マーヴィス・ボルトンは勇者マニアである
「もう堪らん。中に入ろう。村長殿、構いませんな?」マーヴィはたずねた。
「うむ、緊急事態です」村長はうなずいた。
そのとき、アスラン家の戸口がぱたんと開いて、平凡な若者をでろんと吐き出した。
「おお、きみがアルバートくんですか!」マーヴィはほっとしたが、アルバートの顔色の悪さに気付いて、次のように続けた。「どうしました? 顔が真っ青ですよ? やはり、魔王に何か悪い魔法を掛けられましたか?」
「今日はいい天気ですね」アルはいつもの挨拶をしつつ、みぞおちを撫でまわした。「ベリーを食べ過ぎて、気持ち悪くなっちゃって……」
皆はきょとんとした。
「なんだよ。心配して損した」親切な農夫は肩をすくめた。「おれはてっきりおまえが魔王に何かされたと思ったぞ」
「魔王?」アルは聞き返した。
「さっきのごっついやつだよ」
「ああ、そんな人がいたね」
「この子はいつもこんな調子だ」彼の名付け親の村長は苦笑しながら言った。「とにかく、おまえは無事だね?」
「はい、無事です。少し休めば、晩飯を食べられます」
「うむ、このおおらかさはまさに勇者殿の器だ」マーヴィはおのれの色眼鏡からそのような結論を出した。
「勇者?」アルは首を傾げた。
「そう、おれの名前はマーヴィス・ボルトンです。あなたがこの村の勇者のアルバート・ハレルヤ・アスラン殿ですね?」
「アルバート・ハレルヤ・アスラン?」
「おまえの名前だよ」村人は言った。
「ああ、そうか、それがぼくの名前だった」アルはぼんやりと頷いた。
「そんな立派な名前を忘れるなよ」
「きみらがぼくをそう呼ばないから」
「おお! このおおらかさは大物ですな!」マーヴィは明るい声で言った。
「たしかにこの子には浮世離れしたところがある」村長が同意した。「あの恐ろしい魔王軍に全く動じず、騒がず、怯まないというのは凡人の器量ではない」
「はあ」アルはぼんやり呟いた。
「しっかりしろよ。自信を持て。それは嘘じゃない」農夫は言った。「おれは見たぞ。たしかにそうだ。おまえは魔王に何かを訴えて、見事に追い返した」
「たまたまだよ」
「運も実力の内です。そして、困難に立ち向かう勇気こそは真の勇者の証です」マーヴィは前のめりに言った。「アルバート殿、おれと一緒に旅に出ませんか?」
「えー、ぼくは平凡な農民だけど」
「あなたの気高い名前と勇気は人々の希望です」
「えー」
「おまえはもう少し喜べよ」農夫がたしなめた。「勇敢な剣士さんのお誘いだぞ。世の中を見て回るのは若者の特権だ。嫁さんを貰って、家族を持ってしまうと、旅や冒険にはなかなか行けん」
「ぼくが出かけると、うちの家と畑が荒れてしまう」
「わしらが世話するよ」村長が言った。「人を頼らないのはおまえの良いところで、悪いところだぞ。わしらを頼りなさい」
「うーん、じゃ、まあ、行ってみるか」アルは前のめりな人々に根負けしたように呟いた。
「おお、勇者殿、このマーヴィが悪いようにしません!」熱血漢な剣士は若者の手を握りしめた。
さて、この勇者熱の盛り上がりは局地的なものだった。村人の大半はサンシャ村の勇者アルの旅立ちを知らなかった。大柄な剣士の後ろに付いててくてく出掛けた若者の姿はまんま簡単なお使いか買い出しのように見えた。実際問題、彼のシンプルな格好は旅立ちの装備には見えなかった。服、靴、袋が持ち物の全てだった。
「旅の名人はそのような軽装になる」マーヴィはアルに言った。「余計なものをあれこれ持ち歩いてごてごてするような者に冒険の素質はない。つまり、きみはすでにいっぱしの冒険者だ」
「出掛けに村長からお金を貰いました」アルは巾着袋をじゃらじゃらさせた。「これでいろいろ買えます」
「武器だな」剣士は鞘を叩いた。「旅に危険は付き物だ。自分を守れぬものは他人を守れない。アル殿は何か武術をやるか?」
「去年の村の相撲大会で三位になりました」
「おお、それは大したものだ」
「参加者が六人だけでしたから。一回勝ったら三位でした」
「本当にここは平和だな」マーヴィはのどかな風景を眺めながら言った。「経験のなさは不幸中の幸いだ。下手な経験はしばしば悪い癖になる。半端な技術がもっとも無駄だ」
「はあ」
「昔々のことだ。おれは吟遊詩人に憧れて、ギターを買ったが、コード進行で挫折した。詩と楽器の才能はおれにはなかった。剣と旅がこの身の定めだ。部屋の隅の埃まみれのギターは悲しいものだよ」
「ぼくもギターをやろうかな」
「今はまだそのときではない。人々が音楽を楽しめるのは世界が平和であるときだけだ。今は世の乱れを正すとき、邪悪な魔王を打ち倒すときだ」マーヴィは熱っぽく語って、拳を握りしめた。
「サンシャ村は平和ですよ」
「とすれば、おれたちはそれを広める平和の使者だ。よろしく頼むぞ、勇者殿」
「はあ」
マーヴィの暑苦しさとアルのそっけなさは好対照だった。ゆえに喧嘩や反発はついぞ起こらず、一時間の徒歩の旅がつつがなく終わり、行く手にブレイトンの町が現れた。
二人が広場に着いたとき、義勇軍がちょうどお開きになって、兵士たちがぞろぞろと散会した。と、村で見かけた槍の男がマーヴィとアルに気付いた。
「おう、マーヴィ。そっちのお兄さんはどちらさんだ?」彼は言った。
「こちらはサンシャ村の勇者殿だ」マーヴィはそのように答えた。
「今日はいい天気ですね」アルは大げさな紹介を無視して、平凡な農民らしくそう挨拶した。
「ああ、いい天気だね」槍の男はきょとんとした。「お兄さんはあの村の人だ? じゃ、果報者だな。魔物が来たのに、被害がなかった。明日はきっと雪だぞ」
「それはアル殿の手柄だ」マーヴィは勇者の肩を叩いた。
「たまたまですよ」アルは答えた。「魔王が勝手に来て、勝手に帰った。それだけです」
「これは大物だ」槍の男は笑った。
「その通り。アル殿はこの世の希望だ。おれはこの方と一緒に世直しの旅に出る」剣士は真面目に言った。
「あんたの酔狂さには恐れ入るよ。勇者マニアは違うな」槍の男はそんな風にからかった。
「今回の勇者殿は本物だ」
「今回の?」アルは聞きとがめた。
「そう、善良な若者をたぶらかして、危険な冒険に引っ張り出すのがこいつの趣味だよ。お兄さんも気を付けろよ」
「はい、気を付けます」
「人を誘拐犯のように言うなよ」マーヴィは顔をしかめた。「おれはちゃんと同意を得たぞ。こちらも乗り気だよ。なあ?」
「はあ、まあ、何となくですが」アルは上の空で言った。
「ははは、これはいつまで持つかね?」槍の男は嫌味を言った。「しかし、お兄さんは面白い人だな。そうね、これからおれと楽しいところに行かないかね?」
「どんなところです?」
「花街というところだよ。世の憂いを忘れられる夢の国だ」
「こら、田舎の素朴な青少年に悪い遊びを教えない」マーヴィは言って、勇者をかばった。「勇者はそんな場所には行かない。勇者の恋人は高貴な女子だ。おれが行かせない」
「そういう堅苦しい勇者像の押し売りはダメだぞ、マーヴィ。勇者も人間だ。なあ?」
「ぼくは平凡な農民です。ぼくが勇者だというのはこの人の勝手な妄想です」アルは淡々と言った。
「おお! じゃあ、行こうぜ、夢の国へ!」
「おれたちは勇者殿の武器を買いに行く」マーヴィはきっぱり言った。「あんたも何か戦果を挙げてから行け。そう、この勇者殿のように」
「え、あんたは何かやったのか?」槍の男は驚いた。
「アル殿は魔王を追い返した」
「ああ!? 何の冗談だ?」
「これは本当だ。村の皆がその奇跡を目撃した」
「皆じゃありません。ニ、三人です」アルはきちんと訂正した。
「ははは! とすれば、あんたは夢の国への権利を手に入れた」
「勇者はそのような俗な誘惑には負けない。次なる戦いのために装備を買い行くのが勇者だ」
「いや、ぼくは花街で女の子といちゃいちゃしに…」勇者は非勇者的な願望を口にした。
「はい! 武器屋はこっちですよ」狂信的な勇者信者は若者をむりやり引っ張って、艶っぽいその手の店と正反対の無骨な商店に入った。