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4.魚のお皿

「とりあえず絵本から原文を書き出しておこうか」


 参照するのは19世紀の絵本。 Henry Louis Stephens著『Death and Burial of Poor Cock Robin』である。


Who caught his blood?

I, said the Fish,

With my little dish,

I caught his blood.




「確かに。何で魚が皿に血を採るんだろうな」


 暇な寄り合い部、合同同好研究部。現在、部長の訳した歌詞を参考にマザーグースの『誰がコマドリを殺したか』を調べている。

 みんな好き勝手な事をする部活なため、自由参加でメンバーが出たり入ったりしている。


 仕切り直して元英語研究部、近堂こんどうが個人で細々調べた範囲で話し始める。

「こういうのだと『当たり前すぎて解説が無い』か、『失伝してて説明のしようがない』か、『マザーグースによくあるようにナンセンス詩という結論になってる』のか……」


「何かのサイトで直接現地の人に聞いてみればいいんじゃないの?」

「いや無理……」


 近堂こんどうは日本人相手でも人見知りなので無理である。無理なものはそれ以上強制してはいけない。そんなに言うならお前がやれよと周りから言われてしまう。合同同好研究部の活動にそんなに熱意のある者はいない。


「この絵本の魚の絵の背景にあるCoroners officeって検視局、つまりこの魚は検視をする人、検視官なんじゃないかと思うんだけど……」

「その下の英文は?」

「コマドリ殺()事件の捜査に協力してくれた()への報奨金かな?」


「……もしかして絵本の絵って歌詞に関係なかったりする?」

「古い歌だからイラストレーターさんの裁量に任されたんじゃないかな。絵本だから物語にしたかっただろうし。

 とにかく、この事から「血を採るって事は魚は検視してる?」って英語圏のイラストレーターさんも判断してるみたい。この魚の背景から裁判所で証言してるっぽく見えるし」

「つまり魚が血を採る理由は英語圏の人にとっても謎の可能性があるのか?」

「少なくとも19世紀半ばの葬式で必須の習慣ではない?」

「ていうか絵本1865年頃ですよね? 検視ってあるんですか?」


 その疑問に横から答えたのは元歴史研究部保志名ほしなであった。

「イギリスの検視官coronerは一応12世紀頃からあるらしい」

「12世紀!?」

「科学捜査とかないでしょ? 何やってたの? その人たち」

「んー……何か征服しに来た王朝が自国民を保護するために作った法律が大本にあるらしいんだ。殺人事件で殺された人を原則征服王朝の人間として扱い、殺人事件があった村に罰金を課すらしい。それをごまかされないように監視として置いたのが検視官……っぽい?

 16世紀頃から社会的役割は徐々に変わってたっぽいんだけど、検視法が大きく改定されたのが1887年、社会の安全のために変死を捜査することが主な目的になったみたいだ。1887年はシャーロックホームズが雑誌に掲載された年だったりするらしい。

 犯罪捜査に積極的に科学的手法を用いようっていう変革期だったんじゃないかな」



 およそ話がひと段落したところで、部長が声をかけて元英語研究部近堂こんどうが再び話し出す。

「まず慣用句を調べてみたけど……血と皿、あとcatch bloodという動作に関係する用法は見つけられなかった。blood on handなら『死の原因に関わりがある』みたいな意味らしいけど……」

「blood on dishだもんな。根本的に使い方が違いそうだ」

「推理小説なら歌になぞらえて魚が共犯者の暗示みたいになってそうですな」


「そういうわけで3番の魚の歌詞の解釈は思い付きだと思って聞いてほしい。何か情報が見つかればすぐに否定される可能性が高い」


 予防線を張った近堂こんどうが話を始める。


「まず中世に瀉血しゃけつって治療法があった」


 現代では否定されている古代の医学に四体液説というものがある。

 人間の健康を保つには人間の体内にある四つの色の液のバランスをとる事が重要とされていた古代の考えである。四つの液とは諸説あるものの血液などの赤い液、粘液などの青い液、肝臓にあるような黄色い液、脾臓にあるような黒い液であった。

 そのため熱が出て顔が赤い時などは赤い液が多すぎるとされ、血管を切って体の血を抜くことでバランスをとろうという理屈で行われる治療法が瀉血であった。


「……ロビンフッドのネタバレするけどいい?」

「何で??」

「大丈夫ですぞ」

 近堂こんどうの突然のネタばらし発言に困惑する副部長早矢はやと、対照的な反応を見せる元サブカルチャー研究部西院寺さいいんじである。



「ロビンフッドの最期が修道院で瀉血の処置を受けたところ修道女が裏切り、出血多量の所で襲撃を受ける。もしくは気付いた時には処置するには手遅れで、矢の落ちた所に葬ってほしいという遺言を残し最後の矢を撃って息を引き取る。

 こういうエピソードもあってかこの歌の由来がロビンフッドじゃないかって説があるらしい」

「へー」

「でも死因が違いますよね……?」

「雀と弓矢どっから来たって事になるよな……被害者と加害者が混ざったのか?」


 近堂こんどうは話を続ける。

「ロビンフッドは説の一つとしてとりあえず置いておいて、もしかして遺体の保存技術として血を抜く作法があったんじゃないかなと。

 血圧が無いと難しいとは思うけど、さっきあったように瀉血は行っていたから、角度をつけるとかで技術的に不可能ではないんじゃないかと」


「うーむ……遺体と同列に語るのははばかられるでござるが……確かに異世界転移で狩人として成り上がる場合、血抜きで獲物の保存状態を褒められるのは定番でござるな……」


 小柳こやなぎのコメントをスルーして近堂こんどうは続ける。


「現代につながる遺体保存技術embalmingが確立されたのは19世紀。多分フランスのジャンニコラ・ガナルJean-Nicolas Gannalという人の辺りじゃないかと思われる。遺体の血管に薬液を通すことが行われた。この技術書が書かれたのが1838年。英語に翻訳されたのが1840年頃。

 この技術は今も改良を加えつつ使われていてる。

 19世紀、アメリカ南北戦争で戦死者の葬式をあげるために広く使われるようになったとされている。暗殺されたリンカン大統領の葬式にも使われたらしい」

 

「ああ、それで大統領の葬送列車みたいなことができたのか……絶対途中で悲惨なことになるだろって思ってた」

「19世紀というと……コマドリの最初の出版物のちょっと後?」

「コマドリには間に合わないな」


 しかし近堂こんどうの話には続きがあった。

「実は遺体の保存技術自体はもっと昔からある。

 エジプトのミイラが有名だけど、内臓を取り出し、殺菌作用のある香料やアルコールなどを使って腐敗を防ぐというのは西暦500年頃にはヨーロッパにも知られていたらしい。

 ほら、さっきちらっと出てきたウィリアム2世、狩りで矢に当たって死んだ王様。その弟のヘンリー1世がやっぱり旅先で亡くなったときに、そういう保存技術を使われて、旅先から埋葬地まで運ばれたらしいんだよ」


「それで保存できたの?!」

「さすがに完璧とは言い難かったっぽい。伝わってる話によると革袋の隙間から黒っぽい液が……」

「あ、いいや、あんまり詳しく聞きたくない」

 ちょっと引く聴衆である。


「思いがけないところでまたウィリアム二世出てきた」


 近堂こんどうは話を続ける。


「12世紀の獅子心王リチャード1世の心臓が鉛の箱に保管されてたのが見つかってる。さすがにもう形は残ってなかったけど、香料や薬品が使われた痕跡があったみたい」

「へー」

「で、14世紀、モンディオ・デ・ルッツィMondino de Luzziという解剖学の教科書を書いた人が居るんだけど」

「14世紀って中世だよね? 中世って解剖とか異端じゃなかったの?」


「14世紀頃の教皇ボニファティウス8世の出した布告の内容は解剖禁止令と紛らわしいけど、要は十字軍の戦没者の遺体を解体したりして持って帰る事を禁止したものだっていう説がある。イタリアの大学では解剖学やってたらしいんだ」


「つまりこの頃は解剖は社会的にOKって事?」

「チラチラ怖い話が出るな」

「今調べてるのは殺人(?)事件の葬式の歌だという事をお忘れでござるな?」


 周囲のリアクションを尻目に近堂こんどうの解説は続く。


「その解剖学者、モンディオ・デ・ルッツィの助手にアレッサンドラ・ギリアーニAlessandra Gilianiという人が居た。その人が死体の血管に染料の液を入れて死体を保存する事に成功した。と伝えられる。これが14世紀の事。

 15世紀に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチも遺体の血管に薬液を流して保存する方法と思しきメモを残しているらしい」


「ダヴィンチ、解剖をやってたのは聞いてたけど、そんな事もしてたのか」

「解剖の教科書の人の助手、活躍は残ってないの?」

「記録はほとんど残ってないらしい。女性で若くして亡くなったと言われている」

「ええ……」


「この助手の人の実在を疑う声もあるけど、とにかく、14世紀頃には血管にどうにか処置をして遺体を保存しようという試みがあったんじゃないかという事。

 そしてそれは誰か一人の閃きの前に、多くの人の試行錯誤の上に成り立ってるはず。

 18世紀にはウィリアム・ハンターWilliam Hunterという医師がやっぱり血管に薬液を入れて遺体を保存したと言われている。この人は女王の担当もした産婦人科医なんだけど、この解剖の業績が目覚ましくて非合法に死体を手に入れたという噂が絶えなかった」


 近堂こんどうの説明を聞いていた飛田ひだが納得するように頷いた。

「つまり、14世紀から18世紀には不完全ながらも血に何かして遺体を保存しようとする習慣があった可能性があるわけか」


 それを受けて部長が指折り数える。


「そういう処置ができそうな人は限られそうだね。血管にアクセスできるなら医者、あとは狩人とか肉屋ぐらい?」

「何か切り裂きジャックの犯人探しみたいになってきたぞ」


「遺体の保存の為って言っても、知らない人が中世に肉屋や狩人が死体切って血を集めてるの見たら教会に通報待ったなしじゃない?」

「吸血鬼呼ばわりされそう」

「そういえば先の検視官の法律と一緒に犯罪の第一発見者は大声で人を呼ぶHue and cryって法律があったらしい」

「ドラマとかのあれってただ騒いでるわけじゃなくて法律だったんだ……」


「ていうかさ、この歌作った人、お葬式に詳しくない?」

「……確かに」

「昔は今より葬式が頻繁にあるとはいえ、結構詳しいのかなって思うな」

「仮に魚の血のくだりが一部の人しか知らない技術だったりすると、余計に関係者感がある」

「……もしかして聖職者?」


「ヘンリー1世の遺体はルーアン大聖堂で防腐処置を受けたとされてる。聖職者がやってたんじゃないかな。防腐処置」

「当時からメロディがついてたかは分からないけど、作詩も作曲もそこそこの知的階級じゃないとできなそうだから可能性はありそう」


「ちょっと面白くなってきたね。次の歌詞も見て行こうか」


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