13.庶民院とかトーリーホイッグって何?
「全然分からない……」
資料を調べていた副部長の早矢が早くも音を上げた。
「どこが分からないの?」
「庶民院とかなんとか党とか……イギリスの政治全般……勉強した気はするけど思い出せない」
「そこからか~」
寄せ集めの同好会集団、合同同好研究部。
暇に飽かせてWho killed Cock Robinの元ネタを検証しているところである。
現在は元ネタの一つと噂されるロバート・ウォルポールRobert Walpole首相の辞任劇について調べているが、それ以前の問題が発生していた。
ロバート・ウォルポール首相の辞任は1742年。18世紀。
政治体制がかなり高度化してきている時代である。
司会進行。合同同好研究部副部長早矢。
歴史が苦手な彼に説明できれば大体OKという基準で進んでいるが、彼がつっかえると話が進まなくなる。
「じゃあイギリスの政治体制のおさらいを……元歴史研?」
「政治体制も沼だぞ。同じ役割でも時代によって名前が違ってたり、同じ名前でも時代によって役割が違ってたり」
「大雑把でいいと思うんだけど」
元歴史研究部保志名に断られ、元語学研究会飛田がため息をついた。
何だかんだ言って説明を始めれば補足してくれるはずである。
「えーと、まずノルマン朝のウィリアム1世の時代は基本的に王様が政治をやってるみたい。一応大貴族の話し合いとか側近との会議とかはあって、王の諮問機関curia regis、キュリア・レジスて名前がついてる。相談役みたいな」
「ウィリアム1世、矢に刺されたウィリアム2世の父親?」
「嫌な覚え方だけどそうだよ」
「つまりフランスから来た直後で10世紀ぐらいね、了解」
「1215年。大憲章マグナカルタが認められる。
これは重税まで課してフランスと戦争して負けたジョン王に対して反乱が起こったんだ。そして王様は勝手な事はしませんと諸侯と約束させられたもの。
領主の権利を認めるとか、勝手に処罰しないとか、勝手に課税しない、するときは会議で承認を得るとか」
「マグナカルタは何か聞いたことあるから多分大丈夫……
ん? 1215年って事は13世紀? ロビン・フッドの時代?」
「その通りで、ロビン・フッドではジョン王は十字軍で活躍する兄、獅子心王リチャード1世から王位を簒奪しようと謀り、リチャード1世が不在のイングランドで圧政を敷く暗愚として描かれることが多い。
失策があったのも確かだけどロビン・フッドの作品の中で悪いイメージが増幅されてしまった所もあるかもね」
「ただジョン王はマグナカルタを承認した数か月後には教皇にマグナカルタの無効を頼んで再び反乱を発生させ、戦いの最中に赤痢か何かで病没したとされる。
幼少の息子ヘンリー3世が王位につけられ、改めてマグナカルタの有効が宣言される」
「う~~ん……」
「このマグナカルタは要するに王様の権限に制限を加える事を明文化した物だったけど、受け継がれて解釈が加えられる。より現代に沿う人権意識と、権力ではなく法律による統治、法の支配の根拠になっていく。
教科書に載ってるのもこの辺の事情があるからだね」
「ちなみにジョン王の息子のヘンリー3世も全く同じく、マグナカルタを無視して戦費のために重税を課して負けて反乱起こされてる」
「ええ~……」
「そのヘンリー3世の時に反乱の先頭に立ったのがシモン・ド・モンフォール伯」
「何か名前……イギリス?」
「フランスの人みたい。ヘンリー3世に領地もらったらしい。
色々あって政策に失敗したヘンリー3世は反乱を起こされる。モンフォール伯はヘンリー3世を捕まえてマグナカルタを承認させ、騎士や僧などの各地の代表を集めて国政に参加させるモンフォール議会を作った」
「そうした改革の断行でモンフォール伯への権力集中を警戒した大貴族たちと戦いになりモンフォール伯は戦死する。しかしその後にモンフォール議会の仕組みを使った会議はしばしば行われるようになったという。
これがイギリス下院、庶民院の源流とされている」
「貴族院っていうのもあるよね? あれは?」
「貴族院の大本は恐らく王の諮問機関が源流らしい。王様が政治するにあたって有力者を呼んで会議した」
「この枢密院っていうのは貴族院とは違うの?」
「貴族院の源流と同じく王の諮問機関だったと思うよ。その中でも枢密院が出てきたのは継承順で幼い王様が出てきちゃったときの摂政みたいな役割がはじまりのはず。具体的には14世紀頃、リチャード2世の辺り。
枢密院は英国内閣の原型になった。と考えられているみたいだ」
「上院下院の仕組みが整ってきたのは14世紀と言われる。
フランスと百年戦争するにあたって戦費を増額するために頻繁に議会を開いていたらしい。
何でも貨幣経済が浸透してきて領地の作物などによる封建貢納より現金の納税が重要になってきたらしいんだ。そのため、最初は請願者だった庶民院にあたる人達は徐々に貴族院に並ぶ力を持って行ったみたいだ」
「またフランスと戦争してる……」
「百年戦争の原因は説明するのが割とめんどくさい。
フランス王家が断絶したんでイギリスの王様がうちにも継承権あるだろって戦争仕掛けたとか、それは口実でフランスの近所にあるイギリス領を巡っての戦争だったとか」
「フランスの近所のイギリス領?」
「ノルマン朝だって海を挟んで今のイギリスフランスに国土がまたがってたでしょ」
「矢に刺された人が兄弟で取り合ってたところか。そういえばそうか」
「今の国境の感覚で見ると変な感じするかもね」
「ちなみにその百年戦争でフランス側で戦ったのがジャンヌダルク」
「あ、ジャンヌダルクの話の敵側だったかイングランド」
「ともあれ、そうして戦争のために頻繁に会議が開かれることで上院、下院の仕組みができてきたみたいだ。百年戦争を始めた王様、エドワード3世の下で発達したと言われている。
フランスとの百年戦争の後も薔薇戦争ってイングランドで内戦が起こるけど、まぁとにかく、時に王様と対立したり弱くなったり強くなったりしながらも地道にイギリスの議会は続き、制度はより洗練され、今日に至る。らしい」
「トーリー党とホイッグ党っていうのは?」
「まず前提として。16世紀、イングランドはヘンリー8世によってプロテスタントっぽい国教になったけど、これは王様の事情による王様発のプロテスタント。英国国教会。
一方で清教徒、ピューリタンはいわば市民発プロテスタント。プロテスタントガチ勢。
17世紀、王様のチャールズ1世が権勢を振るう。王様が議会の権限を抑えたりした諸々もあって、反発した議会が国王と対立。とうとう国王軍と議会軍が衝突した。王様は処刑された」
「あっさり」
「実際はあっさりでもなく議会の足並み揃える所からやらないといけなくて大変だったみたいだけど」
「まぁその時比較的中心的な役割を果たしたのもあってこれを清教徒革命という。王様に贔屓された大司教がイギリス国教会をよりカトリック式に変えようとしてピューリタンが反発したらしいんだ。
でもその革命の後、オリバー・クロムウェルOliver Cromwellって人が護国卿って名前で独裁政治とか色々やったけど上手くまとまらなかった」
「クロムウェル聞いたことがあるような……」
「有名だから聞いたことあるかもね、あとヘンリー8世が新しく教会作る時に法律面とかでがんばったトマス・クロムウェルさんの血縁らしい。甥の子孫だったかな?」
「へぇ」
「とにかくオリバー・クロムウェルさんの新体制が上手くいかなかったので国の安定のためにまた王様を連れてくることにした」
「王様って連れて来れるもんなの?」
「処刑された王様の家族は清教徒革命の混乱を避けてフランスに亡命していたらしい」
「なるほど」
「クロムウェル統治時に貴族院などは廃止されたものの、王政復古にあたってこの王様が再編したと言われている」
「ちなみにこの王様を連れてくるにあたってすでに病死して埋葬されてたクロムウェルさんを王殺しの罪でさらし首にしたらしい」
「死者に鞭打つってイギリスにもあったんだ……」
「そんな経緯で最初に連れてこられた王様はチャールズ2世」
「最初にって事は、また処刑されるの?」
「大丈夫、病死。でも愛人との間には子供がいっぱい居たらしいんだけど正妻との間には後継ぎがいなかったんで弟のジェームズさんが後継に目されてた。でも、ジェームズさんはカトリックなんだよね。
チャールズ2世自身もイギリス国教会だったけど、病の床でカトリックに改宗したと言われている」
「というわけでピューリタン革命勃発の悪夢覚めやらない中、カトリックの王様という爆弾を抱え込みそうになったイギリス議会は大紛糾。
弟のジェームズ殿下にも後継ぎはいないから大丈夫じゃない?という賛成派がトーリー。断固反対、という反対派がホイッグと呼ばれた。どちらの名前もお互いの悪口だそうだ」
「悪口なんだ」
「一時的な集団に名前を付ける必要を感じなかったのかもね。要するに王弟ジェームズを次の王様と認めるか認めないかという意見の違いだから」
「チャールズ2世もあの手この手でホイッグ派の切り崩しを行い、弟のジェームズ2世は無事即位。
早速要職にカトリックを入れたりして絶対王政のような動きを始める」
「何でそんなわざわざ刺激するような事すんの?」
「さあ? 父親のチャールズ1世の動きはカトリックのスペインフランスと手を組むかプロテスタントのオランダと手を組むかっていう外交問題も絡んでるだろうけど」
「ジェームズ2世、どうも最初は常備軍にカトリックも入れて宗派違うのが原因の突発的な暴力とかを是正したかっただけっぽいんだけど、それで議会が警戒したみたいなんだよね。最後の方はやっぱり専制っぽくなってるし」
「そして渦中のジェームズ2世には後継ぎも生まれる」
「やっぱり?」
「トーリー党がフラグたてるから……」
「これに困ったイギリス議会が1688年、一致団結してオランダ、ネーデルランド連邦共和国のウィリアム3世という人に次の王様になるように頼んだ。ウィリアム3世もその奥さんもイギリス王室の血縁。そしてプロテスタント」
「何で最初からその人達呼んでこなかったの?」
「イギリスとオランダは戦争してたんだよ。英蘭戦争。
ちょっと話は遡るけど、クロムウェルさんがイギリスへの輸入品はイギリス船の運んだ物しか認めませんって法律出してオランダの貿易に大打撃を与えた。オランダはイギリスや他の国の商品を船で運ぶことで利益を得てたから。
その後もイギリスは似たような法律を出して英蘭戦争は何回か起こったんだけど、チャールズ2世の時にオランダはイギリスと同時にフランスに攻め込まれた。その背景にあったのがイギリスとフランスの王様達の密約、ドーヴァーの密約だったらしい。
チャールズ2世の受けた条件はフランスから資金援助を受ける代わりにイギリスをカトリックにする、オランダ侵攻も助ける」
「えーと……チャールズ2世さっきの連れてこられた王様の兄の方?」
「合ってる」
「密約を知ってイギリス議会ぶちぎれ。フランスへの支援を停止。イギリス海軍はオランダ海軍にさっさと敗退して帰った」
「そういう経緯もあってフランスの侵攻を警戒していたオランダのウィリアム3世はイギリスと関係を持つことにした。ジェームズ2世の娘と結婚したんだ」
「え、ジェームズ2世って連れてこられたカトリックの王様の弟の方だよね? その娘?」
「イギリスの宗教事情を考慮して、ジェームズ2世の娘のメアリー2世はプロテスタントとして育てられてたっぽい。11歳差の年の差婚で不安もあったみたいだけど視野の広い聡明な人だったみたいだ」
「実の所、ジェームズ2世を退けるにあたってイギリス議会からはめんどくさい王弟廃してその娘のプロテスタントに女王になってほしいみたいな思惑の打診があったみたいなんだけど、ウィリアム3世はこれに難色を示したと言われている。そこでメアリー2世はウィリアム3世を王様に立てて共同統治を引き受けたと言われる。
女王として自分の権利を主張する事もできたのに夫を立てることによってオランダの協力を得たわけだ」
「そのせいかは分からないけど、ウィリアム3世はフランス軍を撃退してオランダの安全を確認するや否や軍を率いてイングランドに渡りジェームズ2世を攻撃。
ジェームズ2世の一家はフランスに亡命し、ウィリアム3世はイングランドでウィリアム3世として即位する」
「一応ジェームズ2世も頑張って軍隊は集めたらしいんだけど、ベテラン軍人が戦闘に反対したみたいな話がある。逃亡した王様を退位扱いにして即位、ほとんど怪我人出なかったらしい。このウィリアム3世即位を名誉革命と言う」
「この一連の王様代替わり騒動によって、ある程度似た意見の人が集まったのが政党の始まり、らしいと言われている」
「これでようやくロバート・ウォルポールさんの話をつっかえずに読めそう」
「入り口じゃん!」
「副部長がんばって~」