神になる農民
雲の効果はかなり残留して、戦闘区域の全体を包んだ。おかげで観客席からの視認性は下がったが、雲そのものは全く無害で無味無臭だった。
「あいつも限界だけど、こっちもぎりだわ」リタは雲の外から神器の使用者を眺めた。冠を被った魔法使いはあきらかに疲労困憊だったが、唇をかみ切りながらボウガンを捨て、ナイフを両手に閃かせて、捨て身で特攻した。魔女はアルから物干し竿をかっぱらって、殴る、突く、払う、ぶん回すで相手を圧倒した。
しかしながら、みぞおちへの突きで地面に倒れた魔法使いは意識を切らさず、雲を出し続け、ついにリタに煙を吸わせた。そして、魔術師が矢をつがえながら、煙幕の中から現れた。実のところ、彼は魔術師風の装いをした弓兵だった。
「来い!」リタは魔法使いの顔面を蹴り飛ばして、ノックアウトさせ、短刀と物干し竿で防御を固めた。矢がひゅんと飛んできて、魔女の太ももにぐっさり刺さった。
このとき、魔法の雲が最後の清涼な空間にふわふわと漂い、戦いの外にいたサンシャ村の農民に触れた。そのとき不思議なことが起こった。怪しい煙が瞬時にかき消えて、この世に光が戻った。
突然の異変にアル以外の全員が困惑した。真っ先に我に返ったのはリタだった。彼女は魔法の力の復活を感じて、即座に弓兵を睨んで、弓矢をきりもみ上にめきめき粉砕した。さらに雲の冠を場外に吹き飛ばし、憂さを晴らすように電撃と氷柱と火炎と竜巻と砂嵐のコンビネーションを見舞って、魔術師風の弓兵を半殺しにした。
「やっぱり、今日はいい天気だな」このアルの一声が魔女の衝動を踏みとどまらせた。
「うん……まあ、やりすぎたわ」リタは反省して、とどめの爆発魔法を中断して、情けの回復呪文を唱え始めた。
この直後、マーヴィの炎の剣がディ・ラケーレ殿の剣を叩き切った。元祖勇者殿は両手を上げて、降参の意を示し、伝説の勇者の腕を取って、天に掲げた。
「マーヴィが勝った」アルは言った。
「アル、あんたが何かした?」リタは仲間の勝利を尻目にしつつ、寸前の危機の場面を思い返して、怪訝な表情で言った。「魔法の道具の効果が不自然に消えたけど?」
「ぼくはリタに物干し竿を渡した」
「そう、この物干し竿にはそんな効果が……」魔女は木の棒をぐるぐる回して、股に挟んで、怪しい動きをした。「ない! ただのシンプルな木の棒! あはははは!」
「おーい、しっかりしろ」マーヴィは魔法使いの発作に気付いて、ディ・ラケーレ殿と握手を交わし、彼女のそばにやって来た。
「おほほ! このしゅっとした男前はだれや! マーヴィはんやないか! ははは!」リタはやみくもに抱き着いた。
「これはいつもの病気だ。あっ、血だ! 怪我だ! 手当を!」勇者は少女のズボンの破れと血糊にぎょっとなって、救護班を呼んだ。
「へへへ、あっしが自前の魔法でもう治しやしたぜ。ああ
! このズボンはお気にだったのにぃ! あの弓のやつに止めをさしてやるぞー! うおー! あいつだー! うおー!」リタは絶叫しながら、物干し竿で威嚇した。瀕死の重態から復活した弓兵はびくっとなった。
「帰るぞ!」伝説の勇者はへべれけな魔女を担いで、大観衆の前からすたこら退場した。
元祖勇者アレサンドロ・デ・ラケーレ殿は紳士だった。ズボンの代金とお見舞いと激励の品が伝説の勇者一行の宿泊先に丁重に届いた。これと同じく大量のファンレターが同室に舞い込んだ。九割がウィロー嬢へのものだった。
「うむ、苦しゅうないぞ、ほほほ」リタは闇賭博でぼろ勝ちした金貨の山に寝そべって、高い酒をあおりながら、熱烈な文章をつまみにして、至福の一時に酔い痴れた。
「やっぱり、百人切りって、そっちのことだ?」マーヴィは酒池肉林の魔女にきいた。
「そっちのことでないなら、疾風の魔法で百人の敵将をずたずたに切り裂く方の百人切りになるけど?」
「はっはっは、冗談に聞こえないな」伝説の勇者は真顔になった。「おれはきみのおかげで勝てた。本当に感謝する」
「ほほほ、良きに計らえや、マーヴィス。わらわは五千ゴールドの分け前を期待するぞえ」リタは金貨をじゃらつかせた。
「え! きみは大金持ちじゃないか」マーヴィスは言った。
「金持ちが金を管理する。自明の理ね。むしろ、一万ゴールドをあなたに一任するのは破産の予兆だわ。わたしはファトム砦での悪夢を永遠に忘れません!」
「いつのはなしだよ」
「ぼくは百ゴールドの分け前を期待するぞえ」アルはリタの口調を棒読みで真似た。
「きみはもう少し欲張れよ。今日の戦いは値千金だ」
「じゃあ、二百ゴールドだ」
「マーヴィス殿、この無欲さを見習いなさい。金銭に執着する貴公はまだまだ未熟ですわよ、おほほほ」リタは金の池で泳いだ。
「おれは平時には別に拘らんけどな。さきの決戦を考えると、資金調達を無視できない」
「決戦?」
「おれは優勝賞金を戦費に当てようと思う。魔王を倒す聖戦だ」
「へえ! あんたは本気でやるの?」
「勝っても負けてもやる。おれたちが力を合わせれば、絶対に魔王を倒せる。実際、こんな歴戦の強者たちが一堂に会する機会がめったにあるか? 同盟、友情、口約束、とにかく何らかの連携やコネを作るのが大事だ。たとえ、この身が朽ちても、勇者の魂は死なない!」
「ステキだわ、マーヴィさま! 私はその案に乗った。貴公に一万ゴールドを融資しよう」リタは金貨をかき集めて、机の上にじゃらんと積んだ。「分け前の五千もこれに上乗せするわ。倍にして返してね」
「しゅ、出世払いで」マーヴィは大金にびくついた。
「おおおお、一万五千の勝負だ! 脳みそがひりつきますなあ! オルディアに使者を送って、ファトム砦の武具を移動させましょう。私が手紙を書くから、あとであなたが署名を入れてね」
「なんでおれが?」
「しっかりしてよ。あんたは城主でしょう?」
「そうだった」
「ぼくは何をしようか?」アルはたずねた。
「アルはさっさと寝る」
「うん、そうする」
「きみは来るか?」マーヴィは言った。
「どこに?」
「魔王のところへ」
「行くよ。何かお祭りみたいで楽しそうだし」
「きみはまた相変わらずだ。つぎは本当に危険な冒険だぞ。本物の戦争だ。遊びじゃないぜ?」
「そう注意する私たちがえらい目に遭って、この子はかすり傷一つ負わないというこの歴然の事実は何でしょうね?」リタは首を傾げた。
「たまたまだよ」無傷の農民はそう答えて、ふわあと欠伸をして、リタの足元で猫みたいに丸くなった。
「こら、誰がそこで寝ろと言いましたか? おーい、起きろー」
「おれのベッドで寝るか?」マーヴィは言った。
「おほほ、マーヴィ殿はこの数日で色男になりましたなあ」
「そういうことじゃないが」勇者は頭を掻いた。
「その気持ちだけ頂いて、私は手紙を書くわ。あんたも早く眠りなさい」リタは酒を飲み干すと、一枚のファンレターをさらっと読んで、羊皮紙の表面を魔法でまっさらに削り落とした。
「うちの姫は何から何まで上手にやるなあ」マーヴィは感心した。
「うん、私もそう思う。けど、昼間のあれにはひさびさに冷や汗を掻いたわ」リタは矢を受けた太ももをさすった。
「雲の冠か。あれは聖戦の切り札になりうる強力な神器だ」
「それをこんなところで一介の小娘に使う?」
「きみの一戦目のパフォーマンスだ。あれは圧巻だった。おかげで相手の魔法使いがびびってしまった。ここでこの魔女に勝てなければ、魔王に勝てないと思って……」
「たしかに一戦目にちょっと飛ばし過ぎたわね。このリタさまがケチな女の単純な挑発に熱くなってしまった。でも、暗黒の魔女はひどくない?」魔女はその悪いあだ名には発奮したが、百人切りの方にはついぞ触れなかった。
「女子の悪口は陰湿だなあ。しかし、良くあそこから切り返したよな?」
「うーん、それが謎だわ。一人目を棒でしばいてやっつけたけど、二人目に矢でぐっさりやられた。それから、雲がぱーっと晴れて、魔力が復活した」
「なんで雲が急に晴れた? きみの魔法か?」
「魔法を無効化する雲を魔法で無効化できるか? 現場の検証結果は否だわ。雲の冠の効果は私の魔法を上回った。あれを打ち消したのは私の魔法ではなかった」
「もちろん、おれの魔法でもない」
「とすると、消去法でこちらの猫もどきくんが残りますなあ」リタは丸くなった農民に顎をしゃくった。
「うちの実家の犬がこんな感じだぞ。これは犬もどきだ」マーヴィは言った。二人はけたけた笑った。ふと魔女は真顔になった。
「私の魔法を無効化できる神器の魔法を無効化できる力って一体何よ?」
「さあ」
「世界中の歴戦の勇者が死力を尽くす戦いを無傷でぼんやり切り抜ける人って一体何よ?」
「本人は農民だと言い張るが」
「この子と旅を始めてから、きれいな晴天ばかりに恵まれるのをどう思う?」
「伝説の晴れ男の力だ」
「もう少し真面目に考えてよ」
「じゃあ、きみはどう思う?」
「アルは……この子は……神の化身だわ」リタはそう断言して、犬猫もどきを拝んだ。「見よ、この無垢な寝顔を。聞け、この神聖な寝言を」
「今日は……いい天気ですね」そんな寝言がむにゃむにゃ聞こえた。
「おお、ありがたきお言葉。はあ、心がやすらぐ」
「リタの頭が狂ってしまった」マーヴィは茫然と呟いたが、ささやかなほんわか感を抑えられなかった。




