28.我が王国を賭するに足る馬を
「発汗病は夏と初秋に多く発生し、何故か特に若者や裕福な人によく起こる。
悪寒から始まって頭痛、全身の痛み、発熱と大量の汗。
悪いと数時間で死亡する。
30~40代の男性に多いらしい。エドワード兄さんの死因。もしかしてこれだったんじゃないかな」
「エドワード兄さんは不摂生により、以前から体調を崩してはいた様だ。でもそこに感染症が加わったなら」
「釣りに出かけてる途中に急にひどい悪寒に襲われて………って話だ。 3月30日に発病、4月9日に死亡」
「悪寒か………」
「出典に当たれなかったけど、脳卒中って説があるなら頭痛もあったはずだ、症状はよく当てはまっている」
「翌年の近い時期にリチャード3世が息子を亡くしてる。元々体が弱かったって説もあるんだけど、かなり急な死だったらしい。これの可能性がある」
「新興感染症なら変異した可能性がある。症状が違ってて記録されなかったかもしれない」
「しばらく後の時代にフランスなどでも、よく似た特徴で症状が少しずつ違う病気が記録されてる。多分、急速に変異してる」
「恐らく1483年の秋、ロンドン塔のリチャード3世の甥達もこれに感染して死亡した。
塔の王子、リチャード3世の甥達の兄の方、エドワードが体調を崩していたと思われる記録は存在する……」
寄り合い同好会集団、合同同好研究部。
暇に飽かせて、童謡『Who killed Cock Robin』の元ネタを検証していたところ、歌の由来がリチャード3世の鎮魂を祈るものだったのではないかという仮説が出た。
リチャード3世と言えばシェイクスピアに描かれる悪役主人公であるが、その悪行の多くは後代に創作されたものとされる。
イングランドとフランスが争った百年戦争の終わり頃、イングランドでは中央政治から遠ざけられた貴族の間で、枢密院への不信が募り爆発。薔薇戦争が勃発する。
その争いの中心となったのが枢密院のランカスター家とその分家ボーフォート家。そしてリチャード3世の父親、ヨーク公リチャードである。
ヨーク公リチャードは王位継承権を得るものの、戦死。代わってリチャード3世の兄がエドワード4世として王位に就く。
エドワード4世と従兄弟のウォリック伯、リチャード・ネヴィルが協力し、敵対していたランカスター派を追い落とすことに成功。
この治世の間、リチャード3世はグロスター公の地位を与えられ成長していく。
しかしエドワード4世の秘密結婚の頃から徐々にエドワード4世とウォリック伯の仲が悪化。
ウォリック伯はクラレンス公ジョージと結託して反乱を起こし、エドワード4世とグロスター公リチャード達は国外に脱出する。
その翌年、エドワード4世とグロスター公リチャードは軍備を整え、反攻を開始。
この戦いによりウォリック伯は討ち死に、国王だったヘンリー6世の直系は途絶え、ランカスター派は勢いを失い、エドワード4世は国を治めた。
エドワード4世の治世中、兄弟であるクラレンス公ジョージの処刑や、周辺国との戦争などがあったものの、概ね穏やかに国は保たれていた。
しかし、そのエドワード4世が急死する。
エドワード4世は死の間際に、グロスター公リチャードを護国卿に任命した。
しかし、グロスター公リチャードは突然、甥の戴冠式を延期。
秘密結婚の以前に別の女性と交わされていた兄の婚約によって、義姉との結婚は成立していないと発表。甥であるエドワード4世の息子たちの嫡出を否定し、継承権を無効化。自身が王位に就いた。
リチャード3世である。
しかし簒奪の形になったためか、国内が不安定化。
リチャード3世と同盟者のはずのバッキンガム公の反乱などが勃発。
ボズワースの戦いではリチャード3世のほとんどの軍が動かず、ランカスター派の当主、ヘンリー7世に敗北した。
この一連の史実を確認した上で、一番極端な事を仮定した。すなわち、リチャード3世が完全に無罪だった場合、何を思ってどんな行動をしていたのか。である。
そうして出てきたのが、エドワード5世戴冠式騒動の真犯人は、エドワード4世時代の恩恵が無くなる事を恐れたウッドヴィル家の一部が、リチャード3世を排除しようとしたのではないか、という仮説である。
エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚により、国王の庇護を受けていたウッドヴィル家。
しかしエドワード4世の急逝により、急遽、護国卿に任命されたのは、ウッドヴィル家の対立派閥と目されていたリチャード3世だった。
後ろ盾が無くなる事を恐れたウッドヴィル家の一部が、教会関係者を巻き込んで陰謀を企んだ。
戴冠式でエドワード4世の重婚を指摘して王子を非嫡子扱いし、偽王排除の暴動を誘発する。その動揺を突いて政敵であるリチャード3世を暗殺し、自作自演の嫡子回復の功を上げて王を傀儡化する。
しかし、その実態はランカスター派が策謀した、ヨーク派の内紛を狙う離間計だった。
リチャード3世はそれを阻止しようとしたが、リチャード3世に味方してくれたアンソニー・ウッドヴィルや盟友のヘイスティングス達は騒動に紛れて処刑された。
甥達は教会法に諮られるのは回避したものの、法律的には庶子という扱いにせざるを得なくなった。
やむを得ずリチャード3世が王位に就く。
法律上の庶子。それは国内の不穏分子を排除した後で、法律を削除して甥達を嫡子に戻し、王位に就ける布石だった。
しかしロンドン塔で保護している間に、甥達の命を奪ったのが新興感染症、発汗病。
という仮定で話を進めている。
「でもそれなら何で公表しなかった? 病死なら世間も納得するだろ?
悪い噂は立てられるだろうけど、多分流行ってるんだろうし「ああ、あの病気か」って大半の人には納得されるだろ?」
「やっぱ不安定化した中で甥殺しの噂を立てられるのはまずいと思ったんじゃないか? ジョン王の二の舞だし」
「もう立ってるだろ? 今更隠す事か?」
「………庶子って埋葬どうなるの?」
不意に声を上げたのは、眠そうな目をした副部長の早矢である。それを聞いて数人が顔を見合わせる。
「どうなるって、どういう事? 副部長」
「向こうの葬式って教会が仕切るんでしょ? 正当後継者と庶子だと葬式の格式とか違うんじゃないの?」
この仮説では、王室の称号令Titilus Regiusは甥達を法律上で庶子扱いする事で教会法に諮られるのを回避し、機を見て法律を削除して、嫡子に回復することを狙ったものである。
「………誰か15世紀のイングランドの王侯貴族の嫡子と庶子の葬式とか、分かるか……?」
「分からん……けどヘンリー8世の庶子の葬式はたしか密葬で、参列者ほぼ居なかったはず。ヘンリー8世の命令だったっていうけど、明らかに嫡子の葬式とは違う」
「もしかして………埋葬時に庶子である事が教会法上で確定できちゃうのか………?」
「……………18世紀に建物の修理業者が間違ってエドワード4世夫妻の玄室に入り込んだらしい。夫婦の棺の他に、もう二つ棺があったと言われている。
先に亡くなった夫婦の子供の物だと思われていたが、その子達二人の棺は別の場所にある。二つの棺の主は不明のまま」
「議会で否決できるように、王室の称号令Titilus Regiusによって法律上の庶子扱いで食い止める予定だった。
それなのに教会法上で庶子の扱いになったら、覆すのが困難になってしまう。だから秘密裏に埋葬した? エドワード兄さんの墓に。
甥達の嫡子回復を諦められてなかったから」
「甥達が庶子に決まったら、姪達の立場も決まる。もし中世の埋葬時にそうした記録が残るなら、葬儀を行うのは回避するしかない。死んだ事は公表できない」
「………もしそうなら、甥姪を守ろうとしたリチャード3世が、ヘンリー7世に正当な王位継承者の幽霊を見せ続けてたんだな………」
「もしかしたらエリザベス義姉さんも最後はリチャード3世から全部聞いて、子供達の埋葬の秘密を守る共犯、引き受けてくれたのかもね」
「?」
「エリザベス義姉さん。エドワード兄さんの墓に葬られてるはずなんだけど、質素な葬式を望んで、埋葬時には本当に数人の限られた人しか参加させなかったらしいんだ。
それで超高速埋葬。
エリザベス義姉さんの死因が疫病だったからっていうのもあるらしいんだけど、もしかしたら……」
「………和解してたならちょっと救われるよな」
「発汗病を調べてたら、ボズワースの戦いの直前にリチャード3世が発症してた可能性が指摘されてるらしい」
「もしかして突撃したのって、朦朧としてたか、早くケリをつけて休みたかったのか?」
「違う。兄も、甥も、もしかしたら息子も、この病気で亡くしてる事になる。
もし罹ってたなら症状に気付いた時に思ったはずだ。「自分の番が来た」って」
「え……」
「リチャード3世、突撃の前に腹心の人から撤退を促されてるんだ。ここで全てを決めることはない、って。普通に考えれば全くもってその通り。
でも突撃した。
リチャード3世には、もう次は無かったんだ」
「ああ………」
「だから無謀にも見える突撃に賭けた。ここだけはシェイクスピアのリチャード3世と全く同じ。
本当に、あの時あの場でヘンリー7世を討ち取るまで止まる気はなかったんだ」
「………………」
「………なるほど………乱戦の戦場で兜を脱いでたのは、熱でオーバーヒート寸前だったか、視界の汗をぬぐうのに邪魔だったのかもね………」
「リチャード3世の軍が動かなかったの、それが原因かもしれん」
「どういうこと?」
「ランカスター寄りとはいえ、数の上でも疲労の上でも有利な王様の軍の真横で日和見決め込む方が後々のリスクが高い。
でもリチャード3世の症状に気付いてたなら話が違う。日和見を決め込んで長引かせるだけで、数時間後にリチャード3世は死ぬんだ。
ここで勝っても王様は死ぬ。一方で動かないだけでヘンリー7世に恩を売れる。
騎士道精神云々言われる時代で、真相なんて絶対言えない」
「………ヘンリー7世も知らなかったんだな……本当に偶然だったんだ、きっと」
「リチャード3世の腹心のウィリアム・ケイツビーWilliam Catesbyは撤退を進言してる所を見るに、気付かなかったのか、信じたくなかったのか、撤退して治療に専念してほしかったのかは分からないけど……こんな突然の発症なんて、意識してなきゃ思いつかないだろう。
例の人質をとられたダービー伯トマス・スタンリーが、発汗病を理由に出陣を断ろうとしてた。
発汗病の事が嘘か本当かは置いておいて、この病気の存在は念頭にあったはずだ。夏とはいえ、王様が頻繁に水分補給してたりしたら、きっと気付く」
「ジョージ・スタンリーさ、人質じゃなかったんじゃね?
本当は父親の隊との伝令役とかだったんじゃね?」
「………わかんないけどね………」
「そうだとしたら………本当に疫病に人生を狂わされたんだな、この人………」
「神様はちゃんとsave the kingしてやってよ……」
「神様は万物に平等だからかな。ヘンリー7世が統治を始めた後も、ちゃんと疫病として大流行したらしい。
「ヘンリー7世の王朝、呪われたんじゃねーの?」って、しっかり陰口を叩かれたようだ。
高貴で頑健な男も『Stoop』屈する奇病の噂。側弯があったとされるリチャード3世をどうにも彷彿とさせるな?」
「Stoop?」
「屈する。猫背って意味もあるらしい」
「………もしかしてそれが理由で「いや、先に甥っ子から簒奪したのあいつだし」みたいな印象操作をやったんじゃないか?」
「そうかもね。同時代の人は詳しい事情は分からなくても、薄々気づいてたのかもしれない。已むに已まれぬ理由でリチャード3世が戴冠した事」
「そして新王朝の体制下で大っぴらに否定することもできないから、ばら撒かれた噂だけが残って伝わっちゃったか」
副部長が相変わらず眠そうな目で端末を見ながら言い出した。
「トマス・モアさん、処刑されたっていうから王様の御機嫌取りか何かでリチャード3世を書いたと思ってたけど、リチャード3世を書いてたのって1513年頃から1519年頃で、しかも途中でやめてんだね」
「……………ん?」




