決戦の地へ
翌日、伝説の勇者とその仲間は賞金の一万ゴールドと副賞の水の盾の受け取りにために市庁舎に訪れた。
「これが水の盾です」ウルル市長は王家の秘宝を渡しながら言った。それはすりガラスのような半透明の丸い盾だった。
「貴重な神器のご提供に恐縮致します」マーヴィは勇者らしく応じて、魔法の武具を受け取り、四方から眺めた。「うーん、普通の盾のように見える。しっかりした手応えだ」
「取っ手に腕を通して、水のイメージを念じてください」市長はそのよう言った。
「水のイメージ……」伝説の勇者は取っ手の部分に腕を通して、それを静かに念じた。すると、半透明の部分がさざ波のように波立って、灰色に濁った。
「急流のような力強さを感じさせる波と色ですな。これが水の盾の本当の能力です。堅くなれば剣や矢を防ぎ、柔らかくなれば魔法を中和します」
「すごい道具だ」マーヴィは液体と固体の中間みたいな盾の表面をちゃぷちゃぷ触った。
「この効果は使い手に依存しますか?」魔法使いは好奇の眼差しでたずねた。
「はい、形態と効果は使用者の魔力と心象にもとづきます。この濁りは勇者どのの荒々しい心根の現れです」
「明鏡止水とは行きませんな」マーヴィは言って、盾を外し、少女の熱烈な眼差しに気付いた。「きみも付けてみるか?」
「え、構いませんの?」リタはしおらしく言って、貴重な魔法の道具を装備して、水のイメージを念じた。途端、持ち手を中心に深い青と紅の渦が広がり、二メートルくらいの丸い壁になった。
「これは凄まじい魔力だ」市長はたじたじと驚嘆した。「紫の渦は情熱と冷静の二面性の現れです。ときに炎のように熱く、ときに氷のように冷たくなれる魔法使いらしい色ですね」
「それは誉め言葉ですか?」リタは目くばせした。
「もちろんです。私はあなたの活躍をこの目で見ました。この大会が魔法王決定戦だったら、あなたは文句なしで優勝でしたよ」
「ほほほ。ぜひ開催をご検討くださいな。あんたもやる?」未来の魔法王は神器をアルに渡した。
「ぼくは魔法を使えないよ?」アルは言った。
「こちらのお供の方はあの戦いに良く耐えましたね?」市長は平凡な農民を見つめながら言った。
「彼は我々の守り神です」マーヴィは言った。
「マーヴィがおかしくなった」アルは盾を右手に付けた。
「ははは、それは左手用ですよ」市長は素人ののんきな失敗に笑った。
「えー、でも、もう水のイメージを念じちゃったよ」アルはそう答えて、右手を掲げた。そこには盾がなかった。いや、盾は消えたように見えて、縁の輪郭がわずかにちらちらした。
「これはどういうことですか?」マーヴィは市長にたずねた。
「こ、これは……」盾占いの名手が形容に困った。「一点の曇りなき清らな水のごとき色、色なき形、色即是空、明鏡止水……そう、まさにこちらの方は水のように清らかな心の持ち主です。もしや、あなたは放浪の聖者さまですか?」
「ぼくは普通の農民です」アルはそっけなく答えて、盾を取り外した。その途端、色即是空で明鏡止水な水の盾が元の半透明の武具に戻った。周囲の目にはそれがひどく濁って見えた。
その後の数日、勇者王マーヴィはあっちの勇者からこっちの勇者へ駆け回り、あの手この手で勇者たちを口説き落として、五十人ほどの同盟を築き上げた。とはいえ、残りの百数十名の勇者は堅苦しい連携には積極的でなかったが、世直しの精神には率直に共感して、たがいの健闘を祈りながら、それぞれの活躍の場に帰って行った。
聖戦に最も乗り気だったのはレジュイタンス殿だった。この貴族は予選落ちで失格しながら、最後まで大会に関与して、勇者たちを熱狂的に応援し、優勝者の演説に感化された。で、政治的な都合から満場一致で彼が聖戦の総大将に着任した。やはり、このような集団のトップには王侯の肩書が有利だったし、組織の運営や軍隊の管理は勇者王の得意科目でなかった。マーヴィの長所は熱意、体力、気合、でかい声だ。作戦司令部より前線の野営地にぴったりである。
さらに数日の準備期間を経て、勇者王の先発隊がウルル市から出発した。この数十名は歴戦の強者ぞろいであり、一日に五十キロの行軍をものともしなかった。そして、秋めいた空は例のごとく連日の快晴だった。
ヌルヌの森、ストムピーク山脈、ヘルフェイン、これらは峻厳なブリンザ地方にある。暗い森、険しい山、短い夏、長い冬がこの地の特徴だ。しかも、魔王の魔力でこの傾向が刻々と顕著になる。温暖なアクエラの秋は夏のようだが、ブリンザの秋は冬のようである。九月の半ばで遠い山にはすでに雪の冠が見える。
勇者の部隊はルーメンを経由して、ブリンザの外れに入ったが、明らかな風の冷たさと空気の重たさに驚いた。そして、魔物や怪物が鹿のごとくぽこぽこ現れ、その強さと大きさで勇者たちを手こずらせた。
「寒い地方では動物は大きくなるが、魔物も大きくなるのか?」マーヴィは魔物の死骸を見下ろしながらリタにたずねた。「これはゴブリンだが、オークみたいな大きさだぞ」
「とすると、オークはトロル並み、トロルはドラゴン並み、ドラゴンはリバイアサン並みになるわね」魔法使いは大きなゴブリンを魔法で宙に浮かべて、四方八方から観察した。「自然界では動物が大型化すると、個体数は減少する。活動を維持するための餌や縄張りが増えるから。でも、ここのモンスターは他の地方よりどしどし出て来る。これはまずい兆候だわ。そのうち、地域の資源が食いつくされて、全部が不毛の荒野になるわよ」
「それを良しとするのが魔王です」古参の魔術師が言った。「魔王が台頭すると、世界が荒廃します。魔族は欲望を抑止しません。食えるときに食えるものを食えるだけ食う。そして、遊びで暴れ、戯れで奪います。後先を考えない。結果的に魔王の登場の以降では数百年単位の土地と文化の衰退が起こります」
「可哀そうな連中だ。やつらは調和というものを知らない」マーヴィは嘆いた。
「フィッツジェラルドさんは調和的だったよ」平凡な農民は言った。
「あの方の融和的な姿勢は間違いでなかった」勇者は心の苦さを感じながら唸った。「あれを受け入れられないなら、破滅に至るぞ。肝に銘じろ、マーヴィス」
ブリンザ地方の奥地は完全に魔王の支配下だったが、はずれには町があった。いずれも強固な城塞都市だ。門は戦時下のように固く閉ざされ、衛兵や見張りは異様に高圧的で嫌味だ。とくに余所者は全く歓迎されない。おかげで勇者たちはカラミスの町の城門の前で不要な足止めや嫌がらせを食らった。
しかし、風物詩的ないざこざは起こらなかった。この精鋭部隊は酸いも甘いも嚙み締めた冒険の名人ばかりだった。我慢と忍耐はお手の物だった。
そして、いつもの平凡な挨拶がそっと響いた。
「今日はいい天気ですね」
この何気な一言で空気が和み、見張りの態度が改まり、城門が開いた。
「ほら、私のアルさまは守り神だわ」リタはアルを拝んだ。
「たまたまさ」マーヴィは空を見上げた。「現にここの太陽はかすみがちだ。空がはや冬のような色合いだ」
「いえ、今日は非常にいい天気ですよ?」道案内の現地人が言った。「普段のブリンザはもっと陰気で寒冷です。とくに数日前からの濃霧が出ない」
「それはもうアル天神さまのご加護ね。こちらが物干し竿を持ち歩くのはなぜでしょう? この混迷の世に洗濯日和を広めるためだわ」
「安く買えたからさ」物干し竿の男は三ゴールドの神器を錫杖のようにじゃらんと鳴らした。
「そんな風にすると、旅の行者に見えるな」マーヴィは言って、棒の先のものを眺めた。「それはなんだ?」
「するめだよ。食べる?」アルは棒のかちかちのげそを千切って、もぐもぐ食べた。




