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棒立ちの達人が獣を狩る

 西の森はブレイトンから徒歩で三十分ほどのところにある。この一角は森だ。街道の一つがここに面して、木立を避けるようにぐーんと伸びる。ある意味、このご近所トラブルは地の果ての魔王より切実な脅威だ。


 二人は町からすたすた歩いて、木立の間際まで来た。


「アルくん、猪を見つけても、決して慌てないように。すぐにおれに知らせてくれ」マーヴィは言った。「よくよく考えると、素人には前線を任せられない。おれの悪い癖が出た。こんな仕事は初心者には酷だ。きみはサポートに徹しろ」


「うん、そうする」アルは素直にこたえて、棒をぶんぶん振り回した。


「まあ、でも、何か穂先みたいなものを付けないか? 短剣を括り付けるとか、先を尖らせるとか」剣士は見かねて助言した。


「えー、干すときに怪我しちゃうよ」平凡な農民はそう言って、棒の安全な丸っこい端っこを指で撫でた。


「そんな冗談は……いや、きみは真剣だな。おれはこんな純朴な人間を知らんわ」マーヴィは毒気を抜かれて苦笑した。


 二人は森の際を沿うようにゆっくり歩きながら、木立の奥の気配をうかがいつつ、じりじり進んだ。ふとアルの物干し竿が街道の一点を指した。石畳の舗装の石材がほじくり返されて、土と泥が剥き出しだった。


「これは猪の仕業だ」農民は言った。「たまに畑がこんな風になるよ」


「土に湿り気があるな」マーヴィは鋭い眼差しで土塊を確かめて、腰の剣をすらっと抜いた。「つまり、これは新しい痕跡だ。気を付けろ」


「これは獣道じゃない?」アルは木立の間の草地を棒でがさがさ掻き分けた。


 二人はその細い線を慎重に辿って、森の奥へ進んだ。街道から百メートルで草木が濃くなり、空が薄暗くなった。


「おれが先に行く。きみは背後と左右に注意しろ」マーヴィは周囲を見渡しながらベテランの冒険者らしく警告して、アルの異変に気付いた。「きみは何を食った?」


「キノコだよ。食べる?」農民は白いキノコを差し出した。


「キノコの拾い食いは危険だぞ」剣士は呆れた。


「このキノコは安全だよ」


「でも、生で食うか? おれは食わない」


「じゃあ、木の実を探す?」


「いや、そういう問題じゃない。アルバート、緊張感を持とうぜ? これは遠足じゃない」


「うん、晩飯の調達だね」


「晩飯?」


「焼き肉パーティ」


「おお、特上肉を御馳走しますよ!」


 二人はそんなふうにやり取りしながら、茂みと藪をがさごそ切り開き、少し明るい草地に出た。ここには日が差して、小さな瀬がちょろちょろ流れ、大きな盛り土があった。二人は倒木の上で一休みしかけて、生臭い匂いに気付いた。


「猪だ」マーヴィは不自然な盛り土を見ながら静かに呟いた。その工事現場風の名残の正体は黒い泥を鎧のように纏った特大の獣だった。


「お昼寝?」アルはぼんやりと言って、キノコを盛り土の側に投げた。大猪は特段の動きを見せず、ゆっくり寝息を立てながら、山のような沈黙を続けた。


「チャンスだ」マーヴィは猪の尻の方に回り込んで、動きを封じるためにぶっとい左足をばっさりと切り付けた。ところが、泥と分厚い毛皮で刀身が滑って、斬撃がまともに通らなかった。


 昼寝を邪魔された猪はぶるっと起き上がって、ぐるっと反転して、低い唸り声で威嚇を始めた。べらぼうに大きな顔は一畳くらい、ずんぐりした肩と背中はアルの背丈とほぼ同じ、頭から尻までの体長は三メートルを下らず、牙はつるはしのようで、まさに巨大な怪物だった。


「これはすごい大物だ。千人前くらいだ」サンシャ村の食いしん坊はすばやく皮算用をした。


「ゴブリンかスライムの方が楽だったな」マーヴィは間合いを取り直した。


 寝起きの大猪は頭を不機嫌に振り乱しながら、二人を交互に眺めると、手近な剣士には目をくれず、キノコの匂いに気付いたように後衛の農民に突っかかった。


「あー、ぼくじゃないよ。あっちだよ」アルは茫然と呟きながら、物干し竿を一丁前に構えて、猛烈な突進を真正面から迎え撃った。しかし、一瞬で力負けして、棒と一緒に宙に浮き、背後の木まで押しやられた。


「逃げろ!」マーヴィは大惨事を予感して叫んだ。


 しかしながら、大猪は若者の身体を押しつぶせず、その手前でもたもたと地団太を踏んで、激しく悶絶した。理由は鼻の穴に突き刺さった物干し竿だった。それが木の幹のくぼみにはまって、つっかえ棒になり、猪突猛進を阻んだ。大猪の豚鼻に物干し竿は人の鼻に割り箸のようなものだった。痛みで余計にいきり立った獣は後退という概念を忘れて、ひたすらに突進して、しゃくりあげて、鼻腔のダメージを大きくした。


「マーヴィ、助けて」


 豚の鼻と木の幹の間から平凡な農民のぼんやりした悲鳴が勇者マニアの耳に届いた。


「チャンス!」マーヴィは心の中の小さな勇者に突き動かされ、猪のがら空きのわき腹に捨て身で突進した。この一撃はきちんと突き刺さった。


 止めは荒っぽいやり方だった。マーヴィは手近の石を掴んで、大猪の背に飛び乗り、暴れ馬を制するように足を胴体に掛け、短刀の切っ先を毛深い首筋に突き立てて、石の腹で縁頭をがんがん叩いた。


 何度目かの殴打の後で獣の動きががくっと鈍り、最後の身震いが来た。マーヴィは転げ落ちつつも、わき腹に突き立てた剣を抜き、下あごの付け根にぐさっと刺しなおした。これで勝負は決まった。


「助かった」アルは物干し竿をぐりぐりこじって、猪の鼻の孔と木の幹の穴から取り外した。


「大丈夫だな?」


「うん、ぼくは大丈夫だよ。マーヴィは怪我しなかった?」


「擦り傷、切り傷、打ち身だな。しかし、こんなものは怪我の数に入らん。大勝利だ。ふう、血を抜くか」マーヴィはそう言って、返り血を猪の毛で拭い、巨大な前脚を掴むと、ポンプの要領でしゅこしゅこやった。傷口から赤い汁がだらだら流れて、あたりに血の気が充満した。


「上手だね」農民は拍手した。「猟師さんみたいだよ」


「食料の現地調達は修行者の基礎だ。おれは山籠りするときにはよく鹿を狩る」剣士はそう言って、アルを見つめた。「うん、そうか、きみのおかげだな」


「たまたまだよ。この棒のおかげで助かった」アルは物干し竿を掲げた。


「さっきの場面ではそれが唯一の正解だったな」マーヴィは苦笑した。「剣では長さが足りなかった。きみは危うくぺちゃんこだったぞ」


「適材適所というやつだよ」


「よく言うわ。まあ、しかし、後にも先にも慌てないのはこの子の長所だ。むしろ、おれが慌ててしまった。これはおれの悪い癖だ。焦るな、マーヴィス。落ち着きは勇者の風格だ」マーヴィはそう言って、大きなソファみたいな猪の生暖かい腹に寄りかかった。


 さて、獲物の桁外れな大きさのために運搬や移動は即時に放棄された。二人は町にひとっ走りして、クエストの達成を報告すると、猟師と肉屋の一隊を率いて、現場にとんぼ返りした。夕暮れまで総出で解体と切り分けが行われた。


 アルとマーヴィは最もおいしいヒレとバラとロースを焼き肉パーティのために確保して、のこりを業者に売り払った。近隣の畑の作物を食べて良く肥えた猪の肉はなかなかの美味だった。


「儲かった」剣士は肉屋の手形を見ながらほくほくした。


「焼く、煮る、揚げる」農民は特上のお肉の包みを揺らしながら食い方を指折りに数えた。


「ニ日寝かしたバラ肉を一センチくらいに切って、弱火でじっくり焙って、シンプルに塩で食う。もちろん、ビールを欠かさずに。最高だね」マーヴィは言った。


「それは最高だね」アルは棒で地面をとんとん叩いた。その片端で猪の牙がお守りのようにがらがら揺れた。


「はははは、まるで修行僧だな。その杖はきみの朴訥な雰囲気とぴったりだ」


「えー、外そうかな? ぼくは坊さんじゃないし」


「いや、しばらくそのままで行こう。我らの最初の冒険の手柄だ。ところで、報酬の取り分をどうする?」


「バラがあなた、ヒレがぼく、ロースが半々だよ」


「金のことだよ」マーヴィは手形をひらひらさせた。流れの冒険者は自営業者のようなものであって、金銭には敏感だった。


「うーん、ぼくはよく分からない。村ではほとんど使わないからなあ」アルは巾着をじゃらじゃらさせた。


「言い値で払うよ」


「じゃあ、三ゴールドで」


「子供のお駄賃じゃないか」


「この棒の値段だよ」アルは物干し竿をがらんがらんさせた。


「きみの金銭感覚はあてにならんな。おれが管理するわ」マーヴィは手形を大事にしまった。

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