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12. 羊ヶ丘さんと大家さん

 最寄り駅からアパートまでの帰り道、私は友人との楽しいひとときを思い出していた。久しぶりの再会で話も弾み、心もすっきり。ただ、オオカミ怪人と同居していることは、さすがに話せなかった。


 部屋の前に着くと、そこには小柄なおばあさん——大家の見守(みもり)さんが立っていた。ちょうどインターホンを押そうとしているところだったので、声を掛けた。


「見守さん、こんばんは」

 

「あら、衣奈ちゃん。おかえりなさい」


 見守さんは持っていたタッパーを差し出す。


「これ、大根煮たの。お裾分け。おっきな大根が安かったのよ」


「わぁ、ありがとうございます! 助かります」


 見守さんの手料理は本当に美味しくて、私はいつもありがたく頂いている。彼女にはお世話になりっぱなしで、ウルフガルムの同居についても、私が曖昧に伝えたにもかかわらず、快く承諾してくれた。……と、扉の向こうに彼がいることを意識した途端、少しだけ緊張した。


 悪の組織にいた、今は私の家に住んでいるウルフガルム。彼がオオカミ怪人であることは、見守さんにももちろん秘密にしている。彼の荒々しい見た目や態度を見たら、見守さんなら卒倒しちゃうだろう。間違いなく警察沙汰、シャイニングナイト案件になってしまう。

 

「最近寒くなってきたから、体調崩さないようにね」


「はい。見守さんも、気を付けてくださいね」


 見守さんの優しい声音に癒されながらも、私は内心ドキドキしていた。このまま立ち話が続けば、私がドアを開けた拍子にウルフガルムの姿を見守さんに見られてしまうかもしれない。


「そういえばね、衣奈ちゃん」

 

 見守さんがふと口を開いた。


「この前から一緒に住んでる黒田(くろだ)さんなんだけど」


「くろ、だ、さん……?」

 

 一瞬、頭の中が『?』で埋め尽くされたけれど、すぐに思い出す。そうだ、ウルフガルムの居ないときに見守さんから彼の名前を聞かれて、適当に答えた偽名だ。


「あっ、黒田さん! が、どうかしましたか?」


「今日ね、お野菜が安かったから、ちょっと買いすぎちゃったのよ。重たくて困っていたら、黒田さんが声を掛けてくださって。荷物を持ってくれたの」


 あまりに自然に話す見守さんに、私は思わず笑顔を引きつらせた。きっと、ウルフガルムが人間に擬態している時に手伝ったんだろう。それでも、大きな黒いオオカミが見守さんと並んで歩く姿を想像してしまい、笑いをこらえるのに必死だった。

 

「そ、そうだったんですかぁ! あとで見守さんが感謝してたって伝えておきますね」


「親切な方なのねぇ。それに、しっかりした頼りがいのありそうな方で。衣奈ちゃんと、とってもお似合いだこと」


 お似合い。その言葉に、頭の中で何かが爆発した。


 私と彼が!? そんな! 見守さんったら♡ ……いやいやいや!!


「そ、そそ、そんな! 黒田さんとは別に、そういうんじゃないんですっ!」


「あら、そうなの?」


 見守さんの少し残念そうな表情を見て、私は否定したことをちょっと後悔した。


 本当は、大きな体にぎゅっと抱きしめられて、ふわふわの毛並みに顔を埋めてみたい。じゃれつくみたいに甘噛みされるのも、ちょっとだけ興味がある。でもそんな願望、誰かに知られたらどうなるか。嘲笑されて、軽蔑されて、それで終わり。過去に思い知った教訓だ。だから私は、この性癖を誰にも言わず、隠して生きてきた。”普通の人”として。


 それなのに、ウルフガルムが現れてから、隠していた蓋が外れかけてる。彼こそ、私がずっと夢見てきた相手なんだ。

 

 見守さんの言う通り、彼ともっと近づきたい。そういう関係になりたいって強く思う。いや、むしろ祈るレベルで。まぁ、肝心のウルフガルムは私のこと警戒しまくってるから、”お似合い”にはほど遠いんだけどね。


「ええ、まあ、その……ただの同居人、というか」


 言葉を選んだのがいけなかったのか。見守さんは、私の言葉を深読みしてしまったようだ。


「あらあら、照れちゃって。若いっていいわねぇ」


 見守さんはくすくすと笑いながら、私の肩を軽く叩いた。その仕草に、私は完全に降参した。もう何を言っても無駄だ。見守さんの頭の中では、私と黒田さん……じゃなくて、ウルフガルムは、すでに恋人同士としてインプットされているに違いない。嬉しいやら、気まずいやら。


「じゃあ、衣奈ちゃん。私はこれで。また何かあったら、いつでも言ってちょうだい」


「は、はい。ありがとうございます。煮物、ごちそうさまです」


 見守さんの背中を完全に見送ってから、私は急いで鍵を用意し鍵穴へ差し込んだ。見守さんが完全に勘違いしたあたりから、ドアの向こうにものすごい殺気を感じていたからだ。低い唸り声まで聞こえた気がする。深呼吸をひとつ。意を決して扉を開けると、予想通り、ウルフガルムが玄関ホールに仁王立ちしていた。


 「ただいまぁ」


 猩々緋色の眼が、不機嫌に私を睨み下ろしている……と思ったら、次の瞬間、彼は不服そうに手を広げた。


「ん」


 短い、けれど有無を言わせぬ一言。


 え? 胸に飛び込んで来いってこと!? 私は戸惑った。フレドルカをあげるとき以外に、私が触れようとすると嫌がるのに。どういう風の吹き回し? 彼の意図を測りかねて、私は一瞬固まってしまった。


「遅ぇんだよ。今日は無駄にフレドルカを消耗しちまったから、さっさとよこしやがれ」


 ウルフガルムの言葉に、私はようやく状況を理解した。あぁ、なるほど。それで不承不承な顔をしているのね。


「はーいっ、畏まりました」


 私は喜んで目の前のウルフガルムの胴に腕を回した。彼の両手が肩に添えられたので、押し返されるかと思ったけれど、そうではないらしい。彼なりの譲歩なのかもしれない。嬉しい。


 硬い筋肉と、ふかふかの毛並みをTシャツ越しに感じながら、彼の鳩尾あたりに頬を擦り寄せる。至福の時間のスタートだ。


「あああ~、癒されるぅ~」


 すると、呆れたような諦めたような溜息が、頭上から降ってきた。

 

「……で?」


 低い声で切り出され、ハグをしたまま彼を見上げる。


「誰が黒田だ。誰が」

 

「やっぱり、聞こえてた?」


「当たり前だ。ドア一枚隔てただけで、聞こえねぇわけねぇだろ」


 オオカミの耳には、さぞ鮮明に聞こえたに違いない。


「だって、毛が黒いから」


「くっだらねぇ」


 間髪入れず、吐き捨てられてしまった。顔をしかめ、盛大な舌打ち付きだ。


 まぁ、自分でも安直だったなとは思ってるんだよ。でも、咄嗟に思い浮かんだのがそれしかなかったんだもん。まさか、素直に『ウルフガルム・シェイドランナーさんって言うんです』なんて言えるわけないでしょ!?


「ごめんね。他に思いつかなくってさ」


 許してくれたのか、まだ不機嫌なのか、ウルフガルムは「ふん」と言ってそっぽを向いてしまった。私は思い切って、抱き着いていた腕を彼の首筋へと伸ばした。指先に絡むふかふかの黒い毛並みが、たまらなく心地いい。


「見守さんの荷物、持ってあげたんだって? ありがとうって言ってたよ。大根の煮物まで持ってきてくれたし」


 ウルフガルムの耳がピクリと動いた。視線は逸らしたままだが、低い声で返してくる。


「気まぐれだ、気まぐれ。助けたくて助けたわけじゃねぇよ」

 

 そうは言うけど、買い物のたびになんだかんだ理由をつけて荷物を持ってくれているのを、私は知っている。


「……ウルフガルムって、優しいよね」


 そのギャップが好きなんだよなぁ、と自然に笑みが浮かんだ。私の表情に気づいたのか、彼はじろりとこちらを睨んできた。


「てめぇにそう思われたくてやったわけじゃねぇからな」


「うんうん、分かってるよ。私が勝手にそう思ってるだけ」


 ニヤニヤしながら首筋の毛並みをワシワシと撫でると、ウルフガルムは眉間に皺を寄せた。


「それ、やめろっつの」


 言葉とは裏腹に、手を振り払うことはなく、むしろ少し体を傾けて撫でやすくしているように見える。尻尾が忙しなく揺れているのを見て、私は思わず聞いてしまった。


「くすぐったい?」


 彼は眉間の皺をさらに深めたが、すぐに諦めたように小さく息を吐いた。


「まぁ、少しはな」


「えっ、認めるんだ?」


「嘘吐いたってしかたねぇだろ」


「まぁ、そうだけど……」


 正直で素直な反応に、なんだか胸がじんわりと温かくなる。こんなふうに素直な彼を見るのは、少し特別な瞬間のように思えた。


「ねぇ、ウルフガルム」


 不意に名前を呼ぶと、彼が視線だけで応えた。ガーネットのような瞳が、何かを探るように揺れている。


「私、あなたのおかげで幸せだよ。大好き」


 思わず零れた言葉に、突然、ウルフガルムの全身の毛が一気に空気を含んだ。彼は目を大きく見開き、信じられないものを見るような目で私を見下ろしている。


「な、ッ……何、言ってやがる」


 ウルフガルムの声は、ひどく動揺していた。わなわな震えて、唸り声まで出している。まずい、調子に乗りすぎちゃった? また『気色悪ぃ』って言われそう。


 「え、あ、ごめん。その、」


 私は不安になって離れようとした。けれど、彼は私の肩を掴んで離してくれなかった。


「待て」


 低い声に動きが止まる。


 顔を上げると、ウルフガルムが私を見下ろしていた。普段の鋭い目つきとは違う、どこか不安げな瞳。その表情に思わず息を呑んだ。


 眉間に深い皺を寄せているのはいつも通りだけれど、耳がぺたりと垂れている。立派な狼耳がこんなにも力なく下がっている姿を見たのは初めてで、まるで叱られた大型犬みたいだ。

 

「今の、本気で言ってんのか?」


 声が、震えている。


「え、うん。ほんとだよ」


 迷わず素直に答えていた。彼の目は揺れたまま。まるで、どう受け止めればいいのか分からないとでも言いたげだ。


「てめぇは……ったく、どうしょうもねぇな」


 その言葉には怒りの気配がなく、どちらかといえば諦めたような、そしてほんの少し照れているような響きが混じっている。


「そんな簡単に言うんじゃねぇよ。俺みたいなやつに」

 

「ご、ごめん」


 耳を垂らしたまま視線を泳がせている彼の姿に、胸がきゅぅっと締めつけられる。そして、気付いた。彼は、私の言葉を拒否せず、受け入れてくれたんだと。急に恥ずかしさがこみ上げ、慌てて彼の鳩尾あたりへ再び顔を埋めた。


「でもね、簡単に言ったわけじゃ、ないから。……ほんとに、そう思ってるんだよ」

 

 ウルフガルムが長くて深い溜息を吐く。


「勝手にしやがれ」


 嬉しいのと恥ずかしいのとで、胸がドキドキして止まらなかった。

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