22.閉幕
「1483年。エドワード4世は急死した」
「急死? 何で?」
「病死とされてる。急激に症状が悪化してるんで毒殺って説は当時からあったらしいけど、マジで謎」
「ストレスと不摂生からの脳卒中って説がある。この時リチャード3世、31歳。エドワード兄さん、41歳」
「多分誕生日来てないから40歳」
寄り合い同好会集団、合同同好研究部。
暇に飽かせて、童謡『Who killed Cock Robin』の元ネタを検証している。
現在は15、16世紀にリチャード3世の鎮魂を祈るためにできた。という仮説のもと、薔薇戦争の内容を確認している。
イングランドとフランスが争った百年戦争の終わり頃、イングランドでは中央政治から遠ざけられた貴族の間で枢密院への不信が募り、爆発。薔薇戦争が勃発する。
その争いの中心となったのが枢密院のランカスター家とその分家ボーフォート家。そしてリチャード3世の父親、ヨーク公リチャードである。
ヨーク公リチャードは王位継承権を得るものの、志半ばで戦死。代わってリチャード3世の兄がエドワード4世として王位に就く。
エドワード4世と従兄弟のウォリック伯、リチャード・ネヴィルが協力し、敵対していたランカスター派を追い落とすことに成功。
この治世の間、幼いリチャード3世はグロスター公の地位を与えられ成長していく。
しかしエドワード4世の秘密結婚の頃から徐々にエドワード4世とウォリック伯の仲が悪化。
ウォリック伯はグロスター公リチャードの兄、クラレンス公ジョージとともに反乱を起こし、エドワード4世達はブルゴーニュに脱出する。
その翌年、エドワード4世とグロスター公リチャードはブルゴーニュで軍備を整え、反攻を開始。
この一連の戦闘で国王ヘンリー6世の直系は途絶え、ランカスター派は勢いを失い、エドワード4世は国を治めた。
エドワード4世の治世中、兄弟であるクラレンス公ジョージの処刑や、周辺国との戦争などがあったものの、概ね穏やかに国は保たれていた。
しかし、そのエドワード4世が急死する。
「エドワード兄さんは急死とは言っても、死ぬ前に遺言を残す時間はあったらしい。
そのため、まだ幼い息子達のために、北の統治を任せていたリチャード3世を護国卿に指名したと言われている。
知っての通り、これはかなり強力な地位で、王様とほぼ同等の権力を行使できる。リチャード父さんが就いてた最高職だ」
リチャード3世の甥姪にあたる、エドワード4世の子供達。
男の子は長男のエドワード、13歳。弟のリチャード、10歳。
女の子は17歳のエリザベス。14歳のセシリー。11歳のアン。4歳のキャサリン。3歳のブリジット。
「……エドワード兄さん、子供にエドワードとリチャードって名付けたんだね……」
「甥っ子弟の名前の由来がリチャード3世のリチャードかはちょっと調べられなかった。リチャード父さんからかもしんない」
「甥っ子兄の方が王様になる予定のエドワード5世なんだけど、甥っ子兄、ここに居る一年ズと同い年か?」
「そうですね」
「さて、シェイクスピアの劇で描かれるリチャード3世の悪行は史実で大体否定されてるけど、否定できないのはここの簒奪の動きだ」
「え? ああ、そういえば。
リチャード3世、ずっとエドワード兄さんに付き従ってて、一度も裏切り行為とかやってないな」
「一年ズ、簒奪されて対応できると思う?」
「挨拶以外で知らない親戚の叔父さんに話しかけるのがまず無理っすけど」
「まぁ普通はそんな感じだよね」
「エドワード兄さんが亡くなった時、後継者である甥のエドワードはラドロー城に居た。
リチャード3世はロンドンに向かう途中で甥のエドワードと合流すると、陰謀の存在を告げて他の護衛を退けて武装解除させ、ロンドンまで護送し、甥の身柄をロンドン塔に保護したとされている。
そして陰謀に関わったとして次々と要人を逮捕、場合によっては処刑した。ウッドヴィル家が多く含まれていた。その中には甥の家庭教師や異父兄なども居る」
「異父兄?」
「エリザベス義姉さんの前の旦那さんとの間の子」
「ジョン・モートン逮捕もこの時だな。釈放されてるけど」
「誰だっけ?」
「トマス・モアがお世話になってた教会の偉い人。シェイクスピアの参考資料の一つがトマス・モアの著作と考えられてる」
「ああ、そういえば」
「エドワード兄さんの奥さん、エリザベス義姉さんは危険を感じて子供たちを連れてウェストミンスター寺院に逃げ込んだ。
リチャード3世は説得によってもう一人の甥、弟の方のリチャードも寺院から連れ出してロンドン塔に送る。その後、甥のエドワード5世の戴冠式は無期限に延期になった」
「前にエドワード兄さんとエリザベス義姉さんの秘密結婚の話出たよね?」
「え? ああ、エドワード兄さんが従兄弟と仲悪くなった一番最初の? リチャード3世、この簒奪に利用したんだっけ?」
「エドワード兄さんは秘密結婚の前に、別の女の人と婚約していた。
だからエドワード兄さんとエリザベス義姉さんの結婚は成立していない。
という理屈をリチャード3世は議会に承認させた」
「ええ? なにそれ初耳なんだけど?」
「この時に初めて出てきたからな」
「そうしてリチャード3世は甥達の嫡出を否定して継承権を無効とし、代わりに王位に就いた。
この間、エドワード兄さんの死からほんの数か月」
「え、怖」
「ちなみに、ここで更にすげー紛らわしい事を言うと、俺達がちょくちょくノーフォーク公と呼んでいるハワード家の人達は戴冠式時点ではノーフォーク公じゃなかったらしい。
ノーフォーク公の直系の子孫は小さい女の子で、俺らの知ってる初代ノーフォーク公ジョン・ハワードの母方の親戚。
別の親戚はエドワード兄さんの時代に、財政難の救済措置を受ける代わりにノーフォーク公の財産の所有権を放棄し、議会で承認されたようだ。
この直系の女の子は戴冠式の数年前に、8歳で亡くなっちゃってるんだけど、彼女のノーフォークの財産はその夫になっていた小さい男の子に相続された。
相続した小さい男の子、誰だか分かる? 副部長」
「全然分かんないけど………あ。
この時点で言い出して、小さい男の子って事は、エドワード兄さんの息子のどっちかじゃない?」
「………相変わらず変な勘してるな。そう、エドワード兄さんの息子の弟の方、リチャードが相続している。
そしてこの戴冠式騒動の後、王子達の継承権は否定された。
王位に就いたリチャード3世によって、ジョン・ハワードは初代ノーフォーク公に叙せられる」
「なるほど、リチャード3世とノーフォーク公には戴冠式の甥達の継承無効で利害関係があったわけだ………。
でも一桁歳で奥さんから相続って………割と無茶苦茶じゃない? って気もするけど。
あと、特に血縁関係があるんじゃないんだよね? 完全に法律による機械的な相続なんでしょ?」
「当時の感覚が分かんないから何とも言えない。
リチャード3世だって奥さんと会ったのもグロスター公になったのも10歳ぐらいだし。
リチャード3世の伯母さんに当たる人は確か3歳で婚約、4歳で結婚だし。
機械的に適用できるから法律なわけだしな。
でも日本にだって一所懸命の価値観はあるし、先祖伝来の血族の土地というなら、その家の人に渡してあげたいのも人情だとは思う」
「戴冠式騒動の後、ロンドン塔の甥達の姿は秋ごろに見えなくなり、リチャード3世に殺されたという噂が広がる。
それに端を発してその年の10月、リチャード3世と同盟者のはずのバッキンガム公が反乱を起こした」
「バッキンガム公ってリチャード父さんが負けちゃって海外に逃げてた時にリチャード3世達がお世話になってた……? 従兄弟に陣地に侵入されて討ち死にしてなかったっけ?」
「その人の孫だね。反乱を起こしたのはバッキンガム公ハンフリー・スタッフォードの孫、2代目バッキンガム公ヘンリー・スタッフォードHenry Stafford」
「あれ? バッキンガム公の息子というかお父さんというかは?」
「最初のセントオールバンズ、リチャード父さんが政敵を戦死させた戦いで王様を守って戦死したぞ」
「おう……」
「バッキンガム公、戴冠式の王子の護衛まではリチャード3世と行動をともにしてるんだけど、その後で数か月後に急にこの反乱を起こしてる。
だから王子達を助けようとしたんじゃないかって言われてるし、実際そう言って反乱を起こしてる」
「ただし、王子達が死んだのが確認できたから王位を狙いに行ったって説もあるけどな」
「?」
「バッキンガム公はエドワード3世の息子のグロスター公の子孫。王位継承権はある」
「あ! 百年前に反逆罪になった上に暗殺された人!? ここで出てくんの?!」
「リチャード3世が反乱を鎮圧してバッキンガム公を処刑すると、反乱軍は大陸に逃れてブルターニュに居たヘンリー7世を担ぎ上げる」
「えーと、ヘンリー7世……この後リチャード3世を倒してエドワード兄さんの娘と結婚するんだっけ?」
「合ってる」
「あれ? ブルターニュ、前まで仲良くなかった? ヘンリー7世が居るの?」
「そっちはブルゴーニュじゃない? マーガレット姉さんが結婚した所はブルゴーニュの方だよ」
「そっちだ。間違えた」
「ブルゴーニュもこの頃はちょっと大変だったかな。仲良かった義兄さんが亡くなったりなんだりで暴動が起こってたり」
「………じゃあブルターニュは何??どこ??」
「イングランドと無関係って事もないんだけど、紹介するタイミングを逃した」
「副部長がブルゴーニュと混同しそうなんで黙ってた」
「ヘンリー7世の母方のおじいさんが百年戦争の時うっかり侵入しちゃった町の国」
「……………ああヘンリー7世のおじいさんの、軍隊連れて迷子エピソード。ってことはフランスの西の方にあった国か」
「ブルターニュ公国はフランスの北西だよ」
「ヘンリー7世のおじいさん絶対気にしてるからあんま言ってやるなよ」
「それ以前はちゃんと海軍率いて攻撃に参加してるからダメダメなわけじゃないぞヘンリー7世のおじいさんは」
「百年戦争中、イングランドとフランスがブルターニュの後継者争いを支援して代理戦争状態が起こったりする。
でもイングランドが周囲の土地から追い出された後はフランスがブルターニュを併合しようとして来るから、基本的に対フランスという姿勢は一緒なのでイングランドとブルターニュは仲は悪くない。
フランスの王様にお金を渡されて帰る事になった戦争でも最初は手を組んでたし、甥っ子兄の方のエドワードの婚約者はここのお姫様。
ブルターニュがヘンリー7世達を保護してたのも、対フランス戦でイングランドの支援を取り付けるための切り札の意味合いもあった様だ」
「実際リチャード3世がブルターニュに軍備を援助する見返りにヘンリー7世の身内がイングランドに送られそうになって、ヘンリー7世達はあわててフランスに援助してもらって反撃に出た。という面があるらしい。
どうもエドワード兄さんの頃も、まぁそこまで脅威でもないし目の届かない所に行かれるよりはいいか、って感じで、ちょくちょく身柄受け渡し交渉はしてたもののブルターニュの王様に任せてたみたいだ」
「でもリチャード3世負けたよね?」
「海越えて来るのって結構大変だからな。ヘンリー7世、バッキンガム公の反乱とかにも加勢しようとしたけど、間に合わなくてすごすご帰ったって事もあったみたいだぞ。
ボズワースは……何か色々あったっぽいんだよな………」
「リチャード3世は王位に就いた翌年の春先に息子を、翌々年の春に奥さんを相次いで病気で亡くす。
息子が亡くなった時の夫婦の悲しみ様は計り知れず、奥さんが亡くなった時は泣いてたらしい。
奥さんの死因は恐らく命に係わる慢性疾患、結核と言われてるけど、「リチャード3世が姪のエリザベスと結婚するために奥さんに毒盛ったんじゃないか」って言われて『大きな声』で否定したと言われてる」
「傷心の中でそんなん言われてリチャード3世がキレたって話じゃないの? それ」
「これに関しては広く否定したって意味で伝わってるみたいだけど、どうなんだろうね?」
「ちなみにシェイクスピアの『リチャード3世』ではもちろん確信犯で甥達も殺してるし姪と結婚するために奥さんも毒殺している。息子の話は出てこない」
「一方、ヘンリー7世がフランスの援助を受け進軍してきた。リチャード3世は迎え撃った。
ボズワースの戦い。1485年。リチャード3世、33歳……誕生日来てないから32歳か。
リチャード3世はここで戦死した」
「リチャード3世、この戦闘で人質とったっていうのも悪逆非道扱いされた原因な気がする」
「人質? いくつ? 誰の知り合い?」
「25歳だったかな? ヘンリー7世の、血は繋がってない兄弟だったはずなんだけど」
「血が繋がってない兄弟???」
「人質になったのは9代目ストレンジ男爵ジョージ・スタンリーだな。実はリチャード3世の従姉妹甥だった気がする。ネヴィル家のいっぱい居る従姉妹の息子。
この人の父親が再婚してヘンリー7世と血縁の無い兄弟だったはず?」
「ああ、再婚相手の連れ子同士って事か……え、リチャード3世負けるんだよね? その人無駄死に?」
「信用できない味方に対する牽制の意味合いもあったらしいんだよ。戦闘が始まって処刑する暇が無かったとかで、人質にした人は普通に生存したはず」
「このボズワースの戦いではリチャード3世の方が戦場に先に着いて休憩をとっていたから、人数でも疲労度でも有利だったらしい」
「そんな状態で何で負けたの? 余裕ぶってたら負けた感じ?」
「……実際に戦闘が始まったら、リチャード3世のほとんどの味方が動かなかったと言われている。戦ってくれたのはノーフォーク公、ジョン・ハワードの軍」
「え……え? 何で? 有利だったんだよね?」
「詳細は不明だ。裏切りに遭ったのかもね」
「そういえば人質まで取って警戒してるもんな」
「記録からおおよそ伝わってる戦闘の内容としては、リチャード3世は劣勢を悟り、敵本陣に突撃を敢行した末に沼地で馬が足をとられ、それでも向かっていく途中で乱戦の中、討ち死にしたとされている。
発掘された遺骨を調べた結果、戦闘で付いたと思われる怪我は頭部にのみ。
なぜか兜を着けてなかったらしい。
大きな傷は後頭部の骨と脳の一部を切断するように付いた傷と、右顔面部から脳に貫通した傷。致命傷になったのは後頭部の傷だそうだ」
「待って、つまり顔面刺されても生きてたって事?」
「詳細分かんなかったんで戦闘の勢い余って付いた死後傷とかかもしれん」
ここで部員達が傷の様子を聞いてうめき声をあげる一方、数人が囁くように疑問を口にした。
「突撃したんだ」
「知らなかった」
「逃げようとしたのはシェイクスピアの創作?」
「シェイクスピアのリチャード3世も逃げようとして馬を探してるんじゃないよ………」
元英語研究部の近堂が俯きながら小さく呟く。
言葉が続かないのを見てすかさず元語学研究会谷志田が引き継いだ。
「シェイクスピアのリチャード3世のセリフ「A horse! a horse! my kingdom for a horse!」だな。
forで交換を表す例文としてちょくちょく紹介される、「馬の代わりに自分の国をやる」って意味になるらしい。
このセリフだけが有名だからよく間違えられるけど、周りのセリフを見ると「助けてノーフォーク公! 王様がリッチモンド伯を探して突出してる!」とか「陛下、お願いだから撤退して!」みたいなセリフだから……
相手のリッチモンド伯、つまりヘンリー7世をぶっ殺すまでは止まる気はないって言いながら、馬が居なくても殴り込みかけてるシーンだよ」
「マジで!? 誤解してた」
薄っすら粗筋を知っているぐらいの人が多かった様である。
「リッチモンド伯6人居るけど、もう5人は殺したからいけるいける! みたいな感じ」
「そんな軽い感じじゃなかったでしょ。ここを死地を心得よ、でしょあのセリフは。勝てなかったら死ぬ気だよ」
「何でヘンリー7世そんなにいっぱい居るんだよ」
「これに負けたら後が無いと思ってて、突撃のための馬を欲してるんだろうから、このセリフを意訳するなら「その馬に国が掛かってる」とか、演劇風に言うなら「我が王国を賭けるに足る馬を」とかかな。色んな人が色んな翻訳をしてるよ」
「ちなみに同じシーンで二回言ってる」
「全然知らなかったわ」
改めて副部長が疑問を口にした。
「何で撤退しなかったんだろ………」
「さあね。まだ遠かったものの援軍も向ってきてたみたいなんだけど……布陣の関係で逃げる方がリスクが高いと判断したのか何なのか……。
ボズワースの戦場の正確な場所が割り出されたの、結構最近らしい。これから研究されるんじゃないかな?」
「ヘンリー7世に影武者が5人居たとかは他の資料で見た事ないんで、多分シェイクスピアの創作かなぁ」
「何でそんなとってつけたような設定が………」
「あ」
「近堂?」
「何でもない」
「絶対面白いから頼むから最後まで言ってよ」
部長に促され、「思い付きであってそんな面白い事は無いですけど」と前置きした近堂が続けた。
「シェイクスピアの『リチャード3世』では、決戦直前のリチャード3世の夢の中に、かつて手に掛けた人達の幽霊が現れます。恨み言を言って、リッチモンド伯、ヘンリー7世を激励して去って行くという場面があるんです。
セリフのある人の人数が確か10人ぐらいだったはずです。
リチャード3世とヘンリー7世の影武者?達の剣戟の横で二、三人一組で罵倒と応援を浴びせて去って行く演出だったのでは? ……と」
「おー」
「シェイクスピアさん罪の幻影と保身に憑りつかれて破滅するキャラ大好きだからな」
「え、あ、うん………」
「大好きって言うのも語弊があるけど………」
「あ、そういうメタ的な話ならもう一つ。コマドリが埋葬を司る元ネタ候補でBabes in the woodあったでしょ」
「えーと……何だっけ?」
「叔父が財産目当てで幼い子供達を殺しちゃう話。ノーフォークの紳士から聞いた話という事になっている」
「え………叔父が…子供達を……? ノーフォークって…」
「これを出版したトーマス・ミリントンThomas Millingtonって人、最初期のシェイクスピアの戯曲を出版してるらしいんだよ。正規の出版物じゃなくて演じた俳優の記憶から再構築した海賊版なんじゃないかって説があるんだけど」
「シェイクスピアの生前に刊行されていた作品は四つ折りquartosっていう大きさの冊子だったんだそうだ。海賊版も含めて版が複数存在し、内容もちょっとずつ違ったりする。
演劇仲間の協力で完全版とされるFirst Folioが出るのは亡くなって7年後」
「だからこの出版社、初期の劇場関係者に知り合いが居て、これは没になったネタの一部だったんじゃないかな?」
「となると……?」
「シェイクスピアが没にした、リチャード3世の甥、エドワード4世の子供達の末路がBabes in the woodなんじゃないか?」
「つまり本来のシェイクスピアのリチャード3世では、王子様達は森に置き去りにされて人知れず息絶え、コマドリに埋葬される。
リチャード3世は戦場でヘンリー7世の影武者か幻影達を殺すも、幽霊達の挑発に乗って泥沼にはまるように踏み込んで行って討ち取られる展開だったんじゃないかって事か」
「オフィーリアの最期とかも繰り返し描かれるぐらい人気だから、コマドリの埋葬がシェイクスピア作だって言われたらめっちゃ分かる……もしそうなら原文見たかったな」
「オフィーリア?」
「シェイクスピアの作品の一つ、『ハムレット』の登場人物。死んだ時は正気を失って歌を口ずさんでいた。解説するより絵を見せた方が早いな」
「あ、見た事ある」
「これは19世紀のジョン・エヴァレット・ミレーJohn Everett Millaisの作品。同時代の『落ち穂拾い』とか『晩鐘』のジャン=フランソワ・ミレーJean-François Milletとは別の人だから気を付けてね。ちなみにこの絵のモデルさんは服を着たまま風呂桶で水に浸かっていたため風邪をひいたらしい」
「流石に全く関係ないと思うが、オフィーリアの持っていた花冠の一部、crowflowerの別名はragged robin、やぶれコマドリだそうだ」
「痕跡が残ってるなら必要な場面だったんだよね? 何で没ったんだろ?」
「全然関係ないんだと思うよ……」
言い出したものの、近堂は弱気である。
「考えるとすれば一つは尺の都合。リチャード3世、かなり長いんだ。
それと殺陣の横に居る演出が危なくて没った可能性かな。
現代でも殺陣は専門家が慎重に検討して動きを決めるぐらいだし。もし幽霊がぶつかって怪我したらクライマックスがギャグになっちゃう」
「舞台の二階部とかに居ればいい気もするけど」
「もう一つはもっと深刻だ。この演出だと『王子達が死んだかどうかは誰も知らない』『リッチモンド伯、ヘンリー7世と思しき人物が5人殺されてる』って事になる。
正式な台本では6人のリッチモンド伯もリチャード3世がセリフの中でI thinkって言ってるだけだからな。何とでも言い訳がつく。
でもこの演出で劇を見た客が「エドワード4世の子供達は生きている」とか、「ヘンリー7世はボズワースの戦いで影武者とともにリチャード3世に殺されていて、玉座に座ったのは影武者」とか言い始めたらどうなる。時代はエリザベス1世の治世下、ヘンリー7世の孫だぞ」
「シェイクスピアさんの世代は一応途中でジェームズ1世に代替わりしてるけど、ジェームズ1世もヘンリー7世の子孫なことに変わりはないので、多分やばさは変わんない。
何ならジェームズ1世は議会と折り合いが悪い時があったから、当てつけで攻撃されるまでありうる」
「あー……」
「当時だと社会的に危ないのは容易に想像つく」
「つーかエリザベス1世の時代に反逆罪で捕まった人達が、前日にシェイクスピアさんの一座に来てた事があったらしいんだよ。
プロパガンダとしてリチャード2世を上演させた可能性があったそうだ。リチャード2世は王様を玉座から追い落とす話だから」
「そんなんに巻き込まれるとか、怖すぎか」
「大人気だから興奮した観客や二次創作のせいで何が起こるか分からんからな」
「人気過ぎるオリジナルキャラが続編で唐突にナレ死した事がある。一説によると二次創作が出ないようにするためだそうだ」
「Babes in the woodの子供達も二次創作で生存エンドは多いよ」
「なるほど、シェイクスピアさんが書きたいもの書けなかった可能性は分かった」
「じゃあ史実のリチャード3世に戻ってスケルトンさんの辺りまでおさらいしようか。
その後どうなったんだっけ?」




