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14.泡沫と長期政権

「実のところウォルポールさんの辞任はどんな感じだったんだろう? そんな矢が刺さるような辞め方だったの?」

「1720年頃に選挙で大勝して1740年頃に大敗して辞めてる」

「じわじわと順調に人気を落としてるように見えるけどね。

 正直、本の発売時期に近かったから連想ゲーム的に噂が出ただけでは?」


「いつ頃からある表現かは分かりませんでしたがrobinocracyという単語で揶揄されている様なのでrobinを使えば連想はされる可能性はあります。

 ウォルポール首相は当時盛り上がり始めた新聞などのメディアに対し、買収や禁止法などで政府批判を禁止させているようなので湾曲表現で批判されたかもしれません」


「当時のガリバー旅行記が架空の冒険旅行の体をした風刺物だって聞いたな」

「歌を利用して、さよならロビン帰ってくんなよみたいな感じで使った可能性か」

「でもそれ以前にコマドリの歌が無かったっていう証拠にはならないからなぁ……」

「現存する最古の印刷物が1744年ってだけなんだよね」


 寄せ集めの同好会集団、合同同好研究部。

 暇に飽かせてWho killed Cock Robinの元ネタを検証しているところである。


 現在は元ネタの一つと噂されるロバート・ウォルポール首相の辞任劇について調べている。


 司会進行。合同同好研究部副部長早矢はや

 歴史が苦手な彼に説明できれば大体OKという基準で進んでいる。


「ウォルポールさんの人気の上がり下がりや事件とか、どこかに連想できるヒントとかない?」

「特に思いつかなかったけどなぁ」

「とりあえずおさらいしてみましょうか?」



「ロバート・ウォルポールさんが政治の世界に入ったのは1701年。

 カトリック過ぎるジェームズ2世を追い出してウィリアム3世が即位した名誉革命から約10年後の事」


「あ、そんなに時代近いんだ」

「追い出されたジェームズ2世の血縁者は「我こそはイギリスの正当な王位継承者」ってやってるし、それを応援するジャコバイトっていう集団は居るし、ウィリアム3世メアリー2世夫婦には後継ぎがいないし」

「またなんか一波乱ある気配」


「でも1701年にウィリアム3世が王位継承権を『プロテスタントでカトリックの人と結婚してない人』と定めていたので、メアリー2世とウィリアム3世の国王夫婦二人が亡くなった後、すんなりメアリー2世の妹のアン女王が即位」

「でもアン女王の子供達も夭折しちゃったため、また別の所から王様を連れてくることに」

「むしろどこに居たんだ」


「条件に一致してたのが神聖ローマ帝国、今のドイツの辺りに嫁いでた人の子孫」

「カトリックならもっと近い血筋50人ぐらい居たとか」

「王様の血筋って思ってたより多いな……」


「えーと、イングランド王ジェームズ1世の、娘の、娘の、息子? ひ孫でいいのかな? この人が現在のイギリス国王の先祖のはず。ジョージ1世」

「えー…と、ジェームズ1世ってクロムウェルさんとバチバチした……?」

「違うよ、クロムウェルさんとバチバチしたのはチャールズ1世」

「チャールズ2世の弟がジェームズ2世だから間違えたんだな」


「エリザベス1世の時に処刑された方のメアリー1世女王の息子がジェームズ1世」

「つまり姉じゃない方のメアリー1世の息子?」

「合ってる」

「息子居たんだ……ってあれ? スコットランドとイングランドって違う国じゃなかった……?」


「メアリー1世が刑死した原因がイングランドの王位を狙ったことだとされている。その根拠は血筋にある。

 スコットランドのメアリー1世のお爺さん、ジェームズ4世はスコットランドとイングランドの平和条約を結んでヘンリー7世の娘、つまりヘンリー8世の姉をお嫁さんに迎えた。しかしスコットランドは以前からフランスとも盟約を結んでて、ヘンリー8世がフランスに侵攻した時、スコットランドはフランスを助けるためにイングランドに侵攻した。

 ジェームズ4世はこの戦いで戦死してる。この前ちらっと出た第二代ノーフォーク公が身分回復するきっかけになった戦闘で、キャサリン王妃がスコットランドを撃退したあの戦い。

 そのジェームズ4世の息子がジェームズ5世で、ジェームズ5世の娘がメアリースチュアート、メアリー1世。

 そのメアリー1世の息子がスコットランドでは6代目のジェームズ王、ジェームズ6世。イングランドではジェームズ1世。スコットランドの王位を継いでたけど、母親のメアリー女王もイングランド王家の血を引いてたからイングランドでエリザベス1世が亡くなった後にイングランドも継いだんだね」


「ああ、国相続したパターンか……つまりこのドイツから来た王様は……姉じゃない方のメアリー1世女王の息子の子孫」

「合ってる」


「そういうわけで遠くから王様に来てもらったわけだけど、ドイツ語圏から来たので英語が喋れない。

 そこで活躍したのがウォルポールさん。王様の代わりに内閣を代表して働き、王様の信頼を得ます。その働きからプライムミニスター、首相の語源となりましたとさ」


「これは枢密院から発生した機関が王様を補佐してたわけだけど、こうした事情でこの時期に役割が大きくなった。王様に信任された首相が意見の合う人を採用するわけで、この仕組みが後の内閣になったと言われている」


「実際は王様も英語の読み書きできたみたいだけど、そもそも無表情で無口な人だったらしい」

「ドイツ人は無口無表情みたいな伝聞、もしかしてここからなのか?」


「文化や政治体制も違うし、不手際や誤解があったらいけないみたいな配慮だったのかもね。実際に政治の方針でたびたびハノーファー、王様の出身地ありきの方策をとるっていうんで不評があったみたいだし」

「そもそもハノーファーの偉い人でもあるんだからそっちの事も考えるのも当たり前っちゃ当たり前な気もするけど」


「そんなウォルポールさんが活躍できた理由の一つが1720年の南海泡沫事件。有力政治家のほとんどがこの事件に巻き込まれて辞任に追い込まれるなり心労で倒れるなりしてしまった」


「南海泡沫事件、株とか国債とか難しそうでよく知らない」

「名前の由来は南海会社。簡単に言えば会社の株、つまり持ってるだけで価値が上がっていく紙を皆欲しがった所で価値が暴落、経済が大混乱に陥った」

「んー」


「厳密に言うとそういう仕組みがなるべくしてそうなったというか……実はフランスでもほぼ同時期にミシシッピバブルというのが起こっている。これが南海バブルによく似ているんだ」

「ミシシッピバブル初めて聞いた」


「まず、株というのは会社の……ちょっと語弊あるけど借金の証書。持ってれば株を発行した会社からお金とか商品とかが払われる。配当って奴だ。株は他の人に売って換金してもいい」

「うん」

「国債は国の借金の証書。これを持ってると国からお金が払われる」

「うん」


「度重なる戦争により、欧州各国は国債を発行して戦費を調達していた。でも国債はいつか返さないといけない借金だ。戦争が終わったからって急に税収が増えるわけでもなし、財政危機がちらついていた。

 南海バブルの南海会社もミシシッピバブルの西方会社も、時価で自社の株と引き換えに国債を引き受けるという方法が最大の特徴であり、最大の問題だった」


「最大の問題……」


「時価、つまり会社の株の価値が高ければいくらでも国債を引き受けられるという事だ。財政危機にあえぐ各国にとって都合が良すぎた。

 しかも南海会社も西方会社も独占貿易で利益をうたってはいたが、実態は会社の継続も覚束おぼつかない物だった。一度魔法が解けたら終わりだ」


「えー……と」

「会社は各人が持ってた国債を株と交換した。株が人気で高額だから大量の国債と交換だ。

 買った株は他人に売って換金してもいいし、持ってれば会社からお金が払われる。本来なら」

「えーと……でも本当は会社儲かって無いんだよね?」

「会社は借り入れや新株の発行などで手に入れた金を配当や自社株買いに充てるなどして株の価値を吊り上げ、国債を吸収し、新規投資家が集まらない、配当が払えないなどで不信の目を向けられて化けの皮が剥がれた所で株価が急落、バブルが弾けた。これが南海バブルとミシシッピバブル」


「国債の帳消しのためにわざとやったってこと?」


「そう言われてる。フランスのミシシッピバブルを発生させたスコットランドのジョン・ローJohn Lawという人は不換紙幣、つまり現在使われている紙幣と同じ構想でフランス経済を刺激したりとなかなかやり手だったらしい。でもこの詐欺紛いの国債償却のせいでフランスでは不換紙幣への不信感がかなり尾を引いたと聞いた」

「この騒動はフランス革命の遠因になったと言われている」


「株怖いって本当だったんだ」

「現在の株とは別の怖さな気もするけど……現在も大企業の粉飾とかもあるから似たようなもんか」


「元はといえば株式会社というのは優秀な企業が合法的に資金の調達をしやすくするための仕組み、いわばクラウドファンディングの仲間ですぞ。

 ただし投機の対象と見るならば素人は絶対に手を出してはならない代物ですぞ」


「南海会社がうけてるんで適当に生えてきてバブル崩壊とともに消滅した株式会社は、企画倒れや詐欺目的のクラファンと同じだな」

「南海会社の仕組みを見て株式会社が玉石混合で乱立した結果、投資資金を食い合うライバル出現とみた南海会社が議会に働きかけたのもバブル禁止法が制定された一因という話がある」


「さて、一方でイギリス議会では南海会社の仕組みの危険性に気付いて株と国債の交換レートを固定しようとした人もいたし、そもそも国債と南海会社株との交換を反対した人もいた。

 ウォルポールさんも反対派の一人だったらしい」

「それで南海バブル騒動の後始末を任された」


「どうやったの? どっから手を付けていいか分かんないぞ」

「俺らも調べたけど分からなかった」

「詳しい資料が見つからなかったんだけど南海会社の重役達の財産没収して補償に当てたみたいな話がちょこっとあった」

「皆が買わされた南海会社の株を政府のお金でイングランド銀行が買い取る感じになったのかな? ちょっと詳しく書いてないんで分からない」

「被害者救済に対応する姿勢を見せたことが信頼につながったらしい」


「何とかしたんだ、すごいな」

「イギリスの重商主義の道筋を引いた人みたいだからね。工場で使う原料の輸入関税を引き下げ。競合しそうな外国製品に税金をかけて国内産業を保護。関税の手続きの簡略化。戦争反対、早期終結、なぜならお金がかかって税金を引き上げないといけなくなるから」


「ああ、もしかしてshroudにも文句つけたキャラコ禁止法、この人?」

「ウォルポールさんが政界入りしたのが1702年で輸入禁止が始まったのが1700年だから違う。毛織業者の要請を受けたものだったんじゃないかな? でもウォルポールさんも意識して民意を汲み上げてたんじゃないかと思う」


「南海泡沫事件では犯人の糾弾よりも騒動の補填や被害者救済を急いでる。ここで犯人探しで大分裂しちゃうとホイッグ党政権が維持できないという判断だったようだ」

「清々しいほど打算的」


「まぁそんな感じで1721年から1742年までプライムミニスターをやってたらしい。1727年にジョージ1世が亡くなってジョージ2世に代替わりした時に罷免されるんじゃないかって言われてたんだけど普通に続投してる」


「辞任は何で?」


「一つ目の不人気が1732年の消費税導入の試みとされている。

 最初はぶどう酒と煙草への課税のつもりだったらしい。詳しい事は分からないけど猛反対を受けたとか」


「……当時の消費税ってどんな仕組みなの?」

「んー……はっきり分からなかったけど、多分大本は関税。清教徒革命の後の辺りまでは特定の地区の担当者が居て立ち入り権っていう権利でお店に入って強制捜査からの物品税って現物をカツアゲ?」

「カツアゲ言うな」


「暖炉税とかはこの立ち入る方法じゃないと確認できないんだけど、この徴税方法のせいで常に政府の人気に一定のマイナスが掛かるんでこれが外から確認できる窓税に変更になったとか」

「ああ窓税ってそういう……知らん人が家に押し入ってくるの普通に怖いからな」

「暖炉税は徴税官が殺されたんで廃止って話もある」

「この立ち入り徴税を葡萄酒、タバコにやる気だってんで猛反発があった感じかな?」

「確かに小売店やってて急に徴税官踏み込んできたらビビる」


「ただこの時期に税関の方も仕組みが変わったらしい。

 それ以前は船主とかが積み荷を自己申告してた。不正やり放題。

 それが改善されて輸入品の茶、コーヒー、ココナッツなどを無課税で一旦倉庫に入れて、そこから搬出する分に関税を掛ける仕組みに変わったみたいだ。

 密輸の防止や手続きの簡略化が目的らしい、結構成功していたのかな」

「つまり『国内に持ち込む物は一旦全部倉庫に入れろ』って仕組みか。そんでそこから持ち出す時に関税を掛けられてる物品だけお金がかかると。シンプルだけど自己申告と比べると分かりやすく不正しにくくなってるな」


「もしかして消費税はその応用をする予定だったのかな?

 とにかく反対で立ち消えになったらしい。詳細は不明」

「まぁ増税は大体そうなるか」

「もしも政府主導で巨大物流倉庫作って倉庫使用料から税金とってめんどくさい納税手続き全部無しになるって話だったなら許されたんじゃないかって気もする」

「当時船と馬車だから荷物の長距離移動とか荷物の見張りとか大変だっただろうからね」

「でもまぁ当時の物流倉庫なんて冷蔵設備も何も無いだろうから質は保証できないし結局反対に遭ったんじゃないかって気がするけどな」


「そして不人気の二つ目は戦争に全く乗り気じゃなかったからかな?

 戦争が起こると戦費のために税金を上げないといけないんだけど、思いっきり1739年にスペインとの植民地争い、1740年にオーストリア継承戦に巻き込まれた。

 減税で票を維持していたウォルポールさんにとっては痛恨の出来事だったと思う。戦争イケイケモードの議員たちが、やる気のない首相に不満を抱いたっていうのもありそう」


「とにかく1741年の選挙で負けたウォルポールさんは1742年に辞任した。

 「選挙で負けたら辞任する」というこの姿勢は、王様に贔屓されてても議会の意向に従うという責任内閣制の最初の例を示したとして立派な態度だとされている」


「うーん、確かに辞任直前の戦争でとどめ刺された感はあるけど……あんまりコマドリの歌と合ってる気はしないな」

「仮に著者がそういう意図で載せてても「Robinが死んでればよし!」ぐらいの感覚で既存の歌を載せただけの可能性もある」


「さて、一通り見たけど締まらないね。そうなるとコマドリの歌の正体は分からず仕舞いか」


 部長、美夏原みかはらが諦めモードで腕を組んだ時、副部長の早矢はやがおもむろに手を上げた。


「んー……さっき出た教会の歌を替え歌した説あったよね。

 それで思った事言っていい? 知識足りないから的外れな事言うかもしれないけど」


「おもしろければよし」

「ハードル上げないください部長」


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