。


「ウルフガルム? どうしたの?」


 衣奈の声が耳に届いたが、俺は返事ができなかった。画面の中で、男が振り返る。人間の顔ではあるが、そのいかついくせに穏やかな表情は、俺の知っているタイモー・ヘイムダルのものだった。


 子供たちが駆け寄ってくると、彼は優しそうに微笑んで頭を撫でている。まるで、シャドウ・オーダーで幼い怪人の頭を撫でるのと同じように。


 頭の中は、真っ白だった。


 タイモーはシャイニングナイトによって倒されたはずだ。消滅したと……俺は聞かされていた。それなのに、生きている? それも、人間の姿で。星明町(この町)で。


「ウルフガルム?」


 もう一度名前を呼ばれて、俺はようやく我に返った。心配そうに見上げる衣奈の顔が、視界に入る。


「あ、あぁ……何でもねぇ」


 努めて平静を装って答えたが、声が上ずっているのは自分でも分かった。


「何でもないって顔じゃないよ? すごく驚いてたみたいだけど……」


 衣奈は床に座ったまま、俺を見上げている。その瞳には心配の色が浮かんでいた。


「テレビに、知りあいが映ってた?」


 鋭い指摘に、俺の心臓がまた跳ねる。この女は、時々恐ろしく勘が鋭い。


「……んなわけねぇだろ。お前が乗ったまま寝やがるから、俺までうとうとしちまったんだよ」


 俺は画面から目を逸らし、リモコンを掴んでチャンネルを変えた。星明こども園の映像が消え、別の番組に切り替わる。衣奈はまだ俺を見ていたが、やがて照れたように笑って頭を掻いた。


「ごめんごめん! ウルフガルムにフレドルカをあげてると安心しちゃってさぁ、つい眠くなっちゃうんだよね」


 いつもなら一言悪態をついてやるところだが、俺は生返事しかできなかった。頭の中が、さっきテレビで見た男の姿で埋め尽くされている。

 

 あいつは、もう消滅したんだ。俺がさっき見たのは、きっと別人だ。他人の空似に決まってる。だが、どんなに否定しようとしても、あの後ろ姿は間違いなくタイモーのものだった。


 もし、本当にタイモーが生きているとしたら。俺と同じように、人間社会に紛れ込んで生活しているとしたら。

 

 俺の胸の奥では小さな希望の炎が燃え上がり、戸惑いと喜びが入り混じっていた。

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